キャッスル航空博物館には全部で56以上のレストアされた展示機があります。
なにより日本人としてうらやましいのが、まずそういう広い展示をするスペースがあること。
これは、もと空軍基地だったところがまるまる博物館になっているのですから、
当たり前と言えば当たり前なのですが。
そして、 なんといっても、これだけの航空博物館を運営していくのに、
必要なだけの資金がおそらく空軍からも出ていることです。
展示航空機は空軍海軍からそのままスライドしてきたものが多そうですが、
中には展示説明版に「どこそこの誰々が寄付したもの」と書いてあり、
個人あるいは団体の所有物であったことを示している機体もいくつかありました。
つまり集まってくる経緯や入手先はさまざまだということですが、その中で、
アメリカ軍のものではない飛行機がここには2機ありました。
一つが冒頭写真の
AVRO VULCAN B. Mk 2 (アブロ バルカン)
ヒラメのようなうっすーい機体を見る限りそうは見えませんが、こう見えて戦略爆撃機。
イギリス軍が、冷戦時代、ソ連への侵攻を想定し、スピードと高高度、
そして爆弾搭載機能を同時に兼ね備えた機体を開発したものです。
オペレーション開始は1952年のことです。
1980年代に引退するまで、R.A.F(Royal Air Force、イギリス空軍)の所属でした。
デビューの時は、大掛かりな宣伝と発揚を狙って、なんと世界一周飛行をしたそうです。
しかし。
世界一周後凱旋してきたヒースロー空港に着陸失敗して、破損したのはここだけの話(T∀T)
戦略爆撃機としては、ヨーロッパ製のトルネードに置き換えられての引退です。
このバージョンは第二世代で、1960年にオペレーション開始となりました。
このキャッスル航空博物館にやってきたのが引退してすぐの1981年ですから、
もう30年以上ここに展示されているわけです。
この塗装の禿具合からみて、国旗とグレーの部分しか塗り替えていないのではと思われます。
当博物館の特色として、平面からしか航空機を見る術がないので、
実はこの飛行機がこんなシェイプをしていると知った時には少し驚きました。
なんか蛾みたいで、しかもまだら模様が少しキモいと思うのはわたしだけであろうか。
このタイプの水平翼のことを「デルタ・ウィング」というのですが、
これが爆撃機としてデルタウィングを採用した最初の飛行機です。
ヒラメのように薄い機体は、翼抵抗を少なくして航続距離を見込んだ設計です。
運用当初の主目的は核搭載(抑止力のためですよ、左旋回のみなさん)で、
そのため核爆発の閃光から機体を護るため、白色に塗装されていました。
(抑止力のためなら、なぜ実際に落としたときの想定をするのかって?
本当に落とすつもりがないと思われたら、抑止効果にならないでしょ?左のみなさん)
しかし、その後、これは世界的な傾向でもあるのですが、核抑止力は
航空機から戦略原子力潜水艦に求めるようになったため、バルカンの任務は
「低空侵入による戦術核攻撃」と宗旨替えをされ、そのために迷彩柄になったというわけです。
こんなおおざっぱな迷彩が、ステルス性につながるものだろうか?
とついシロートは考えますが、こう見えてバルカン、 1960年に英米連合軍()合同で
行われたスカイシールド演習では、仮想敵機(つまりソ連機)役を務め、
見事ニューヨークの上空に侵入することに成功しています。
ふと思うんですけど、この演習の時の仮想敵機パイロットのメンタルって、
「気分もすっかり敵国機」
なんではないでしょうか。
このときのバルカンの搭乗員たちが5人が、すっかりソ連軍パイロットになりきって、
ニューヨーク上空に侵入した時には思わず
「ハラショー!」「ウラー!」
と快哉を叫んだ、に1ルーブル5カペイカ。
ここでちいとばかり注目してみた、バルカンおなかの部分。
翼幅は30メートル以上あるらしいんですが、ウィキペディアの画像と比べても
少し幅が狭い気がしますね。
調べても分からなかったのですが、このデルタウィングは可動なんでしょうか。
柵の中までは入れないようになっていたので、
核爆弾を収納する部分を写真に撮れなくて、それが残念です。
半月型のウィンドウは、B-17みたいに、爆撃手がずっとここから下をにらむため?
と現地では思ったのですが、実はバルカンの乗員は5名で、
正副操縦士、航空電子士官、レーダー航法者、進路設定者
つまり爆撃手という専門の係はいないのです。
爆弾投下もボタン一つなので、この航空電子士官という係がやってしまうんでしょうか。
バルカンのノーズを下から撮ってみました。
ところで、このイギリス空軍の飛行機がなぜここにあるかというと、
イギリスから「好意で」「無期限貸与」されているのだとか。
ふーん。さすがはもと同盟国同士。仲良しですな。
ちなみに、この説明ですが、「イギリスから」とかではなく、
「Her Majesty's Government」(女王陛下の政府、イギリス政府のこと)
とわざわざご丁寧に書いてあります。
エアインテークの蓋にもちゃんと手書きで文字が。
ちなみに英語読みだとこれは「ヴュルカン」となります。
余談ですが、英語で話していると一番困るのが「その国で認知されているところの発音」
を知らないと話が全く通じないことですね。
トム・クルーズの映画「ワルキューレ」、ワーグナーの「ワルキューレ」もですが、
英語読みだとそもそも単語が「 Valkyrie 」で、「バルキュリー」と発音します。
ドイツ語ではWalküreとつづりますが、これも発音すると「ヴァルキューレ」。
英語だと原語に近いスペルを当てはめてしまうんですね。
かと思えばKarl Zeissを、日本人はドイツ語発音に近い「ツァイス」と読みますが、
アメリカ人は「ザイス」と読んでしまうと言うようなこともあります。
と、アメリカ人と会話していて発音を直されたエリス中尉が言ってみる。
バルカンを撮っていたら、博物館の横にある線路を貨物列車が通りました。
最初なんとなく見ていたのですが、いつまでたっても最後尾がやってこないのです。
「え。これ、いったい何両編成なの」
「さっきからずっと連なってない?」
TOとこんなことを言いながら眺めていたのですが、写真のような普通のコンテナ、
ガソリンを積んだコンテナなど、優に100両はあったでしょうか。
「こんなのが通ったら、開かずの踏切だね」
「心配しなくても一日一回しか通らないんじゃ・・・」
「日本なら夜中走らすだろうけどなあ」
もっともそんなに早いスピードではありませんでしたが、全部通り過ぎるのに、
たっぷり10分以上はかかり、わたしたちはアメリカの広さをあらためて実感したものです。