自衛隊イベントも資料見学も、ただ行って見て来るだけでは
後に残るものはなにもありませんが(わたしの場合です)、後から
写真を点検し、そこに写っているものについて具に 調べることで
初めて観て来たものの多面的な、あるいは俯瞰からの実像、
今まで見てきたものとの接点や関連性に思い当たることもあります。
さらにブログは出版物と違い、即座に反応が返ってきて、
たとえこちらの発信した情報に誤りがあっても(これが結構多いんですけど)
訂正していただけることもあり、さらに追加情報を得ることもできます。
ちょうど4年と1ヶ月前の2010年4月20日。
海軍は勿論自衛隊についての知識ゼロであったわたくしことエリス中尉が
「最近海軍が好きになったのでこれからいろいろ調べていくことにしました。
日記代わりに毎日書きますが別に誰にも読んでもらわなくてもいいです」
という態度で人もすなるブログというものを始めたのがきっかけです。
あれから4年(と1ヶ月)。
4年と云うと、オリンピックの周期ですが、生まれた子供が自分で歩いて
幼稚園に行って走ったり歌ったりできるようになる年月です。
当ブログは震災の後に長期に休載しただけで
あとはほぼ定期的に連載を続けて参りました。
この間ちょっとした事件がなかったわけではありませんが()まあ
全体から見ると大きな事故もなく、無事続いたと言っていいと思います。
読者数も当初からは考えられないくらい増え(当社比)、時折、
「こんなものをこんな大勢の人が毎日わざわざ読んでいるとは・・」
と不思議な気持ちになることもあるくらいです。
「人の悪口や感情的な非難はしない」
「誰も検証できないからといって嘘を書かない」
「コメントに対しては常に誠実に対応する」
「来るものは拒まず去る者は追わない」
こういった運営ポリシーの元に、まあ後は努力目標として掲げるのが
「資料を見る手間を惜しまず極力事実を書くことを心がけること」
ですが、結果的にそうなってしまわないことも多いのは皆様ご承知の通り。
しかし、このあたりは「所詮ブログ」なので、間違いご指摘とのやりとりも
エンターテインメントの一環としてお楽しみいただけたらなと思っております。
それからこれは事務連絡です。
コメントはご本人のご希望がない限り必ず掲載させていただいておりますが、
承認制のため、IDのないコメントは掲載を控えさせていただいています。
さらに過去「コメントが届かない」という事故も何度か起こっておりますので、
もし
「コメント送ったのに無視された!」
と思っていらっしゃる方がございましたら、
そのどちらかのケースだったと思ってあきらめて(←)いただければ幸いです。
(つい先日、スルーされたことを責めているように取れるコメントがございましたので、
その方へのメッセージに代えさせて頂きたいと思います。
心当たりのある方、もしよろしかったらコメント再送をお願いいたします)
さて、というところで「かしま」艦上レセプションに戻ります。
前ログで写真に写っていた駐在武官たちについての説明を頂きました。
まず、この写真ですが、こちらを向いている米軍軍人さんは、
「米国国防武官兼海軍武官」
日本ではこれを兼任することになっているということでしょうか。
駐在武官というのはその昔は広瀬武夫(ロシア)や秋山真之(アメリカ)が
務めたこともあり
「身分としては軍人、公務は外交官的側面を持つ」
という任務です。
「軍人外交官」などとも俗には言われることもあります。
主な任務は在外公館に駐在して軍事に関する情報を収集することです。
軍人として実力があると共に外交官の資質も問われる、
非常に難しい配置だと思われますが、米軍の代表として日本と云う
アメリカに取っては非常に重要な国の駐在武官になっておられるわけですから、
おそらくこの方は大変優秀なのに違いありません。
ちなみに、我が日本国自衛隊では「武官」という言葉が使えないので(笑)
正式には「防衛駐在官」と称します。
でも、当の職務経験者が自分で自分のことを
「駐在武官」
とおっしゃっているので、たぶんこっちもありなんだと思います。
そして画面真ん中の白黒花柄スカートのアメリカ女性の平均的体型の方は、
駐在武官の奥方だそうです。
自衛隊の駐在武官もそうですが、国際的な社交への参加が夫婦単位になっているので、
駐在武官の奥様は外交官の妻のような社交を要求されます。
日米の士官奥様方の間での集まりがあり、その世界も中では大変、
みたいなコメントを雷蔵さんから頂きましたっけね(笑)
防衛大学校の卒業式の後に恒例としてダンスパーティが行われますが、
この慣習も
「海上自衛官幹部は夫婦単位での社交が必要となるのだから
伴侶にもそれ相応の資質と覚悟が必要」
という傾向と無関係ではないような気がします。
左の方を「キューバ大使」と見た目のイメージだけで憶測をしてしまったのですが、実は
「パプアニューギニア大使館の公使」
だそうです。
この方はかなり流暢な日本語を話されていたそうなので、万が一、
前回のログを読んでおられたらブッチャー呼ばわりしてしまってすみません。
しかし、ということは、実習航海で練習艦隊はPNG(パプアニューギニア独立国)
にも寄航するということのようですね。
ご存知のようにPNGはラバウルのあるニューブリテン島、ラエ、ポートモレスビー、
こういった戦史ファンにはおなじみの地名を持つソロモン海に面した国です。
練習艦隊はこのようなかつての旧陸海軍激戦地、激戦海域を通過するとき
洋上で慰霊祭を行うそうです。
2007年、2008年度の練習艦隊はどちらも真珠湾に寄港しており、
おそらくはこのときに洋上慰霊祭を行っているはず。
この練習艦隊も、PNG寄航の際にはおそらくそこで慰霊祭を行うのでしょう。
実習幹部によると、今年はタイ王国にも初めて寄港するそうです。
さらに、乗り組みの音楽隊員についていくつかの疑問をあげたところ、
それに対してもお答えを頂いております。
まず、練習艦隊音楽隊は毎年臨時編成されます。
海自は全国6カ所に音楽隊を持ちますが、各隊からの選抜メンバーで
この臨時編成を行うのだそうです。
構成メンバーは各音楽隊から3名ずつ、合計18名。
これに、2尉または1尉の練習艦隊音楽隊長、2尉または3尉の音楽隊士(副隊長)
が加わります。
「かしま」の音楽隊長は本田航司2尉、
副隊長は岡崎恵一3尉であります。
この隊長副隊長を加えた20名が「かしま」音楽隊を構成します。
20名と少数なので隊長も副隊長も指揮者と演奏者を兼任します。
このレセプションバンドにもどちらかが加わっていたと思うのですが、
上の写真で立ってこちらを見ている3尉が副隊長かな?
この選抜をどこで行うかというと、海自の中央音楽隊である東京音楽隊。
楽器の構成やその年に乗艦できる女性隊員の人数などを勘案して起案し、
各音楽隊長の同意を得て選抜されるそうです。
この起案の段階でたとえば
「舞鶴音楽隊のトロンボーンは巧いと評判だから」
とか、
「呉音楽隊に確か女性のドラムがいたと思うが、どうだろうか」
とか言う風に、ある程度個人まで特定して決めるのかどうかまでは
この文章からは分かりかねますが、東京音楽隊は全国の音楽隊の
そういった情報が集まってきているはずですから、もしかしたら
「いきなりご指名」
で練習艦隊に抜擢されるという仕組みなのかもしれません。
そして、やはり「日本国自衛隊音楽隊の代表」として世界を回るので
当然ながら「選り抜き」の、特に優秀な隊員が集まって来るようです。
たとえばある年の遠洋航海で南米のグアテマラに寄航した際には、
グアテマラ・シティの国内最大のホールで演奏会を開きました。
この演奏会には大統領、国会議長、最高裁判所長官(三権の長ですね)の
臨席を賜ったほか、各大臣、国会議員、警察庁長官、士官学校の全生徒が
自衛隊音楽隊の演奏を聴くために一堂に会したということです。
これ、凄いですね。
グアテマラという国が日本に対してどういう扱いをしてくれているのかが、
この扱いからも窺い知れます。
もしこの夜演奏会場に何か起こったら国の機能が停止してしまいそうな顔ぶれ。
しかし演奏するのが日本のネイビーなので向こうにとっては心強かったと思いますが。
この同じ航海ではアメリカ・ニューオーリンズのフレンチクォーター広場でジャズを披露し、
ケーブルTVでも放映されたそうです。
ニューオーリンズというのはジャズ発祥の地で、黒人とクレオール
(フランス系が入植した地なのでフランス系と黒人のハーフ)によって
1900年頃に始まったジャズの元祖というべきスタイルです。
そのうち主流はシカゴに移り、ジャズのスタイルそのものが変遷しますが、
今でもニューオーリンズジャズはそのスタイルを残しています。
「日本人で言うところの民謡とかいう感じなのかねえ」
音楽仲間で時々こんな会話をしたことがあります。
アメリカにおける音楽は決してスタイルは一つではなく、一旦生まれた音楽は
2014年の現代でも生まれたままの形で継承されており、
当時のままのスタイルで演奏するミュージシャンが一定数いるというのが実感です。
いまだにカントリーミュージックというのが音楽シーンに現役で生きているのを始め、
その後生まれた、たとえばビバップや、モダン、そしてフュージョンなんてスタイルも、
最初から変わらない形で演奏され、それを好んで聴く層も必ず一定数います。
たとえばこのニューオーリンズでは、やっぱり今日も100年前と同じジャズが、まるで
伝統芸能のように演奏されているわけですが、わたしの興味は、このとき自衛隊音楽隊が
演奏したジャズが「どのスタイルで曲は何だったのか」に非常に興味があります。
やはり「ご当地ジャズ」であるニューオーリンズ風なものをやったのか。
それともあまり関係なく、「日本の自衛隊としての普通のジャズ」で攻めたのか。
ニューオーリンズの人々が日本から来たネイビーバンドの奏でるジャズを
どのように聴き、評価したのかも気になるところです。
音楽隊の実力について書いてきたついでに、世界の軍楽隊が結集する音楽祭、
"TATOO"というものがあります。
わたしも恥ずかしながら今まで知らなかったのですが、世界の三大TATTOOのひとつに
スコットランドで毎年7月行われる
「ロイヤル・ノバスコシア・インターナショナル・タトゥー」
があり、我が日本国自衛隊音楽隊は、過去、このタトゥーへの参加をしてきました。
日本の吹奏楽は小学生のバンドですら完成度の高い演奏をすると言われるほど
世界的に見てもレベルが高いのですが、こういった音楽祭で海自音楽隊は
日本の「軍楽隊」としてその優秀さ、ひいては日本の文化レベルそのものの高さを
披瀝する役割を担っているのです。
ちなみに今年は東京音楽隊単独でノルウェイで開かれるタトゥーに参加する予定で、
そこでも三宅由佳莉三等海曹が大変注目されています。
GET TO KNOW SINGER YUKARI MIYAKE
このページでは三宅三曹がインタビューされています。
英語を読むのが面倒な人のためにざっと概要を示しておくと、
歌手三宅由佳莉さんについて知る
日本から
海上自衛隊東京音楽隊と歌手三宅由佳莉さんにとって
これが最初のヨーロッパ公演となる。
我々はオスロスペクトラムでリハーサル中の三宅さんに少しの間
お話をしてもらった。
Q、日本海軍の←所属としてどんな毎日ですか?
A、「5年前までは自衛隊に雇用された歌手はいませんでした。
わたしが最初の歌手で、現在も唯一の歌手です。
プロの歌手である一面わたしは三等海曹の階級も保持します。
わたしは歌手と海軍将校のどちらもであることを誇りに思います。」
Q、ノルウェイのミリタリータトゥーにどんな期待を持っていますか?
A、「他の参加チームのパフォーマンスを楽しみにしています。
我々の演奏ではノルウェーの人々に日本文化を伝えられればいいなと思います。
わたしにとって海外のバンドとの初競演ということになり、
大変エキサイティングなものになると思います。」
Q、「祈り」という曲は2011年の日本の津波に関連して書かれました。
日本の内外であなたはこのため注目されていますね。
どうしてこの曲が多くの人々の心をとらえるのでしょうか?
A、「『祈り』は河邊一彦大佐(まあまあw)によって2011年の東日本大震災の
犠牲者のために書かれました。
(河邊がなぜか原文ではWatanabeになっている)
大変困難なときにこの歌は皆に希望を与えたと思います。
夢や未来への希望を持ち続けることの大切さ、
たくさんの思いのこもった歌でもあります。
「Mirai e no Utagoe」というCD発売後、この歌は
日本以外でも良く知られるようになりました。
そのことをとても感謝しています。
つまりこの歌の意味は、それを必要とすれば
希望、エナジー、そして明日への信頼は必ずやってくるということです。 」
【音楽】 「祈り」~海上自衛隊音楽隊
「かしま」とはちょっと関係ない話になってしまいましたが、
このまとまりのなさもまたこのブログということで。
ということを説明しようとしたわけではないですが(笑)
というわけでおかげさまで4周年を1ヶ月前にいつの間にか迎えておりました。
これも皆様方のおかげです。
ありがとうございます。