ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

かしま艦上レセプション~「プレミアム幹部を作るマナー教室」

2014-05-21 | 自衛隊

この練習艦隊の航路をこの項で説明しようとしていたら、
一足早く読者の方がコメント欄にそれを挙げて下さいました。
再掲になりますがあらためてここに記します。


アメリカ合衆国(パールハーバー、サンディエゴ)、
パナマ共和国(パナマシティ)、キューバ共和国(ハバナ)、
トリニダード・トバゴ共和国(ポートオブスペイン)、
ジャマイカ(キングストン)、メキシコ合衆国(アカプルコ)、
仏領ポリネシア(パペーテ)、ニュージーランド(オークランド)、
オーストラリア連邦(シドニー)、ソロモン諸島(ホニアラ)、
パプアニューギニア独立国(ポートモレスビー)、
インドネシア共和国(スラバヤ、ビトゥン)、
フィリピン共和国(マニラ)


コメント欄そのままコピペしてしまいました。
雷蔵さん、助かりました( ̄∇ ̄*)ゞ


ところで・・・・あれ?
エスコートしてくれた(アテンドと今まで書いていたのですが、
自衛隊的にはこちらの用語の方が適切だとご指摘を頂きました)
実習幹部がたしか「タイに行く」って言ってたような気がするんだけど。
舞い上がっていたので聴き間違えたかな。

それにしても、ヘンダーソン基地、ポートモレスビー・・・。

わたしには大変なじみの深い地名であり、戦史を知るものには感慨深い響きです。
これまで民間の
慰霊団が何度も慰霊祭を行ってきたわけですが、
今まで日本国自衛隊の練習艦隊という名前では洋上慰霊祭は
行われたことがなかったということなのでしょうか。


だとすればソロモンの海に将兵たちの霊はどれほどまでに慰められるか。


さて、練習艦「かしま」を旗艦とする練習艦隊はここ晴海への寄港の前に
全国各地の寄港地に錨を降ろしてきているわけですが、その目的は
「お披露目・ご挨拶」といったことのほかに

日本の歴史や文化を再確認する

という意味があるのだそうです。
そして最後の寄港地東京では

皇居特別拝観、靖国神社、東郷神社参拝、
大臣主催壮行会、水交会主催壮行会等、

目白押しのスケジュールをこなすことになります。
実はわたくし、以前に取り上げさせて頂いたことのある
海軍兵学校67期の越山清澄大尉のご親族から、

67期の遠洋航海のアルバム

データで頂いて持っております。
越山少尉候補生は(昔の実習幹部ですね)この遠洋航海に
高級品であるカメラを携えて行き、なかなか達者な腕で写真を多数残しています。
それを見ると東京に寄港中のショットには国会議事堂前で撮ったもの、
皇居遥拝のために隊列を組んでいる様子、勿論靖国神社参拝の写真もありました。

これを見る限り、自衛隊の練習航海はほとんど旧軍の兵学校のそのままで、
東京での行事にもほとんど変わりはないのではないかと思われます。

越山大尉のアルバムについては、ご親族の方のご了解が得られたら
エントリで紹介し、解説させて頂きたいと思っております。

さて、実習幹部たちのスケジュールの中には、あまり知られてはいませんが
「テーブルマナー講習」というものがあります。
巷にあふれる

「完全オーダーメイドで学ぶ『プレミアム女性を作るマナー教室』!
Allプライベートレッスンでグングン上達!」

(プレミアム女性って・・・・・何?)とか

「お受験用に親子で学ぶマナー教室!」

とか

グローバル化が進む現代の日本人にとっては
知っておくとより効果的に自分をアピールできるようになります!」

とかいう宣伝文句に


「マナーを教える側のこういう品性はいかがなものか」

とつい思わずにはいられないマナー教室で教えるそれとは、
実習幹部のマナー教習は全くその品格を異にするものです。


その昔、といっても現在の海将クラスが実習幹部であった頃、

(といいますと30年くらい前でしょうか)
テーブルマナー講習は

高輪の御殿に総員をご招待賜り

高松宮殿下おん自らご壮行を賜った


ものだそうです。
ご存知のように高松宮殿下は兵学校卒の海軍士官であられたお方。
畏れ多くももったいなくもその殿下から、殿下が薨去なさる1987年以前に
練習艦隊に行った海上自衛隊の幹部は直々にマナーを学んでいるのです。


うーん。これは・・・・・。

以前も陸自と海自は同じ高級将校でも佇まいが違うわね、と、
実際にこの目で実例を確かめて、それでもおずおずと言ってみましたが、
こういうのを聴くとやはり、いや決して陸自幹部をどうこういう気はありませんが、
少なくとも海自幹部にはマナー教室のいうところの「プレミア」が(笑)
もれなく付加されている印象、さくっというと全体的に「上品な感じ」
いや、陸自がそうでないとは口が裂けても言いませんが、
この傾向はあながち思い込みだけではないんじゃないか。


だって宮様から直接マナーをご教授いただいているんですよ?

まず直接宮様のお住まいに招かれてそこに立ち入り、というあたりで
もう普通の「新入社員の研修」とは別次元なわけ。



たとえば、この右側の顔半分の男性は現海幕長ですが、この方も、
わたしが先日舷門での敬礼を写真に撮って、どアップした海将も、
若き日には高輪にある高松宮邸で「プレミアム士官」となるべく()
殿下からのマナー親授(っていうのかな)をされているわけです。

なんというか、立ち姿からして「仕込まれ方」が違う、そんな感じなのです。

勿論戦前は皇室の方々に直接マナーを教わるなどということはありませんでしたが、
その分実際に天皇陛下に拝謁しているわけですからね。
やっぱり海自の伝統継承力って凄いなあと思いませんか。

戦後、軍靴の足音がフンダララなどと騒ぐ下品(げぼん)の民などが元より知りもせず、
それゆえ文句の付けようのなかった、こうした旧軍からの伝統を、ほとんど全て
自衛隊になってから、いつのまにかしれっと復活させて今日に至っているってことです。

ブラボー海上自衛隊。



さて、先ほども言ったように高松宮殿下は1987年にご薨去されました。


その後、実習幹部のマナー教室はなんと

寛仁親王殿下

(ああよかった、ともひとしんのうでんかで変換できた)
に引き継がれました。
非常に庶民的で「ヒゲの殿下」と親しまれた皇族です。

が、赤坂御料地内の寛仁親王殿下邸はそれほど広くはないこともあり、
殿下自らテーブルマナー講習をしていただくことになったそうです。

高松宮殿下のときは御殿に上がってマナー講座をどこかで受けてから、
いざ高松宮殿下と同席を賜る、ということだったのでしょうか。

ただ、戦後すぐにこのようなことになったわけではありません。

1981年のこと、寛仁親王殿下は信子親王妃とともに

自衛隊音楽まつりに出席したい

とご希望されたことがあるそうです。
しかしながら、戦後皇室は自衛隊と距離を取り続けており、

このときのご発言は大きな波紋を呼んだ、ということです。

その後時代は少しずつ変わり、現在のようになっていますが、
こういう流れを見ても、寛仁親王は個人的に自衛隊に対して

大変ご関心をお持ちであったがゆえに、積極的に皇室と自衛隊の接点に
おなりになろうとなさったのではないでしょうか。


さて、寛仁殿下は、そのマナー講座の際、実習幹部に向かって

わたしの伝授するマナーが最高のマナーであり
諸君は世界中どのような席に招かれても自信を持って臨んでよろしい」

とおっしゃったそうです。

寛仁親王殿下といえば、わたしには2011年の大震災の後、
救助、復旧活動を行っている自衛隊を、災害現場に直接赴かれ慰問された
あのお姿が印象に残っています。

相変わらずのヒゲにハンチング、民主党が大枚をはたいてお揃いで作った
作業服(蓮舫が襟立ててたあれ)のような無粋なものをわざわざ調達させたり
ということはせず、ニッカーボッカーの「作業服」で陸自隊員の前を歩く
石巻市訪問の際の殿下の姿です。
殿下は自衛隊員に向かってこのとき

「陛下がいの一番に自衛隊の名前を挙げて、
救援活動にあたる人々の苦労をねぎらわれたことは、
陛下がいかに皆さまの活躍ぶりに期待され心配されているかということが、
お言葉の中に込められていると思う」

とお言葉をおかけになりました。

不眠不休で命を削るようにしながら作業に当たる自衛隊員たちにとって
この言葉は
彼らを何よりも力づけるものだったに違いありません。


話はどんどん「かしま」から離れていってしまって申し訳ありませんが、

皆さんは「国民の自衛官」という式典をご存知ですか。

「国民の自衛官」とは、自衛官として、日本の国土防衛に取り組むとともに、
災害時の緊急派遣や緊急搬送に活躍し、自衛官の任務の枠にとらわれず、
「自己犠牲の精神で、人命救助や人助けを行った」自衛官や、日々の行動を通して
「社会との絆を強めた自衛官」に対して、陸海空自衛隊で業績のあった自衛官を
それぞれの自衛隊から推薦を行い、審査・表彰する(wiki)

という顕彰で、産經新聞とフジサンケイグループが2002年から行っています。

2012年の第10回では、若狭湾で沈没した釣り船の救助を行った護衛艦あけぼのや
アテネパラリンピックの金メダリスト、高橋勇市の伴走ランナーなどを務めた自衛官
2013年の第11回では、尖閣諸島への領空侵犯に対する任務に従事している
第83航空隊や砕氷艦しらせの艦長などを務めた自衛官らが表彰されました。


寛仁親王にはこの式典に毎年のようにご臨席を賜っており、晩年には
喉頭がんで声帯を失われたため人工喉頭をご使用になりながらお話をされています。

第7回の式典ではこのようなお話でした。

「全国26万人の自衛官が、もっともっと国民の中で表彰されるべきで、
もっと多くの国民に自衛官の素晴らしい活躍、真摯な姿勢を伝えて行くべきだ」



その寛仁親王がお書きになった本があります。


「今ベールを脱ぐジェントルマンの極意」(小学館)

この著書の中で殿下は自衛隊の実習幹部に行われていた
マナー教室についてこのように述べられています。

「その中の一人は間違いなく将来幕僚長になるわけで、
国賓、公賓と席を共にすることもある。
そしてまた全員がこれからの日本を背負って立つわけで、
外国でみっともない態度をしてもらっては困る、
という願いをこめてこの研修を引き受けている」 

自衛隊にことのほか理解をお寄せになっていた寛仁親王殿下は、
自衛隊の幹部を「日本の代表」「我が国の顔」として世界に通用する
「プレミアム士官」に育てようとしてくださっていたということです。

寛仁親王殿下は震災の翌年、2012年の6月6日に薨去されました。


海自幹部は、皇室のとの接点でもあった寛仁親王殿下を失い、
この後実習幹部のマナー教室はどうなってしまうのか、
それこそ「プレミアム士官への近道!個人指導でグングン上達!」
みたいなののちょっと上等な、しかし知ったかぶり講師を、
しかも高い金を払って招聘することになるのかと一時は心配したそうです。

しかし、その憂いもつかの間、寛仁親王殿下の第一女子、
Her Imperial Highness
 彬子女王が後任を快くお引き受けくださいました。

因みに、この彬子女王殿下は、先日「サビハ・ギョクチェン」でお話しした
トルコと日本の親善団体である「日本・トルコ協会」の総裁をなさっています。



つまり、「かしま」乗り組みの実習幹部たちは(やっと話題が帰ってきた) 
この彬子女王殿下にマナーのご親授を賜っているのです。
つまりもう世界中どのような席に招かれても自信を持って臨めるってことですね。


なぜなら彼らのマナーは皇室直伝というこの日本でも特別な「プレミア」付きなんですから。