江田島で行われた部内課程の卒業式についてお話ししています。
ところで前回アップするのを忘れたので控え室の写真を。
何年か前の大改装の後、室内も完全に改築されてかつてを彷彿とするものは
もう何も残っていませんが、教室の中央に掲げられた
「五省」
一、至誠に悖るなかりしか
一、言行に恥ずるなかりしか
一、氣力に缺くるなかりしか
一、努力に憾みなかりしか
一、不精に亘るなかりしか
という額は昔から変わることがありません。
ところでこれを自分に問いかけた場合、後半に行くに従って
わたしは極端に自信がなくなるわけですが、それはともかく、
ご存知のように、これは海軍時代からの海軍軍人の「クレド」で、
海上自衛隊が今でも受け継いでいる隊員の精神的支柱でもあります。
受け継ぐといえば、わたしは先日このような冊子をいただきました。
昨年暮れに、防衛団体の会合で現幹部学校校長の海将補が
兵学校から現在の幹部候補生学校までの江田島の歴史について講話されたのが、
今回わたしが出席をするきっかけになったのですが、この写真集はまさに、
「江田島今昔」というべき海軍時代と現代の接点に焦点を当てています。
これがよくできてるんですよ。
左ページに海軍兵学校時代の写真(真継不二夫氏の作品)、
右側に現在の写真をできるだけ同じ構図で並べて
どのようにその伝統が受け継がれているかが一目瞭然。
皆で食事をしている写真と並べて昔と今のメニューが比べられたり、
実習訓練の測距や航空機の前での同じような構図のスナップを並べたり。
「無断転載を禁ず」
とあるので中身をご紹介できないのが残念ですが、
構成の妙で読み物として大変惹きつけられるだけでなく、現在の海自で
伝統の継承がどのように行われているかを知る絶好の資料となっています。
実はこの写真集、2013年に幹部候補生のための教育資料として
当時の幹部学校校長が作成したものなのですが、
卒業式出席に際して、今回特別に数冊いただきました。
せっかくですので、是非欲しいという方、先着3名に差し上げます。
ご希望の方はコメント欄でお申し込みください。
以上事務連絡でした。
さて、わたしのように江田島について実際に何度も来ており、
校内の位置関係も知り尽くしていて、見たことはないけれど
どこで何が行われるかもだいたい知識の上で知っている、
というような人間ばかりではございませんので、控え室には
このようなご案内が親切にも用意されています。
この赤煉瓦生徒間の二階で待機をしていた来客は、1045の式の開始のために
1030から大講堂に移動を始めました。
赤煉瓦の東側出口から大講堂に移動。
一つのグループにつき自衛官一人が付き添ってくれます。
これ、一人で行ったとしたら一人がエスコートしてくれるんだろうか。
見学ツァーでは決して立ち入ることのできない階段を上っていきます。
階段の手すりにあしらわれた模様は今の建築では決して見られないもの。
ちなみに傾斜は無茶苦茶急でした。
初めて上った大講堂バルコニー部分・・・。
扉のついた壁で仕切られた部分は世が世ならカメラマンなど
決して立ち入ることのできない「貴賓席」でした。
玉座におつきにならない皇族の方々のお席となっていたのです。
戦後、初めてここに来賓として座った平民は、
幹部候補生課程を修了した息子の卒業式に親として出席した
当時自民党の小沢一郎代議士だったということです。
のちに自衛隊の海外派遣が決まった頃、その息子という人は
自衛隊を退官して、一般の会社に行ってしまいましたとさ。
東側のバルコニーにも少しだけ人がいます。
3列のひな壇式観覧席はこのためにわざわざ設えられたらしく、
一般の来賓は元将官なども含め全員がここに座ることになりました。
席の取り合いで喧嘩にならないように(笑)、席には名札が貼られています。
我々の右側の角部分には呉音楽隊の演奏場所が。
国民儀礼の国歌斉唱は、生演奏による伴奏で行われました。
式の間、全く譜面を見ないで演奏している隊員もいました。
船の舵輪の形をあしらった大講堂の照明をこの角度から。
大講堂の壁には和紙が塗り込まれていて、この天井の角度と合間って
大変音の反響がよく、マイクなしで声が全講堂に聞こえます。
というところでご覧いただくと、マイクやそのためのコードの類が
全くなく、すっきりした空間が保たれているのがわかります。
先人の創意工夫の恩恵を受けて、現在でも海上自衛隊の儀式は
増幅器、音響機器一切なしで行われるのです。
舞台中央は昔玉座があったところです。
証書を授与する時、校長が玉座に背中を向けてしまいますが、卒業式に
そもそも天皇陛下はご来臨されることはなかったということでしょう。
開始時間少し前に、舞台奥の扉から飾緒をつけた自衛官などが出て来ました。
壇上には江田島市長や陸自の代表、海保の偉い人、
どこかの武官(この方、自衛隊記念日にも来ておられました)と
その奥様(か通訳)、水交会の代表などの来賓が
左奥の控え室から出て来ました。
いよいよ式が始まります。
まず、卒業生が全員起立。
一糸乱れぬその動きと微動だにせず姿勢を保っているのを見て、
彼らが海曹長まで務めてきたベテランであることを改めて実感します。
壇上に立つ幹部候補生学校校長、真殿海将補。
見るからに年配な感じの卒業生たちがまず登壇しました。
最初の一人にだけ証書全文が読み上げられます。
校長が差し出す証書をまず右手、そして左手を回すようにして受け取り、
シャキーン!と左を向いてこの後証書をたたみ、片手に持って段を降ります。
一人が進むと皆が同時にざっ!と一歩進む様子が見事。
何人かが証書を受け取り終わると、また次の列が登壇のため一斉に並び、
それがなんども繰り返されます。
壇上右手には、村川海幕長(一番向こう)、池呉地方総監、
そして術科学校長と一佐クラスの自衛官が式を見守ります。
証書を受け取る時の所作など、卒業生は事前にちゃんと練習を行うのだとか。
そういえば、わたしたちも卒業式の練習はかなり入念に行いましたよね。
うちの小学校は卒業生と在校生がオラトリオ形式で歌を交わすという伝統があり、
そのため随分前からリハーサルが繰り返されたものです。
ちなみに入場の時の音楽はワーグナーの「トロヴァトーレ」の
「鍛冶屋の合唱」だったのですがこの選曲はどうも・・・・解せぬ(笑)
女性の卒業生一人め。
防衛大学校や一般大卒の女子学生は増えているようですが、
海曹長までいって任官する女性隊員は珍しいように思います。
柱の向こうの二人は、名簿を見ながら卒業生の名前を読み上げる係。
卒業生にとっては一生に一度のことですから絶対に間違いは許されません。
二人で交互に読み上げていたのか、一人がチェック係なのかは確認しませんでした。
壇上で名前を呼ばれた卒業生はその場で「はい!」と返事をし、
そののち校長の前に進んで正面を向きます。
女性卒業生二人め。
つまり全部で女子は三人です。
そして、昔ならば「恩賜の短剣」授与であったところの
成績優秀者トップ5に対する賞状授与が行われました。
わたしはこの授与で、海軍兵学校の短剣授与と全く同じように
行われている部分を発見して感動してしまいました。
これです。
賞状を授与された者は、そのまま階段を後ろ向きに降りていくのですが、
これこそが、恩賜の短剣を受け取った後短剣を捧げ持ち、
後ろに向かって歩いていくのと全く同じ作法です。
江田島の旧兵学校校舎が戦後占領軍の駐留時期を経て
日本に返還され、昭和29年に海上自衛隊が発足してから
2年後の昭和31年、術科学校が横須賀から移転して来ました。
その時にはまだ旧軍時代を知る者、兵学校を卒業した者が数多くいて、
術科学校の卒業式には海軍兵学校のやり方を再現することが
誰いうとなく決まっていったのに違いありません。
証書授与の間中呉音楽隊が演奏を続けていたのは、昔の通り、
ゲオルグ・フレデリック・ヘンデルのオラトリオ、「マカベウスのユダ」より、
「見よ、勇者は帰る」
大講堂の落成が成った1917年(大正6年)以来、
江田島を巣立っていく幾多の若き海軍軍人の名前を乗せて
この同じ旋律がこの同じ空間で演奏されてきました。
窓から差し込む早春の(この日は春並みに暖かい日だった)光に満ちた
明るく、しかし厳粛さを湛えた空気のうちに繰り返される調べを聴きながら、
わたしはしばし、この場所に幾度も巡りきた季節に思いを馳せるのでした。
続く。