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第56回海上自衛隊東京音楽隊 定期演奏会

2017-02-21 | 音楽

「あきづき」体験航海の体験記の途中ですが、昨年末、
ジャズやクリスマスソングなどを含む楽しいプログラムで楽しませてくれた
東京音楽隊の定期演奏会に行ってまいりましたので、そのご報告です。

第56回定期演奏会。

ファミリーコンサート、ふれあいコンサートなどの文字どおり
間口の広い、敷居の低い親しみやすさを打ち出したコンサートを行うことは、
自衛隊音楽隊の大事な任務ですが、一方プロの演奏家集団として
研鑽してきたその成果を世間に問うことに重きを置いて行われるのが
この定期演奏会ではないかと、わたしはここ何年かに行われた
海上自衛隊を中心とする音楽隊の演奏会を聴いてきて感じました。

わたしが自衛隊音楽隊の演奏を聴き始めてから今日までの間に
東京音楽隊の隊長は三代代わったわけですが、三人の隊長が率いる
演奏会を何度か聴いて思ったのは、演奏メンバーは同じであるはずなのに
隊長によって特に定期演奏会はその印象がガラリと違っていたことです。

自らが作曲家でもある河邉一彦隊長の時には、自作を取り入れ、
プログラム構成はオリジナルカラーとなっていましたし、手塚裕之前隊長は
かつて軍楽隊が演奏した軍楽曲を再現するなど、
海軍軍楽隊の末裔である海自にしか行えない歴史再現の試みをされました。

樋口隊長については、前職の横須賀音楽隊時代に見せた
大変意欲的かつ攻めの姿勢に瞠目していたのですが、今回は
東京音楽隊長となっての本格的な定期演奏会となるわけですから、
いろんな意味で大変楽しみにしておりました。 

 

さて、軍艦や自衛艦の艦長は、多くの人間に艦長職を経験させるために
1年が平均的な在任期間であるという話をここでしたばかりですが、
それでは音楽隊長の任期はどれぐらいだと思われます?

音楽隊員は一般の自衛官に比べて退官が遅く、すべての階級で60歳。
(一般の隊員は2曹・3曹の53歳から1佐の56歳まで4段階)

そして、音楽隊長の在任期間は短くても2年、長くて4年以上。
東京音楽隊の場合すべての隊長は定年まで勤めて退官と同時に退職するようで、
「後職」 のあるのは防衛大の音楽顧問となった第14代渡仲郁夫隊長一人です。

一つの楽団を、平均3年は率いるのですから、その間音楽隊が
「隊長カラー」になることは間違いないことと思われますが、
精鋭部隊である当音楽隊をどういうカラーで染めていくかは、
定期演奏会のプログラム構成に見えてくるといっても過言ではないでしょう。 


去年もそうでしたが、第56回定演は東京オペラシティで行われました。
木の素材が会場全体に暖かい色合いを与える内装で、
特に小編成のオーケストラを聴くのに適しているわたしの好きなホールです。

シグナルズ・フロム・ヘブンー二つのアンティフォナル・ファンファーレ
  武満徹

 

事前に配られていたパンフレットに武満徹のこの曲名を見たとき、
この演奏会の方向性がなんとなくわかるような気がしました。

12名の金管奏者によって演奏される短い二つのファンファーレで、
「アンティフォナル」(交唱、ミサで詩篇と交互に歌われる)という表題は
2曲目の「ナイト・シグナル」で10人の奏者が右と左の二手に分かれ、
掛け合いをする=交唱ということからきているタイトルだと思われます。

 

天国の島 佐藤博昭

わたしはテレビを見ないので初めて聴いたのですが、テレビ番組
「ザ!鉄腕!DASH!!」の「DASH島」BGMというかテーマらしいですね。

オーボエのメロディが奏でられた後はまんま大河ドラマのテーマ風に。
「天国の島」とは北海道の天売島だそうです。

で、驚いたのですが、曲終了後、隊長がコールすると、わたしの近くに
座っていた若い方が客席で立って挨拶をされました。

この曲は2011年の吹奏楽コンクールの課題曲ともなっているのですが、
この曲に学生時代の思い出がぎゅっと詰まっていて、
作曲者の指導を受けて感無量だった若い隊員ももしかしたらいたかもしれませんね。

貝殻のうた 伊藤康英 詩:和合亮一

和合亮一さんの解説、朗読と共に

ここで歌手の三宅由佳莉三曹が登場し、この東日本大震災後に書かれた
悲しみに寄り添う祈りの曲を歌い上げました。

「あなた あなた 大切なあなた 命の儚さを知って 泣いているあなた」

聴きやすいメロディですが、特にクライマックスを感情に溺れすぎることなく
制御するのが歌手にとっては結構難しいのではないかと思われる曲です。

 

貼ったyoutubeはオリジナルのピアノ伴奏ですが、この日はおそらく
ご本人のアレンジによるブラスでの伴奏で、これがオリジナルより良かったです。

そして、曲が終わるとまたしても隊長が客席コール。
なんと、作曲者の伊藤氏もすぐ近くに座っておられました。

土蜘蛛伝説〜能「土蜘蛛」の物語による狂詩曲

このバージョンは短縮版です。
土蜘蛛の精である鬼神と武者の壮絶な戦い、という能からとったテーマで、
前半のクラスターの混沌から立ち上がってくるフルートのフラッター、
これは蜘蛛がゆっくりと脚を蠢かしてるところだよね、とか、後半、
派手に戦ってるところ、とかがありありとわかる表題音楽となっておりました。

表現力の変化に富んだ内容で曲としての完成度も高いのですが、
日本ではこういう曲を中学生がやってしまうんですよね。

中学生アンサンブル
 

こういうのを見ると、日本の吹奏楽って、コンクールが盛んなせいで
やたら低年齢化しているなあと思います。
 

そしてなんと、この曲の作曲者もコールされて立ち上がりました。
一曲目の亡くなった武満徹以外、(このホールはタケミツメモリアルですが)
すべての作曲家を呼んでその前で演奏するという企画? 

斐伊川に流るるクシナダヒメの涙 樽屋雅徳

と思ったら、この作曲者はさすがに来ていませんでした。
ここだけの話、わたしはこの曲が一番気に入りました。

 

 ヤマタノオロチ伝説で、スサノオが大蛇に食われる予定のクシナダヒメを

「助けてやるから嫁によこせ」

と両親に約束して(これさりげにすごい話だよね。クシナダヒメの意向は無視)
ヤマタノオロチをやっつけるという話。

鼓、拍子木、そして鈴を効果的に使って「和」を表現、現代的で叙情的な旋律を
(やっぱり)戦いのクライマックスへと持っていき、最後は静けさのうちに終わる。
これもまた伝承を題材にした起承転結で、日本の作曲家の普遍のテーマ?です。


というところで前半が終わったわけですが、前半のプログラムは全曲が
現代日本人作曲家の作品で、しかも一曲の中に音色の変化に富んだ
情景の移り変わりを感じさせる、ストーリー性のある曲ばかりです。

音楽的な解釈の点で言うと、どれも決して安易なだけの作品群ではないので、
前半が終わったあと近くに座って居た女性が

「どれも難しかった」

と言っているのも耳にしました。
日頃クラシックのコンサートに足を向けない層には、難解と感じられたかもしれません。

 

フォスター・ギャラリー M.グールド

 6曲版(編曲:建部知弘)


 youtubeはダイジェスト版です。

フォスターの曲を楽しく聴けると思ったのに、
おなじみのメロディがなぜか4/4と3/4で繰り返されたり、
変なコードに変わっていて呆気にとられる、という仕掛けです。
実態はフォスターのメロディを素材に使ったコラージュといったところでしょうか。

ただこの作品は1938年には初演されていますし、技法的にも
現代音楽というには古典的なアプローチで、そこまで分かりにくくもなく、
特に「金髪のジェニー」はため息が出るほどの美しさです。 

この吹奏楽アレンジをした建部知弘氏も、この日会場に来ておられました。

フォスターといえば、教育実習で母校の中学に行ったとき、
「峠の我が家」が教科書に出て来たので話をしていると、一人の生徒が

「フォスターの最後の死に方は、酔って倒れたら釘があって頭にグサッと刺さって」

みたいな話を始め、クラスが騒然とした覚えがあります。
本当はどうだったんだろうと思って今ウィキを見たら、フォスターは
旅行先のホテルで病気になり朦朧としていて洗面台に頭をぶつけて死んだ、とあり、
わたしはあの生徒のおかげでずっと間違った死因を信じていたことを知りました。

フォスターといえば代表的なアメリカの作曲家で、

「アメリカ音楽の父」

と呼ばれています。
ここでフォスターを持って来たというのは、前半の「日本」に対し
後半は「アメリカ」の近・現代音楽がテーマだからでした。

交響曲第7番「交響的レクイエム」J. バーンズ 

 Symphonic Requiem, Op 135

南北戦争はアメリカの歴史でアメリカ人同士が戦った
最初で最後の戦争らしい戦争ですが、当時はアメリカという国は
一つではなく、「アメリカ合衆国」と「アメリカ連合国」が戦ったので、
これをアメリカ人同士といっていいのかどうかは謎です。

この曲は南北戦争150周年記念に双方の戦士たちの鎮魂のために
作曲されたレクイエムで、と言いながらいくつかの大きな戦いを
戦闘の経過などを盛り込んだ表題音楽風交響曲となっています。

コンセプトとしてはチャイコフスキーの「1812年序曲」の
南北戦争版、とでもいったらよろしいでしょうか。

例えば上のyoutubeの14分くらいのところ、進軍が続くのですが、
時折進軍ラッパが聞こえて来たりします。

もっとも「1812年的」だったのは、11分のところから始まる
「両軍のラッパの掛け合い」部分。

トランペット奏者が楽団の右端と左端に立ち、独自に
北軍と南軍のラッパ譜を繰り返している間にも混沌は深まります。
(この部分の楽譜を是非見てみたいものだと思いました。
指揮者は全く棒を下ろしていたので) 

17分からのコラール風のメロディは、祈りに満ちてただただ美しく、
木管に始まり金管の重みを増し、そしてまた再び高みを目指すかのように
幾度となく繰り返され、そして両軍の勇士たちの栄光を讃えながら終焉に向かいます。 

わたしはこのような音楽を聴くと色々とこみ上げて来てしまうのが
常なのですが、この日もフィナーレでは視界がぼやけておりました。

そして、この大曲を定期演奏会の終局に選び、演奏してくれた東京音楽隊に
心から感謝したのです。

 

今定期演奏会はわたしがこれまで聴いた中で最も挑戦的で意欲的でもあり、
しかしながら決して聴衆を「置いてけぼりにしない」絶妙のさじ加減で
充実度においては一番高いものであったと個人的に思いました。

何と言っても、可能な作曲&編曲者をすべて会場に呼び、その前で
演奏する(おそらく練習にも立ち会ってもらったのではないでしょうか)
というのは、自信と意欲の表れであり挑戦でもあります。

そして、個人個人の優れた技能が各曲のソロ部分に発揮され、
アンサンブルも安心して聴いていられること(特に打楽器群!)とともに、
彼らを率いる隊長の指揮ぶりは、視覚的な点から言っても
ただカッコよかったということも言っておかなくてはいけません。 

そして、さらに唸らされたのが、この曲に続いてアンコールで現れた
二度目の登場になる三宅三曹が歌ったのが、

アベマリア グノー 

であったことです。
この前の曲が「レクイエム」であったからこそこの選曲なのだろうと
わたしは一人で深く頷いておりました。

彼女の使い方も、全面的に押し出すでなく、しかし肝心なところ、
ここで聴きたいというところで効果的な登場をさせるあたり、
心憎いというか、本当に旨いなあと思わされました。

 

東京音楽隊は樋口新体制になってちょうど半年が過ぎました。
これからのますますの発展を確信せずにはいられない演奏会を
こうやって観る機会をいただいたことに、心から感謝いたします。 

どうもありがとうございました。