駆逐艦ジョーイP、ことジョセフ・P・ケネディJr.続きです。
甲板階から上部構造物に入っていくと、すぐにポストオフィスがあります。
ドアがそのまま窓口となっていて、係はドアを開けずに対応できる仕組み。
ドアの下から手紙も投函していたのでしょう。
業務時間は月金の午前と午後3時間ずつ。
お金の取り扱いは水曜日とペイデイだけとなっています。
オフィス内部。
タイプライターと郵便物を入れる袋などが所狭しと置いてあって、
おそらくは一人か、せいぜい二人しか入れなさそうです。
ヘアカットが50セントでできるのはわかった(笑)
安かろう悪かろうってやつですか。
英語で「キャピタルシップ」というところの主力艦、例えば
「マサチューセッツ」などでは、何千人も乗員がいるので、
全く顔も見たことがないという人がいて普通です。
しかし、駆逐艦の乗組員は潜水艦ほどではないものの、
その規模からいって「ファミリー」でもありました。
「クロッシング・ライン」、赤道祭りのような海軍の儀式は、
その交遊をを築く上で重要な役割を果たします。
この儀式では、赤道を最初に通過した士官や下士官兵は
女装したり変なものに扮し、ばかげた騒動に参加するよう強制されます。
これらの無害な通過儀礼を経た時、彼らは "Shellback"(赤道を越えた人)
に昇進し、「シニアシェルバック」である "キングネプチューン"(誰だよ)
から証明書を受け取ったりするのだそうです。
さて、そんな一体感は、小さな駆逐艦にひしめき合う
200名の乗員が「同じ釜の飯」を食べることによって
より強いものになっていくのです。
・・・と繋がったところで、今回はメス(食堂)のあるメス・デッキ。
メスmessというのは普通に「散らかっている」「乱雑である」
という言葉ですが、どういうわけか軍隊の食堂という意味でもあります。
messがどう見てもネガティブなワードであるにもかかわらず、
「メス・ジャケット」 は普通に略礼服のことでもありますし、
どうもこの語源がよくわかりません。
しかし悩んでいても埒があかないので進みます。
まずはメインギャレー(キッチン)にやってきました。
ジョーイPことジョセフ・P・ケネディ・Jr.のメインギャラリーは
ベトナム戦争の時代から現在まで稼働しています。
今でもリユニオンや集まりがあるとキッチンが活躍するからで、
鍋も什器も、大型の生ゴミ入れも現役のかほりが・・・。
ここにあるのは野菜用意機械(どういうものかまでは分からず)、
ミートスライサー、大型のミキサー、三台のスチームケトル、
そしてオーブンとグリドルなどの設備です。
肉叩き、チェリージャム、そして一度に4枚焼けるトースター。
手前の本は「ベーカーズ・ハンドブック」。
コーヒーカップは先日ご紹介した映画「勝利への潜行」で見た
同じ錨のマークと金線の入ったものです。
ジョーイPの乗員は275人から345人(戦時)と、
マサチューセッツの1800名から比べると微々たる数ですが、それでも
このそう広くない艦内で一度に食事をとることは不可能だったでしょう。
ここはまず手前で食器を取り、黄色い線に従って1列に並んで
ホットプレートから食べ物を取っていくコーナー。
食べ物をとるための列はラッタルのところからスチームライン
(どこにあるのか知りませんが)まで伸びた、と説明にあります。
下士官兵用の例の食器兼用シルバートレイが立てて並べてあります。
コーヒーカップ、 カトラリーも乗せてしまえる便利もの。
戦後の自衛隊はアメリカ海軍のこのシステムを輸入したんですね。
塩胡椒、紙ナプキンに砂糖・・・。
ちゃんとロックしてあるのは笑いどころ?
手前にトレイを乗せて食べ物を乗せていくシステム。
キッチンなので消火ホースもちゃんと近くに備えてあります。
トレイを持ってきてここでいただきます。
テーブルに長椅子が最初から作り付けになっています。
休憩時間にもここで過ごすらしく、テーブルにはバックギャモンなど
ゲーム盤がプリントされています。
下には兵の居住区があるはずですが、立ち入り禁止でした。
そして食べ終わったらここで食器を洗います。
キッチンは1日3回の食事を2〜300人のために作るわけですから、
朝ごはんが終わった途端片付けて昼ごはんの用意、昼が終わった途端・・、
と、一日寸時も止まることなく稼働し続けていました。
説明はありませんでしたが、給水器だと思われます。
水は機関室にあったこのエバポレーターから作られます。
一日に4,000ガロン(1,500リットル)のフレッシュな水が作られます。
潜水艦でも「新鮮な空気はまずエンジンの稼働のために必要であり、
人間が呼吸に必要なのは二の次」と言われているように、
海上における水のファーストプライオリティは、なんとボイラーでした。
その次に、人間の生活用水、料理に使う水です。
このエバポレーターはメインではなく、前部エンジン室にあるものは
一日に12,000ガロン、4,500リットルの水を作っていました。
ここでエバポレーターと蒸気発生プラントについて。
艦の飲み水は海水を蒸留して真水にすることで得られます。
という、小学生の理科の教科書のような絵が描かれていてわろた。
乗員のブルースくんは、この装置をワッチする係です。
艦船のワッチはどれも重要な役目ですが、特に水を作り出す機会に異常があれば
先ほども言ったように人間よりもボイラーが動かなくなってしまうので、
責任重大です。
メスにはこんな本棚もありました。
こちらはほぼ空っぽですが・・・・、
こちらには当時から乗員が読んでいたのではないかと思われる蔵書が。
エンサイクロペディアに通信関係の教科書のようなもの、
エドウィン・レイトン中将という人が書いた「そして私はそこにいた」。
そこってどこ?
と思って調べて見たら、パールハーバーとミッドウェーのようです。
そりゃまあそこにいたなら戦後本を書きたくもなろう。
あとは「第二次世界大戦で失われた軍艦」「海戦」
1969年の潮の満ち欠けなんて本もあります。
赤くペイントされているので消火栓だと思われます。
どんな時でも熱いコーヒーが飲みたいアメリカ人のために、
壁に作り付けられた「コーヒー・メス」。
コンセントがついて保温が可能です。
棚の右側には砂糖とカップが置いてあります。
アメリカ人はミルクは入れない派?
赤い縁の大きなボードは「エマージェンシー・ステータス・ボード」。
メスの間取り図が描かれていて、どうも避難用だと思いますが、
こんなものを見て「えーと」とか探しているより、とっとと
甲板に出るのがいいと思います。
メスに飾ってあったのは USS メルヴィンDD-680の模型。
ギアリング級の前級であるフレッチャー級駆逐艦ですが、
なぜここにこれがあるのかはわかりません。
「メルヴィン」はサイパン、テニアン、ウルシー、スリガオ海峡で
日本軍と戦った駆逐艦。
スリガオでは戦艦「扶桑」を沈めています。
戦後すぐに引退して1970年代にスクラップにされているので、
もしかしたら乗員の誰かが関係者だったとかかもしれません。
またしてもキッチン付近で発見した謎のシート。
各所の名称、ナンバリングされた数字、ロケーション。
いずれにせよ、軍艦では「あそこ」とか「どこ」という呼び方で
場所を指定しないちうことなんだと思います。
ところで、これ何かしら。
「SANI SERVE」で検索してみると、どうやらこれ、
大型のソフトクリームマシンであるらしいことが判明しました!
アメリカの軍艦の「神棚」はここにも健在です。
サニサーブという会社は1931年から「フローズン・カスタード・マシン」
を作っていた会社だそうですから、当然戦時中も同社による
アイスクリームマシンは軍艦に提供されていたのでしょうけれど、
第二次世界大戦中の駆逐艦は、全部が全部アイスクリームマシンを
搭載していたわけではなかったようです。
そこで、例えば海に落ちたパイロットを助けたら、
そのパイロットの体重のアイスクリームが戦艦や空母から
ご褒美にもらえた、というようなことも起こりました。
これ、例えば70キロのパイロットだったなら、戦時で350人乗っている駆逐艦に
一人当たり200グラムのアイスクリームが与えられたってことです。
アメリカ人はアイスクリームを子供でも200グラムくらいペロリと食べますから
これくらいは悪くないディールです。
まあしかし、戦後の駆逐艦であるジョーイPには、ごく普通に
アイスクリームマシンが装備されてるってことですね。
自衛艦ではアイスクリーム購入するので、「アイじゃん」
などというシステムが生まれるわけですが、アメリカではもしかしたら
水や空気のようにアイスクリームはタダが当たり前・・だったりして。
Messdecks on the USS Joseph P. Kennedy Jr DD850
続く。