ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

スカイレイダーのトイレ爆弾〜空母「ミッドウェイ」博物館

2018-10-02 | 航空機

空母「ミッドウェイ」博物館、艦橋下のキャプテンズ・キャビンを見終わり、
外に出てきました。
この辺で、残りの航空機の写真を全部放出しておきましょう。

まず、冒頭は、

Northrop Grumman  EA-6B「プラウラー」Prowler

このブログではすっかりお馴染みの「うろうろする人」です。
ちょうど艦尾から艦載機エレベーターに乗っているところを
舷側から覗き込むと、こんな風に全体を見ることができます。

背景のサンディエゴ市街の高層ビルとの組み合わせが絶妙ですね。

反対側からの写真。これは今年撮ったものです。

「イントレピッド」にもあったのでその時に散々説明していますが、
「プラウラー」はこの「ミッドウェイ」甲板の反対側にあった
艦上攻撃機「イントルーダー」と同型の電子戦機です。

機体には「 VAQ-132」のスコードロン名があります。
1968年に電子戦機部隊としてこの名前に変更になったVAQ-132は
当時できたばかりのプラウラーを運用する部隊となりました。

誰も近寄って中を見ることはできませんが、コクピットには
マネキンを座らせているというこの展示の凝りよう。

前席には

CDR E.F. ROLLINS JR. と LCDR R. ROBIDOCK

など記名があります。
実際のVAQ-132、 スコーピオンのパイロットだと思いますが、
記名については本人と遺族の希望で依頼の上行われることもありますし、
たとえば戦死したパイロットは周りがその遺業を顕彰する意味で遺したりします。

前方に移動してみました。
ノーズの先の➕がちょっとミッフィーちゃんみたいで可愛いわね。
んでこの、無理無理翼を畳んでいる感じがなんとも言えませんわ。

おっと、真横の顔も忘れずに。これも今年の写真。

撃墜マークみたいなのが機体下部にペイントされていますが、
これはプラウラー的にいう勝利、つまり電子戦で相手をタゲてやった!
ということなのかなと解釈してみましたが、どんなもんでしょう。

オーディオツァーではかつてのクルーの体験談や打ち上げ話が聞けます。
ちょっと時間が経ったので、この尾翼についているアンテナを彼らが

「ラグビーボール」

と呼んでいたという話だけしか覚えていませんがorz

グラウラーはなかなか性能に対する評価が高かったようで、つい最近、
2015年までは海軍で現役だったため、厚木近辺では度々目撃されていたようです。

厚木基地に見学に行った時には、同じ「グラウラー」という名前でも
機体はホーネットと同じEA-18Gに置き換えられていました。

海軍ではそういうわけで退役してしまいましたが、海兵隊では
未だに運用しているので、岩国などでは見ることもできるようです。

 

T-2バックアイのコクピットには本当に座ることができます。
これも「ミッドウェイ」のご自慢の展示の一つ。

赤いキャップにシャツの人は「ミッドウェイ」のボランティアです。
一応実機だったりするので、見張りを置いているのかな?と思ったら・・

やっぱりアメリカの軍事博物館、基本放置でした。

日本の女の子ならVサインをせずにはいられないところです。

テントとベンチが置いてあり、イベントを待っている人がいます。
正面の半ズボンの人は解説を行うベテランかもしれません。

「ミッドウェイ」にはしょっちゅう元パイロットのベテランが
ボランティアでやってきて、自分の乗っていた飛行機の前で
体験談などを話す企画をやっています。

これは今年の写真。
手前のカタパルトを撮ったら写り込んでいた向こうの集団は、

「フライト・デッキ・トーク」

と呼ばれるベテランたちのカジュアルな講演です。

朝一からたった二人を相手にモニターを駆使して体験を語るベテラン。

彼らにとっても何度も話して飽きられている身内にではなく、
初めて聞く人たちに囲まれるほうがずっと話し甲斐もあるでしょうし、
アメリカ人というのは社会にあまねく軍人、特にベテランにに敬意を払う、
という意識がいきわたっていますから、この甲板トークは
ベテランの話に熱心に聴き入る見学者でいつも満員御礼状態です。

これは以前お話ししたA-5「ビジランティ」

艦上攻撃機と同型の偵察型を持つという点ではホーネットやイントルーダーと同じ。
偵察機が高高度を飛ぶためと考えれば、大きな機体は無駄ではない、
ということは理解しましたが、問題は艦載機としての運用です。

艦上機と考えればこれ異常に大きくないですか?
先端も尖りすぎてるし。

と思ったら、やっぱり現場ではこの大きさがネックとなっていた模様。

例えば艦首のとんがったところはエレベーターにも載らないので、
乗降のたびに垂直に跳ねあげなくてはならなかったそうですし、格納庫では
垂直尾翼も邪魔になるので必ずきっちり折りたたまなくてはなりません。

ビジランティのノーズ下部にもカメラが設置されています。

戦略爆撃機から偵察機に転用された後も、「自警団員」という
名前を変えなくても良かったのは幸いでした。

しかし元々が艦載機用に設計されていないこの機体は、
乗っている人にはたとえ問題はなくとも、艦上で飛行作業を行う
スタッフには、きっと総スカンで嫌われていたのに違いありません。


このため海軍はF-14の偵察兼任型がやってくるまでの間、
クルセイダーの偵察型RF-8Gを、能力が劣るのは承知の上で使っていました。

結局1979年11月までにRA-5Cは全機退役しています。
艦載機としてでなればそれなりに役に立ったと思うんですが。

 

Douglas A-1 「スカイレイダー」Skyraider (formerly AD)A-1  

第二次世界大戦中に開発が始まり、出来上がった時には
「アヴェンジャー」よりも、「ヘルダイバー」よりも小型軽量でありながら、
性能はどちらもを凌駕していたという割にはあまり有名でないような。

わたしが知らなかっただけならすみません。(ハイネマンに言ってる)


スカイレイダーは最後のプロペラ機でありながら、海軍機としては
朝鮮戦争とベトナム戦争のどちらにも参戦した唯一の飛行機です。

製作については、それまでのダグラス機が不出来だったため、
チーフ・エンジニアだったハイネマンはその流れを汲むことをやめ、
自分のアイデアで軽量な戦闘機を作ろうと決心しました。

ところが海軍はまるでその経緯を見ていて嫌がらせするかのように、

「明日の9時までにできてなかったら採用はアウトね」

とか言い出したので、ハイネマンとスタッフはホテルの部屋で
徹夜して一晩で戦闘機の図面を書き上げたという話があります。

一晩で作ったにしては、というか火事場の馬鹿力というべきだったのか、
この機体は色々とよく出来ていて(わたしは知りませんでしたが)
エド・ハイネマンのヒット作の一つになりました。

こちら今年撮った写真。

これでもか!とばかりに爆弾が取り付けてありますね。

そう、これこそがこの機体の画期的なポイントだったのです。
それまでの案は魚雷を機内装備する予定でしたが、ハイネマンは
これをきっぱりと廃棄し、兵装を全て機外に装備することにしたのでした。

折りたたまない部分の翼の下には他のより重そうで大きな爆弾が。
みなさん、このことを覚えておいてください。試験に出ます。

「翼の下に兵装を装備する」

というスカイレーダーからはこんな伝説が生まれました。
当時のレシプロ機としては大容量のペイロードが可能で、当時、

「キッチン以外に運べない物はない」

というのがキャッチフレーズとなったため、
それを受けてャレンジャーの海軍さんは、朝鮮戦争で、

流し台を『兵装』として搭載・投下し、

「キッチンも運べる」事を証明してみせたのです。

その時のキッチンシンク実装例。

「ザ・キッチンシンク」とペイントされたキッチンシンクが、
爆弾の下にわざわざ取り付けてあります。
ちゃんと爆弾と一緒に投下するのならええやろ?という態度です。

みんな結構真面目な顔で「ヨシッ!」みたいな雰囲気なのが笑えます。
やっぱりどんなことであっても「歴史を作る」ことに違いないからでしょう。
右側の士官がこの時の指揮官だと思いますが、この人を
覚えておいてください。
試験には出ませんが。


さて、こういう前例ができてしまうと、エスカレートしていくのが
ワールドスタンダードな海軍という組織の常。(多分)

ベトナム戦争の頃には、

「もはやこの機体が搭載したことがないのはトイレくらいのものである」

と言う、ある意味結果を見越した悪質な?ジョークが生まれました。
そして案の定。

機上のパイロットの真面目な表情をご覧ください。

今回のチャレンジャーは爆弾と一緒に便器を落とすのではなく、

「信管を取り付けた便器」

機体に搭載して実戦で投下し、その神話を打破してみせたのです。
てか打破すんなよ。
だいたいどこに落としたんだよそのトイレ爆弾。

実装例。
うむ、トイレは一番外側に装備していますね。

しかしどうしてあえて戦争の時にそんなことをするのかというと・・・
まあ多分、戦争中だから、あえてやろうと思うんでしょうな。

さらに話はここで終わらず、最後に、

「もう積めないのはバスタブだけだ!」

と言う確信犯的な話の流れになり、実際にバスタブを搭載して
出撃しようとしたツワモノパイロットが現れましたが、
この度は上官に発覚し未遂に終わりました。

きっと、この上官からは

「オマエラええ加減にせーよ」

という一言があったに違いありません。
ここでバスタブの搭載を許してしまえば、次はどうなるか。
いよいよ上層部の責任問題にもなってくると彼は踏んだのでしょう。

英断です。

だから残念ですがバスタブの写真はありません。

世界の基準にたがわず、アメリカ海軍でも「上司」というものは
「そういうもん」みたいですが、それでは

最初の「キッチンシンク」の時の上官、あれは何だったのか。

彼の名前がアメリカ海軍航空隊の歴史に残っていないのを残念に思います。



続く。