自衛隊記念日は正式には11月1日となっています。
1954(昭和27)年7月1日、その法的根拠に基づいて自衛隊が発足したとされる、
「自衛隊法」ならびに「防衛庁実施法」
の制定を記念する行事なのですが、なぜ7月ではなく11月1日なのかというと、
7月のその季節には台風などの自然災害が多く、自衛隊の派出と重なるため、
わざわざ天候の安定した季節に行事を行うことにしているのです。
しかも、行事は11月1日当日でなく、今回のようにその前後の、
仕事を休まずとも参加できる週末に大抵行われます。
行事としては陸自は中央観閲式、海自は観艦式、空自は航空観閲式と
三自衛隊が持ち回りでそれぞれ観閲式を主催するほか、各基地駐屯地で
その前後に自衛隊記念日行事が持たれるのです。
おそらく先週末は全国の基地駐屯地で、様々な催しが行われたのでしょう。
呉地方総監部では、毎年自衛隊記念日に、その前年自衛隊に貢献する
何らかの働きをした個人や団体に対し、感謝状が送られ、関係者と
自衛官の懇親の場にもなる懇親会が行われるのが恒例となっていますが、
その前日には、呉警備地区での殉職自衛官に対し追悼式が行われます。
今年もそれらの行事に参加してまいりましたのでご報告します。
この写真は呉とは全く関係ありません。
昨日お話し終わったばかりの芦屋基地航空祭の次の日、
福岡で一泊して羽田に帰る飛行機が離陸したところを撮ったものです。
いろんな地方で飛行機に乗りますが、福岡空港ほど都心部に近く、
交通が便利(電車で行ける)な空港はないかもしれません。
芦屋基地航空祭のログに写真を載せ忘れたのでアップしてみました。
呉入りしたのは殉職隊員追悼式当日です。
追悼式は呉地方総監部の赤煉瓦庁舎からまっすぐ
「正門」(つまり海に向かう港)に向かって降りていく
大階段の脇に設えられた慰霊碑前の広場で行われます。
慰霊碑の周りは菊の花で飾られ、指揮官名などが花立てに記されて、
来賓が入場する前から銃を携えた衛兵によって守られているのです。
開式前、待機する儀仗隊。
かつてこの広場にある地下作戦壕が現・呉地方総監である
池太郎海将によって整備・公開されるまでは、儀仗隊は
そこから入場し、そこに退場していたものです。
そのころはそれを見て、
「さすが呉鎮守府、あの扉から通路がどこかにつながっているのかも!」
と想像をたくましくしていたものですが、今にして思えば
儀仗隊はずっとそこで待機して出番を待ち、終わったら再びそこで
皆がいなくなるまで待っていたのです。
今はそこが地下壕であることは公開によって周知のこととなったので、
こうしてアコーディオンカーテンの「儀仗隊入り口」を設けているのです。
しかし、どうあっても儀仗隊は「ちゃんとした入り口」から入場すること、
と何かで決まってでもいるんでしょうか。
さて、国旗掲揚後、地方総監の手で霊名簿が慰霊碑前に奉安され、
追悼の儀式が執り行われました。
黙祷に続く地方総監の追悼の辞に続いては弔銃発射が行われますが、
これは海軍時代から伝わる儀礼歌「命ヲ捨テテ」の演奏に続き
同じ「命ヲ・・」の最初の2小節を超速テンポで演奏し、その後
銃発射、演奏、発射、演奏、発射と三回繰り返す慣例に従います。
前回、これをスマホで撮影してリアルタイムで投稿している
不謹慎者がいて、この場で苦言を呈したものですが、今年も
一人だったとはいえ、スマホを向けている人を目撃しました。
呉地方総監部の防衛モニターという人たち、いくら珍しいからって
弔銃発射をインスタに(かどうか知りませんが)上げるのはやめましょう。
さて、この後殉職隊員への献花が行われたわけですが、
わたしは前年度との大幅な変更にここで気づくことになります。
献花の順番が、
1、遺族 2、政治家(代理) 3、歴代呉地方総監
ときて、従来の防衛団体関連来賓(つまりわたしたち)ではなく
4、呉地方隊指揮官 5、呉警備地区指揮官 6、呉地方隊海曹
7、事務官 8、幹部・海曹・海士代表(3名)9、地元協力本部
と自衛官が先になったことです。
つまり、殉職者の上司に当たる指揮官、同僚部下に当たる自衛官を
来賓より優先したということになり、わたしは内心いたく感銘を受けました。
自衛隊からすれば防衛団体などの代表者は身内ではなく「客」ですが、
客より殉職者にとって自衛官の方が関係性は深いわけですから当然です。
このような行事は何事も前例主義で去年の通りにやっていれば問題なく、
あえて変更してその結果起こってくる労を、大抵の責任者は
かぶりたがらないものだと思いますが・・・・。
思い起こせば5月に金比羅神宮で行われた掃海殉職者追悼式でも、
掃海隊関係部隊の自衛官を来客より前の席に座らせ、先に献花させていましたし、
今回、この翌日に行われた自衛隊記念日の感謝状贈呈式においても、
政治家などの来賓より自衛官の一団をステージ近くに配する、という
前年度から見て大きな変化があったことをご報告しておきます。
(特に代理ばかりで本人の出席などほとんどない議員の席を
ステージ前にする必要はわたしも全くないと考えます。)
追悼式終了後、手前に座っていた遺族が大階段で
記念写真を撮るのを待っている列席自衛官と呉音楽隊。
この日呉音楽隊が追悼演奏に選んだ曲は、
「海行かば」「行進曲軍艦」
の2曲でした。
最後に遺族代表がご挨拶をされましたが、その中に
「国を守るという崇高な任務のためとはいえ、家族を亡くした私たちにとって
光明を失うごとき悲しみでございました」
という言葉がありました。
今年はこれまでのように乳児や幼児を連れて来られた遺族はいませんでした。
歴代の呉警備区における殉職自衛官は百十数柱と紹介されていたので、
この日出席されたのはそのうちのわずかな遺族だけだったということになります。
列席できる者がいなかった(あるいはいなくなった)ご家族もあるでしょうし、
こういった場に出るのが辛い、という理由で欠席される方もあったかもしれません。
続いて遺族代表の方は、
「悲しみに耐え、今日まで頑張って来れたのも、歴代地方総監を始めとする
呉地方総監部の皆様のご助力とお力添えがあったからです」
というようなことを言われました。
危険任務に携わることも多く、一般の企業より殉職者が多い自衛隊では
専門の部署が殉職隊員の家族に対するケアをあらゆる面から手厚く行なっているそうです。
追悼式終了後、わたしは出口に向かおうとして真っ直ぐ海に向かって歩き出し、
「どこ行くんですか。そっちは海ですよ」
と知り合いに声をかけられました。
いけない、ついつい・・・。
出口で門の写真を撮ったら写り込んでしまった某指揮官(笑)
こんな制服の人が自転車で走り回っている、それが呉の街です。
そして、呉は大変コンパクトな街です。(狭いともいう)
地方総監部を出ててくてくと歩いてくと、すぐに
海自資料館、通称「てつのくじら館」にたどりつきます。
一緒に歩いていた方がどこかでお昼を食べましょうというので、
わたしはここ「てつくじ」のカフェにお誘いしました。
わたしの目的は、これ。
ここ「JMDSF CAFE」(なんて直接的な名前・・)の名物、
池総監の座右の銘であり指導方針でもある「愚直たれ」から生まれた
カレー味の「愚直タレ」使用、
呉総監ドック
を再び味わっておきたかったのです。
ご覧になった方もおられるでしょうか。
なんと「王様のブランチ」で紹介されたんですね。
そして、先週、わたしも予告をいただき、苦労してビデオを手に入れました。
(出張に出ていたTOにホテルのテレビを携帯で撮影してもらった)
「Dearボス」という番組でまたしても池総監が出演し、
インタビュアーの芸人さんが食べる呉総監ドックが取り上げられたのです。
ちなみにこの芸人さんは、ドックにドバーッと「追い愚直タレ」をして、
「全然辛くない」とか言ってましたが、絶対嘘だと思う(笑)
ちなみに28日23時からBSで「ディア・ボス」の後半が放映されるそうです。
このブログをご覧の方、時間が間に合うようならぜひご覧ください。
右上の猫(・・・ですよね?)が言っている
「色々あって」
には本当に色々な意味があるらしいです。
下の感謝状ですが、
「貴店は呉地方総監の指導方針を市民に周知させる
『愚直たれ』の提供という無理難題を快く受け入れていただき
『商売その道によって賢し』の如くまさに水を得た魚のように
愚直に『たれ』を提供され多くの市民に周知していただくことができました
その姿は想像を絶する愚直さであり
呉地方隊員の模範となるものでもありました
その労をねぎらうとともに貴店の今後ますますの飛躍を祈念し
ここに感謝申し上げます」
なんか、色々おかしい。
ちなみに「商売その道によって賢し」とは「餅は餅屋」みたいな意味で、
「こんなのできる?」とダメもとで頼んだら、頼んだ方がびっくりするくらい
ノリノリでここまで完成度の高いものを作り上げてしまった、
という意味ではないかと思います。知らんけど。
提供店認定証は海上自衛隊のマークがピカッと輝き、
さりげなく錨と鎖をあしらった格調高いデザイン。
呉地方総監の押印は、もちろん本物だと思います。
ついでなのでこのカフェの横で買えるグッズもご紹介。
すっかり有名になったらしい「呉氏」のマスコット。
ふわふわした手触りが一度持つともう放せない。
カフェのメニューもご紹介しておきましょう。
これねえ・・・。
乾パンにアイスクリームを挟んだアイスサンドなんですが、
みなさん海上自衛隊の乾パンって食べたことあります?
わたしはさる筋から裏ルートで手に入れた正規品の乾パンを
付属のジャムとともに食べたことがありますが、あれ、まじで堅いですよ?
アイスを挟むのはいい考えだと思うけど、乾パンを重ねて食べるのはどうかしら。
一枚でも難儀するのに二枚重ねて噛み砕くっていうのはかなりの・・・
と思ったら「硬サニ挑戦セヨ」とか書いてあるよ。
なんのためにこんな限界を突破しなければいけないのか。
これはいいですね。
今や呉地方隊のシンボルのようになった護衛艦「かが」のパッケージ。
なぜ中身がフィナンシェなのか、という疑問はさておき、箱だけ欲しい、
という人が結構買うかもしれません。
これは前にも見た。呉氏のアイスフロート。
「なんで色が水色なのにオレンジ味なんだ?」
と前にも同じことを書いたような気が・・。
なんてことはない普通のアイスコーヒーなんですが、あえて写真をあげたのは
こんなものにまで?自衛艦旗をあしらってあるから。
勘違いした何処かの国の人がここで文句をつけて
自衛官につまみ出されるというのをぜひ一度見てみたいものだ(嘘)
「千福」でおなじみ三宅本店の特別コラボパッケージ。
なんと松本零士大先生描くところの毛利元就公であるぞ。
って、かっこいいなあこれ。
本当に毛利元就ってこんなにかっこよかったの。
あー・・・まあ似てるかもー。ヒゲとか。
というわけで待つことしばし。
来ました呉総監ドック。
このドックのわたし的評価ポイントは、ドックの下の野菜に
さりげなく刻んだ胡桃が混入していることです。
この小さな工夫が、歯ごたえをすごく良くしているんだな。
ケチャップよりこの愚直たれドックの方が好き、という人は多いと思います。
呉総監ドックは池総監の任期中しか食べられない、ということですが、
オマージュメニューとしてなんとか今後残してくれないかなあ・・・。
同行した方がなんと「あきしおカレー」を頼んでくれました。
「あきしお」はここで「てつのくじら」と呼ばれている潜水艦です。
ご飯の潜水艦がカレーの海を航行してる!
ドックの写真がなぜ三つあるかというと、
最後まで「諦めない」 人を「欺かない」 物事を「侮らない」
という三つの「あ」になぞらえているんだと思います。多分。
さて、わたしはこの次の日、自衛隊記念日の式典に出席するために
愚直たれの聖地である呉に一泊しました。
ということで、この後わたしがどこへ行ったかは次回のお楽しみ。
続く。