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アフター トルピード ルームと”キューティ”魚雷〜潜水艦「シルバーサイズ」

2023-02-09 | 軍艦

潜水艦「シルバーサイズ」艦内探訪も、今日で最後となりました。

前から順番に見学してきて、最初に見たのと同じ、
後部魚雷室までやっとのことで辿り着いたわけです。



後部魚雷室は前部魚雷室と基本的に全く同じです。

しかし、全ての潜水艦がボートの両端に魚雷発射管を備えるように
設計されているわけではないことも、ちょっと覚えておいてください。

魚雷の発射について説明した時の繰り返しになりますが、
魚雷の誘導は本体に搭載されたジャイロスコープによって行われます。

その設定は魚雷発射管の外側から行うわけですが、その数字を決定するのは
司令塔に搭載された魚雷データコンピュータ、「TDC」です。

魚雷は発射管から発射されると、90度まで回転して、
事前に設定されたジャイロスコープの方位を指してから、
直線上を走っていくわけです。

ボートの前後両端に魚雷発射管を備えることで、
潜水艦はより多くの魚雷を運ぶことができ、さまざまな方向の、
しかも複数のターゲットに同時に魚雷を撃つことができるようになりました。

しかし、その中で最も理想的、というか美味しい状況はというと、

敵の護送船団の内側に潜水艦を垂直に付けた時

であったと思われます。

後ろにも魚雷発射管がついているので、潜水艦は攻撃後、
逃げながら追跡者に向かって魚雷で攻撃することができるわけです。

ヒットアンドランアンドアタックですね。

■ ハイドロリック・ラダー・ラム(油圧舵ポンプ)


この写真で、トルピードチューブのサイドから伸びている
グレーのポンプっぽいバーを確認してください。



ボケてますがこちらの方がわかりやすいかな。


こういう形のものです。

このコンパートメントに特別に設置された機械装置で、
魚雷発射管の両側に備わっている、

油圧舵ピストン(hydraulic rudder ram)

という長いスティールのロッドです。

これは潜水艦後部の舵(スターンプレーン、ラダーとも)を操作するもので、
対の一方が引いているあいだ、残りの一方が押されて舵が切られます。

実際のラダーとの接続は、トリム・バラストタンクの後方、
コンパートメントの後壁で行われています。

後尾のラダー、艦体のバウプレーンといった舵を稼働させるのは油圧です。

前方の潜舵とは異なり、水面から見えない後方のスターン・プレーンは、
制御室(司令塔)から遠隔操作されます。
ちなみに司令塔にも補助操舵輪があるので、どちらからも操縦可です。

魚雷発射室にありながら、魚雷とは全く関係のない設備ですが、
このラダーが潜水艦のすぐ後方にあるため、ここに設備が置かれています。


「ガトー」級のスターンプレーンは、近代の潜水艦と違って、
完全に水没した状態であることをご確認ください。

艦体両側についている潜舵、そしてスターンプレーンを動かすのは
ウォーターベリー社の油圧モーターからであり、さらにその動力は
この部屋の頭上にある大型の電気モーターから供給されます。


どれだけ検索しても自分の撮った写真の中には見つかりませんでしたが、
甲板の下の浅いビルジには、魚雷をチューブから押し出す
インパルス・エアが含まれた巨大なスキューバタンクみたいなのがあって、
(多分下の写真の”インパルスエアシリンダー”のこと)
それぞれのタンクは一つの魚雷発射管に空気を送ります。

多分下の写真の「インパルスエア」と書かれたものがそれです。
振ってある番号は、魚雷の番号と同じなのでしょう。



後部魚雷発射室の壁がわの説明付き写真です。

ラダーラムと交差するように伸びている、
「シグナル・イジェクター」というのが見えますが、
この先は左舷の外側から確認できるそうです。

艦体から突き出た小さな大砲に似たものらしいのですが、
どうしても写真で見つけることはできませんでした。
これは海面にフレアを発射するためのものだそうです。



■ Mk.18電気式魚雷

前方魚雷室にはMk.14の蒸気魚雷が展示されていましたが、
後部魚雷室には電気魚雷実物があります。



ここにあるのはMk.18ではないのですが、
行きがかり上、Mk.18について先に説明します。

前にも書いたように、これとMk.14の大きな違いは電気式か蒸気式かです。



きっかけは、1942年鹵獲されたドイツ海軍のG7e電気魚雷でした。
鉛蓄電池式電気推進方式でUボートに搭載されていたものです。

なんだかんだ技術先進国ドイツの権威に滅法弱かったアメリカとしては、
ここでピコーンと閃いたアーネスト・キング提督の提唱で、
自国海軍の潜水艦のために、電気魚雷を作ることを思いつきます。

海軍の仕事を発注したのはウェスティングハウス
すぐにG7eのコピーに取り掛かり、瞬く間の速さで生産を開始し、
作業を始めてから15週目で納入をやってのけ、
それまで主流だったMk.14が何かと不評だったこともあって、
1942年には潜水艦部隊はこれを運用することが決まりました。

しかし、この発明にはなかなかの問題が満載でした。

電池の性能が悪く、水素ガスを発生させがちでしたし(危険です)、
生産に当たっても、熟練の労働者もろくにいない現場で
高度な作業をおこなったせいで、品質に問題があったのに、
海軍試験サービスは全くのお役所仕事で、何の手助けもせず、
民間企業に丸投げして試験データも渡してこなかったそうです。

USS「スピアフィッシュ」と「ワフー」に最初に配備された
このMk.18ですが、「スピアフィッシュ」の艦長ユージン・サンズによると、
その運用にあたっては、

「常人を狂わせるに十分なほど魚雷問題を経験した」

しかしてその問題とは。

1本は沈没。
1本は暴走。
3本は発射時に外扉に当たって消滅。
7本は後部から外れる。


怒りのサンズ艦長

ちなみに、このユージーンの経歴を調べると、
彼が乗っていたのはUSS「スピアフィッシュ」ではなく
USS「ソウフィッシュ」Sawfish となっています。
Mk.18の記録か、彼の記録のどちらかが間違っているのですが、
確認のしようがありません。(まあ、よくある間違いです)

とにかくこちらもかなり残念兵器ということだったんでしょうか。

そもそも本家のドイツでも、海軍がこの兵器を導入するに当たって、
ろくに試験をしないまま実戦配備したので、不発や即発が多発していました。

それをまるコピーしたら同じ問題が起きてくるよね、って話なんですが。


ただ、実際に運用されてからは、Mk.14の問題点だった
深度維持の不確定や炸薬の問題は勿論ありませんでしたし、
こちらは電気なので航跡を残さない、という利点はありました。

結果、太平洋戦線でアメリカの潜水艦が発射した魚雷のうち、
実に全体の30パーセントがMK.18だったというデータもあります。

しかし戦争が終わって5年もすると、新しい型が採用され、
実際に運用された歴史はそう長くはありませんでした。



■Mark 27魚雷”キューティ”


たった今、電気式魚雷の利点は航跡が見えにくいこと、と書きました。

確かに比較すればMk.14の蒸気式よりは見えにくいのは確かですが、
日中ははっきりと航跡が確認できたそうですし、
肝心の速度は蒸気モデルより遅く、航続距離も劣りました。

ドイツの真似をしてみたけど、いまいちというか、
これでは一長一短、どんぐりの背比べってやつぢゃないのか?
わざわざ開発して配備する意味あるか?

と皆は思ったかもしれませんし思わなかったかもしれません。

少なくとも現場の人、特にサンズはそう思ったでしょう。

ただ、電気魚雷に舵を切ることで、その後の
音響魚雷への道筋となったという大きな意味がありました。

ここにある「特殊な魚雷」は、第二次世界大戦後期のモデルで、
音響誘導装置を搭載しており、正式名Mk.27torpedo
「キューティ」(Cutie)というあだ名がありました。

誰がつけたキューティ。

Mk.27魚雷は種別でいうと音響魚雷です。
1943年に防御魚雷として配備され、1960年代に廃止されました。

特記すべきは、戦後改装されたMk.27改4の設計者が
ペンシルバニア州立大学兵器研究所
となっていることです。

ペンシルバニア州立大学は通称「ペンステート」。
MKの歯科矯正の医師の出身校(オフィスに卒業証書が貼ってある)です。

それはともかく、アメリカの工学系大学は軍事産業と密接な関係を持ち、
兵器装備についての科学的研究をキャンパス内で行っています。

さて、このキューティMK.27ですが、この前にアメリカ海軍が
やはりドイツの音響魚雷(GNAT)に対抗して作った、有名な航空対潜魚雷

Mk.24 Fido(ファイド)

の潜水艦後継型となります。
キューティといいファイドといい、アメリカでは通常犬につける名前です。


ちな、リンカーン大統領の愛犬”ファイド”

やっぱり魚雷って犬っぽいと思われてたんですかね。

ファイドのホーミングシステムもハーバード大学で研究が行われており、
その後コロンビア大学も参加して完成に至りました。

このファイド、何が画期的だったかというと、
音響を利用して魚雷が標的を追尾するシステムだったことです。

あ、それで犬か。

画期的な兵器だったので、アメリカ海軍は完成後もしばらく、
ドイツ海軍に性能そのものを悟られて対策されないように、
標的とする潜水艦が潜航してから使用すること、としていました。

具体的には運用の指標は以下の通り。

まず、敵の潜水艦を航空爆撃する。
そして
強制的に相手を潜航させる。
潜航地点の
泡のところにファイドを投下する。
プロペラの音にホーミングして
ファイドが潜水艦を追尾する。
追尾したファイドが
潜水艦を無力化する。




このシステムの対であり、パッシブ型の潜水艦発射兵器が
ここに展示されている、マーク27、キューティでした。

理論的には、潜水艦は、海中に静かに静止したまま
キューティを発射することができます。

すると発射されたキューティは、頭上の敵水上艦の
スクリュー音を聴き分けて、自動的に追尾を始めるのです。

キューティも勿論、航空機から投下することができました。

しかしながら、実際には水中の潜水艦から発射され、
それが敵を撃沈したという実績は記録されていません

■ 「シルバーサイズ」旅の終わりに

ありがちなことですが、潜水艦の前部魚雷室と後部魚雷室は、
常に乗員同士で互いの撃沈数を激しく争っていたそうです。

小さな一つの潜水艦の中でも競争があったんですね。

その競争は、潜水艦同士にもあり、水上艦との間にもあり、
船と飛行機の間にもあり、海軍の中はもうそんな競争だらけで、
なんなら海軍と陸軍はもっと色々あったわけですが、
とにかく人の集まるところ、必ず競争が起こるものなのです。

という一般論はともかく、「シルバーサイズ」の中での競争ですが、
前方魚雷室と後方魚雷室はそもそもチューブの数が違いますよね?

前方は4つ、後方は6つと二つも違い、後方が元々有利なのに
一体今更何を張り合っていたのでしょうか。

全くしょうがねえ奴らだな。



さて、これで「シルバーサイズ」の中を前部見終わりました。
最後に、後部魚雷室に書かれていたこの言葉をあげておきます。

「これでボートの最後まで到達しました。
なんと素晴らしい天才的な機械工学の集大成でしょうか。

第二次世界大戦で潜水艦に乗務したことのないわたしたちには、
それがどんなものだったかをただ思い巡らすだけです。

75年前、『シルバーサイズ』がまだ生きて呼吸する機械の獣として
信じられないほど若く、信じられないほど勇敢な志願者たちによって
巧みに運転されていたのも今は昔。


博物館に残されたものたちは墓場のような静けさに包まれています」




シルバーサイズ艦内探訪シリーズ 終わり。