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宇宙開発競争 アメリカのプレッシャー〜スミソニアン航空宇宙博物館

2022-05-04 | 博物館・資料館・テーマパーク

さて、前回は「スプートニク危機」をアメリカに与えたところの、
ソビエト連邦のぶっちぎり宇宙開発期についてお話ししました。

今日はぶっちぎられた方のアメリカについてです。
スプートニクうちあげからルナ3号に至るまでのソ連の快進撃資料の横に、

「PRESSURE ON AMERICA」

というタイトルで紹介されたコーナー。

ここでは、東西二大陣営の技術力最高峰を自負していたアメリカが、
あれ?余裕こいていたのに俺たち意外と負けてね?とショックを受けた後、
文字通りソ連に追いつけ追い越せの奮闘を始めるわけですが、
そこには大きなプレッシャーがのしかかってたんですよまあ聞いてください、
と大体そういうことが語られています。

アメリカは1957年に最初の科学衛星打ち上げを計画していました。
しかし、海軍のヴァンガードロケットを使用した2回の打ち上げの試みは
惨事に終わりました。

■ ヴァンガード・ロケットVangard Rocket

というわけでその惨事に終わったヴァンガードですが、説明にわざわざ
「海軍」と書かれていることに気づかれたでしょうか。

衛星ロケットヴァンガードを開発したのはアメリカ海軍なのです。

あれ?NASAじゃなかったの、という声もあるかと思いますが、
この頃まだNASAはなく、政府が人工衛星の打ち上げは海軍が行うとし、
陸軍には弾道ミサイルの開発、と分業されていたのです。

もちろん空軍も別に開発を行なっていました。

結局この分業制のせいでソ連に勝てないんと違うんかい、
となってNASAが生まれるわけですが、その話は後に回します。

【科学衛星の開発】

1955年、アメリカは1957〜58年の国際地球観測年(IGY)に向けて、
科学衛星を軌道に乗せる計画を発表しました。

ソ連がなんたら記念日に間に合わせるためにスプートニク2号を上げたように、
こういう事業には何かしらの「お題目」を必要とするんですね。

当時、打ち上げのためのロケットには陸海軍3つの候補がありました。

陸軍弾道ミサイル局のSSM-A-14レッドストーンの派生型
海軍のRTV-N-12aバイキング観測ロケットをベースにした3段式ロケット
空軍のSM-65アトラス

の三案です。

そもそもなんで軍が開発していたかというと、当時の宇宙事業の目的が
偵察衛星=兵器システムだったからで、計画も最高機密区分だからでした。

「軍事偵察の歴史」でも触れたように、偵察に関しては合法性の問題があります。
その点、平和的民間衛星であるIGY衛星は、いい「隠れ蓑」となり、
宇宙の自由という先例を作るという大義名分にもなります。

そしてNSCは、IGY衛星が軍事計画に干渉してはならない、と強調しました。

ヴァンガードを打ち上げた 海軍研究所(NRL)もまた、
軍事組織というより科学組織と見做されていたのです。

この頃、陸軍がドイツの科学者、フォン・ブラウンの協力のもと、
レッドストーン弾道ミサイルを計画していたのですが、
IGYの責任者は海軍研究所を科学組織と捉えていたため、
陸軍やドイツの学者の案を退け、
ヴァンガードを推進するように政治的に動いたのです。

そして1955年、国防総省は、
ヴァンガード計画をIGYプロジェクトに選びました。
ヴァイキングを製造したマーティン社がロケットの主契約者です。

ロケットは3段式。
第1段はゼネラル・エレクトリック社の液体燃料エンジン、
第2段はエアロジェット社の液体燃料エンジン+慣性誘導システム、
自動操縦機能、
そしてスピン防止機能付き3段目は、
固体燃料ロケットモーターでできていました。

【スプートニクならぬ”カプートニク”】

1957年12月6日。

アメリカ海軍はケープカナベラルから1.5キログラムの衛星を搭載した
ヴァンガードTV-3ロケットを打ち上げました。



このロケットは高度1.2メートルに達したところで落下し、爆発しました。
このロケットに搭載されていたのが、冒頭写真の衛星です。


搭載している時はこんな形状でした。
スミソニアンに展示されている衛星は、脚がぐにゃりと歪んでいますね。

ロケットは高度1.2メートルに達したところで落下し、爆発しました。

「悲惨なロケット事故ワースト10」などのYouTubeで見ることができます。
衛星はロケットの上部から爆発し、発射台近くの茂みに着地し、
そしてそこで信号を発信し始めました。


「OH, WHAT A FLOPNIK!」

共産国家のソ連なら、こんなタイトルを考えた奴は即刻シベリア送りでしょう。
良くも悪くも自由主義国家なんで、この失敗を大いに楽しんだのは
実は皮肉屋のメディアだったかもしれません。

Flopというのは物がどさっと落ちるという意味がありまして、
もちろんこれを「スプートニク」と合わせているわけです。

他にも、「Kaputonik」カプートニクなどという愛称?もありました。
こちらはKaput=ダメになった、イカれた、破壊されたという意味で、
ドイツ語起源の単語のチョイスに、当時関係者にドイツ人が多かった、
ということへの皮肉が込められているような気がします。

事故調査の結果、燃料タンクの圧力不足により、高温の排気ガスが逆流、
インジェクターヘッドが破壊され、エンジン推力が完全に失われていました。

ヴァンガードロケットはその後、10回が打ち上げられ、衛星を
軌道に乗せることができたのは3回で1号、2号、3号と名付けられました。

とりあえず成功したら号数を振っていくというやり方ですか・・。

【NASA誕生と人工衛星打ち上げ成功】



最初のヴァンガードの失敗の時、怒りを込めて
だから言わんこっちゃない的なコメントしたのは、
あのドイツ人科学者、フォン・ブラウンでした。

1958年1月、フォン・ブラウンの指揮の下、陸軍は衛星打ち上げの承認を得て、
改造されたレッドストーンミサイル、ジュピターCが、
アメリカ初の衛星エクスプローラー1号を宇宙に打ち上げました。



海軍がヴァンガード3号の打ち上げに成功したのは3月のことです。



しかし、ソ連の後ろ姿はこの時点ではまだ遠くでした。
周回遅れ、と言ってもいいくらい引き離されていたと言っていいでしょう。

そもそも、この新聞にも、「陸軍のミサイルが」なんて書かれているように、
陸海空が別個にこういうことをやっていては効率が悪い、
ソ連が国家事業として国力を挙げてやっているのに、こんなことではいかん、
とアイゼンハワー大統領が考えたのも当然です。

ちなみに、スプートニクショックの後、それまで陸海空バラバラでやっていた
宇宙開発の指揮系統の一本化を決め、まずNACA(アメリカ航空諮問委員会)
を設立し、そこにいるのは「NACAの人」と呼ばれていました。

繰り返します。「NACAの人」と呼ばれていました。

が、当時のアイゼンハワー大統領は宇宙計画のための独立した組織の設立を求め、
アメリカ初の人工衛星エクスプローラーの打ち上げに成功した後、
アメリカ航空宇宙局
National Aeronautics and Space Administration)
NASAを誕生させることになったのです。




■ ガガーリンの有人打ち上げとケネディ演説



とかなんとかやっているうちに、決定的な出来事が起こりました。

1961年4月12日、ソ連が有人飛行を成功させてしまったのです。
ユーリ・ガガーリンの宇宙服もここにはありますが、その紹介は別の日に。



前にも挙げたことがあるこの写真。
この時ケネディがライス大学で行った演説は「ムーン・スピーチ」と呼ばれます。

ガガーリンの打ち上げ成功直後、ケネディ大統領はソ連から主導権を奪うために
アメリカが宇宙で何をできるかを知りたがりました。

そこで出ばってきたのが、当時の副大統領、JFK暗殺後に大統領となった
リンドン・ジョンソンで、彼の号令によってNASA、関係業界、
そして軍の指導者たちから聞き取り調査などが行われ、その結果、

「ソ連を『おそらく』打ち負かすことができるとしたら、
それは強大な努力によって月の周りに人を送るか、あるいは
月そのものに人を着陸させるということでしょう」

と報告したのです。
その報告を受けて行われたのが「月演説」でした。

JFK Moon Speech

われわれは月へ行くことを選びます。
この10年のうちに月へ行くことを選び、
そのほかの目標を成し遂げることを選びます。
われわれがそれを選ぶのは、たやすいからではなく、困難だからです。
この目標が、われわれの能力と技術のもっとも優れた部分を集め、
その真価を測るに足りる目標だからです。
この挑戦が、われわれが進んで受け入れるものであり、
先延ばしにすることを望まないものであり、われわれが、

そして他の国々が、必ず勝ち取ろうとするものだからです。

このような理由から、昨年わたしが下した宇宙開発を促進する決断は、
大統領就任以来、もっとも重要な決断のひとつだと考えます。

(JFKライブラリー資料ページの日本語版引用)

”We choose to go to the moon.”

という言葉の繰り返しがあまりにも印象的なこの15分の演説がもしなかったら、
アメリカはソ連を追い越すことはできなかったかもしれない、と言われます。

しかし、米ソどちらの国もその時点ではまだそのような任務に耐える
十分に強力なロケットを持っていませんでした。
月への到達は、アメリカが不利な立場のまま始められるものではなかったのです。


この記事のクリアな画像が欲しくてNYTのアーカイブを探したのですが、
見るだけで料金が発生することが分かり断念しました。

まず、タイトルは、

AS EXPLORER JOINS SPUTNIK
(スプートニクに混ざろうとするエクスプローラー)

左は、エクスプローラーがヴァンガード(字が消されている)の胸ぐらを掴み、

”Let me show you, Dud, how things are done."
「おとっつぁんよ、見せてやろう。物事はどう進めたらいいかをな」

うーん、エクスプローラー氏態度悪すぎ。

右側は、ずいぶん古めかしい格好の人が、

”I feel better already."
「すっかりいい気分になったわい」

いや、これさあ・・。

打ち上げただけで気分良くなってちゃダメでしょ。
エクスプローラーもさ、ヴァンガードにマウントとってどうするの。

つまりこの漫画は何を言いたいかというと、
アメリカが成功させたエクスプローラーの成果が、いかに世間からは

「自己満足の周回遅れ」

と冷ややかに見られていたってことなんじゃないでしょうか。


こんなにはしゃいじゃって・・・・。

左がジェット推進研究所の開発責任者ウィリアム・ピッカリング
真ん中は「ヴァン・アレン帯」に名前を残したジェームズ・ヴァン・アレン
右側がヴェルナー・フォン・ブラウンです。



スミソニアンのどこかにエクスプローラーの予備機があると知ったので、
改めて探してみたら、どうもこれらしい。↓


あまりにも小さく、メディアには散々コケにされたものの、
衛星としては有用であったエクスプローラーは、
アメリカに追いつこうとする反撃の狼煙
となったのです。

どうなるアメリカ!


続く。






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1 Comments

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平均点主義対一点豪華主義 (Unknown)
2022-05-05 08:22:45
アメリカとソ連(ロシア)の違いは、平均点主義対一点豪華主義だと思います。今でもそうですが、ソ連(ロシア)のエンジン技術は(恐らく)アメリカより優れています。

この当時のロケットのコア技術はエンジンで、ソ連(ロシア)はアメリカを凌駕していました。後年、第四世代戦闘機のアメリカのF-15とやや遅れて登場したロシアのSu-27でも、Su-27の機動性、運動性はF-15を凌駕しています。

エンジン性能の一点豪華主義と言えますが、エンジンの力だけでは、戦闘機は勝てません。地上や早期警戒機からの情報を得て、組織戦闘での勝負で、戦闘機自身のレーダーや武器に加えて、地上や早期警戒機等の支援組織との総和での勝負となり、エンジンの一点豪華主義だけでは勝てず、構成要素すべてが平均的に高い能力を持っていないと勝てません。

今のウクライナ戦争でも、そのように感じます。陸上戦力は、戦車、砲兵と協同した歩兵の総合戦力です。開戦当初は圧倒的にロシア軍が強いと思われていましたが、実際には苦戦しています。

ウクライナの兵器は(少なくとも開戦時には)ほとんどがロシア製なので、兵器の質ではロシアとは互角ですが、量では、ロシアが凌駕している(少なくとも、開戦時点では凌駕していた?)ので、楽勝だろうと多くの人が考えていましたが、キエフ正面では、補給の車列が60キロの渋滞になり、前線に必要なものが届かず、結果的には、引くことになりました。

ロシア軍はもう負け寸前のような論調を見掛けますが、そこまで弱いとは思いません。第二次世界大戦でも、ドイツ軍に今、戦場になっているウクライナまで攻め込まれ、モスクワ、レニングラードの二都まで占領されても、押し返した実績があります。

今後、戦場になると見込まれるウクライナ東部は、第二次世界大戦中に史上最大の戦車戦(ソ連対ドイツ)が行われたクルスクに近く、西側諸国は大量の重火器(戦車やりゅう弾砲)をウクライナに供与する準備を進めています。ドローンや対戦車ミサイルが大きな戦果を挙げているので、重火器はもう時代遅れという論調もありますが、そうとも言い切れないと思います。

ウクライナは、2014年のロシアによるクリミア併合の際には、準備も出来ておらず、あっという間に盗られてしまいましたが、それ以来、8年間、ロシアと戦っているので、今回はかなり準備していたことが伺えます。ゼレンスキー大統領も、しょっちゅうメディアに登場するし、戦闘場面の動画も上がって来ます。国家機能は維持されています。

ロシアはソ連時代から、下士官兵を上意下達方式で動かす、旧態依然とした組織ですが、最近のアメリカは下士官が少人数のチームを独自の判断で動かせる体制に切り替えており、下士官にかなりの教育を行っています。

ウクライナは、2014年以降はアメリカの支援を受け、アメリカ方式に切り替えていると言われています。即断即決が必要な対戦車ミサイルやドローンでの戦いで、ウクライナが大きな戦果を挙げている陰には、こうしたアメリカ式の下士官の能力のボトムアップがあるのではないかと想像しています。

個人とか技術に依存せず、平均的に強い。これが勝利の秘訣なんだろうと思います。かつて、アメリカと戦って敗れた我が国にも、似たようなところがあったような気がします。
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