ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

課業始め

2012-02-05 | 海軍


このような符調の喇叭が鳴ると「課業始め」です。
海軍では授業や朝の作業を始めることをこのように称しました。
本日画像は、海軍経理学校の課業始め。遠くに見えているのは「勝鬨橋」です。
今でもこの橋はこのままの姿で威容をとどめていますが、完成は1940年。
なんと、70年も経っているのです。ご存知でしたか?

この橋は当時、東京オリンピックを控えて、日本の国力を世界に見せるために、
設計から施工を通して日本人だけの手によって行われた、文字通り日本の技術の結晶でした。
電動跳開式の可動橋は世界でも珍しく、勿論アジア初。
現在でも日本の橋梁建築技術は世界トップだと聴いたことがありますが、このときすでに、
技術力においてトップクラスの仲間入りを果たしていたのだということですね。 

当時、ここは3000トン級の船舶を通過させており、一日5回、橋は開閉しました。
アメリカに住んでいたとき、通りかかろうとした橋の信号が止まったままになり、
?状態で待っていたら、いきなり目の前で橋が持ち上がり、船が通過したので驚いたことがあります。
門番ならぬ「橋番」という係が待機していて、全てをチェックしていましたが、
電動であのような巨大な橋が跳開するとき、当時の日本ではどうやって交通を遮断したのでしょうか。
勝鬨橋は、1980年に電源の供給が止まり開閉を永遠に停止し、今日に至ります。
 

前置きが長くなりました。
海軍には全ての行動の五分前にそこに待機し、心の準備をするという習慣があります。
勿論海自、空自にも受け継がれているこの良習ですが、例えばこの課業始めの場合、
休ませるー、のラストサウンドで発動、つまり行動開始です。

まず分隊監事の
定時点検
これは「現代版勝利の礎」とも言える海上自衛隊幹部候補生の訓練を追ったドキュメンタリーで、
外出前に、アルファ、ブラボーと呼ばれる「鬼の分隊監事」が、整列している候補生を一人一人
鋭い目つきで粗さがし、じゃなくてチェックし、イチャモンじゃなくて指導していた、あの
「鬼の身だしなみ点検」と同じようなものでしょうか。

あれも確か、「ネクタイ不備!」って何かと思ったらネクタイのシワ。
・・・・・・毎日締めていたらネクタイに皺くらいできるでしょうよ。
「ボタン不備!」これも何かと思ったら、ボタンの模様(碇マーク)がまっすぐでなかった。
って、これ、本人の責任?制服を作った人のせいなんでは・・・?
まあそういう、厳しすぎるくらい厳しい身だしなみへの気配りが海軍ならではとも言えるのですが、

兵学校でも髭が濃かったり剃り残しがあったりすると
「川真田生徒、髭不備!」なんてやられたりしたんでしょうか。
やっとのことで点検が終わると、その後、同期だけの教班別に課業整列し、
格調高い行進ラッパに送られて講堂に向かうわけで、この画像はその行進の様子です。
左小脇に抱えているのは各自の荷物。
これは画像では白ですが、別の画像で黒いものを見たことがあります。
風呂敷に包まれているようですね。

この行進ですが、軍隊の基本は行進。世界共通事項です。
先日、陸軍の落下傘部隊のドキュメンタリ―映画についてお話しした時に少しふれたように、
訓練終了後の報告に向かうわずか何メートルでも、整列、行進。
授業の間に次の教室に移動するのも、整列、駆け足。
軍歌演習は、67期の皆さんがグラウンドを手に手に軍歌集を持って行進している様子が、
写真に残されていますが、兵学校に限らず、海軍では軍歌行進必須でした。

先日、あるフネの艦上で総員が行進をしているのを俯瞰で撮影した写真を手に入れました。
これが、軍歌を歌いながらなのか、ただ歩いているだけなのか、
それとも見えないところに軍楽隊がいて演奏しているのか、まったく分からないのですが、
広いようで狭い甲板を五列縦隊で歩くのですから行列は輪になります。
しかし、そこが軍隊らしいところ、円ではなく「四角く」輪を作って歩いているのですね。
外側の人ほど歩く距離が長くなるわけです。

この写真、ある海軍士官が撮ったものなのですが、不思議なことにその輪の中央、そして行列の手前、
そして行列の向こう側の甲板の表面にぼかしが入れられているのです。

うーむ、これは・・・いわゆる軍機、ってやつだったんでしょうか。
自主規制だったんでしょうか。
もうすでにこの写真を撮られた方はこの世にいないので、確かめるすべはありませんが。


さて兵学校の課業始めに話を戻しましょう。
この生徒の来ている作業服、この洗濯のききそうでごわごわしていそうな木綿のユニフォームは、
どうやらシーズンレスで使用されたもののようです。

つまり、この寒そうな恰好で厳寒の候も課業行進をしたのです。
当然ポケットに手を入れることはまかりなりませんから、
彼らの手はあかぎれ、しもやけ、凍傷で腫れあがり、ひび割れから血が滲み、
何かにあたると激痛が走り、とにかく大変辛かったようです。
そして、雪の日すら、課業始めのグラウンド行進は変わりなく行われました。

ストーブに置いたやかんからシュンシュンと湯気が出る教員室で、真っ白に降り積もった雪の中、
課業行進をする生徒たちを眺めながら、
英語担当名物教授の平賀源内こと平賀春二教授がうっとりとつぶやきます。

「綺麗だなア・・・・・・まるでレビューの様だ」

それを聞いて、武官教授が

「何イ!何イ!」

と色めき立ちます。
「我が海軍の将校生徒をこともあろうに少女歌劇と一緒にするかあ!」

しかし、これは本気で怒っているのではなく、丁々発止のこうしたやり合いは、
源内先生と武官教授の間にしょっちゅう起こりました。

源内先生が文官教官の域を超えて兵学校の士官教育に熱心で、演習や行事には必ず参加し、
みずからも「平戸」(リタイアして教材用に江田内にあったフネ)に寝泊まりし、艦長を自認する、
根っからの「海軍さん」であることを皆知ってのやりあいです。
いわば「お約束」のイベントだったというところでしょうか。


雪の中の真っ白い事業服の集団の行進。
平賀教授ならずとも、美しさにため息をついてしまいそうな光景ですね。



ところで、本日の話題とは少し外れるのですが、この「課業始め」を調べていて、
元兵学校生徒である医師が、戦後書き残した随筆を見つけました。
最後にこの話を紹介させてください。

兵学校は、末期に本土空襲の際グラマンの攻撃にあい、何人かが犠牲になっています。
勝利の暁にはその建物ごと接収する計画であった米軍は、さらにルメイも
「この西欧風建造物を破壊することは我々の魂を破壊するようなものだ」と言って、
決して爆撃をさせませんでしたが、グラマンはそこにいる未来の軍人を少しでもせん滅すべく、
何回となく江田島上空を訪れ、銃撃を行いました。

映画「ああ江田島」では、この銃撃で亡くなったのが主人公の生徒であるという設定です。

ある兵学校生徒、Kは、終戦間際の初夏のある日曜日、巡航実習から帰って来たところでした。

帰ってくると「空襲警報」の吹き流し。
急いで潜水艦桟橋に並ぶカッターの脇に帆走達着します。
そのまま、カッターを次々飛び移りながら移動し、運動靴を両手に生徒館に向かってひた走りました。

半ばでひょっと振り返ったら、上空にはグラマンが二機飛来していました。

そのとき、飛行士の眼鏡越しに、K生徒はかれの顔を見たのだそうです。
生徒館からは教官が「危ない!急げ!急げ!」と叫んでいます。
K生徒は夢中で彼らが決して銃撃をしない建物内に飛び込み、難を逃れました。


あのとき撃たれていたら、今の自分はない。
外科医となって、何人かの命を救うこともなかったはず。
なぜ撃たなかったのか。眼と眼が合ったからか。

戦後、自分の命のある不思議さとともに、K生徒はあの時の飛行士のことを時々思うのだそうです。
そして、いつもこのように常に考えを結ぶのです。

会って聞いてみたいし、礼も言いたいが・・・。



 

 


台南空シリーズ「ラエ桟橋の誓い」

2012-02-03 | 海軍











前回の台南空シリーズ(もうシリーズになってるし)に続編希望のお便りをいただいたので、
好きだったこのエピソードをネタに描いてみました。

「大空のサムライ」では、やたら笹井中尉と坂井先任が手を握り合うのですが、
冷静になって?考えてみると
「いくら仲が良くても、こんなに男同士が手を握りあったりするものだろうか」
と、いう、うっすらとした疑問が・・・・。

でも、こういう「潜在的BL」みたいな表現が、「大空のサムライ」人気のベースになっている、
ってことはありませんかね?

と、前回「腐ぎりぎり」を台南空シリーズ第一回目で試みてみたエリス中尉は、
あらためて思うのであった。







チェロと「あなた」

2012-02-02 | 音楽

     

「もしわたしが家を建てたら~部屋には古い暖炉があるのよ~
家の外では坊やが遊び~坊やの横には~」


おおまかにいうとこういう歌詞の唄がかつてありました。
この歌の歌詞に「白いピアノを弾くのよ~」という部分があったような気がしていたのですが、
あらためてチェックすると、ピアノは出てきませんでした。
いつの間にか白いピアノを弾きながら歌っている歌手のイメージを歌詞と混同したようです。

それにしても、この歌詞、今見るとうっすら背中に粟立つような気味悪さがありませんか。
「ブルーのじゅうたん敷きつめて楽しく笑って暮らすのよ」
「そして私はレースを編むのよ」

素敵な家、乙女チックな幸せの一瞬の光景、
そういう「絵にかいたような」暮らしが、将来永劫にわたって続くものだと信じ、
あるいはその理想の生活が、あたかも
「王子様と王女様は何時までも幸せに暮らしましたとさ」というおとぎ話の如く実在すると信じる。
「ハッピーエバーアフター」症候群とでもいうべきお花畑な理想を抱く女の子の歌なのですが、
一番怖いのが、この一文。
「いとしいあなたは今どこに」

・・・・・・・うわ~。

彼氏がどこに行ったかもわからないのにこういう妄想してるんですか。
それともどこかにいってしまったからこその妄想でしょうか。
「そんな妄想語られても、オレの稼ぎで庭つきの暖炉のあるうちなんて買えるわけないだろ?」
と彼氏は逃げてしまったのかもしれません。
あるいは、いや、こちらの方が可能性大だと思えるのですが、彼女が「愛しい」と呼ぶ男性は、
彼女が勝手に思いを寄せているだけで、実は彼女のことを知らないとか。

サビ部分で「そして~わたしは~レースを編むのよ」という、
何となくメンタル的に問題のありそうなリフレインを(転調してまで)するのもかなり不思議。
実は昔から「気持ち悪い歌だなあ」と思っていたこの歌詞をあらためて見て、妙に納得しました。
本当に気持ち悪い歌であったということに。


ところで、まあここまでの激しい妄想ならずとも、
誰しも将来に思い描くビジュアル的な「幸せの構図」があると思います。

リビングルームにグランドピアノ。
皮張りの座り心地の良い椅子はドイツ製。
部屋には暖炉に火が燃え、さりげなく立てられたチェロ。
それは躾のいい端正な容姿の息子によって勉学の合間に奏でられるのだ。
彼のチェロに伴奏をつけるのは美しい彼の母親である。
彼女は音大を出て、演奏活動をしたこともあるが、
今は家庭で愛する夫と息子の身の回りを整えることに喜びを感じている。
しかし、息子の伴奏をするとき、二人はしばし音楽を媒体に親子ではなく
演奏者として真剣に向かい合う。
知人の催すパーティに、また何曲か弾いてほしいと言われている彼等は
今日もその練習に余念がない。


上記は、文中にふんだんに挟まれた形容詞を除き、嘘偽りない我が家の真実です。
言わば「冒頭の妄想ソング」に匹敵するような、わたくしがかつてうっすらと
「こんな生活があってもいいなあ」とビジュアル的に思い描いたことのある光景そのままです。

しかし、こうして書いてみてもう一度読み返すと、どうしてもうちのこととは思えません。
たしかに激しく美化している以外に嘘は一つもない。
しかし、ここから受けるようなイメージは、現実とはかけはなれている。
いかに文章表現いかんで、印象は操作されるかということでもあろうかと思います。


ところで、本日タイトルです。
チェロ始めました。

息子がついに私と身長を並ぼうとする頃、楽器を買い換えました。
冒頭左写真は、フルサイズのチェロと並べた息子の最初の分数楽器。
パリの楽器屋を歩き回って、やっと見つけた8分の1サイズです。
世の中には10分の1楽器というものも存在し、幅23センチのものらしいですが、
もうこうなるとヴィオラにエンドピン刺して使えば?というレベルですね。

最初の楽器はこのように記念として飾ってあるのですが、途中で買い替えた分数楽器は、
どれももう必要ありませんし、置き場所にも困りますので売却しました。

楽器を買いに行くとき、これは音楽界の常識のようなものなのですが、
師事している先生に楽器屋への仲介を頼みます。
いきなりお店に入って行って

「あ、大将、チェロほしいんだけど、いいのある?」
「今日はいいネタ入ってきたんですよ。
先日ヨーロッパで売りに出されたモンターニャです」
「うーん、モンターニャの気分じゃないな」
「お客さん、そう言わず弾いてみてくださいよ。もうゴリゴリ鳴っちゃいますから」
「ゴリゴリか―。ストラディないのストラディ」
「ああーストラディバリウスはさっきちょっとの差で出ちゃいまして。
なんせ元々の本数が少ないもんですから」


なんてことにならないように、前もって先生を通じて、楽器を用意してもらうのです。

ご存じのように楽器の値段は、上を見たら首の骨をいわしてしまうくらいきりがありません。
代々の息子の先生の楽器は、いずれも家一軒買える値段。
しかし、あくまでも趣味で楽しむのが目的の子供のチェロに、
そこまでの名器を与える必要はさらさらありません。
猫に小判、豚に真珠ってやつです。

当初、スズキの練習用をできるだけ安く買う、ということで楽器店に赴きました。
先生も来てくださって、次々と弾いて音をチェックし、横で聞いていて私たちは響きをチェック。
ところが、ここでもまた魔法の言葉が脳裏をよぎるのですね。

「銭ただ取らん」


練習用スズキと、練習用とはいえヨーロッパ製の中古を比べると、明らかに音が違う。
因みに、弦楽器は鳴らせば鳴らすほど音が「鳴ってくる」ので、同じレベルの楽器であれば、
古い方が値段が高くなります。

「うーん、やっとこの辺から楽器らしい音がしてきますね」
と先生がおっしゃったのは、スズキの二倍のお値段の楽器。
そして、こういうときにさりげなく、どんどんいい楽器を持ってきて、
少しでも高いのを買わせようとする業者。
何とかこれが許せるか、とドイツ製の中古を選びかけたとき、
「これも弾いてみてください」
と業者の持ってきたイタリア製。
「これくらいなら楽器としてかなり許せますね」
それはそうなんだけど、ハッと気づけばスズキの三倍のお値段。

楽器は値段に音が比例するから、高ければ高いほど欲しくなるのも事実。
しかし、息子をチェリストにするつもりもないし、当人もその気がさらさらないので、
ここでぐっと自分の「いい楽器ほしい欲」を理性で抑えました。

「ドイツ製にします」

しかしそこで終わらない楽器選び。
スズキならおまけの弓が付いてくるのですが、またここで選んで買わなくてはいけません。
「もうどーでもいい」
と思いかけたのですが、先生も業者もわたしが選ばなくては仕事が終わりません。
辛抱強く弓選びをし、しかしまたもう一つ関門が。
ケースです。

あーもー、ソフトケースでいいです、といいかけたら、先生と楽器屋さんが同時に
「いや!それはやめておいた方がいいです」
軽いがその分楽器粉砕率も高いので、持ち運ぶ可能性があるなら絶対にやめた方がいいと。
大学時代、学校の楽器を借りてソフトケースで電車に乗り、改札口で楽器を持っていることを忘れ
「ぼえーん」という派手な音をさせたこともあるわたしは、即座に納得し、
ハードケースを購入することにしました。

と   こ   ろ   が  。

ハードケースって、またお高いんです。
7万くらいのケースは重く、先生も業者も口をそろえて「本体が重いのでケースは軽い方が」
先生は使う人間のことを考えて、業者は少しでも高額商品を売るために、と、
理由は違えど、異句同様二人して「少しでも軽い高額のハードケース」を勧めてきます。

いや、どうせ車で動くし、多少重くたって、それに所詮子供の練習用・・・・。
・・・ん?これは・・・・

「メイド・イン・コリア」

「あ、こっちにします。イタリア製の」
その文字をみたとたん、今まで渋っていた最高級品にびし!っと指さしをするエリス中尉。

先生「?」
業者「?」

「・・・・あ、いろいろあって、うちではフリーチャイナ、フリーコリアなんです」

横で見ていた息子、後から言うには
「そう言うと思った」

おかげで
チェロよりケースの方が高い
という状態になってしまいましたが、それでもこれを買ってよかったと使いはじめて実感しています。
まず、さすがのイタリア製。
コリア製の趣味の悪い色(真っ白とかオレンジ)と違い、基本黒にうっすら浮かぶレッドが粋。
部屋の片隅にあってもインテリアと違和感がありません。
(冒頭画像は、それまで使っていた2分の1楽器と並べた件のイタリア製ケース)
そして、軽い。

楽器というものは、そして今回買ったドイツ製の中古は特にやたら大きくて重いので、
わずか1キロ台のケースがどれだけありがたいかが、持ち運ぶたびにわかります。

先日、あるパーティで息子がチェロを弾いたとき、会場にいた建築家の方がケースに目を留め、
「いい素材のケースですね。カーボンファイバーですね」とおっしゃいました。
建築材料としてもこの素材は使われるようですね。

そして、今回フルサイズになったのをきっかけに、わたしもあらためてレッスンを始めました。
わたしには、大学時代、歴史に残る大チェリストに副科で指導を受けたという、
恥ずかしい過去があるのですが、それも忘却の彼方。

あらためて息子の先生にレッスンをお願いしました。
最初のレッスンで楽器を持つところからあらためてやりなおしたのですが、
大チェリストの恩師をご存じの先生が

「ここは、こういう風にするんですが・・・K先生の最初のレッスンって、どうでした?」
「・・・・・・・・・・・・全く記憶にありません」
「何をやってたんですか」
「何をやっていたんでしょうねー」

大学生当時、いかに冒頭歌のようなイメージだけでチェロという難物を選んでしまったか、
あらためて分かったような気がしました。
なんと今回、やり直してみたら1ヶ月くらいで当時の一年間よりずっと上達してしまったのです。

K先生。あのときはすみませんでした。
先生のレッスンでもほとんど遊んでた想い出しかないの。楽しかったです。

それを現在の先生に言うと
「信じられない。K先生に室内楽のレッスン受けたことがあるんですが、怖くて泣きましたよ」


というわけで、なまじ絶対音感がある者の哀しさ。
自分の奏でる音のあまりの音程の酷さに悶え苦しみながらも、楽しく練習をしています。
ところで、前述の「理想の光景」ですが、現実は・・・・


(ゲームをしている息子に)
「チェロするよ」
「えー」
「えーじゃないの。いちいち文句言わない。さっきチップス食べたでしょ。手洗ってきて」

(練習開始)
「ちがーう!そこ2の指で取らない。もう一回。あースラーでしょそこ」
「あー」
「いちいちため息つかない!もう一回ここから」
「そこさっきやった」
「できてないから練習するの。そんな早く弾いてどうする!この部分だけあと3回!」
「何で怒るの」
「怒ってるんじゃないの!指導してるの!」
「・・・・・ぐすっ」
「男が練習で泣くな!できるまで何回でも弾いて」

息子の態度とわたしの機嫌によっては、練習で親子喧嘩、なんてしょっちゅう。
これでも五嶋龍のお母さんと比べれば聖母マリアのように優しいレッスンなんですが。


ところで、冒頭の歌の作者は、万が一念願かなって現実の生活が始まったとしても、
ブルーのじゅうたんを敷き詰めたくらいでは楽しく笑って過ごせないことくらい、
常識で分かるべきだと思うのですが、どうでしょうか。