自分へ問いかける。
沈黙が続く。
そしてまた、自分への問いかけがはじまる。
暦をめくると秋風が黒髪を揺らすように、
夏物の衣類はタイ行きのスーツケースに仕舞った分だけで、
他はもう役目を終えたことを風が知らせる。
季節の変わり目はさすがに私の体も直撃を受けていて、
朝の目覚め時の頭痛や頚椎痛は忘れていたものをふいに思い起こさせ、
耳の閉塞感は聴覚障害そのもので、耳の聞こえが悪くなる。
だから同時に話すことも困難を要する。
けれど、銀座へでかけた。
伊東屋で便箋などを買った。
ぷっと吹き出してしまうような細工をするためのメッセージカード、
千疋屋でフルーツを注文して、
今日の体力はあっけなく売り切れてしまった。
何をしているのだろう、と思った。
自分へは向けない情熱を燃やす原動力は、何が要因か、と。
なぜ、体に鞭を打ってでも、今しなければならないとこんなにも思うのだろうか、と。
自分でいくらこの答えを探しても
みつからないだろうことは自覚している。
やらなければ一生後悔として残る。
その後悔が私の人生に影を落とす。
影が闇へとかわり、私は私でなくなってしまうだろう。
少なくとも医療を必要とする身体になった私は、
障害の受容に何年もの歳月を費やした。
いや、いまだにそんなものは受け入れてはいない。
いつかどこかで健常を取り戻せるなどと無意味は期待は無ではあるが、
障害の受容となると、話は別なのだ。
3年に渡る医療とのかかわりの中で、
多少なりとも医療の内情を知りえていること、
一度、手術を失敗した者の気持ち、
男性が下半身麻痺になるかもしれないとの宣告は、
性交を取り上げられることを意味する。
その告知を受けた者の気持ちは、
彼にとって近しい存在の私だからこそ、理解してあげることができないのだ。
あくまでもそれを乗り越えるのは自分でしかできず、
私は私のまま、かわらず見守るしかできないのが現実だ。
現実は厳しいものなのだ。
どこまでも、とてつもなく、残酷だ。
彼とは男女を超越した関係の構築が私にはみえる。
今まで一度も見せたこともないスーツ姿でホテルロビーに颯爽と現れた。
銀座で豪遊したこと、
多少の距離でも歩くことを拒んだこと、
そっと手を差し出すのに私の目を見ようとはしないこと、
それは今まで私にはみせたことのない姿やしぐさだった。
これが最期になるのだろうか? と思えた程だった。
だから私は号泣しながら、膝を擦り剥いて泣く子供のように
めそめそとして地下鉄を乗り継ぎ、あの日、自宅へ帰ったのだった。
あのとき、タクシーを見送りながら振り向き手を振った彼の顔がどうしても忘れられない。
あれは何を意味しているのだろうか。
またあの温かな胸に抱きしめてもらうことは可能なのだろうか。
気持ちを受け止めてもらうことはできるのだろうか。
ふたりの隠れ家に星を眺めに行くことはできるのだろうか。
あなたに触れることはできるのだろうか。
冷めた肌ではなく、あなたのぬくもりに、私は触れることができるのだろうか。
自分へ問いかける。
沈黙が続く。
そしてまた、自分への問いかけがはじまる。
※執刀医となる主治医へ友人として手紙を送る。
手術の結果、術後経過も、私宛て電子メールへ送ってもらうお願いをした。
まるで、家族そのものだ。