主治医の外来日が週3日に増えていた。
私が見初めただけあって、
丁寧な診察に患者が殺到していると看護師が教えてくれた。
今日だったのか、昨日だったのか、そのニュース日が定かではないが、
どこかの地方で肺炎だった人が車を運転し、
通学中の小学生の列に突っ込み
死傷者を出した事故を確か新聞で読んだ記憶がある。
以前、私と同じ疾患患者とこの「車の運転について」大激論となった。
というよりも、私が快方へ向かっていたとき、
多くの患者から質問が寄せられた時期があり、
治療も投薬もせず・・・なぜ? からはじまり、
だからといって私は車を運転できる自信もなければ見込みもありません、と
返答したことが気に障ったらしい。
多くの患者は言った。
あなたは東京に住んでいて、地方の現実を知らないのだ、と。
けれど、私は地下鉄にもバスにも乗れなかったし、
また、母では用の済まないことは、どうにか工夫をして無理をしなかった。
いいや、無理などできなかったため、その体の声に黙って従っただけなのだ。
天井を眺める日々、よくて読書に費やした時間。
多少体調がよくなったとしても、誰とも約束もせず、
無機質な日々を私はひとりで送っていたのだ。
20種類以上の精神薬を服用して車を運転するという女性にはさすがに呆れた。
もし交通事故加害者になったらどうするのです?
あなたと同じように、苦しむ人を増やすだけに加担するのですね?と言うと、
すごい剣幕で受話器の向こうから甲高い声が延々と。
この疾患は、分類して捉えないと話がややこしくなることを告げ電話を切った。
交通事故受傷なのか、それともスポーツなど自分の過失による受傷なのか、
その背景を棚上げし混合して疾患を語ることは危険極まりないのだ。
今回の肺炎患者が起こしたような事故をこの疾患患者が加害者となったとき、
取り扱い自体に波紋を投げかけるだけではなく、
他の自制している人への影響も免れないのだろうと私は予感している。
点滴の激痛に耐える3時間、
私の右腕、しかも3回に1回は手の甲に打つしか場所がないため、
痺れや痛みは頭痛や頚椎痛をはるかに越える闘いとなる。
読書することもまして眠ることもままならず、ただ3時間、
点滴が終わってくれることをひたすら待つのみだ。
血管痛とはこれほどのものなのかと甘く見ていたことを毎日反省させられる。
私の場合が特別なのかわからないが、
なにしろこの痛みに毎日襲われるのかと思うと、
別の意味で憂鬱になるのは至極当然、
明日は早起き付きだ、8時病院入り、
午前中を点滴だけに時間を費やしてくる。
神様(盟友)はその事実を知っているため、
すぐさま保険会社へ連絡を入れ、現状を説明することを勧められた。
私は言われるとおり、すぐさま連絡を入れると・・・・・・・
○○は本日付けで移動になり新任者の着任も本日となっているため、
○○という者ですのでお話ください、と
受付の女性は淡々と保留ボタンを押した。
流れてきた変な曲に趣味の悪さを感じていると、
耳障りな声の男性が「引継ぎもないのでよくわからないのですよ」と言った。
これで担当者が変わるのは4人目のこと、
私の質問や訴えを書類で提出し返答がなく今日まで来ていることを説明した。
けれど・・・・・まだ・・・・・確認していないもので・・・・
それでも仕事をしているつもりですか?
とりあえず、現状は3月の時点で前任者に伝えてあること、
前任者の離職の挨拶もなければ引継ぎもなく、
今後、どのように双方の利益へ結びつけていくのか見物ですね、と
無意識のうちに、ちょっと強い口調で訴えると、
相手は縮こまってしまい、
まるでやどかりのように顔を引っ込めてしまったみたいになった。
もう、頭にきたっ!!
明日からタクシーで通院してやるぞ。
対応がひどければお願いしている弁護士を出す時期なのだと思った。
名前を出しただけで知らないとは言わせない相手だ。
さて、今月末を期限とした以前の解答や今回の件のについての対応を
どのような見解をもって取り扱ってくるのか見物だ。