最近凝りだしたきらきらと輝く指先を見ていることが一番の幸福です、というと
案の定、社会復帰テスト結果は、それを反映するものとなった。
今日がいつなのかもわからず、
財布に入れてあったはずの1万円がすでに消えて小銭だけに。
手元にあるのは病院の診察券を紛失してしまった再発行手数料の領収書と
500mlのポカリスエット、
娘のお弁当に久々登場する醤油付けの北海道産いくら。
体重減少=体力低下を阻止するために、
入院ができないなら毎日点滴だけでも行わないと危険だ、と
私見を述べた医師の提案を今日は別主治医へ伝えに行った。
「近所の、他院へ・・・」と言われたら主治医への不信へつながる。
怖かった。
もしそのように言われた場合、用意していた返答はといえば、
「では、どの病院が受入=提携してくれるのか指示願います」だった。
患者でありながら患者だけではいられない医療について不信だけではなく、
患者として改善を希求していることを告げようと覚悟し病院へ向かった。
この主治医との付き合いは1年半、
二人三脚にて医療に取り組んできた経緯があり、
情があり、努力があり、涙があり、思い出がある。
主治医は言った。
「通院時間、家からどれくらい? 辛くはない?」と。
私は言った。
「患者にストレスを与えない主治医であり医療なら海外でも通院しますよ」と。
10月に品川で行われる脳神経外科学会総会への出席、
主治医の日程と私が目的とする疾患の研究チーム報告が重なるかどうか不明だが
体調を整え、参加意向を伝え、詳細を学会へ問い合わせる旨、まとまった。
長い長い時間、点滴に一日の大半の時間を取られる。
けれど、それは生きる上で私には必要であり、命の水なのだ。
この一週間で3度、私が待ち時間にベッドでの待機を申し出た看護師、
今日も同様、ベッドの貸し出し可・不可の状況を聞くと、
「なぜ?」の一言が冷たく返答にあてられた。
なぜって、こっちの方がなぜだ?だ。
患者の顔を看ていないのだと思った。
入院もできない、在宅介護も認知されない疾患に対して、
本当に患者の痛みや不具合の軽減に全力を尽くすために何が必要か。
命は取られはしない。
けれど、起きていることに制限が生じるため、
生を温存することが、そもそも困難である意識が医療にないことはなぜだ?
理解ある二名の主治医に私は恵まれた。
また、顔も見たこともない医師から、
東京の医師の紹介を得られる機会に恵まれた。
けれど、このまま今日をやり過ごすだけの毎日が私の一生になるのか?
それは妊娠や出産ができない現実や職種の制限や他受容と共に
患者だけが負わなければならないものとは違うように思う、感じるのは、
私だけか?
ふざくんな、医療。
患者を患者の役割だけでいさせてくれ。
人間の質の低下を医療現場ではみたくない。
いや、もし外界で質が低下の速度を進めたとしても、
ここが低下するのは、最後でなければならないはずだ。
私に飛び込んでくる勇気ある医師もいれば、
私との議論にすら、机上から逃げる医師も医師として存在する。