風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

田口ランディ文学、死ぬことで完結する仕事

2007年09月28日 07時41分02秒 | エッセイ、随筆、小説







「あなたもね、死ぬことで完結するような仕事をしたらいいですよ」



ドリームタイム「肉の花」

著者 田口ランディ








はっとして飛び起きた。

いつもなら激痛の点滴時前に薬を服用し、

点滴がはじまると読書をしていたはずが、

いつの間にかうとうとと浅い眠りに就く事が多かったものの、

その日は田口ランディさんの新刊「ドリームタイム」を書店で購入し、

待合時間からその世界へ吸い込まれるように誘われていった。

それはベッドに横になってからも変わることなく、

片時も本から目を離さなかった。

それでもいつの間にかうとうととしはじめたとき、

突然、私の目に飛び込んできた言葉、

私がどこかから誰かにそう言われている気がしたのだった。








あなたもね、死ぬことで完結するような仕事をしたらいいですよ、と。








田口ランディさんの新刊「ドリームタイム」は短編で構成されている。

心臓を抉られるような言葉の連なりに、一瞬時間が止まる。

以前、私はある仏教徒(宗派は知らん)である知人と、

現代風にアレンジした精進料理をつくっている最中に

殺生について激論を交わしたことをふと思い出した。








殺生をしない人間などどこにいるのでしょう?と私。

彼女は言った。

彼は肉屋を営んでいるから、魚屋だから、

腰が悪くなったり、目が見えなくなったり、不幸が続くのですよ、と。

随分と残酷なことを平気でさらりというものだと私は目を剥いた。

では、交通事故に遭い、難病となった私はやはり殺生の祟りですか?

友人には焼肉屋も魚屋もいますし、漁師も死刑執行人もいます。

焼肉屋の友人に関していえば、彼の家系は母方はすべて日本人なのに、

父方が韓国系ということで在日扱い、

仕事がなく、それで焼肉屋をはじめた経緯があります。

それは日本があの戦争に負けたときサンフランシスコ条約の調印式で、

取り残された彼らが今の現状であることも。

むろん、日本が植民地化していたことで帰国しても仕事がないとの理由で

日本に留まった方々もいるでしょうが、在日の定義は曖昧で矛盾だらけです。









私は続けた。

自営業の人、国家公務員、立場が変わっても、

彼らは与えられた仕事を彼らなりに全うしていることを否定するのですか?

私たちが生きていくために、食べていくために、

必要な仕事がこの世に存在しているとは考えないのですか?

この世には天国も地獄もすでに存在していますよ。

仏教徒であるあなたがそのように他者の職業差別をするとは

夢にも思ってみませんでした。残念です。








怪訝な表情を浮かべながらその人は言った。

理由のないことは起こらないの。

だから私は殺生はしない。

けれど、と私は言葉を挟み、野菜も生きていますよね?

私は植物の力を借りて、植物が私の痛みを吸い取ってくれるのは午前4時ごろで、

その息吹からたくさんのことを学びました。

それは殺生を行わずに生きていける世界に私たちはいないということです。









メニューの中には蕎麦がある。

蕎麦汁だけはかつおを使っていた。

かつおは魚だ。

矛盾していないか?

人は自分にとって都合よい理由をいくつも並べて、

他人の不幸を説明しようとする。

けれど、真面目に生きていても殺生をたとえせず生きていると思っても

どうしようもない出来事は星の数ほど存在するというのに。









あなたは幸せですか?といいかけてやめた。

信じるものがないと生きていけない人を少なくとも知っているつもりだし、

私は虚像を信じなくても生きていけるタイプの人間でたまたまあるだけだ。

空があればいい。

海が。月が。星が。光が。風が。

 


「死んだ人間は怖くありません。生きている人間の方がよほど恐ろしいです」

繭のシールドのはじまり。

ミャンマーでは軍事政権下で仏教徒が抑圧されている。

銃殺されている。









死んだ人間は怖くはありません。生きている人間の方がよほど恐ろしいのです。

私の頭の中で、言葉が彷徨うようにぐるぐるとめぐる。