風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

告知という双方の厳しさ

2007年09月14日 23時59分26秒 | 医療








下を向いてしまった主治医(新しい)を目前にして、

私は自分だけが辛い告知ではないことを知った。

そして、心から申し訳ない気持ちになり、やっぱり主治医の表情をみていると、

自分が今まで付き合いの長い別の主治医へはその問いができなかったこと、

それに躊躇していた理由が少しだけ理解でき、涙をこらえることができない状況になった。






それを告知しなければならないことは、告知される側よりも精神的負担は大きい。

主治医が悪いわけではない。

むしろ、主治医たちには私は感謝する側の立場だ。

それは疾患を患う原因となった事柄にその要因があるのであって、

ごめんね、とも、申し訳ない、とも、返答に困ることは本来主治医の役割にはないはずだ。

けれど、私はその衝動を抑えることができずに問いとして宛てた。

それは社会適応能力テストを行い、泣ける箇所がいくつかあったことも正直に伝え、

そして、今後、生きていく上において、仕事面と女性面という観点から、

可または不可を心の準備として備えておく必要があると考えたためだ。








仕事に関してはもう二度と会社勤務などする気がないし、

移住を本気で考えた上でなら、アメリカの友人たちの会社で働くことへもいくつも選択肢がある。

文章を磨き、自分のペースで執筆に時間をあてるリズムは私が希求する第一の目標だ。

けれど、もし今後、異性の問題が出てきた場合、

私ができることとできないことを明確に伝え、

それを受容してくれる人としか関係構築ができないことを、

覚悟として自覚するのは私であり、それを思ってしまったことが今日だったのだ。








それは先に書いた手術を受けた彼の希望をかなえることはできないか、

一緒にいるための方法を私なりに模索した結果でもあった。

不治とされている以上、妊娠も出産もまして子育てなどできませんよね?との問いに対し、

それまで饒舌だった主治医の言葉はぴたりと止まり、

そのまま下を向き、考え込んでしまう問いだったのだと私は後悔した。





産まないことと産めないことでは女として意味が相違する。

今後、相手へも余計な期待を持たせないためにも、

私が自覚する必要に迫られていることが理由で・・・・・・

 

 

今の状況では、人を好きになることは辛い。

やっぱり私は主治医への片思いが一番気楽で性に合っているのだと思った。

けれど、泣ける胸が欲しい。

クリニックのトイレでひとしきり泣いた後、長年の男友達へ連絡をした。

それは泣ける胸ではないけれど、私を理解し、受容できる友人だからだ。







友人も言葉に詰まっていた。

私は「ごめん」としかいい様がないものの、このまま帰る気にもなれず、

このまま感情を内に秘めておくことも危険だと思い、友人の前でぼろぼろと涙を流した。

友人は言う。

「子供だとかそういったこともわかるけれど、

第一に体調を理解してくれる男じゃないと長い人生、パートナーにはなり得ないぞ」と。

私もそう思ったので、泣きながらうんうんとうなずいてみせた。

まさかおしゃれな街青山で泣く事態になるなど想像しなかったことだし、

閑静な隠れ家的青山のカフェだからこそ、泣ける場所になったのかもしれない。

美しい場所で流す涙なら心の準備が容易であるように思えると言って、また泣いた。







事故から3回目の秋を迎える。

私の人生は他力によって本当に変わってしまったのだと痛感した。

いくつもの難題を抱え、自らが処理や交渉を行い、

心細かった私に、徐々にできあがった援軍が最強となり今がある。

私は闘いはしない。

ただし、諦めなかっただけだ。

自分を誤魔化したりもしない。

そして、ひとつひとつ現実と向き合い、受容するための時間を静かに過ごすだけなのだ。

それが私の人生なら、私は自分のそれをいつか愛おしく思い、

抱きしめたくなるだろう、きっと。














山を越える修行僧 

2007年09月14日 12時48分46秒 | エッセイ、随筆、小説


 





 山を越える修行僧




 仏道の修行をする師と弟子が、
 二人で旅をしていました。

 その旅の途上で、川に差し掛かったところ、
 若い女性が、川の前で立ち往生をしていました。
 着物の裾をあげ、歩いて川を渡ろうとしたのですが、
 流れが急で、渡れなかったのです。

 それを見た弟子は、
 若い女性に心を惑わされてはならぬと
 一人で川を渡ろうとしましたが、
 師は、黙って歩み寄ると、
 その肌も露な女性を肩に担ぎ、
 川を渡しました。

 女性の礼の言葉を背に、
 二人の修行僧は、
 その先にある山道を登り始めました。

 その道を登り終え、坂道を下り、
 その山を越えたところで、
 思い余った弟子が、耐え切れず、
 師に言いました。



  あれは、許されぬことではないでしょうか。
  若い女性を肩に担ぐなど、
  修行の身で、
  してはならぬことではないでしょうか。


 それを聞いて、
 師は、微笑みながら答えました。



  おや、お前は、
  あの山を越えても、まだ、
  あの女性を担いでいたか。


 


 我々の心は、
 いくつの山を越えれば、
 担いでいるものに、気がつくのでしょうか。


 


 
 田坂広志 「風の便り」 ふたたび  第70便 より引用

 

 



 


軸になるもの

2007年09月14日 07時22分31秒 | 医療











カルマと因縁はらせん状にDNAの関係であると言ったのは、

友人をカウンセリングしていた南房総のシャーマンの言葉だ。

人生とは受身でしか生きられない側面があって、

けれど、何を受けようと生き抜かなければならないという宿命を皆背負ってもいる。









感受性を研ぎ澄ませば他力の力が吹いているかを察知できるという。

昨日はたまたま主治医ともそんな話題になって、

僕は体が無意識に目にみえない世界の変動を感受するすこし先の物事について、

特に疾患を抱えたあなたに知らせがくることは不思議じゃないと思っていますよ、と笑った。

また主治医にもそれが何を内含する言葉だったのかが伝わったようで、

時間はつくりますから話をしましょう、と逆に提案された。








偶然または必然的な空白なのか、

それとも体系上の空白によって、私の人生は長いお休みを拝受した。

この大きな包容力を持つ世界において、

私はちっぽけで、荒れ狂う心身と立ち乱れ、そして、いつか和解する。

 




無季とは季節に属さないことを意味している。

私が無季であるのは何も季節に属して生きられないことだけをさしているのではなく、

あらゆる側面において、

自分の欠点となり得る背負いを逆転させてこれた理由が多少なりとも人生を変えている。

それはたとえば、染みみたいに人生に付き纏う不安だったり恐怖だったり、

保身やプライドといった余計な呪術からは解放された中で時間を費やすことが許され、

困難が多ければ多いほど、自然からの力を借りたおかげさまによって

人徳に恵まれ救われてきた経緯がある。









善いとか悪いとか普通とか波乱だとかいう人生を語る前に、

私に重要なのは、腑に落ちるか否か、ただそれだけに尽きるように思う。

軸になるものに惚れ惚れとする瞬間ここそが、

軸の種がようやく根付いた証拠ではなかろうか。

私などまだまだだ。

主治医が他院クリニックから処方される私の投薬リストを目にするときのように、

これは医師でもプロにしかできないとの言葉が思わず飛び出してしまうことに似ていて、

私も未だ、何のプロにもなりきれてはいない。

ただ、諦めず、ただし、闘わないだけのことだ。