下を向いてしまった主治医(新しい)を目前にして、
私は自分だけが辛い告知ではないことを知った。
そして、心から申し訳ない気持ちになり、やっぱり主治医の表情をみていると、
自分が今まで付き合いの長い別の主治医へはその問いができなかったこと、
それに躊躇していた理由が少しだけ理解でき、涙をこらえることができない状況になった。
それを告知しなければならないことは、告知される側よりも精神的負担は大きい。
主治医が悪いわけではない。
むしろ、主治医たちには私は感謝する側の立場だ。
それは疾患を患う原因となった事柄にその要因があるのであって、
ごめんね、とも、申し訳ない、とも、返答に困ることは本来主治医の役割にはないはずだ。
けれど、私はその衝動を抑えることができずに問いとして宛てた。
それは社会適応能力テストを行い、泣ける箇所がいくつかあったことも正直に伝え、
そして、今後、生きていく上において、仕事面と女性面という観点から、
可または不可を心の準備として備えておく必要があると考えたためだ。
仕事に関してはもう二度と会社勤務などする気がないし、
移住を本気で考えた上でなら、アメリカの友人たちの会社で働くことへもいくつも選択肢がある。
文章を磨き、自分のペースで執筆に時間をあてるリズムは私が希求する第一の目標だ。
けれど、もし今後、異性の問題が出てきた場合、
私ができることとできないことを明確に伝え、
それを受容してくれる人としか関係構築ができないことを、
覚悟として自覚するのは私であり、それを思ってしまったことが今日だったのだ。
それは先に書いた手術を受けた彼の希望をかなえることはできないか、
一緒にいるための方法を私なりに模索した結果でもあった。
不治とされている以上、妊娠も出産もまして子育てなどできませんよね?との問いに対し、
それまで饒舌だった主治医の言葉はぴたりと止まり、
そのまま下を向き、考え込んでしまう問いだったのだと私は後悔した。
産まないことと産めないことでは女として意味が相違する。
今後、相手へも余計な期待を持たせないためにも、
私が自覚する必要に迫られていることが理由で・・・・・・
今の状況では、人を好きになることは辛い。
やっぱり私は主治医への片思いが一番気楽で性に合っているのだと思った。
けれど、泣ける胸が欲しい。
クリニックのトイレでひとしきり泣いた後、長年の男友達へ連絡をした。
それは泣ける胸ではないけれど、私を理解し、受容できる友人だからだ。
友人も言葉に詰まっていた。
私は「ごめん」としかいい様がないものの、このまま帰る気にもなれず、
このまま感情を内に秘めておくことも危険だと思い、友人の前でぼろぼろと涙を流した。
友人は言う。
「子供だとかそういったこともわかるけれど、
第一に体調を理解してくれる男じゃないと長い人生、パートナーにはなり得ないぞ」と。
私もそう思ったので、泣きながらうんうんとうなずいてみせた。
まさかおしゃれな街青山で泣く事態になるなど想像しなかったことだし、
閑静な隠れ家的青山のカフェだからこそ、泣ける場所になったのかもしれない。
美しい場所で流す涙なら心の準備が容易であるように思えると言って、また泣いた。
事故から3回目の秋を迎える。
私の人生は他力によって本当に変わってしまったのだと痛感した。
いくつもの難題を抱え、自らが処理や交渉を行い、
心細かった私に、徐々にできあがった援軍が最強となり今がある。
私は闘いはしない。
ただし、諦めなかっただけだ。
自分を誤魔化したりもしない。
そして、ひとつひとつ現実と向き合い、受容するための時間を静かに過ごすだけなのだ。
それが私の人生なら、私は自分のそれをいつか愛おしく思い、
抱きしめたくなるだろう、きっと。