こころとは目にはみえない。
けれど、動いたり、縮んだり、温まったり、冷えたり、
傷付いたり、癒されたり・・・・・・
なんだかとっても厄介なものだ。
見えないからとっいて、それを感じないものなのかというとそうでもなく、
どのような状況下であったとしても、言っていいことと悪いことの判別は
人間として必要なことだと思う。
その判別をたった一度間違っただけで、
取り返しのつかないことは往々にして起こるし、
その人を疑うことにも、関係を維持していくことへも、
結果、それによって判断が下される。
まだ多くの店が閉まっている朝の新宿で、
私は「こころ」について、考えていた。
自分は傷付きたくない。
けれど、相手を傷つけていることには気付かず、
言葉を凶器のように操り、
そして、それを凶器とした者が自滅し傷付いていく。
世の中には取り返しのつかないことがある。
どのような状況下であっても、やってはいけないこともある。
その欠如が結局は相手を傷つけるだけでは収まらず、
自分をもずたずたに切り裂き、カラスがごみを啄ばむように、
枯渇したこころが、より荒んだこころとなって表面化する。
こころは傷付いたり痛みを感じるためにあるのではなく、
温められるためにあるのだと、私は今も信じたい。
喧騒の新宿にて・・・・・・