大正14年生まれの方々は、
戦争にかり出され、戦後復興の歯車と言われた。
そして平成の今、国のお荷物として削減の対象になり闘っている方々がいる。
憲法25条、生活保護法という幻想は、
70歳以上に支給されていた老齢加算金を去年、小泉政権の下、全廃した。
それは高齢者にとっては死活問題となり、
最低の生活すらできなくなった高齢者の自殺が相次いでいる。
ないところからわずかな金を毟り取る、
それが小泉政権の行ってきた政策であり、現政権も引き継いでいる。
今回、私がタイ渡航の同行をした会社は病院経営を基本とする企業で、
全国展開している形成外科(男性専門)を皮切りに、
老人介護福祉施設、某地方都市総合病院、訪問医療などを行っている。
その裏では、形成外科の顧客へ高額なローンを組ませ、
男性独自のコンプレックスを金にすることを仕事と呼ぶ。
渡航中、聞くところによるとAV製作会社などへも資金提供をし、
金になるものには何でも食らい付いていく印象を私は持ったのだ。
某プロレスラーの旦那である医師、相撲協会を揺るがした偽精神科医、
あげくの果てに顧問弁護士のひとりは、
私が支援している山口母子殺人被害者遺族の敵、
あの死刑撤廃論者である人物で、殺人という結果をみない名ばかりの弁護士だ。
この手の経営者の趣向はよく似ているとも思った。
驚くなかれ、タイ国際空港へ着陸するや否や、
私の主治医から渡航に関する制限を課せられていたスケジュールが覆された。
また、部屋でのインターネットおよびビジネスセンター利用不可、
滞在経費はすべてギャラから捻出するようにと言われ、
出国前に聞いていた約束事のひとつすら守られない事実に驚愕したのだ。
けれど、私はこの程度ではなんとも思わなかった。
現金は2万円しか持っていなかったし、
支払いたくても支払えない事情から、すべて部屋付けとしたからだ。
この経営者は関東圏の某県で長者番付首位に何年も名前を載せている。
その人物が、たかが数万円であろう必要経費すら支払わないと
到着直後に言ってきたため、私はすぐさま戦闘モードに突入した。
毎晩、高級ホテルなどのレストランで食べきれない料理を注文し、
支払いは日本円で10万円、タイの1バーツ=28円程度(確か)
酒を飲まないメンバー6人程度でこの金額をばらまき、
食事のほとんどは食べ残し、話題は買春や金や欲で埋め尽くされていた。
仕事の話などはほとんどせず、
午後9時にはマッサージと称した買春目的に外出する。
当然のことながら夜遊びをしない私は朝5時前には目覚め、
彼らは朝5時に眠った。
生活が逆転したことで、それを理由に私はできるだけ彼らと接点を持たずに
滞在を自分のペースで行うことが可能にはなった。
体調を理由に、予定より一週間早い帰国を申し出たのは到着翌日のことだ。
その企業も問題が発生したらしく、
同便にキャンセル待ちの連絡を私のものと共に入れていた。
私には関係ない彼らの行動を卑下や軽蔑をしても関与しないのは、
彼らと私の趣向の違いや、物事の受け取り方の相違、
生きる水や世界、もっと言えば魂が存在する場所がそもそも別次元に位置する。
見て見ぬふりをするつもりはないが、
だからといって積極的に関わっていくつもりもなく、
私は私でいること、場違いな場所では姿や気配を消し、現地で同行した。
がしかし。
私のマグマが動く事件が勃発した。
帰国前日の朝、接待を予定しているのでロビー階へ午後18時に集合とのこと。
私はドレスアップをして彼らを待っていた。
2時間待ったあたりで、一度部屋に戻り、メッセージが届いていないか、
また彼らの携帯電話へ電話を入れても、連絡は皆無でしかなかった。
結局、そのままロビー階で読書をしながら4時間待った。
一本の連絡もなく、私は取り残される結果となってしまった。
相手の落ち度は明確なので、私はひとりでホテル内で食事をとり、
JAZZ BARで音楽を楽しみ、帰国便が早朝のため、
そのまま体を休めるため、就寝した。
翌日、チェックアウトの際、
昨夜の不詳を謝罪する言葉などないかわりに、
私がホテルで使用した金額明細書を投げられ、
今支払えなければ日本到着後に支払うとのサインを求められたことだった。
もちろん、そんなものにはサインなどしない。
また、私は彼らにとって重要な書類を手元で預かっていたため、
下手なことはできないだろう予測をたてた私は、
戦闘モードを低下させる必要には迫られなかったのだ。
離陸後、飛行安定した後に席の移動を航空会社職員へ事前に申し出ていた。
ちょうど、白人女性のとなり、窓側の席が空いていたためここに移動し、
一度収納した荷物もすべて、
無事手元に運んでくれたのは数名の職員の連携のおかげだ。
機内で体調が崩れた。
到着後、帰国手続きをしたあたりで起きていることが拷問のようになり、
税関職員が空港クリニックへ連れていってくれた。
がしかし、ここは主治医を持つ疾患のあるものはみれないとのこと、
となりの救護室で休ませてもらいながら、主治医宛病院へ電話をかけた。
ご事情はわかりますが、緊急としてお受けできませんので、
明日、主治医の診察時に来院ください、との想像していたとおり、
病院は冷たい対応だった。
さて、私が障害を抱えている事実を知り、
主治医からの注意事項なども事前に知り得ていたはずの関係者の姿は
すでに空港にはなかった。
ファーストクラスのタグが貼られていたせいか、
ひとつだけ取り残された私の荷物を警備員が見張っていてくれた。
荷物をタクシーまで運んでもらい、帰宅した。
マグマが動きはじめてしまったのだ。
市場原理とは綺麗事であり、金や欲にとり憑かれた者たちへの反撃が、
自然はこれから徐々に、確実に、はじめていくことになるだろう。
※一部、内容に不適切な表現と感じた場合、お詫び申し上げます。
ニューヨークへ行きたい。
怒られることを覚悟の上で、神様(盟友)にだけは本音を伝えた。
今すぐにではないの。
けど、タイ渡航の疲れなどが多少落ち着いた頃、
来月は私のBDもあるし、
友人が経営するレストランで盛大にお祝いをしよう!ということで、
さっき、国際電話をかけたばかりだった。
私は言葉で勝負したいと思っている。
それはしっかりとした英語を身に付けることで、
より深く世界を渡り歩くこと、感情を吐露することに作用する。
現状の語学力はどちらかというと
私のコミュニケーション能力や笑顔や押しの強さに助けられているだけで
実際に海外医療視察などの交渉や取材となったとき、
私には通訳が必要となる。
通訳には失礼な言い方だが、誰かが間に入ってしまうと、
双方の感情が薄れてしまう。
思いが正式には伝わり難い。
そこには通訳という職業と私との感覚の間に温度差が生じるためなのだが。
私は今回タイへ行ったことにより痛感したことは、
先にもお伝えしたとおり、慈悲の存在の有無だった。
障害を抱えても糧を得て生き抜かなければならない現実は、
日本では限界があり、私はすでに少し先の未来がみえてしまうのだ。
また、医療の現実が不具合に対する訴えに関して、
病院関係者へそれを伝えても、
一石を投じるのは患者さんからの訴えが一番ですから、と言われてしまうと、
こっちは病気を治す、疾患との取り扱いがその優先順位にはあり、
病院経営や運営への一石は、
院内で行えない現実が不思議でたまらなかったのだ。
意地を溶かす技量を身に付けることは、
語学を有することに似ている。
そして、その両方を手に入れたとき、
私や神様や他盟友でしかできないことが浮上するように思えるのだ。
今回のタイ行きによって、2ヶ月もの留学は私の体調では絶望だと判断した。
主治医も同じ意見を持っている。
が、せめて、ニューヨークには行かせろ!!
2週間でいい、死の行進の褒美に、痛みへの我慢の処方に、
私が唯一知らない秋のニューヨークの風景を今年みてみたいのだ。
日本の中には意地が充満しているから息苦しい。
相変わらず社内は派閥争いが激化しているようだし、
誰のための仕事なのかを、もう一度、考えた方がいい。
生活に追われるためだけのものではない職業が必ず存在するはずだからだ。
さて、主治医たちをどう納得させるかだ。
帰国したばかり、それも体調悪化をして病院へなだれ込んできたのに、
今後はニューヨークか、絶対に渡航許可は下りないだろう。
けど、なんとか・・・・・・
そこを、なんとか・・・・・