俺は俺の苦痛を信じる。
如何なる論理も思想も信じるに足りぬ。
ただこの苦痛のみが人間を再建するのだ。
柳田邦男著書「人生の答」の出し方、北条民雄メモより
大切なことを伝える機会の恩恵を決して無駄にはしたくない。
逆境こそが密度の濃さを生み、
「死」を目前にするからこそ、「生」に緊迫感を与えるのではないだろうか。
上記、著書の中にはこんな一文がある。
「自らは死にゆくのに
他者の生を支えることすらする病者・死者の言葉の力について」
私はこの言葉を拝読したとき、
一石を投じるのはあなたにしかできない、と
すこし困惑した表情を浮かべながらもそれを言葉にかえる
ケースワーカーの姿が思い出される。
病者へ健者が無理を強いることは、決して稀なことではなく、
病院という組織の事情や自身の保身のために、
病者にとってはより過酷であると思われる事態に
おそらく私は相当経験を持ってきたためだ。
私はこの苦痛があることによって、
「書く」という作業にも変化が生まれた。
軽いこと、心には残らないけれど笑える類の文章は苦手とするものの、
違う分野のことでなら「書く」ことが可能ではないかとの自信の芽生え。
誰かが、人生が、幸せをもたらしてくれるなど甘い考えはなく、
また、誰かが、人生が不幸を運んでくるなどとの悲観もない。
自分という人生を完結させるために描く章は自らにしかできず、
また、そうした姿から人はきっと影響を受けて成長していくはずだ。
おそらく、通常に生きている人ですら一度や二度、
死を考えたことがあるだろう。
混沌とはそういった世界であり、
私たち病者はそれと毎日膝を突き合わせている。
いのちの初夜によって人は生まれ変わる。
人は言葉なしでは生きられず、
また、言葉によって救われることもあるのだ。