風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

親切心が迷惑や相手を傷つける結果に・・・・・

2007年09月22日 23時57分53秒 | エッセイ、随筆、小説








病は気からなんだって。

だから、気の持ちようが不十分なんだから、これ読んだらいいんじゃない?

そう前置きをされリュックから3冊の本が取り出された。

見せるだけなのかと思ったら、私に読めと言う。

病は気からなんて・・・・・同じ立場になったときに言えるのかしら?

言える、と断言する男は、40歳、夢は金持ちになること。

だから、他人への気配りに欠けるのだと思った。






ある区が主催していたゼミの同期と1年ぶりに会うことになった。

場所が居酒屋であったため、化粧をせず、深々と帽子をかぶり出席した。

「随分と痩せたね?」とか「でも体調よさそうじゃん」とか

無神経な言葉を浴びせられるたびに、出席したことに後悔し苦笑を浮かべた。






その男は性懲りもなく、病は気から・・・だと繰り返す。

あのね、私は交通事故が原因で、

気の持ちようではどうにもならない毎日を過ごし、

相手の身になって考えてみたとき、勝手に押し付けるための本なら

相手の体調への負担や荷物になるとは思わないの?と思わず言い返した。

私の持参品は、小さなかばんに財布のみ、

この数キロにもなる荷物をどうやって持って帰れというの?

もう二度と、この人たちには会わないだろうと私は思った。







その本は某大学教授が書いているもので、

やはり売るためだろうが「治った」という文字が使われている。

本当にそれで治るのであれば、その大学に病院があること自体が不自然だし、

治せるというなら患者の取り組みのせいにだけせず、

医療側の姿勢やその教授にしてもライフワークとして真剣に取り組め。

何冊もの本を書く時間があるなら、

もっと他の分野で医療改革が必要である現実を直視し、そこに尽力注ぐべきだ。

おのずとその姿勢は患者へ伝わってくるはずだ。

医者や患者が本を書くパフォーマンスに私がうんざりしているからこそ、

そうしたことに強く反応してしまうのだろうけれど。








主治医が2名いる、と何度言っても、その男は言う。

その主治医だから治らないのであって、

この人に主治医をお願いしてみたら?と。

会ったこともない、診察を受けたこともない医者を、

よくそこまで信じれるものだと妙に感心する自分が可笑しかった。

また別の男は私の疾患の患者会に精通していて、

患者会の情報は馬鹿にできないからとの理由で、入会を強く勧められた。

裏を知っているだけに、ここでもまた苦笑を浮かべるだけで必死だ。

現実を知らないとはこんなにも恐ろしいことなのだ、と。








親切心で言っているのだろうが、そもそも医療への関与のレベルが相違するし、

生を温存することだけで精一杯な立場にならない者の言葉は甘く、また軽い。

私はあなたたちに相談する以前に、

相談者も主治医たちにも恵まれているので、と言って

やんわりとそれらへの拒否姿勢を示した。

すると、その凄まじさは何倍にもなり、

人の話を聞かないから治らないのだと脅しにも似た説教がはじまった。

百歩譲って彼らは酒が入っている。

が、だからといって聞き捨てならない発言に対し私は言った。

ゼミの同期ではあるけど、友人として信頼を寄せているわけではないから

私がもし悩みや苦痛を抱えているならば、

話せる友人がいるので心配はご無用です、と。








なんで強引に押し売りのように、

ただ本を読んだだけなのに、さもその医者が神様のように思える人がいるのかと

私は不思議でならない。

本を持って帰るための袋もなければ、それが荷物となることも想定せず、

重いものを持ってはいけないとの主治医からの言いつけを訴えても、

彼らには何も伝わらず、理解できないのだと思った。








うんざりするのだ。

点滴の痛みだけで七転八倒している姿を見に来るか?

体調が悪化した際、どうなるのか見たいのか?

それでも同じことが言えるのだろうか?

元気そうだね、とか、病は気から、などと、

悪気はないにしろ程度の低い言動を浴びせられるたび、

なった者にしかわからない世界があることを知らされるのだ。








自己満足のための親切なら、しない方がましなのだ。

自分で体験をしていないことについての発言は

慎重でなければ相手を知らずうちに苦しめ、

ストレスを与え、負担の原因にしかなりえないのだ。

医療者ですらそれがわからない今日において、

素人にそれを求めても無理ということか?









強引で傲慢な人間が私はやっぱり苦手だし、

棲む水が違うのだと痛感して帰宅する。

本・・・・・・・・

すこし経ったら読んだことにして、送り返そうかな。

 

 

 




 


医療と保険と患者について

2007年09月21日 19時06分47秒 | 医療








主治医の外来日が週3日に増えていた。

私が見初めただけあって、

丁寧な診察に患者が殺到していると看護師が教えてくれた。






今日だったのか、昨日だったのか、そのニュース日が定かではないが、

どこかの地方で肺炎だった人が車を運転し、

通学中の小学生の列に突っ込み

死傷者を出した事故を確か新聞で読んだ記憶がある。






以前、私と同じ疾患患者とこの「車の運転について」大激論となった。

というよりも、私が快方へ向かっていたとき、

多くの患者から質問が寄せられた時期があり、

治療も投薬もせず・・・なぜ? からはじまり、

だからといって私は車を運転できる自信もなければ見込みもありません、と

返答したことが気に障ったらしい。

多くの患者は言った。

あなたは東京に住んでいて、地方の現実を知らないのだ、と。

けれど、私は地下鉄にもバスにも乗れなかったし、

また、母では用の済まないことは、どうにか工夫をして無理をしなかった。

いいや、無理などできなかったため、その体の声に黙って従っただけなのだ。

天井を眺める日々、よくて読書に費やした時間。

多少体調がよくなったとしても、誰とも約束もせず、

無機質な日々を私はひとりで送っていたのだ。








20種類以上の精神薬を服用して車を運転するという女性にはさすがに呆れた。

もし交通事故加害者になったらどうするのです?

あなたと同じように、苦しむ人を増やすだけに加担するのですね?と言うと、

すごい剣幕で受話器の向こうから甲高い声が延々と。

この疾患は、分類して捉えないと話がややこしくなることを告げ電話を切った。







交通事故受傷なのか、それともスポーツなど自分の過失による受傷なのか、

その背景を棚上げし混合して疾患を語ることは危険極まりないのだ。

今回の肺炎患者が起こしたような事故をこの疾患患者が加害者となったとき、

取り扱い自体に波紋を投げかけるだけではなく、

他の自制している人への影響も免れないのだろうと私は予感している。








点滴の激痛に耐える3時間、

私の右腕、しかも3回に1回は手の甲に打つしか場所がないため、

痺れや痛みは頭痛や頚椎痛をはるかに越える闘いとなる。

読書することもまして眠ることもままならず、ただ3時間、

点滴が終わってくれることをひたすら待つのみだ。

血管痛とはこれほどのものなのかと甘く見ていたことを毎日反省させられる。

私の場合が特別なのかわからないが、

なにしろこの痛みに毎日襲われるのかと思うと、

別の意味で憂鬱になるのは至極当然、

明日は早起き付きだ、8時病院入り、

午前中を点滴だけに時間を費やしてくる。









神様(盟友)はその事実を知っているため、

すぐさま保険会社へ連絡を入れ、現状を説明することを勧められた。

私は言われるとおり、すぐさま連絡を入れると・・・・・・・

○○は本日付けで移動になり新任者の着任も本日となっているため、

○○という者ですのでお話ください、と

受付の女性は淡々と保留ボタンを押した。

流れてきた変な曲に趣味の悪さを感じていると、

耳障りな声の男性が「引継ぎもないのでよくわからないのですよ」と言った。

これで担当者が変わるのは4人目のこと、

私の質問や訴えを書類で提出し返答がなく今日まで来ていることを説明した。






けれど・・・・・まだ・・・・・確認していないもので・・・・






それでも仕事をしているつもりですか?

とりあえず、現状は3月の時点で前任者に伝えてあること、

前任者の離職の挨拶もなければ引継ぎもなく、

今後、どのように双方の利益へ結びつけていくのか見物ですね、と

無意識のうちに、ちょっと強い口調で訴えると、

相手は縮こまってしまい、

まるでやどかりのように顔を引っ込めてしまったみたいになった。







 

もう、頭にきたっ!!

明日からタクシーで通院してやるぞ。

対応がひどければお願いしている弁護士を出す時期なのだと思った。

名前を出しただけで知らないとは言わせない相手だ。

さて、今月末を期限とした以前の解答や今回の件のについての対応を

どのような見解をもって取り扱ってくるのか見物だ。









 


 


熱帯雨林の知恵

2007年09月20日 19時22分13秒 | エッセイ、随筆、小説








今日は新顔の男性看護師が点滴終了を教えてくれた。

ブスじゃないけどイケ面じゃなくてよかったとほっとした。

だって、主治医が大好きなのにこの上看護師にまで鼓動を高めることになると

なんだかめんどくさいことになる。

いや、これでも主治医たちに対して、

余所見はご法度だと私なりに気を使っているのだから。

患者は大変なのだぞ。

いろいろな気遣いをして患者を演じなければならないのだから。







点滴をするのに脱水症状のように、後で必ずお腹が痛くなる。

また明日も病院だと思うと、正直気が重い。

うまいショートカット方法を考えないと、

毎日の通院が負担になることが目に見えているので、ない知恵を絞る。






痛い。

浮かばない。

なにも考えられない。





二本の足がふらふらと駅へ続く道をただひたすら私を運んでいくようだ。

緋色の夕日があまりにも美しいので見とれていると、

人をよけた場所がちょうど古本屋で、

ワゴンの中には熱帯雨林の知恵という本、

目が合ったと同時に、縁や出会いを感じてしまったのだった。





本を開けた場所、

それがもう、とんでもない文字が一方的に火に飛び込む夏の虫のようで、

第13章、シャーマンと神聖な食事、

だって、ずっと私を見ていたもの、この本。

待っていてくれたのね、と話かけながら100円を財布から取り出すと、

誰のものになるかわからない不安定な立場だったはずが、

すぐさま私の相棒になりかわった。

2000円の本が100円に。

なんだか申し訳ない心境になりながらも

2000円という金額は今の私では出せない金額だ。

先日、またしても大量に本を購入してしまったばかりなので、

これでも自省して出費を抑えていた理由が前提にはあるのだ。

 






2003年3月15日発行、著書スチュワート・A・シュレーゲル

米国、カリフォルニア大学サンタクルーズ校、文化人類学教授、

熱帯雨林の知恵を題して、

人間らしい生き方とは何か、

人間が歩みを進めるに当たって本当に重要なのは何かを、

私だけではなくすべての人に教えている内容なのだと思う。








最近、医療に関するノンフィクションを短編の手法で書き始めた。

森 博嗣さんの「ナ・バ・テア」や「クレイドゥ・ザ・スカイ」のような

素敵な装丁になればいいなぁ・・・と希望はいっちょまいに持っているものの、

内容はなにしろ「医療」なので、そういった関連のものになるのだろうか?







縁とは不思議で面白い。

いくら努力し、育もうとしてもうまくいかないものもありながら、

放置していても、勝手に関係の距離感が縮まり、

強い絆で結ばれていることもあるのだから。

熱帯雨林の知恵から、さて、どのような知恵の拝借があるのか楽しみだ。












ふざくんな、医療

2007年09月19日 23時55分55秒 | 医療









最近凝りだしたきらきらと輝く指先を見ていることが一番の幸福です、というと

案の定、社会復帰テスト結果は、それを反映するものとなった。

今日がいつなのかもわからず、

財布に入れてあったはずの1万円がすでに消えて小銭だけに。

手元にあるのは病院の診察券を紛失してしまった再発行手数料の領収書と

500mlのポカリスエット、

娘のお弁当に久々登場する醤油付けの北海道産いくら。







体重減少=体力低下を阻止するために、

入院ができないなら毎日点滴だけでも行わないと危険だ、と

私見を述べた医師の提案を今日は別主治医へ伝えに行った。

「近所の、他院へ・・・」と言われたら主治医への不信へつながる。

怖かった。

もしそのように言われた場合、用意していた返答はといえば、

「では、どの病院が受入=提携してくれるのか指示願います」だった。

患者でありながら患者だけではいられない医療について不信だけではなく、

患者として改善を希求していることを告げようと覚悟し病院へ向かった。







この主治医との付き合いは1年半、

二人三脚にて医療に取り組んできた経緯があり、

情があり、努力があり、涙があり、思い出がある。

主治医は言った。

「通院時間、家からどれくらい? 辛くはない?」と。

私は言った。

「患者にストレスを与えない主治医であり医療なら海外でも通院しますよ」と。







10月に品川で行われる脳神経外科学会総会への出席、

主治医の日程と私が目的とする疾患の研究チーム報告が重なるかどうか不明だが

体調を整え、参加意向を伝え、詳細を学会へ問い合わせる旨、まとまった。






長い長い時間、点滴に一日の大半の時間を取られる。

けれど、それは生きる上で私には必要であり、命の水なのだ。

この一週間で3度、私が待ち時間にベッドでの待機を申し出た看護師、

今日も同様、ベッドの貸し出し可・不可の状況を聞くと、

「なぜ?」の一言が冷たく返答にあてられた。

なぜって、こっちの方がなぜだ?だ。

患者の顔を看ていないのだと思った。

入院もできない、在宅介護も認知されない疾患に対して、

本当に患者の痛みや不具合の軽減に全力を尽くすために何が必要か。

命は取られはしない。

けれど、起きていることに制限が生じるため、

生を温存することが、そもそも困難である意識が医療にないことはなぜだ?







理解ある二名の主治医に私は恵まれた。

また、顔も見たこともない医師から、

東京の医師の紹介を得られる機会に恵まれた。

けれど、このまま今日をやり過ごすだけの毎日が私の一生になるのか?

それは妊娠や出産ができない現実や職種の制限や他受容と共に

患者だけが負わなければならないものとは違うように思う、感じるのは、

私だけか?







ふざくんな、医療。

患者を患者の役割だけでいさせてくれ。

人間の質の低下を医療現場ではみたくない。

いや、もし外界で質が低下の速度を進めたとしても、

ここが低下するのは、最後でなければならないはずだ。

私に飛び込んでくる勇気ある医師もいれば、

私との議論にすら、机上から逃げる医師も医師として存在する。


















人殺しをする者

2007年09月18日 20時08分25秒 | エッセイ、随筆、小説








ヘリコプターの爆音で目覚めたとき、

時計はすでに午後16時近くに針はあった。

東京へリポートが近いとはいえ、尋常ではない数、異常な倦怠感のため、

父のいる下階へ連絡をして、

水分補給のために水を運んでもらいようやく起き上がる。







娘が私を呼んでいる。

階段をかけあがる音。

いつもとは違う音が響き、慌てている様子が窺えた。

ごめん、体が重くって起き上がるまでに時間がかかりそうだから、

このまま寝たままで話を聞くね、というと、

近所で21歳の女の子が押入れの中で殺され発見されたのだという。

鳥肌が立った。

娘は学校帰り、

地下鉄の駅から家へ向かう途中に位置するそこでの人だかりの異様さに、

声をかけやすい人をみつけ、何があったのですか? と質問したのだという。

女の子が殺されちゃったのよ、あなたも気をつけるのよ、と

声をかけたおばさんは娘の安否を気遣いながら、

物騒な世の中になってしまったわね、と涙していたといって話してくれた。






男女のもつれが原因だという。

けれど、と思う。

殺したいほど愛していたのではなく、

ただ単に彼女が自分から離れてしまうという依存が、

殺人という結果を巻き起こす要因ではないか、と。

なぜ、そこまでして、つまり、人を殺すところまでとことん、

係わり合ってしまうのか私には不思議でたまらないのだ。







家はその事件を議題に、大激論となった。

母は言う。

殺される方にも原因があるのよ、と。

私は言った。

私にはたくさんの理由が存在していたわけだから、

親を殺しても罰せられなかったという意味かしら? と。

食卓はしーんと静まり返り、どんな理由が存在しようとも、

人を殺してはいけないことを教えない親は親の資格すらないというと、

じゃぁ、私が殺されてもばーちゃんは殺された私が悪いというのね?と

自分の身に置き換え考えることの大切さや

殺された人を誹謗中傷するようなことがあってはならないと

私と娘は両親へ訴えた。

自分の娘を発見した母親の心境がどんなに辛いものなのか、

これからその母親の人生がどんなものになってしまうのかまで、

想像してこそ人間だと言って。








交通事故でも犯罪でも、被害者ばかりが糾弾される。

けれど、加害者が護られる風潮は日本独自のものだと耳にする。

日本の場合、被害者が声をあげないかぎり、

行動に置き換えていかない限り、犯罪を受けたことを納得したとみなされ、

加害者は処罰の対象から外されてしまう。

だからこそ、日本には犯罪を犯すということへの、抑制がゼロなのだ。








娘の幼馴染へ連絡をするといって、一斉にメールを送信した。

唯一、学校の帰宅が午後9時以降になってしまう少年Aが電話をかけてきて、

ダッシュして走ればいいかなぁ?とか、

俺、どうしよう・・・と困惑しているから、

駅から自宅まで送ってあげるから、○○駅を通過するあたりから

メールかワン切りして教えて、と伝えた。





どんな理由が存在しようとも人を殺してはならない。

がしかし、もし私の娘を誰かに殺められたときには、

私は自分の人生を放り出す覚悟で、

その相手を殺めることに躊躇などしないだろう。






ご冥福を心からお祈り申し上げます・・・







 


清算の働き

2007年09月18日 08時16分05秒 | エッセイ、随筆、小説









人が寄ってくる、集まってくる場合、その理由を考えてみた。

また逆に、人が離れていく理由、

なぜ、私がそれらから「清算」にまつわる事柄を

『清算』という決断、諦めではなく呆れによって

自らが打ち出すまで起こり続けるのか・・・・・・を紐解いてみることにした。

その本質を浮き彫りにするまで「清算」の働きは動作を鈍らせることはないのだ。









昨夜の夢見では「清算」対象のひとりであるひとりの男の叫びが

まるで、和太鼓のようなずっしりと重い痛みを伴って私に感応する。

それは身体の痛みではなく内面の、心の悲鳴を嗅ぎ取ったようなもので、

だからといって、私はこの「清算」という働きを自らの手によって停止するつもりはない。









記録として残すことを前提に事実の詳細を書くことは、

それが事実であるからこそ、驚愕に満ちている。

が、「清算」によって他者の心を痛めつける者にはその働きが作動し、

おそらく今後、それは自らを裁く「清算」へとシフトを遂げていくものと推測する。

つまり、傷つけるべき対象ではなく、傷つけるべき理由がない者へ

その者の心を、痛みを、落胆を与えるだけの行動や言動は、

いずれ、いや、すぐに自らの問題として浮上する。

言い換えるならば、

自分が行った行為に対する他者の痛みや傷が自分へ舞い戻ることを意味し、

そして、最悪の場合、死へと誘われてしまう。

そうなった場合、救済策は今のところないものと思われる。

そのような働きを私は「清算」と名付けている。










人の気持ちを理解できない者は悲しい。

そして、自らの不幸がまるで他者によって引き起こされていると思い続ける癖を持ち、

現実に目を向けないばかりか、自分の思うように他者を、世の中を動かそうと苦心する。

悲しいというよりも愚かな者だ。

なぜ人が離れていくのかを真剣に考えたことがあるのだろうか・・・・・・・











私は今日、長野へ行く予定だった。

急遽、そのすべてをキャンセルし「清算」の働きに身を委ねた。

現地まで、または現地で必要なすべての予約を済ませたことは関係者にとって周知の事実で、

そのために、朝から新宿へ行って準備に時間を費やしていた。

が、帰宅すると、それも、しばらく経ってから、

携帯電話はメールの受信を知らせた。

内容はといえば「○時から○時(約一時間弱)で会えるかどうか」との内容からはじまり、

主治医への心配りは本当に迷惑であったため、

それをもっと強く止めなかったことに悔いが残り、その行為が家中をかき乱す騒ぎとなり、

そこへきて私がお見舞いに来ることが知られるとこの上なく迷惑だ、と

そこには記されていた。

私は・・・・・・といえば、自分の目を疑いながらその言葉らしきものを辿った。

人は窮地に追いやられたときにこそ、その本質や本性がみえると

祖母は事あるごとに言っていたことを思い出した。

だからこそ、自らが背負う問題と引き受ける問題を分別して捉え、

生き様が病や他不具合などを抱えているときに問われることのないように

生きることがどれだけ自分を護ることになるのかを

お茶の時間になると、茶を啜りながら、子供の私へ説教をはじめるのが私は好きだった。

 

 




今後生きている間におそらく、

私はこれほどまでに迷惑だとの言葉を連呼されることはないだろう、と思いながら、

すごい言葉を平然と言い放つのね?と返信に宛てた。

また、日時指定などは私ではなく本人が行い迷惑扱いされる筋合いのないこと、

すべての予約が終了しキャンセルの連絡が危ういことが予想される時間帯になり、

怒っている様子なので明日は会いたくないとの心境の変化からはじまり、

その怒りが鎮まった頃にでも、また連絡を取り合おうとめちゃくちゃな文章が送られてきた。

タイからの帰国、数日を費やして綴った主治医への手紙、

私の障害を知りながら子供を欲していた事実、そして、そのことへの強要、

私の体調がよくないことを知りながらお見舞いへ向かう事実、

点滴が行える病院の確保、そして、中1日しかない面会の日程指定、時間、もろもろ。









私にも身体の痛みは存在し、そして、心も痛みを感じるように設計されている。

なぜここまで腐ってしまったのだろうと不思議に思いながらも、

私には関係ないことだし、私が腐っているわけではないので、

他者の弱さに同情する気持ちにはどうしてもなれないことは当然だと思った。

今まで無垢な人をたくさん傷つけてきたのだろう。

そして、傷を負わせていることに気付かないため、人は離れていってしまう。

ずっと問題から逃げて、自分が引き起こした事態を相手の所為のように装い、

言葉では勝てないと思うと、

疲れた、何も考えたくないと言って、逃げに転じる。

私はこういった人間に対しては、容赦など必要ないものだということを学んだ。









自分の行動、言動に責任を持てない人とは友人としても私は認められない。

人の痛みが理解できない者は同じことを繰り返す。

こんなことまで言われてまだ連絡を取りたい、会いたいなど、ぬけぬけと、と思った。

幼稚だ。

ガキだ。

人間としてもっとも大切なことが欠如している。

そして、何が大切なのかの理解もそっくり抜け落ちてしまっている。

哀れだ。

まして、男になどなれていないし、またなるつもりなどないのだと思った。

人が離れていく理由は、とても単純で明解なのだ。








おまけといったら失礼かもしれないが、

先のタイ視察へ同行した会社社長のデイトナが偽物だということが判明した。

私は二度と連絡は取るつもりはなかったものの、

破棄したことを問題にされるのも嫌なので、どのような方法で返送すればいいか、

会社の住所をお聞きし、時計が止まってしまっていることをさりげなく伝えた。

そこまでして高級品を身につけていると周囲へ知らしめたいことへ、

某県長者番付首位である彼の哀れさを感じた。

彼のいう友達とは、金をばらまくことで集まる人間を意味しているし、

金の切れ目がすべての切れ目であるように、男女関係なく、

物事の治め方が卑劣で悪徳であることと、

偽物の時計がどこかしっくりと重なりあわなかったのだ。









所詮、偽者は偽物を好み、偽者にしかなり得ない。

崩壊を目前にした男2名との清算を済ませた。

私にはもう二度と彼らを救済できないという清算は終結している。

それが人のこころというものだ。

生身なのだ。

血を流すのだ。

たとえそれがみえないなどと思うものにはいつまでも見えることはない。

見えなくていい。

そして、いつしか人が離れていく。

本当の友こそ財産であるのに。

盟友になり得るということを知らずに生涯を終える・・・・・・・









こころ

2007年09月17日 19時43分48秒 | エッセイ、随筆、小説








こころとは目にはみえない。

けれど、動いたり、縮んだり、温まったり、冷えたり、

傷付いたり、癒されたり・・・・・・

なんだかとっても厄介なものだ。






見えないからとっいて、それを感じないものなのかというとそうでもなく、

どのような状況下であったとしても、言っていいことと悪いことの判別は

人間として必要なことだと思う。

その判別をたった一度間違っただけで、

取り返しのつかないことは往々にして起こるし、

その人を疑うことにも、関係を維持していくことへも、

結果、それによって判断が下される。







まだ多くの店が閉まっている朝の新宿で、

私は「こころ」について、考えていた。

自分は傷付きたくない。

けれど、相手を傷つけていることには気付かず、

言葉を凶器のように操り、

そして、それを凶器とした者が自滅し傷付いていく。






世の中には取り返しのつかないことがある。

どのような状況下であっても、やってはいけないこともある。

その欠如が結局は相手を傷つけるだけでは収まらず、

自分をもずたずたに切り裂き、カラスがごみを啄ばむように、

枯渇したこころが、より荒んだこころとなって表面化する。








こころは傷付いたり痛みを感じるためにあるのではなく、

温められるためにあるのだと、私は今も信じたい。




 

喧騒の新宿にて・・・・・・



 




 


解氷への優しい嘘

2007年09月16日 14時28分20秒 | エッセイ、随筆、小説

 

 

来週以降、あなたのすぐ傍まで行く用事ができたんだけど・・・

ご報告までに知らせるわね。






私は入院している彼へ、

メールを送らないと言いつつもしぶとく、3日ぶりにメールを送った。

すぐさま返信が届き、なんのために?とのこと。

もちろん、お見舞いなどと言ったら今までとおり拒絶されるのが関の山なので、

主治医からの紹介で私の疾患に精通している老医師に会いに・・・などと

嘘をついている自分が馬鹿で、まぬけで、おかしくてたまらなくなり、

なんでここまでするのだろう?という自問を胸に仕舞い、

近くまで行くのに声をかけないなんて失礼でしょう?と

さも、お見舞いが目的であることを隠しながら返信に宛てた。







当分入院しているから、病院に来れば会えるよ。

嘘?

会う余裕が多少は出てきた証拠だ。

拒絶ではなく受容、なんだか嬉しくて舞い上がった。









実は昨夜、ある方から言われた言葉がずっと胸にひっかかったままで、

「彼の心が見えていないのは、見せないようにしていることすら

あなたには何も見えていない・・・」と厳しく指摘を受け、

私はそれに返答ができず、下を向いたまま黙ってしまったのだった。

返答できなかったのは、そのとおりだからで、

点滴だけで3時間も苦闘を強いられる私を思えば、

彼の苦痛は想像を絶するものだとの想像容易い。

点滴の苦闘中はその闘いだけで精一杯であり、不安や恐怖に襲われ、

思考も感情も奪われてしまうことを、私は週に何度も経験していたはずなのに。

そこに加え、彼にはさまざまな問題を抱えている現実があり、

男としてのプライドも、意地も、弱さも、

私にはどうしても見せたくなかったことを理解してあげられるのは、

きっと、それも私の役割だ。








地球には空気がある分、天空より季節が遅れてやってくるのだという。

天体はすでに冬の装いで、オリオン座の位置を地球から眺めた場合、

晩夏でも、初秋でもなく、冬なのだという。








心の陰に染み入る秋風は、

これから訪れる冬の先鋒だけではなく夏の暑さで疲れた心を癒したり、

夏の太陽で実った作物を程よい程度に仕上げてくれる季節だ。









すべての予約を終了し、後は明後日の出発を待つだけの手配が済んだ。

してやれなかったとの悔いを自分に残すのが嫌だとは建前で、

やはり、医療を必要とする身であるひとりとして、

愛情を注ぐ相手として、ひとりきりにしておくことは女としてのプライドが

どうしても許さない部分だったのだろう。








あなたの子供を産んであげられなくなってしまった、とは言えない。

けれど、それでも一緒にいられる時間、

こうしたささやかな時間を重ねられることで私は十分だ。

いつか身を引くことになるだろう事態に備え、

ひとつでも多く彼との思い出を心に焼き付けたい。







私自身、ぎりぎりのところまで追い詰められてしまっていた。

医療の不具合や痛みや不安や恐怖に打ちのめされ、

そこに彼という拒絶が加わった。

私にはそれだけのすべてを受け止める許容など用意はなく、

根明でいることへも限界を感じていた。

だから、私は私が崩れないためにも、彼に会う必要があった。

管をいっぱいに巻かれた姿を見ることになるのだろうけど、

きっとよく来たね、といって迎えてくれる声が耳元で聴こえる。




 


娘への告白

2007年09月15日 17時04分24秒 | エッセイ、随筆、小説









昨日はごめんね、と娘が言うので、

なんで謝るの?と私は聞いた。

すると、だって、まいちゃん(私)が帰ってくるまで待てなくて、

いつの間にか寝ちゃっていたからさ。








それを娘は殺人的な眠さの襲来と名付けて、ひとりでニタニタと笑っていた。

男友達を呼び出して、青山で泣いてたの・・・・と言うと、

よく泣くねぇ~、今度は何があったの?と

聞き役に徹する姿勢をわかりやすくみせる。

ダイニングのテーブルに肘を付き、お茶を啜る。

それで?と言った表情を浮かべて、私の言葉をただ待ちわびる娘。








もうね、妊娠も出産もできないって言われると、

正直、それが薄々分かってはいたもののショックでね・・・・・と言うと、

いるじゃん、妊娠したじゃん、産んだじゃん、育てたじゃん、とまくし立て

まだ産むつもりだったの? と少し呆れた表情を見せながら、

私にもあと少しで手がかからなくなるんだから、

わずか21歳で頑張ってひとりで産む決心をして、闘ってきて、傷ついて、

お父さんは妊娠中に亡くなったと嘘までついて世の中を渡ってきたのだから、

もう、そんなに頑張ることはないよ、と娘に悟れてしまったのだ。

十分頑張ってきたのだから、もういいよ、と言って、

ほら、お茶でも飲んで、水分補給をして、

それでもダメならニューヨークへ行って来い。

お金は出せないけど、気晴らしになるよ、きっと。

あっ、バイト代があるから、それを使ってもいいよ、

出世払いということでの貸しね!








なんでお前は私の上をいつもいくのだ?

まだ、17歳だろう?

外見はちょっとおしゃれな女子高生そのものだろう?

胎児のときの記憶を再現するように、なぜ、私の過去を未来を

見据えるようなことばかり言って、私の荷を下ろすことだけに躍起になるのだ?

私は生まれた瞬間から、彼女には勝てなかった。

彼女に出会うために未婚の母になり、

彼女から多くのものを学ばせてもらい、

その都度、彼女の態度や言動から、

勇気やご縁や必然を感じる出来事を積み重ねてきたことが、

世間でいう子育てになっている。








お前さんはおばけか? と聞くと、まあね、と娘。

青山は泣く場所ではないし、男友達もそれは災難だったね、と言われ、

しまだのカレーうどんを食べたり、お茶のはしごをする場所であって、

あそこで泣いちゃいかんよ、女の株が落ちたね、と頭を2回叩かれた。









この17歳の腹の据わり方は尋常ではなく、

彼女は私とは違い、平穏な人生を歩むのだろう。

そしてまた何かあると私は彼女を必要として、叱咤され、諭され、

頭を小突かれたり、寝起きを襲われたりしながら、

そこに娘の彼氏やお母さんまで入り組んできて、

彼女の生き方を通して大切なものの教授に今後も時間を費やすのだろう。








一緒に悲しむとか、涙するとか、心配するとかないの?

一緒に落ち込んでいたら家の中が暗くなる。

私は元気だし、幸せだし、青春を謳歌しているし、自立しているし、

そんなに欲張りだったとは思わなかったと言われ、

バイトだから後はよろしく。

泣くんじゃないぞ!と17歳に言われ、また2回頭を小突かれ、

なんで2回なの? と聞くと、その調子、意識を別のものにシフトする!

私にはやっぱり彼女には敵わない。

だから、私を選んで、この境遇でも生まれてきてくれたのだ。














 

 

 


男心と秋の気配と身の引き方と・・・

2007年09月15日 10時49分06秒 | 医療

 







帰宅すると同時に携帯が鳴った。

2歳年下の男友達からのものだった。

電話では泣きそうだったのでチャットでの会話ならすこし時間をつくると無理をいい、

いいよと言って、友達は快諾してチャットでのやりとりとなった。








テーブルの上に常時置いてあるものが1cm動くと気付くタイプの友達。

いくら明るく振舞っていてもすぐさま私の変調を感知したらしく、

「僕でよければ話を聞くよ・・・・・というか、吐露した方がいいよ・・・・・」と言って、

またしても私はPC前でめそめそする羽目に。

「いつの間にお前は男をあげたんだ?」と言うと、

「やっぱり・・・」とビンゴゲームの景品が当たったように喜ぶ光景が目に浮かんだ。









「もう恋はしない」と私は言った。

けれど、それは嘘だった。

交通事故後にも何度か恋に落ちそうになりながら、やっぱり身を引いてきた自分を知っている。

それは思い出もあしたも空白のノートに書き記すことからはじめる恋だからこそ、

目前に出された優しさには一切手を出さずに、

体調を理由にもせず、今は人と付き合うつもりのない心境だからと言えたのだ。

けれど今回はどうも違う。

なにがここまで私を揺さぶって、苦しめ、女にしてしまうのか。

友人は言う。

「相手の気持ちを無意識に感受しているからこそ、

今まで彼にしてきたような強気の姿勢ではいられなくなってしまったのだ」と。








今までわかってはいても3年もの間、怖くて聞けなかったこと。

好きな人がいようといまいとそんなことは私には関係なく、

ただ、女性として子供が産めない体であるか否かは、娘をもうけていることとは話が別なのだ。

正直なことをいえば、私は先に書いた手術を受けた彼の子供を産んであげたかった。

結婚をしようとしまいと、彼の子供を私も欲しいとどこかで思っていたためだ。

今回、自分でも驚くほど自然に主治医への問いとなったそれへ、

主治医の愕然とする表情を目の当たりにして、それが答えなのだと知ったとき、

椅子から立ち上がることができなくなった私に、驚いたのもまた自分だった。









大好きで大好きで仕方ないんじゃない。

だから、お見舞いにも来るな、姿をみせたくない、手紙もお見舞いの品も心配もいりません、と

味気ない返信しか送れないのだと思うよ。

僕には彼の気持ちが痛いほどよくわかる。

けど、男って馬鹿だね。

それを素直に受け止めて、そこに飛び込めばいいだけなのにさ。

男のプライドなのか、意地なのか、それとも他に理由があるのか知らないけど、

突き放すけれど、他の男と幸せになれということまでは覚悟できていないと思うよ・・・・・










私たちには思い出がある。

お互いにお互いを愛しているという事実がある。

私が交通事故に遭ったとき、障害を抱えたとき、

確かに私も遠方の彼には詳細を伝えず、ひとりで乗り越えてきた。

今でも私の抱える不具合を嘘だと彼は信じている。

お互いが愛し合っていても付き合っているわけではなかった関係では、

年に数度、食事をする程度では、彼は本当の私を見抜くことなどできはしない。









そして奇しくも私と似た場所に難病を患った。

男性としての機能も、今までの彼のものは維持できないだろう。

私はそんなことなど関係ないし、

半身不随でも一生面倒みる覚悟でいることをすでに彼へは伝えた。

日本に忘れものをしたままタイへ来てしまったと思い続けた日々、

結局、私は彼の手術日にキャンセル待ちをタイ到着後すぐさま入れ、

ゆっくりしておいでよ、と言いながらも安堵している彼の心情が

海を隔てた土地へ、電子メールから伝わってくることに便利さと彼の本心をみたようで

やっぱり帰ろうと思ったのだった。

成田で体調を崩したことも、病院へ担ぎ込まれたことも、不調であることも、

彼は私のことをなにも知らない。

救護室に横たわりながら私は「成田に着いたわ・・・・・・」と

短いメールを送ると、すぐさま返信が届いた。

「モルヒネがないと泣きが入る痛さだよ。ゆっくりしてくればよかったのに」と言いながらも

やっぱり私が日本にいる事実だけで彼の心情に変化をもたらすことが、

恐怖から解放された子供のようで、

「手術、よく頑張ったね。生きていてくれてありがとう」とその返信に宛てたのだ。










愛情とは一体何なのだろう、と時々思う。

この一生懸命さは、どこからその力が湧き出してくるのか私にもまったくわからない。

ただそうだからこそ、一度決心したことは揺るがなくなる。

一生懸命やってもダメだったのなら・・・・・・とそれは自分を納得させる材料になるからだ。









一連の経過を友人に吐露した後、

僕をこんな真夜中に号泣させた代償は大きいぞ、と言って、

友人もPC前の自分の姿を恥ずかしいといいながらも告白した。

切ないね・・・・・と何度も繰り返し、なんで僕が男泣きするんだ?

男泣きするべきは彼だろうと言った。

いつかもし、機会があって彼に会うことができたときには、

僕は彼に伝えたいことがたくさんあることをここに宣言する!

 

 

 

秋だ。

真夏のように蒸し暑い今日も、秋の足音は確実に近づいていることを知らせる。

となりのおばあちゃん家から聞こえる木材を切る、電動で釘を入れ込む音、

ベランダでそれを眺めていると、

すべてが新らしく、木の香りが彼の住む土地を思い起こさせる。

星を眺めたいとわがままを言う私を、彼が案内した山頂へ続く道の匂い。









なにも考えずに、ただひたすら自然と戯れていよう。

風に吹かれていれば、きっと、平静を保つことができる。

雲を眺めていれば、きっと、上空にいたような無欲な自分になれるはずだ。