ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

再会~34年ぶりに会う母(草稿5)

2009年11月30日 | 手放す~しがみつくのをやめる時
波の音は聴こえなかった。

防波堤で囲まれた、夏には海水浴場になるという海辺に、

もう風は吹いていなかった。

朝の6時、目が覚めた私は、寒々しい部屋をぐるりと見回し、

静かな空気を感じていた。

何事もなくて、よかったと、ほっとした。

バカみたいに不安がっていた昨夜を思い出し、

人を信じることができなくなる自分を恥じた。


だれも、起きてはいなかった。 人の動く気配がなかったから。

7時、母が起きたようだ。 階下へ降りていく足音が聴こえる。


母は、小さな体だった。 もともと小柄であるが、

昨年癌の手術をしたせいで、21年前に会った時よりも幾分ほっそりしていた。

大きくて、キリッとした瞳は、65歳を迎えた今も美しかった。

背は低いが、手足が長く、姿勢がよい。

真っ直ぐに立った厨房での姿は、凛々しささえ醸し出している。

何が、貴女をそこまで落ちぶれさせたのか。 思いを巡らす。。。


朝ごはんを食べる前に、緑茶を何倍も飲みながら、

また話し始めていた。

私は、左手の親指と人差し指の間に走る激痛に耐えながら、

どんどん動かなくなっていく指に触れながら、

早くここから帰りたい、という思いでいっぱいになっていた。


悲しいほどに、ここから去りたかった。


指は、新潟へ向かう車中から、様子がおかしかった。

八戸から大宮までの新幹線の中で、少しずつ痛みが発症し、

越後湯沢から直江津までの電車の中で、どんどん痛みが増してきていた。


母の家の中、話し込みながら、どんどんどんどん

その痛みは強くなり、夜には動かせないほどになっていた。

精神的なもの、なのかもしれない。 

潜在意識の中に、私の頑なに拒否している何かが、症状として表れたのだと

思った。

一刻も早く、立ち去りたかった。 私の役目は終わったんだと思いたかった。


「お金を貸して欲しい。」

ついに、言ってはならない言葉を口にした母。

21年ぶりに会い、34年ぶりに同じ屋根の下で眠った翌朝の出来事にしては、

衝撃的すぎた。

表情には出さずとも、私の頭の中には大きくて立派な鐘が

ごわーーーん ごわーーーんと 鳴り響いていた。

ずっと、鳴り響いていた。


これで、最後だ。

私の自慢の娘達や夫を、ここに連れてくることは、

これでもう無くなった。

はい、終了! どっとはれ!

鳴り響いた鐘の音も、ぴたっと止み、私の思考回路もここで閉じられた。


少ないお金だったが、封筒に入れて渡した。

そのお金を持って、一緒にスーパーに買い物に行った。

お客さま用のお酒・ビール・食材と、母用のタバコ。

親孝行、これでもう十分にしたと思った。


昼を過ぎ、帰る時間がやってきた。

ようやく、やってきた。

私は、かなりクールであったかもしれない。

握手もせずに、車に乗り込み、さよならと言った。

母は、いつまでも、私の車の見えなくなるまで、手を振っていた。

私も、母の姿が見えなくなるまで、バックミラーを見ていた。

涙が、溢れてきて、

なぜか、涙が溢れてきて、

前の景色がにじんで仕方なかった。

ハンカチに化粧をぬぐいながら、高速道路を走った。


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