ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

再会~34年ぶりに会う母(草稿3)

2009年11月26日 | 手放す~しがみつくのをやめる時
おいしい手づくり料理だった。

34年ぶりに食べる母の味は、こんな味だったのか。

当時5歳の私には、とうてい思い出せない。

思い出すのは、キッチンに立って、するめを焼く母の後ろ姿と、

焼きあがるのを今か今かと待ちわびる自分。


離婚してから、水商売、小料理屋と経験を重ねたらしい母は、

料理の腕を上げたらしい。

料理が大好きだといい、いろんなお料理の作り方を口頭で教えてくれた。


父親違いの弟である男性が、家に入ってきて、一緒に夕飯を食べた。

背の高く、すーっとしたよい形の鼻、眉は濃く、額とともに少し突き出ていて、

目が奥まっていて、眼光は鋭い。 外人のような姿だった。

明らかに、堅気ではない様子が見てすぐにわかった。


幸い、私はどんな人でも、とりあえずは受け容れる方針を持っている。

こうした方々にも、割と普通に接することができる。

いや、一応弟という存在だからできることではあるが。


怖くはない

と言えば嘘になる。

怖かった

こういう時、彼の怒りに触れぬように びくびくして過ごすのは

逆に事態を悪くすることも知っていた。

だから、普通の人と接するように話しかけ、冗談を言って笑い、

彼のよいところを見ようと、私の眼光の方が鋭かったかもしれない。


実際、彼はとてもナイーブで、純粋で、素直な男の子だった。

不器用だし、環境もいいとはいえない家庭で、心閉ざし、

きっと多く傷ついてきたであろうことは、すぐに分かった。


そんな自分を受け容れてくれるところは、右翼団体やどこかの組しか

なかったのかもしれない。


同情はしていない。

ただ、こういう社会でしか生きていけない人間が

たくさん存在することに、憂いを感じるしかなかった。


三人で、こたつを囲んで、

「おいしいね。」と言って食べた。

この時、私は姉なんだと自覚した。


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