ゆずりは ~子想~

幼い葉が成長するのを待って、古い葉が譲って落ちることから名付けられた「ゆずり葉の樹」。語りつがれる想いとは・・・

ルーシーダットン体験

2007年12月13日 | これも自分あれも自分
本日は、「ルーシーダットン」を体験してまいりました!
え?南の島のルーシーが何をシトッタン?
   ↑
 お歳がバレルって

これはタイ式ヨガのことです。マットを敷いて、まずは呼吸法から教わります。
鼻で深く息を吸い、口からゆっくりと吐くという呼吸法。一つの動作の始まりの動作とともに吸い、終わりの動きに合わせて吐くのですが、慣れないていない私たちには、先生の次の動作を口にする前に、何度も吸ったり吐いたりを繰り返し、先生の呼吸の深さにびっくりしました。
「腹筋を使うこの呼吸法を練習するだけで、代謝が上がって、汗が出てきますよ。」とは、今回教えてくださった細くてスタイルがよくて、透明感のある素敵な女性。
ああ、先生みたいになりたい!とすぐに憧れる浅い私。。。

子連れでの体験会だったので、途中でエリーが私の足に絡みついたり、肩の上に乗っかったり、抱っこしながらのポーズだったりで、とてもとても筋肉痛です。
これがもし自宅で一人でやっている時なら、
「コラ!離れろーーー!!!」と怒鳴りつけるところですが、ここは一応他にもメンバーがいる部屋の中。少してへてへ笑いながら、でも目は笑っていない状態でエリーに接する私でした。目、笑ってなくて怖いから、余計にべたべたひっつき虫な子ども。。。
何度か連れてやっていると、そのうち子どもたちもこの空気に慣れてくるから、離れると思いますよ、と言ってくださり、本当にぜひ継続的に「ルーシーダットン体験クラブ」みたいなの、やりたいです。。。。


終わった後の、体の喜びと心の開放感がたまらないですね。
また、おねがいしようと思います。

三沢の小学校での、親子レクで体育館で200人の前でヨガ教室をしたり、NHKの講座やいろんなところで教えている方でした。
ありがとうございました。

キャンドルナイト~冬~

2007年12月08日 | これも自分あれも自分
友人のブログで、キャンドルナイトのことが載っていた。
あれ?キャンドルナイトって、夏至の時だけじゃなかったんだぁ!って感心。

蛍光灯を消して、テレビを消して、ろうそくのどきどきする灯りにほっとする時間。
八戸の冬ならば、暖房はちょっと消せないけれど、
部屋の明かりを消して、冬の時間をすごすのはとっても素敵になること間違いなしかもしれませんね!

そして、これはただ素敵でロマンティックなだけじゃなくて、資源のこと、環境のこと、原発反対運動のある裏側で、猛烈にアピールする電力会社の“オール電化住宅”キャンペーンのこと。
そんなこと考えながら、そんなこと家族で話しながら、私たちのこれからについて深めるのも、いいかもしれないよね。

私もキャンドルナイトします!あなたも一緒にいかがですか?

共生社会

2007年12月06日 | これも自分あれも自分
世の中に、いろんな価値観の人が混在しているのと同様に、障害をもつご家庭にも、それぞれにいろんな価値観の人が混在しています。
でも、考えてみれば、いろんな価値観というものは、障害のあるなしに関わらず存在しています。だったら私たちが恐れるのは何なのでしょうか。

いろんな価値観の中に「障害を取り上げないことに不自然さを感じている人」だって存在するはずなんです。このおかしな住み分け社会に、疑問を持ちながら、何かできたらいいのになと思っている人がいるはずなんです。そういう方たちは少数派かもしれないけれど、社会が動かなければ少数派が多数派になる可能性も限られてしまう気がします。
 
 彼女たちは様々な逆風の中を歩いています。同じ「子ども」という個体を育てているはずなのに、そこに「障害」がつくかつかないだけで、どれだけ世間の風当たりの強さを経験してきたのか、私には計ることができません。私があれこれ聞くことで、彼女たちの心をえぐってしまっているのではないかと感じながら、でもどこかでそれを打破しなければ、何も進まない!という信念だけを持ってお付き合いしています。

 私たち個人が、誰かに興味を持ってもらっていろいろと聞かれて、その後に音沙汰がなくなったら。そして、その時話したことが、他の人たちの間で話されていたら、それはそれはショックです。また、始めから遠巻きに見られたり、話しかけられなかったりしたら、これもまた自分に非があるのだと落ち込みますよね。彼女たちは、そんな経験を幾度もしてきています。きっと、私なんか及ばないほど。
 障害をもつ人の家族は健常の親子の気持ちが痛いほどわかるが故に壁を作ってしまい、健常者は、知らないが故に離れてしまうという現状。障害のことをもっともっと浸透させてしまえば、そんな壁も徐々になくなる気がするのは理想郷なのでしょうか?そこには、英語を話す外国人と、英語の分からない日本人の不自然な壁に似たものを感じましたが。

住み分け社会ではなく、共生社会。
少しずつそうなるように、気づいた時から何かを始められたら、理想郷は現実のものとなる気がします。

親の時間 八戸

2007年12月06日 | これも自分あれも自分
今日は、NPO・ボランティアミニ講座(託児つき♪)というものを受講しました。
「子育て広場となりんち」は、八戸市の「」市民活動支援センターわいぐさんに団体登録をしています。団体登録をしている団体には、このような講座の案内を送っていただいているようです。

私宛に届いた案内を見て、3回講座すべてが夜の開催であることで、子育て真っ只中のスタッフが多い「となりんち」には、とてもじゃないが毎回を誘うということができませんでした。いや、私でさえ3回は躊躇してしまいます。八戸の11月12月の夜は、しばれるんですからっ!!!
今日行った福祉会館の駐車場は、スケートリンクと化していました。足の裏すべてを駆使して、エリーを軽く持ち上げつつ玄関まで歩いたのです。恐すぎる。。。

3回の中で選択したのは、私たちの活動に直接的に関わりのある「話を聴きあうことの有効性と楽しさ」というもの。
八戸には、「親の時間」というピアカウンセリング・再評価カウンセリングを活用して子育てをしている親の負担や不安を取り除くために活動している方がいらっしゃいます。その方が、今回の講座の講師でした。

「再評価カウンセリングって何?」と思う方もいらっしゃるかと思いますので、簡単にご説明すると・・・。
講師の言葉を借りて、「人の話を、注意深く聴きあうカウンセリングの方法」です。
カウンセリングと言えば、クライアントの話すことをカウンセラーが聴くという映像が頭に浮かびますが、この再評価カウンセリングは、聴く人と話す人とが交代します。双方がクライアントであり、カウンセラーであるのです。そして、互いの話す時間を均等に決めて話します。3分ずつとか、5分ずつとか。
決めた時間内に話している間は、聴く側はアドバイスをしたり、批判したり、否定したりしないという約束のもとで聴きます。
また、ここで聴いた内容は、他にもらしたり、後日「あれからどうなった?」と聞いたりしないというルールがあります。

このルールの下で聴き合うという方法のおかげで、安心して話せるし、受け止めてもらえる場所となって、その人の生き方や考え方、子どもや家族への接し方がよい方向へ変わっていくと言います。

私は、山口にいた時に、この「再評価カウンセリング」を受講したことがあります。始め、どぎまぎしていて、緊張感から心が固く閉じていたのですが、車座になっていろんな命題に答えていくと、涙でぼろぼろになっている自分がいました。湧き上がる感情が、もう自分の器に収まりきれない!というように、様々な記憶がこぼれ落ちてしまったのです。こぼれ落ちた記憶と感情とを拾ってくれたのは、メインリスナー(ティーチャーと言う)の安積遊歩さん。そして、一緒に受講している仲間たちでした。あの車座は、私の今まで蓋をしていた記憶をそっくりそのまま受け容れてくれた、それは大きな大きな器でした。あの時があったから、今のぶれない自分がいます。感謝して止まず、そして忘れられない日です。

「親の時間」のHPがあるので、気になる方はぜひ。
(HPは、親の時間を札幌で開設した小野わこさんのHPです。妹さんである木村さんが、八戸で開設しております。)

子どもの話を聴くこと
子どもの涙を遮らないこと
子どもの怒りを止めないこと
そばにいて、優しく見守り、
出そうとしている感情を出させてあげる

再評価カウンセリングの基本を思い出した講座でした。
「となりんち」でも活用していきたいと思いながら、なかなかその心の余裕がないことを感じています。
あなたの話に気持ちを傾けて、受け止めてあげられる場所でもありたいなという思いを、改めて感じた講座。時々は勉強もしないと、忘れてしまうので。

「愛している」の言葉の重み

2007年12月03日 | これも自分あれも自分
人に気軽に「愛している」と言えなくなった。
・・・とは、HIVの認識を広めるために行われたコンサートに出演した歌手・絢香さんの言葉。
自分のためではなく、HIVに感染した知人や友人や知らない人のために動いている人たちがいる。そんな愛の形もあるんだと知ったことで、愛という言葉の重みに気づいたと話している絢香さんに、なんだか一瞬にして引き込まれてしまいました。

そんな話を聴きながら、ふと思い出したのは、私の「愛している」と言えなくなった時。
それまで軽々しく言っていた「愛している」という言葉を、軽く言えないほどの大きな愛に包まれた時でした。
この時私は、「愛している」という言葉を言えなくなった変わりに、「愛」の深さを知りました。

親から注がれる「愛」も、言葉にしない深い愛の一つかも。
深い愛に包まれることが、うっとうしくなったり、こそばゆくなったり。
何よりも、嬉しかったり。

12月はその文字だけで、なんだか愛が溢れている気がします。


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