の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

プノン・バケン山から見る落日

2015年08月09日 | カンボジア
アンコール三聖山の一つ、高さ60mのプノン・バケン山へ来ました。
西暦889年に王位についた第4代国王ヤショヴァルマン1(在位;889年~910年頃)によって、初めてアンコールに建設された都市「ヤショダプラ」の中心に須弥山(メール山)として、山頂に六層の須弥壇とシヴァ神を祀る神殿が建立されています。
都市の回りには、アンコル・トムの一辺3kmより大きい、一辺4kmの環濠を巡らせ、クレーン山から流れてきた聖水で満たしました。

東向きの参道は左右に二頭のシンハを配し、急斜面の石段は崩れ去ったままで、登坂が禁止されています。
山頂へは階段横から山を回りこんで神殿西へ通じる山道を登ります。

山頂の神殿は夕陽を見に集まった観光客でいっぱいです。
中央祠塔までは六層基壇の急こう配の石段を上ります。各基壇に60基、基壇の外側頂上部に44基の小祠塔、そして中央祠塔を囲む4基の祠塔と合わせて108基の祠塔が中央祠塔を取り囲んで林立しています。



石段の幅は15cmと狭く、仰角75度のピラミッド状の須弥山です。







東向き神殿の参道階段との間には平地が広がります。

神殿最上段から見るアンコール・ワットです。



中央祠塔の壁面に彫られた巨大な女神です。





神殿最上階にはたくさんの観光客が陽が沈むのを待っています。





西方には貯水池「西バライ」が横たわります。975年、ジャヤバルマン5世(第10代、969年~1000年頃)によって工事が開始され、1020年、スールヤヴァルマン1世(第13代、1015年~1050年)の治世に完成した、長編8km、幅2.2kmという巨大な人造湖です。
アンコールを巨大都市に成長させ、都市の人々に食糧を供給できる農地を確保しています。

地平線近くは雲が厚く覆っており、陽が沈むところは見られそうにありません。東南アジアの落日は毎日見ているので、下山客で込み合う前に早々と引き上げます。

アンコール・ワットとプノン・バケンを結ぶ夕方の道路はホテルへ戻る観光客と仕事帰りの地元の人たちで大渋滞です。


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夕食です。午後6時26分にレストランへ到着しましたが、まだ他にお客は来ていません。

おかみさんでしょうか、仏様に線香を供えています。

タイでは「ソムタム」でしょうか、青いパパイヤのサラダですが唐辛子は入っていません。

こちらは「パック・ブン・ファイデーン」、空芯菜を炒めたものです。やはり、唐辛子は入っていません。

川魚に春雨や細く刻んだ野菜が煮込んでいます。

午後7時27分に食事を終了、ホテルへ戻るのですが、ガイドがアプサラを紹介する、としつこく誘います。わざわざカンボジアまで来て・・・・と思ったのですが、日本人観光客は皆行くという言葉で、後学のため店だけみることにしました。
ガイドは価格を60ドルだといいます。カンボジアの物価からして、ずいぶんふかっけたなと思いつつ、1軒目を覗きます。照明を落とした暗いお店です。2軒目、3軒目と店を見てホテルへ戻ります。
翌朝、運転手に価格を尋ねると40ドルとのこと。この場合、運転手の取り分が10ドルとしてもずいぶん高いようですが、ガイドは2倍に吹っかけていたようです。また、翌日はガイドが換わり、こちらから価格を尋ねると80ドルという答えでした。

アンコール・ワット西参道へ

2015年08月08日 | カンボジア
帰路は第一回廊大塔門から西参道に出ます。

大塔門十字テラスから西参道の北側に下りて撮影です。



再び西参道に上ってきました。

次に西参道を南側へ降り、参道下を西塔門へ歩きます。およそ500mです。
アンコール・ワットは神殿内の石組や彫刻も秀逸ですが、須弥山を模した威容を誇る外観が素晴らしいです。王の偉大さを誇示すために領民と時間を注ぎ込んだ遺構です。
石材は45km離れたプノン・クレーン山の石切り場から、牛や象、筏で運ばれました。運搬に15,000人、石工3,000人、建築仕上げに1,000人、彫工1,500人、補助作業を加えて毎日25,000人が建築に携わり30年以上かかったと見積もられています。
当時のアンコール周辺は50万人以上の人口を抱かえた世界屈指の大都市でした。
建設された貯水池(バライ)や灌漑用水は、大都市に供給する食糧生産を十分にまかなうことができました。



右の建物は南経蔵です。

西参道の基壇部に施された彫刻が延々と続きます。





西塔門に安置されている神像です。



西参道入り口へ戻って来ました。

次に1km北にあるプノン・バケン山頂へアンコールの
夕陽を見に行きます。

アンコール・ワット、天空の女神たち

2015年08月07日 | カンボジア

南階段から第二回廊の内側テラスへ上ります。第二回廊は連子格子窓と内側にたくさんのデヴァター(アプラサス)で取り囲まれます。





第二回廊内側のデヴァターや装飾模様は未完成がたくさんあります。
鼓のデヴァターは輪郭の線彫りで終わっています。

四人のデヴァターです。それぞれ仕上がりの段階が異なり、彫刻作業の手順がよく分かります。

デヴァターの彫刻は終わっていますが、壁面の上部は手つかずです。

アンコール・ワット全体で約1,700体の女神が浮彫されています。



こちらの四人のデヴァターは完成間近ですが、崩壊も進んでいます。

振り返って第三回廊を見上げます。





デヴァターの数だけ女官のモデルがいたそうです。一体一体豪華な衣装の柄、装身具、頭飾りや宝冠そして顔の表情や身振りが異なります。

ふくよかな乳房が魅惑的です。







右に見えるのが中央祠塔です。



破風の彫刻を拡大しました。

この一帯も彫刻の剥離が進んでいます。







中央祠塔の四方に建つ祠塔の一つです。

























中央祠堂をめざし急階段を上ります。



第三回廊で上る急階段から見る第二回廊塔門の破風彫刻です。

第三回廊です。









第三回廊の連子格子窓から見る下界です。
















アンコール・ワット(乳海撹拌)

2015年08月05日 | カンボジア
第一回廊の東壁面へまわります。壁面は50mに及ぶ天地創造神話の乳海撹拌です。

神々「デーヴァ」とアスラ(阿修羅)が不老不死の妙薬「アムリタ」を得るため、マンダラ山に大蛇「ヴァースキ」を巻き付け撹拌棒にし、左右から引っ張り大海を撹拌します。
1000年の間に大海は乳色に変わりますが、マンダラ山は地下界へ沈んでいきます。

左にはヴァースキの頭を引く91人の阿修羅です。



神々はヴィシュヌ神に助けを求め、マンダラ山を引き上げてもらいます。
ヴィシュヌ神の化身、大亀「クールマ」は甲羅でマンダラ山を支えます。


一番上はマンダラ山の頂をつまんで引き上げるヴィシュヌ神です。真中は阿修羅と神々の間に立って撹拌を手伝うヴィシュヌ神です。
そして、さらに1000年間撹拌すると乳海から太陽、月、ラクシュミー(吉祥天)、アプサラなどが現れ、最後にアムリタが出現します。
ヴィシュヌ神の右手にアムリタの容器があります。

ヴィシュヌ神が変身した大亀クールマです。

右側は渾身の力を込めてヴァースキの胴を引く88人の神々です。

天空では水の精「アプサラ」が舞います。海の中では驚いた魚や海獣が逃げ回ります。



天空で舞うアプサラです。

神々の間に助けに入った大身の神「デーヴァ」です。

アムリタは神々と阿修羅の奪い合いになりますが、神々が手中に収めます。
(別項でラフーの横取りを記載しています。)

いよいよ南参道から中央祠堂へ登っていきます。

アンコール・ワット(天国と地獄)

2015年08月02日 | カンボジア
第一回廊の南壁面の東側には死後の世界を表わした「天国と地獄」に彫刻です。これはアンコール・ワットが墳墓寺院だといわれる根拠になっています。
壁面彫刻は3段で構成されており、上段と中段は極楽浄土へ向かう王と王妃、それに王の家族、高官、従者たちが行列を作っています。下段は地獄を表わしています。

上部二段の道は、篤信する王侯、高官、女官たちが進んでいます。下は地獄への道です。





輿に乗って閻魔大王(ヤーマ天)の審判の場へ進む王妃です。



下段の地獄では獄卒に責めを受けているところです。

王妃とかしずく女官たちの別れです。これからみんな閻魔大王(ヤーマ天)の審判を受けます。

中段は審判へ足早に進む王と王妃の輿です。下段は地獄の獄卒に引き立てられ、象に踏みつけられる亡者たちです。

下段では首にひもをかけ、棍棒で殴られながら引き立てられます。

中段の王の輿です。

地獄図です。舌抜きの刑でしょうか。



首絞めの刑だそうです。

磔地獄、身体じゅうに釘を打ち込まれて、苦痛で顔がゆがみます。

この一帯の上段は雑な修復作業によって浮彫が剥がれてしまったそうです。