の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

ソンクラーム川流域の古陶を訪ねて(アーカッド・アムヌアイ)

2014年01月08日 | サコーン・ナコーン
■明けまして、おめでとうございます。お正月に北へ旅行をしていました。ピサヌロークからパヤオ、ナーン、プレー、シーサチャナラーイ、チャイナート、スパンブリーと8泊9日で周っていましたのでブログのアップができませんでした。
昨年の正月旅行から始めたブログですが、春分の日のクメール遺跡からの日の出、ソンクラーン祭り、そしてオークパンサーまでとんでしまいましたが「の~んびり」のし過ぎでまだオークパンサーが終わっていません。
引き続きオークパンサーの行事を紹介しますのでよろしくお願いします。

「オークパンサー」(陰暦11月の満月の日)当日です。ナコーン・パノムで催される「ライ・ルア・ファイ」を見るため移動です。
ナコーン・パノムはメコン川に沿った小さな町で、サコン・ナコーンからだと約80km離れています。
サコン・ナコーンの北部にはソンクラーム川が蛇行しながら東西に流れてメコン川へ合流しています。ソンクラーム川流域にラーンサン王国時代の14世紀から16世紀頃の窯址が存在するので寄って行くことにします。
サコン・ナコーンから国道22号線を東へ走り、国道2346号線を北上、「ナ・ワ」、「アーカッド・アムヌアイ」、そのまま国道2094号線を北上しソンクラーム川を越え、「ブーン・カン」県をかすめて国道2417号線から国道212号線をメコン川に沿って「ナコーン・パノム」へ向かいます。

早朝ホテルの駐車場で地元の織物販売していました。プー・タイ族の赤を基調にした織物はないようです。

サコン・ナコーン市域の北西にある市の門です。このまま国道22号線に継がります。

長閑な田園地帯を走ります。この一帯は水利が良いようで稲が育っています。ノーンハーン湖からの水を利用しています。
イサーンの大半の地域で稲の生育は雨季(5月から10月)の降雨を利用した年1回だけです。従って、この時期は稲の刈り取りを終え、乾燥した農地しか見かけません。ただ、川沿いなどの水の豊富な区域では1年に4回の米の収穫が可能です。
東部では政府が水資源確保のため年3回を指導しているようです。

「タ・ムア」の村を走行中に古陶器を集めている寺院があったので寄ってみました。「ワット・ポー・チャイ・ナー・ムア」です。



ラーオ様式の四面仏塔もあります。塔頂部はプラタート・パノムの菩提樹と酷似しています。

庫裡を覗くとたくさんの壺が置いてあります。ほとんどの壺は破損していますが、まぎれもなくソンクラーム川流域で14世紀から16世紀にかけて生産された古陶器です。
僧侶の説明では、村民が持ち寄ったもので将来は博物館を造る予定とのことでした。発掘品でこの一帯にも生産拠点があったようですが、窯址は農地に転用するため壊されてしまったようです。




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■お寺にタンブンをし、3点の陶器を頂戴してきました。
灰釉双耳壷、釉薬は還元がかかり緑色を呈しています。底はソンクラーム川流域の特徴である静止糸切痕が残っています。口部は朝顔状に広がっていたと思われますが欠損しています。

焼締櫛目波状文鶴首瓶、首部は欠損しています。

焼締櫛目波状文鶴首瓶

合わせて、お寺のお守りを24枚頂戴しました。
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さらに進むとやはりラーオ様式の仏塔の建つ寺院があったので寄ります。寺院の名前は記録していませんでした。
寺院の仏塔です。

この村の家々は軒先で手工芸品を作っているところが多いようです。こちらは糸を紡いでいます。

竹を薄く削いでいるところです。
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午前10時に「アーカッド・アムヌアイ」に到着です。「アーカッド・アムヌアイ郷土学習センター」へ行く道路は市場が開かれていて、乗用車は入っていけません。





徒歩で「アーカッド・アムヌアイ郷土学習センター」へ到着です。

表には農具が展示されています。牛に牽かせる荷車です。中央の荷車には竹で編んだ大きな籠が一体になっています。後方はこの地域の古い民家が移築されています。

館内には民具、前史時代の石器、土器等と一緒にソンクラーム川流域で生産された古陶器が展示されています。

青銅器、鉄器です。奥の錐は新しい物のようです。

型押し用の印判です。イサーンでは紀元前3000年から2000年頃のものと推測される「バーン・チエン遺跡」が有名ですが、他の区域でも有史以前の遺物がたくさん発掘されています。その中には古代から繊維に模様を型押ししていた痕跡が発見されています。
発掘された古代人の遺骨は、現在周辺に住むタイ人とは異なる特徴を呈する民族のようですが、高度な文明をもった、おしゃれな人達だったようです。

ソンクラーム川流域の古陶器展示棚です。
同じ技法の陶器はラオスのルアンパバーン、ヴィエンチャンでも出土しています。ラオスからメコン流域を含むイサーンを支配下に置いたラーンサン王国で14世紀から、ビルマに占領される16世紀末頃までが生産期間だろうと言われています。









褐釉の壺です。S字の渦巻き耳を貼り付けています。サンカロークをはじめタイ北部窯にも同じS字渦巻き耳を見かけます。
6世紀頃にはモン族がイサーンに進出、やがてクメール族が交易路を求めてイサーンからタイ中部地域へ覇権を拡大、その後、弱体化したクメール勢力をラオ族のラーンサンが駆逐しイサーン一帯を支配、以後スコータイ、ラーンナーやタイ北部の諸王国と攻防が繰り返されて、侵略国は自国の国力増強のため征服地の住民を拉致、農民や職人は奴隷として連行。このようにしてイサーン南部で興った陶器生産は宗主国、中国からの刺激を受けながらタイ北部へ伝播していったのでしょうか・・・。

下膨れの「焼締蕪形双耳瓶」で平板から形ちどった、犬の耳を思わせる「耳」が貼り付けてあります。
ビルマの小壺にもよく似た「耳」がついています。

同じく焼き締めの長首瓶で肩に櫛目の波状文が刻まれています。この瓶の「耳」は猫耳になっています。
本体のろくろ成形は、いずれもこなれた手できれいに仕上げられていますが、耳はとってつけたような雑な仕事がしてあるように思えます。分業による、ろくろ成形と後工程の作業者の技量差でしょうか。

陶土をひも状にし貼り付けた耳もあります。



写真の男性は郷土学習センターの職員で展示物の説明をしてくれました。
ただ、窯址へ行きたかったのですが、誰も所在を知りませんでした。
ナコーン・パノムのソンクラーム川下流域で川沿いの村人に窯址を尋ねると、「かっては川の流域にあったが、毎年繰り返される川の氾濫で、全て流されてしまった。」とのことでした。

プラサート・プン(ろう細工の寺院奉納祭り 2)

2013年12月26日 | サコーン・ナコーン


午後5時を過ぎました。すっかり陽が西に傾いてしまいました。パレードはまだまだ続きます。









パレードは市街を巡回します。サコン・ナコーンの市街は1km四方で、市街の北から東へノーン・ハーン湖が広がります。パレードがスタートするミン・ムアン広場は北東の角にあって小高くなっています。写真にように緩やかな下り坂を進んでいきます。











すっかり暗くなり照明が必要となりました。



プー・タイ族の糸紡ぎです。プー・タイ族の織る絞り染めの糸を用いたマットミーは「絹の女王」と称されて、鮮やかな赤の色使い、品質の良さで有名です。

少女が肩に巻いている織物は「ライ・ティンチョク」と呼ばれる伝統模様のプー・タイ族の「パー・サバーイ」(肩掛け布)です。この赤を基調にした「パー・サバーイ」はパレードに参加している多くの女性が肩に掛けたり、頭に巻いたりしています。
「パー・シン」(筒型スカート)もやはりプー・タイ族の伝統的な模様の綿織物です。裾には着用してすり切れた時に交換できるように別布が縫い付けられています。

山車にも明かりが灯ります。









午後5時45分、最後の山車が来ました。







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最後の山車が去った後で空中パフォーマンスが催され、午後6時30分に祭りは終了、午後7時30分にホテルへ帰り着き、夕食です。
「プラサート・プン」はイサーンの祭りでは有名なのですが、観光客は非常に少ないようです。ホテルも宿泊客が少なく、食堂もテラスには誰も座っていません。蝋細工の寺院というのが地味なのでしょうか・・・。
明日は「オーク・パンサー」ナコーン・パトムの「ライ・ルア・ファイ」(灯明船祭り)へ行きます。こちらは灯明船をみる観客で埋め尽くされます。
なお、サコン・ナコーンでは明日の早朝「プラタート・チューン・チュム」で、寺院に籠っていた僧侶が修行を終えて外出するのを待ってタンブンが行われます。


プラサート・プン(ろう細工の寺院奉納祭り 1)

2013年12月23日 | サコーン・ナコーン
■午後4時を過ぎていよいよパレードが始まります。15分ほどの遅れです。タイで催しが定刻に始まることは稀で、開始時間が遅れるは、ほとんどの場合が主賓の到着遅れが原因のようです。



先頭の「プラサート・プンとボートレース、サコン・ナコーン」と書かれた横断幕が進みます。
ボートレースは二日前にノーン・ハーン湖で開催されています。

先頭を歩いているのはバラモン僧です。「ラップ・ブア」で仏陀の船に乗っていたのも白衣を着たバラモンでした。

続いてバイ・シーを掲げた男性群団です。後ろに鉦が続きます。
男性だけがバイ・シーを持って行進するのを初めてみました。

台車に乗ったバイ・シーです。

担がれたバイ・シー、そして女性が登場です。





女性が持っているのは、花を形ちどった蝋です。





いよいよ各地区のパレードが登場です。
先頭は各区域名を表示した横断幕、もしくはプラカードを持った女性、次にお供えやバイ・シーを持った女性、おかまちゃんやニューハーフも多いです。
そして民族舞踊が続きます。
プー・タイ族の習慣が始まりと言われるだけあって、プー・タイ族の民族衣装を着た区域が多いようです。



踊りの後に、荷車に乗った仏塔、仏陀と天人に見立てた美女が乗った花車、プラサート・プンへと続きます。

警備のお巡りさんです。

荷車に乗った仏塔(?)です。バイ・シーと同じバナナの葉で造り、蝋細工で飾られています。


仏陀、美女を乗せた車の次がプラサート・プンです。















おかまちゃんも颯爽と歩いています。

バナナの茎に貼り付けた蜜蝋が奉納されます。











ベトナムの花嫁、花婿でしょうか・・・。



意匠を凝らし区域のパレードは続きます。

プラサート・プン(ろう細工の寺院奉納祭り)を待つ人たち (2)

2013年12月19日 | サコーン・ナコーン
■プラサート・プンは12基、12の区域からの参加です。時間が経つにつれて、参加する人、見物の人が増してきます。
パレード開始までの寸景の続きです。

午後3時30分です。ミン・ムアン広場前のサイ・サワン通りは行進の山車がきれいに並んでいます。

胸と足に刺青、胸には「パヤー・ナーク」(竜王)の絵柄が多いようです。やはり「プー・タイ族」の風習です。

背中の刺青は「ハヌマーン」(孫悟空のご先祖様)です。





孔雀の羽を手にした踊りはこの地方独特のものです。





こちらも「プー・タイ族」の衣装を纏った男女です。



参加する美女を撮影していると、次から次へと人数が増えてきます。後ずさりしながら、最後は人物がこんなに小さくなってしまいました。







青空に屹立する尖塔がきれいです。

いずれ劣らぬ美女軍団です。仮装ではなく、心は女性です。寺院に奉納する「バイ・シー」を持ちます。



この美女は参加者の着付けや化粧をしています。



こちらは本当の美女です。

午後4時8分です。パレードはまだスタートする気配がありません。タイでは時間厳守、時間励行という思想は根づいていません。良く言えば「おおらかな国」、約束した時間でも2時間以内の遅れであれば許容範囲です。

ベトナム女性です。メコン川流域のイサーンには1800年代前半にラオス、ベトナムから多くの少数民族が移住してきました。プー・タイ族もベトナム北部から来た民族ですが、近世になってからはベトナム戦争中にたくさんのベトナム難民がメコン川を渡ってきました。停戦後帰国せず、タイに帰化した人も相当いるようです。

サイクロー・イサーン」です。米と豚肉、にんにくが腸詰されています。一粒が1バーツです。







やはり散水は欠かせません。



着付けを直しているのは、やはり男性(?)です。

こちらも参加の美女2名です。



こちらの組も撮影をしていると区域を書いたプラカードも一緒に撮影しよう、ということになりました。
みんな写真撮影されることが好きです。



「プー・タイ族」の民族衣装を着た女性たちです。

こちらは正真正銘の女性です。


プラサート・プン(ろう細工の寺院奉納祭り)を待つ人たち (1)

2013年12月18日 | サコーン・ナコーン
■午後2時前に再びミン・ムアン広場にきました。午後4時にパレードが開始まで2時間あります。
パレードの開始を待っているサコン・ナコーンの人たちを撮影しました。


僧が最後の仕上げを行っています。大きなバイ・シーと仏陀を乗せた先頭車両のようです。





「プー・タイ族」の衣装を纏った女性たちです。
タイの3大美人出生地はタイ北部のチェンラーイ、チェンマイ、そしてイサーンの「レーヌ・ナコーン」です。「レーヌ・ナコーン」はサコン・ナコーンの東50kmにある町ですが、ベトナム北部から移動してきたプー・タイ族が住み付いた場所だといわれています。1970年の資料ではメコン川沿いを主体に、イサーン全体で13万人が住んでいたようです。













いよいよ一台目の山車がミン・ムアン広場のゲートをくぐり抜けサイ・サワン通りへ行きます。

見学に来ている地元の小学生たちです。





地元の大学生です。彼らが製作した山車です。





山車の前で記念撮影をする人たちです。



寺院の屋根に尖塔が取り付けられると荘厳さが増します。









プラカードを持つ美女たちです。








続きます。