■プレーに向かって出発です。プレーはバンコクから北に551kmのヨム川沿いに位置し、シー・サチャナライからだと国道101号線を北上、シー・サチャナライ新市街を過ぎて国道102号線を東へ走行、ウタラデットの市街を突抜け国道11号線に合流し再び北上、約40kmの登り道をどんどん上がって行きます。デン・チャイの三叉路で国道11号線はシー・サチャナライから北上してきた国道101号線と交差、国道11号線はランパーンからチェンマイへ通じています。デン・チャイの三叉路を右折すると再び国道101号線となり、プレー市街まで坂道を走行します。プレーの街は周りを標高1650mのドイ・ク・サタン山等の高いや山に囲まれた盆地にあります。
プレーは歴史は古く、7世紀にはモン族の国家が成立し「ポン・ナガラ」、「ムアン・ポン」、「ムアン・ペーン」と呼ばれていたそうです。その後927年から1017年はクメールの統治下となり「
コーサイ・ナコーン」、「ウィアン・コーサイ」と呼ばれます。「コーサイ」は絹のサテンを意味します。
クメールの覇権が弱まると独立しますが、12世紀にはスコータイに服従、町の西にある「ワット・プラタート・チョー・ヘー」は1336年から1339年頃にスコータイの副王だったリタイが建立しています。1340年にはラーンナーが侵攻、1443年にラーンナーのティローカラート王に併合され独立国としてのプレー王国は滅びました。1460年からはたびたびアユタヤから攻撃をうけ、ラーンナーがビルマの支配下に入ると、プレーもビルマに支配されました。
いずれにしても、強国が覇権を争う中間位置に成立した小国家プレー王国は、常に強国にに翻弄されながらも1397年から1398年にはカーオ王国に侵入、占領しています。
午前8時50分にシー・サチャナライを出発し、120kmを走行、正午過ぎにプレーに到着しました。
今回の全走行地図です。往路は青色、帰路は緑色です。
全日程11日間で走行距離2071kmです。
とりあえず本日の朝食です。
ウタラデットを過ぎ、デン・チャイへ向かう国道11号線は走行車両も少なく快適です。
休憩所です。かなり高い位置にあります。
休憩所から見える走行してきた道路です。まだこの先、坂道を上り続けます。
午前11時13分、デン・チャイの三叉路です。左折は赤信号でも進めます。右折は信号待ちです。あと22kmでプレー市街です。
ソンクラーンの交通規制で迂回、迂回を繰り返し「ワット・ルアン」の門に到着です。
プレーでは、本日もソンクラーンの水撒き中です。
「ワット・ルアン」の門の両側に鎮座する 「シン」です。
829年、町の建設と同時期に建立されたというプレーで一番古い寺院です。
「プラタート・ルアン・チャイ・チャーン・カム」と呼ばれるチェンセーン様式の六角形の仏塔です。
鐘楼です。
煉瓦積みの祠堂は建国時の城壁門だったそうです。現在は改造され門内に壁が造られ祠堂となって、伝説上の君主「ルアン・ポン」が祀られています。
道路側から見ます。
屋根飾りはプレー王国の象徴たった聖鳥ハンサが飾られています。
本堂入口のパヤナーです。
本堂です。

本尊の「プラチャオ・セーン・ルアン」というチェンセーン様式の仏陀です。
本堂の入り口に描かれた壁画です。
200年前の、チーク材で建築されたラーンナー様式の建物が博物館になっています。
門が閉ざされているので僧侶にお願いして開けていただきました。
幾重にも施錠されています。
1階は古い武器類、陶磁器、民具などの展示です。棚に入っているのは刀剣などの武器類です。
伝世品でしょうか、プレー王国時代に使われた陶器です。
奥の中央にカロンの動物を描いた鉄絵瓶があります。右の首が欠けた無釉瓶はサコーン・ナコーンのソンクラーム川流域窯で焼かれています。左とその前のある緑釉、緑釉掛けの瓶は、ナーンでもたくさん出土していますが、窯は不明です。ラオスから持ち込まれてたのではないかと思っています。手前中央はナーンのボースアックで焼かれた瓶です。
説明文は1700年代のサンカロークとなっていました。
ちなみに、一番右に少し写っている青磁もボースアックです。
サンカロークもありました。
低温焼成はラオス製でしょうか。
二階は仏像が展示されています。


プレーは歴史は古く、7世紀にはモン族の国家が成立し「ポン・ナガラ」、「ムアン・ポン」、「ムアン・ペーン」と呼ばれていたそうです。その後927年から1017年はクメールの統治下となり「
コーサイ・ナコーン」、「ウィアン・コーサイ」と呼ばれます。「コーサイ」は絹のサテンを意味します。
クメールの覇権が弱まると独立しますが、12世紀にはスコータイに服従、町の西にある「ワット・プラタート・チョー・ヘー」は1336年から1339年頃にスコータイの副王だったリタイが建立しています。1340年にはラーンナーが侵攻、1443年にラーンナーのティローカラート王に併合され独立国としてのプレー王国は滅びました。1460年からはたびたびアユタヤから攻撃をうけ、ラーンナーがビルマの支配下に入ると、プレーもビルマに支配されました。
いずれにしても、強国が覇権を争う中間位置に成立した小国家プレー王国は、常に強国にに翻弄されながらも1397年から1398年にはカーオ王国に侵入、占領しています。
午前8時50分にシー・サチャナライを出発し、120kmを走行、正午過ぎにプレーに到着しました。

全日程11日間で走行距離2071kmです。
**************






プレーでは、本日もソンクラーンの水撒き中です。














幾重にも施錠されています。



説明文は1700年代のサンカロークとなっていました。
ちなみに、一番右に少し写っている青磁もボースアックです。




