

苦行では悟りを得られなかった太子が菩提樹の下で瞑想に入りました。太子の成道を妨害する魔衆を右手を大地に触れて退散させ、悟りを開かれた仏陀の生涯で一番重要な場面です。
本品は菩提樹の下で右手を大地に触れる降魔印坐像の仏陀、基壇には向かい合う二匹の魚、菩提樹には二羽の鳥がとまっています。裏面右下には溶けた緑色の釉が付着しています。高温焼成された磚仏です。
高さは5.5cm、最大幅が3・3cm、肉厚9mmです。
メー・カチャーン、バン・ドン村の通称「ワット・カロン」の遺跡から出土しました。



解説は「プラ・ヨート・クン・ポーン・パヤオ・ピン・ノック・プラー(・ナン・タイ・トンマイ)」パヤオ様式の磚仏で魚、菩提樹に二羽の鳥がとまっている。ワット・ソッブ・ロン・クイ出土、となっています。
「プラ・ヨット・クン・ポーン」は仏陀の様式を表す、北部独特の呼称で、パヤオについては、造られた土地を示し、カロン、ナーン等と変化するそうです。
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ナーン北部のタ・ワン・パーにある「ワット・ノンブア」の壁画に酷似しているため見たかったのですが、博物館の受付で、図録を見せてどこにあるか尋ねると、現在修復に出しているとの返事です。僕は壁画だと思っているから詳しく尋ねると、1メートル四方ぐらいの布に描かれた宗教画だと言うことが判りました。タイで1人に聞いて納得するのは大変危険で、本堂にいた僧侶に確認すると、現在新しい博物館を建設中で、開館に合わせて芸術局に依頼して修復中だと言うことが分かりました。



ワット・ノンブアの礼拝堂入口の上に書かれた壁画です。この上方に横たわる仏陀とインドラ神が描かれています。

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展示されている陶器を見るとメー・カチャーンで生産されたカロンが以外に多いことに気付きます。(右端の青磁瓶はパーン窯です。)
メー・カチャンを流れるメー・ラオ川は、北上してチェンライへ至り、コック川と合流してチェンセーンでメコン川へ注ぎます。カロンの陶器はメー・ラオ川を利用し、途中から陸路をパヤオやプレーへ運ばれてきたようです。
現在の道路で距離を見ると、メー・カチャンから国道118号線を通って国道1号線の交差点まで85kmです。川の場合だと蛇行が多いので相当距離は延びるでしょう。メー・ラオ川に架かる国道1号線の橋からウィアン・パヤオまで67kmの距離です。
メー・カチャンから山を隔てたワン・ヌアを流れるワン川は南下してランパーン、ターク、カムペーン・ペットへと流れています。
一般にワン・ヌアといえば青磁を指して、知名度も低く現存数も少ない「ワン・ポーン」も含めて「ワン・ヌア」と呼ばれ、青磁以外はカロンと一括りにされていますが、ワン・ヌア区域のカロンも大量に生産されています。ただ、鉄絵に限ればワン・ヌアのバン・ワン・モン一帯の畑に散乱する陶片とカロン一帯の丘陵地に散乱する陶片の絵付けは全く異なる特徴を示しています。



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