新体操の世界選手権で、皆川夏穂さんが出てくれたおかげで、報道の少ない新体操も、少し報じられてて。
それで、優勝したロシアの若手、ディナ・アベリナの演技を一部、チラ見してみたのだけど、まあ、競技選手として、上手だなあ、という域。。(ちなみに、13位の皆川さんは、私的には好きな選手。見る側は楽しいだけだけど、新体操は、過酷なスポーツで、その分活躍時期が短くなるのかな?と思うと、息長くやれる人の、観客に見えない労力が偲ばれる。
※(9/22訂正。皆川さんの順位を間違って記載しました。申し訳ありませぬ。お詫び訂正。個人総合13位で、五輪の日本出場枠、獲得、らしいです。詳細は、関係HPでご確認下さい)
新体操は、長い歴史の中で、不思議な魅力を持つスター選手の少女たちを多く輩出してきた、不思議ジャンルで、昔の魅力的な選手は枚挙にいとまがない。
その中でも、振り返ると、今の自分の気分としては、神がかってた、ヤナ・クドリャフツェワの演技が、一番、「新体操以上のものを見せられた」感動の特別感が大きかった、と、ちょっと思い出していた。
今回の、ディナ・アベリナ選手等は、普通に、新体操を見た気分で、技術すごく上手だなとは思うけど、それ以上の気持ちにはならない。
(過去に凄すぎるものを見てると、今の凄い選手を見ても、ちょっと、贅沢になってしまっているのだと思う。世界女王は、充分、凄いんだけど。観客って、我儘な生き物で。)
それらと、ヤナ・クドリャフツェワの世界は、全く別物だと、改めて思う。
バレエの目指すべきものを持っていた。
身体の使い方、全身の表情、常に床上で、全ての動きが美を表現してる、どの瞬間も。創造性に満ちていて、競技で、何でそこまでやるの?と思うほど、芸術性が高かった。
こんなものを見られて、見た方も、人生が一段豊かになったような気にさせられた。
手具が彼女の分身の様な、手具にも生命があるように見えて、彼女と共振しながら、一つの世界で音楽を表現していた。
時間がないので、ボキャ貧失敬。
一方、その前の時代のエフゲニア・カナエワの演技を見ると、各々、その世代の世界女王とはいっても、この二人は、見せているものが、根本的に違う、と気づく。
カナエワの方は、キャリア後半の円熟期の演技を見たせいもあって、周囲を囲み、見守る観客に、彼女自身を見せている印象が強かった。新体操選手として総合的に安定した実力はあるが、容姿にも恵まれ、女性的な魅力もふんだんにあって、観客は彼女への愛情が強く、技術を決める前から、拍手したがってるモード。
過不足なく美しい手脚の動きも、新体操の技術を見せると同時に、彼女の女らしく美しい肢体が、しなやかに動くことで、一層、見る者の脳裏に強く印象付けられる。(カナエワは総合的に優れた選手だったので、彼女の魅力は、それだけにはとどまらないけど、ここでは割愛。)
どちらも素晴らしいと言えば、言える。けれど。
カナエワの様な素晴らしい女性美を見せる優れた選手は、他にも出る可能性はあるし、何より、舞台芸術に近い世界で、「観る」事に、至福の体験をくれた、という点で、今は自分は、やはりクドリャフツェワの新体操の世界が、一番好き、だと思った。
生きることの意味。何のために生きるのか。恋愛とか、仕事とか、人生に素晴らしいことは色々異なる種類があるけれど、
自分は「観る」事も人生の一部な人間なので、ヤナ・クドリャフツェワの演技の世界は、・・こういうものを見るために、こういう観る至福の体験をするためにも、人生はあるのだ、という気分にさせられる。
時をとめて、しばし、他の事をやめにしてまでも、味わいたくなる。
ヤナ・クドリャフツェワ。新体操界の異才。ロシア天才少女群の中でも、神の巫女のような、再び見ることのない不思議な世界を見せてくれた、人間界に迷い込んだ、妖精のような選手だった。
彼女を試合で呼んでくれた、イオンカップさん、ありがとう!
それで、優勝したロシアの若手、ディナ・アベリナの演技を一部、チラ見してみたのだけど、まあ、競技選手として、上手だなあ、という域。。(ちなみに、13位の皆川さんは、私的には好きな選手。見る側は楽しいだけだけど、新体操は、過酷なスポーツで、その分活躍時期が短くなるのかな?と思うと、息長くやれる人の、観客に見えない労力が偲ばれる。
※(9/22訂正。皆川さんの順位を間違って記載しました。申し訳ありませぬ。お詫び訂正。個人総合13位で、五輪の日本出場枠、獲得、らしいです。詳細は、関係HPでご確認下さい)
新体操は、長い歴史の中で、不思議な魅力を持つスター選手の少女たちを多く輩出してきた、不思議ジャンルで、昔の魅力的な選手は枚挙にいとまがない。
その中でも、振り返ると、今の自分の気分としては、神がかってた、ヤナ・クドリャフツェワの演技が、一番、「新体操以上のものを見せられた」感動の特別感が大きかった、と、ちょっと思い出していた。
今回の、ディナ・アベリナ選手等は、普通に、新体操を見た気分で、技術すごく上手だなとは思うけど、それ以上の気持ちにはならない。
(過去に凄すぎるものを見てると、今の凄い選手を見ても、ちょっと、贅沢になってしまっているのだと思う。世界女王は、充分、凄いんだけど。観客って、我儘な生き物で。)
それらと、ヤナ・クドリャフツェワの世界は、全く別物だと、改めて思う。
バレエの目指すべきものを持っていた。
身体の使い方、全身の表情、常に床上で、全ての動きが美を表現してる、どの瞬間も。創造性に満ちていて、競技で、何でそこまでやるの?と思うほど、芸術性が高かった。
こんなものを見られて、見た方も、人生が一段豊かになったような気にさせられた。
手具が彼女の分身の様な、手具にも生命があるように見えて、彼女と共振しながら、一つの世界で音楽を表現していた。
時間がないので、ボキャ貧失敬。
一方、その前の時代のエフゲニア・カナエワの演技を見ると、各々、その世代の世界女王とはいっても、この二人は、見せているものが、根本的に違う、と気づく。
カナエワの方は、キャリア後半の円熟期の演技を見たせいもあって、周囲を囲み、見守る観客に、彼女自身を見せている印象が強かった。新体操選手として総合的に安定した実力はあるが、容姿にも恵まれ、女性的な魅力もふんだんにあって、観客は彼女への愛情が強く、技術を決める前から、拍手したがってるモード。
過不足なく美しい手脚の動きも、新体操の技術を見せると同時に、彼女の女らしく美しい肢体が、しなやかに動くことで、一層、見る者の脳裏に強く印象付けられる。(カナエワは総合的に優れた選手だったので、彼女の魅力は、それだけにはとどまらないけど、ここでは割愛。)
どちらも素晴らしいと言えば、言える。けれど。
カナエワの様な素晴らしい女性美を見せる優れた選手は、他にも出る可能性はあるし、何より、舞台芸術に近い世界で、「観る」事に、至福の体験をくれた、という点で、今は自分は、やはりクドリャフツェワの新体操の世界が、一番好き、だと思った。
生きることの意味。何のために生きるのか。恋愛とか、仕事とか、人生に素晴らしいことは色々異なる種類があるけれど、
自分は「観る」事も人生の一部な人間なので、ヤナ・クドリャフツェワの演技の世界は、・・こういうものを見るために、こういう観る至福の体験をするためにも、人生はあるのだ、という気分にさせられる。
時をとめて、しばし、他の事をやめにしてまでも、味わいたくなる。
ヤナ・クドリャフツェワ。新体操界の異才。ロシア天才少女群の中でも、神の巫女のような、再び見ることのない不思議な世界を見せてくれた、人間界に迷い込んだ、妖精のような選手だった。
彼女を試合で呼んでくれた、イオンカップさん、ありがとう!