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【ただ吸い込まれるような空の青さが胸を締め付ける時もある】
戦争も、たいした困難も大概の人が知らない日本において
世界の平和を考える、なんて大層なことは言えないよ、と私は思ってる
遠くの死と隣り合わせの国の人々の命の重さもはかれないで
この惑星の未来を考える、なんて大それたことは言えないよ、と私は思ってる
そんなに軽く口で言えるような事の根っこにある真実なんて、
アタシは本当にちゃんと知りゃあしないと知っているから。
だってアタシは知らないことを知ってるようになんか言いたくない。
それは、そこにある人たちへの冒涜。そんな風に私は感じてるから。
アレコレ言いたくない。簡単に「批判や批評」なんて言いたくない。
アタシは小さい。
ちっぽけで、力もなく、心の病抱えて人とも交われない
そんなアタシが何ができるかって言ったら
それはもうヒトツしかない。
「望み」そして「祈ること」
では、世界の、この星のために何を願い祈ろうか?
「生命平和憲法」←(クリックで詳しい説明に飛びます)
と言う考え方があるそうだ。
心友がシェアしてくれた。彼はこれを確立しようと頑張っている。
崇高な理念を掲げたオルタナティヴな憲法の草案。
国や企業の自然破壊をゆるさない「いのちの憲法」
憲法第9条は一字一句変えず「いのちの憲法」の理念を加味したモノ
内容はこんな感じ。
生命平和憲法
もう軍隊は 持たない
戦争は 二度としない
平和を愛する 世界の人々を信じ
共に生きようと われらは誓った
no moreヒロシマ
no moreナガサキ
日本国民は 国際平和を誠実にもとめ
国権の発動たる戦争と武力による威嚇
または武力の行使は 永久に放棄する
陸海空軍その他の戦力は 保持しない
国の交戦権は これを認めない
もう地球を 壊さない
海を 二度と汚さない
いのち愛しむ すべての生きものたちと
共に生きようと われらは誓う
no more チェルノブイリ
no more フクシマ
日本国民は 環境保全を誠実にもとめ
生態系に甚大な汚染と破壊をもたらす
原子力の開発は 永久に放棄する
原子力発電所は 保持しない
国の核保有は これを認めない
世の中のすべての意識をヒトツにすることは難しいかも知れない。
私自身、異なるコトはたくさんある。
そしてこの国は、多くのこの星の人々は
「約束」を掲げ「決め」ないと平和が保てない
切なさの残る生き物になってしまったコトは否めない。
結婚然り、国籍や戸籍然り。
もとより、そんなものはこの世になかったのにね。
いつしか「約束」って美しい言葉に便乗した契約をするようになってしまった。
所有。印を残さないと安心できなくなった世の中。
仕方ないのか? なんてったって私らはエゴで出来てるからなぁ。
本当はもっとおおらかな世の中ならいいと思う。
本当は人の差別区別なく、暮らせたらいいと思う。
先日、マツコ・デラックスさんが言っていた。
「お墓ってずっと見てくれる人がいなくなる可能性もあるし
身寄りのない人だって、お金のない人だっているわけだから
いっそ一つの自治体に一個ずつ大きな穴を掘って
火葬したら、みんなそこに入れてしまえばいい。
そして、お墓参りはそこに来て手を合わせればいい。
そうすれば、皆、自然の中に帰って行けて
祈ってもらえない人もいなくなる。」
全く同意。
私はそんな世の中が心底、理想だ。
だけど、今の世の中はそんな風には行かないらしい。
まあ、確かにね。そんな世の中なのは否めない。
決め事があって、それで均衡を保ってる。正しい。
それで平和に愛し合えるなら、全てをヒトツにしなくてもいい。
それぞれの立場から、同じ方向を見て認め合って、譲り合えばいい。
それにつながるなら決めたらいじゃないか、と私も思う。
この草案は私が常に感じてるモノを言葉にしたものだ。
そう言う意味で私はこの言葉たちに支持をする。
そう言う意味で「同性婚合法化」にも支持をする。
少しでもいい、未来に人が自然を愛でて暮らせる世であればと願う。
今よりも人が愛し合える未来であるようにと願う。
相方さんもソウルメイトも、そして私を愛してくれる人たちは皆
自然を愛し、全てを愛している人たちだから。
そんな皆の生きた証としても、そんな世界を残したいと願う。
偶然にも夏至。
夏至と冬至の日にはキャンドルナイトが行われる。
夜、7時から9時の2時間を電気を消して過ごそう、というエコイベント。
東京では東京タワーの明かりも消され、周りの家の方々も
一斉に電気を消して、真っ暗になったりする場所もある。
でも地方ではまだまだ浸透していない様子。
311以降、もう少し定番になるかなと思ったのに。
私は叫び歩き、その姿で威圧感を与えるデモなんかより、
一時間でもいい、企業も人も出来るところは全部電気を止めて
キャンドルナイトして原発はいらないって意思表示にすればいいのに、と思う。
経験のない方ほど、一度でいいからキャンドルで1、2時間過ごしてみてほしい。
多分、闇の深さは光を感じるためにあるとしみいるように解るから。
キャンドルの灯りで2時間過ごして、電気をつけてみれば、
どんなに眩しい世界に生きてるか分かる。
そういう経験としてだけでなく、自分の中に湧き起きる
光と闇の感情を外側から感じるきっかけにもなると私は思う。
311の時、節電で関東は毎日あちこちで街も家もキャンドルナイトだったけど、
あれは被災した方々の苦しみを理解するのに大きな力を貸してくれた。
この明りを消して過ごすわずかな時間はすごくすごく意味があると思う。
平和憲法にしても、キャンドルナイトにしても、この地球をもっと愛そうってコト。
ここに暮らす、すべての世界と人をもっと愛そうよってコト。
どっちみち、あと100年後には自分はここにいない。
多分、ほとんどの人はいなくなる。
で、あれば、生きてるあいだのわずかな時間を愛のために、
この世で次に生きていくの人のために使ってもいいんじゃない。
そんな風に思ったりする。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/7a/351bf4cb72bd3171e0c54d68fd4fa3b3.jpg)
【海の傍、大地を踏みしめる】
相方さんと私の大好きな米ドラマに「ギャラクティカ」と言うのがある、
生きる場を失った人類が船団を作り、生きていける新しい星を探す。
人間にそっくりの機械人間達との戦いのなか、
神とは、真理とは、人間とは、イノチとは何かを問う。
多分、311と言う国難を体験し、この発展した土地で、
すべての関わりに高慢になった日本人には何かを感じざるを得ない作品。
そのドラマの中で兵士や民が何かを決めるときに必ずいう言葉がある。
【So Say We All!(そう、ここに願う!)】
私はこの言葉が好きだ。
なぜなら。この言葉の中には、自分の意思が見えるから。
そして、自分を取り巻く人たちへのココロが見えるから。
出来ることなら、何かを決めるとき、胸を張って、仲間を見つめ、
すべてのことを受け入れ、未来を信じて、「ここにそう願う!」
と、皆でたからかに言える民になれたら。
So Say We All!
ここにそう願っている。