KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

贈り物

2010-05-31 | KOFUKU日記
 

この数日、肌寒い日が続いています。
夕べは洗足に居ましたが、寒くてふるえていたら
親友のカンナ嬢が素敵なプレゼントを贈ってくれました。
「絹のストール」です。



これはカンナちゃんが「真綿(まわた)」(絹)を紡いで編んでくれたものです。
真綿と言いますと、羊毛とかコットンの綿をイメージするようですが、違います。
真綿は絹、シルクです。
「綿を打ち直す」と言いますが、あのお布団の中身は「絹」なのです。

よく知られているのは花嫁さんがお嫁に行くときに
頭にふんわりかぶっている「綿帽子」、あれも真綿です。

真綿は蚕の繭を一枚一枚煮て、広げて、袋状にしたものです。
絹は繊維が細く、つやがあって、羽のように軽く、
それは美しいものですが、それ以上に強さがあります。
繊維を梳いて、繊維の流れをそろえ、ひも状にしてあるものでも
糸車で紡ごうと思うと結構大変なのですが、
この袋状の真綿を糸にするのは、本当に大変なのです。
一度、袋状に固まっているのをほぐしながら、
繊維の方向に引っ張りつつ紡ぐんですが~。。。。
糸の細さと強さで手が切れます(ホントです^^;)
これだけの大きさのストールを編むには、
それだけ大変な思いをしないと糸になりません。

カンナちゃんが時に痛い思いをしながら紡いでくれた、キラキラの絹の糸。
その糸をカンナちゃんが思うがままに円形ストールに編んでくれました。
カンナちゃんは本も何も見なくても、こうして形を作り出すんです。
さすが、だてにシュタイナー学校は出ておりませんわ。

この円形ストール、羽のように軽くて、ふわふわで、きらきらで気に入っています。
円形なので頭にかぶると「マリア様ごっこ」も楽しめます(笑)

遠いいつの日か「アンティーク」として誰かがうっとり眺めてくれるよう
大事に大事にしながら、日々の中で愛したい一品にしたいです。

カンナちゃん、ありがとう

夢の街手しごと工房大変身!

2010-05-29 | KOFUKU日記

ただ今、夢の街の匠、クラフティアン米澤観児氏により、夢の街手しごと工房改装中であります!

いまはなき、原宿夢の街に張られていた床。
閉店の際、壊され、捨てられるはずだった材木たち。
解体を業者に頼まず、二ヶ月壊した廃材の中に寝泊まりして解体しました。

その際に内装で使ってあった材木たちは出来るだけ廃棄せず、箱に作り替えたり、米澤さん、カンナちゃんと三人で高い家賃払っても倉庫を借りたり、沢山の方にご協力頂いて場所をお借りして、今も大事に取ってあるのです。

だって夢の街の内装は米澤さんの芸術作品だったから。
魂そのものですからね、ゴミにするわけにはいきませんもんね。

そして、秋のリニューアルに合わせて頂き、いま再び、匠・米澤の芸術製作が始まってます!

懐かしい木の香、優しい温かな肌触り。
さらに素敵な空間に変わりつつあります。

写真は一休み中の匠と張られた床さん。
床下収納部分のハッチの芸術的な仕上がり!
ヨーロッパの組み木風になっています。

米澤さんは美大時代にスペインで絵画の勉強で留学されていたので、こういうのがお得意です。

ああ、仕上がりが楽しみだぁ~o(^-^o)(o^-^)o

雨の中の薔薇

2010-05-25 | KOFUKU日記
昨日、今日と雨でしたね。
雨の中、薔薇が綺麗に咲いていました。
ひんやりとグレーの空気の中で綺麗でした。

同じように雨の日にお伺いしたある幼稚園で
こんな綺麗な美しい言葉を発見しました。
おすそ分け。


「よろこんであたえる人間となろう
おのがあればものを ちからがあればちからを
ちしきあればちしきを みんなにあたえよう
なければ自分のなかに そだててあたえよう
花はうつくしさをおしまず
小鳥はたのしい歌をおしまない
だれにでもあたえている
あたえるとき 人はゆたかになる
おしむとき いのちはまずしくなる
よろこんであたえるにんげんとなろう」

これはお寺さんの幼稚園にかけてありました。

私もお寺の幼稚園に通い、お坊様が毎月お家に祈りにいらっしゃったので
よく法話やお話を聞きました。お経の響きが好きでした。

同じくらい小さいときから1時間以上歩いたところにある
小さな教会の日曜学校に長い間かよっていました。
同じようにお話を聞き、歌を歌いました。
美しい聖書の言葉が好きでした。

私は宗教を持ちませんが、人間では計り知れない力を尊敬し、
人を照らす光に向けて心から祈る事が好きです。
人には作り出せない美しさに感動し、
完璧さは神にしかないと思う謙虚な心に惹かれます。
その貴い存在に憧れを持ち、善き心であろう、
同じような愛の存在になろうとする人間の小さな努力が好きです。


ある教会で教わった子ども達の歌です。

♪小さな雨が落ちるときに“あげなさいよ”と言いました。
 わたしは小さくても花をそだてる
 一日中をみんなのために あげなさいよと歌います♪

薔薇に輝く、雨のしずくの一粒のように
私は捧げられる豊かな人になれるだろうか。

2010-05-20 | KOFUKU日記

≪「ポケの一人舞台より」~ポケ氏 撮影Y.AOKI≫ 


先週、二つの舞台に関わらせていただきました。
一つはもう20年近くのお付き合いで、本当に弟のように思っている、
エンターテイナー「ポケ」ちゃんの9年ぶりの一人舞台。

そしてわがオフィス夢の街のリーダー「米澤観児」さんの
朗読二人芝居「報恩~心にかける橋」再演

今回は公演時期が重なって、どちらもできる範囲で
スタッフと観客と言う立場で関わらせて頂き、本当に感謝しております。

「ポケの一人舞台」チームリーダーのポケちゃん、マキさん、
まんおさん、たまきちゃん、けんちゃん、ざきみさん、あおきさん
ありがとうございました。

「報恩」チームリーダーのひとせさん、はらさん、
米さん、すみこさん、すぎやまさん、その他,すべての関わられた方、
ありがとうございました。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。


さて、我が愛する弟分のポケちゃんは、現在はTAP DO!と言う、
とても素敵なショーを魅せるタップダンスコメディ
エンターテイメント・ユニットのリーダーで
日本ならず海外でも、大きな評価を得ているエンターテイナーです。

もう20年近く前、彼が芝居を始めた時から一緒に芝居の旅をして、
一緒にチャリティをしたり、エンターテイメントカフェをやったり、
家族のように暮らして来た大事な人、たましいの家族の一人です。
そんな彼の9年ぶりの一人っきりの舞台。
実は自分のことのように興奮してました(笑)
今日はそんな「弟ポケ」をしばし回想しつつ、語ろうと思います(^^)


私がポケちゃんにであったのは彼が22歳の最後の日の事でした。
ある、たいしたことな~い(笑)事務所系演劇研究所に入ったばっかりの
業界人とやってるすべてをなめ切った、こずるい奴でありました(笑)
でもそのこずるさの中に、どうしても憎めない可愛らしさのある、
多分、まだまだ男の子でありました。

その頃の彼はまだ「ポケ」じゃなくて、「よっちゃん」
その「よっちゃん」が学校巡回演劇の劇団の私の班に入ってきたわけです。
その劇団自体、はっきし言って演劇界をなめ切った、
ふざけた所だったわけですが、その中で他の班とは一線を引いて、
自分達で主導権をとり、真面目に真剣に芝居やってた
と思われるのが私の班でした(自画自賛・笑)

その頃ね、なんつったって芝居の鬼だったんです、ワタシ(笑)
もうほんっとにマジでしたね、いろいろと。
今思えば笑っちゃうけどー。

そんな超真面目な私の前に現れた、超ふざけた人間「よっちゃん」(ごめん^^;)
興味があることといえば、野球放送と食べ物だけ(^^;)
本番中にほんとーにふざけてるし、いや、もうねぇ、
マヂで「いつヤッテシマオウカ!」とすら思ってました。

しかし、うちにはもう一人、このよっちゃんと対はって
面倒を見なくちゃいけないMちゃんが居たのよね…
ふざけまくるよっちゃん、それに輪をかけ隣でぼけまくるMちゃん…。
その上に今や天使となったリーダーがやたらと暴走する人で…
うん、なんつかね、もう下手なホームドラマより面白かったですね(笑)

さて、このよっちゃんと言う人間はとにかく、
「違う人間なんだもん、役になんてなりきれる訳ないじゃん」
「真剣にやれるわけないじゃん」、「適当に笑わせりゃ善いんでしょ」、
「どーせ、ドサまわりと変わんない、ちっぽけな公演じゃん」
みたいなのが持論だった訳なんですよ。当時は。
ほんと今からは想像つかないけど。

ただ今思えば、彼は一番正直でそのまま(リアル)だったんだと思います。
本当はそれで全然良くて、それがすっごく大事なことなんだけど、
その頃の私にはそれが大事なことだなんて何も分からなかったんです。
とにかく一生懸命に真剣に生きてることが、ものすごく大事でしたからね。
だから何事にもマヂでした。本当に役に没頭することに真面目でした。
舞台で生きる(リアル)ことにいのちをかけていたんです。
(これは今も変わりませんが、立ち位置が大きく変わった気がします。)

ワタシは稽古は適当でも、本番が始まれば、すこっとその世界に入れる人で
それなりに生きてきた道で自分の力で実績を上げてきた、結構特殊な人間でした。
だから、ある程度、自分に自信も持ってました。
板に乗れば別人、だからそこで起きたことは、そこで対処すれば善いので
取り乱すことってのはまずありませんでした。

当然、自分が別の人生生きてるわけですから、本番中のよっちゃんも
当然ながら役の人物なわけで、よっちゃんじゃないわけですよ。
だから別段、本番中は何が起きようとも、よっちゃんに対しては
なんとも思ったりしないわけですが、舞台を下りたときですよ。
普段ですよね、普段(笑)よっちゃンがよっちゃんで居るときですよ。
その真剣さに茶々入れてくる、悪がきにイラつくわけですよ(笑)
ついでに言うと、そこでいつまでもボケてるMちゃんにイラつくわけですよ。
「お前ら、ホントにやる気アンのかよ?」とね。
いや~、ホント、ワタシってば若かったわねぇ~(はずかすい~~~)

けれども、日々を一緒に暮らしておりますとね、見えてくるんですね。
(旅回りだし、寝てるとき意外ずっと一緒におりましたから)
ああ、この子は根っこは善い子だな、優しいんだな、情があるんだな、とかって。
いろんな話もするし、いろんなことを知ってきます。
それでね、気がついたら、舞台以外のところでは
なんていいますかね、彼や彼女とまるでファミリーのような
もう絶対的な愛と友情が生まれていたわけです。
ホントに善い子達だったんですよね。(根はですが・笑)

ところが役者としては、もう常日頃、なめきってますからね(^^;)
当然、真剣なあたしを見てて、馬鹿にして奴は笑うわけなんですよ。
でも、ほら、そこは冗談通じない真面目さだったんで、
笑い飛ばすこともできず、無視することもできず、
彼にもうそりゃ、一生懸命説くわけですよね、
芝居をバカにスンナ!あたしにとって芝居はこうなんだ!と。
ホント、よく嫌にならず、付き合ってくれていたと思います。
でもワタシにはそれしか、芝居を語る言葉を持たなかったんですよね。
今考えても、ただ真面目に、ひたすら真剣にぶつかってたんだと思います。
芝居、好きなんですよね。ただそれだけなんですけどね。

そんな私を笑ってたよっちゃん。
あと5回公演くらいで、その時の旅回りが終わるって時だったかなー。
ワタシにとってよっちゃんとの忘れられない出来事があります。

ある芝居で、私は彼の家に住み込む家庭教師の役でよっちゃんはその家の息子。
彼は音楽が大好きで音楽をやりたいけど、外は戦火の中。
悩む彼と一対一で話をする唯一のシーンがありました。

こんな戦時下では音楽をやるなんて意味がないのでは?と語る彼に、
ワタシはこんな時代だからこそ音楽が必要なのだ、
あなたにはその力がある、だから諦めず頑張って欲しい、そう真剣に話をする。

「あなたにはできるわ」

その時もワタシは悩む彼の言葉を聴いて、まっすぐに彼の前に立ち、
目をしっかり見て、自分を信じて生きなさいと言ったと思います。

「そうかなぁ」「そうよ」「じゃあ、僕、頑張ってみるよ」
とせりふは続く、、、はずでした。

目の前の彼は言葉を返さず、ただワタシの目を見つめたまま泣いた。
ぽろぽろ涙をながしました。
そして、ただ、涙を飲み込むようにうなずいて
「僕、頑張ってみるよ」
と答えました。

その後、舞台の袖で、涙をぬぐいながら彼ではなく
「よっちゃん」がつぶやく様にこう言ったんです。

「ああ、あんじゅさん、こういうことだったんだ。
お芝居するって、役になるってこういうことだったんだ。
僕、いま、すごく芝居がしたいです。」と。

そして、それからしばらくして、彼はくだらない養成所をやめました。
そして、自ら、演じることへの追求を始めたのです。
「よっちゃん」は「ポケ」になりました。

それからポケちゃんはいろんな事をやり始め、どんどん成長していきました。
今はポケちゃんのお家芸のジャグリングもマイムもタップも
私たちの仲間との関係の中で彼は見つけていきました。
それが、いまのポケちゃんを作り上げるきっかけになったと
初期に人生を共にした、私達の誇りで喜びで自慢です(笑)
そして彼はエンターテイナーになった。
とにかく彼の才能は、神様から特別に与えられたものだと思います。

一人から、たくさんの仲間を得て、グループで活動を始めたポケちゃん。
TAP DO!の仲間達は私達のカフェの仲間も多く居て
それ以外の人も、ご縁のある方ばっかりで
それはそれは善い人たちで素敵なショーなんですが、
ポケちゃんがこのグループを始めた当初、そのショーを観て
ショーは良かったんだけど、ポケちゃんの持ち味が薄くなってしまい、
私は何故一人でやんないのかと不満をぶつけたことがあります。
(みなさん、ごめんなさい)

なんで、彼にそういう風に言ったのかと言うとー、
私は本当に「ポケ」と言う俳優の才能にほれ込んでいたので、
そのポケちゃんがもう一人でやれなくなるんじゃないかな?と思ったからです。
でも、その時、ポケちゃんがこう言いました。

「TAP DO!ではいろんな人の個性とパワーを大事にした舞台をやりたいんです」

そうか、それを大事にしたいのか、それをやりたいのか…
それなら何もいうことはありません。
私はそう思って後は何も言いませんでした。

それからしばらくして「仲間の死」と言う事件が私達の中に起こり、
それぞれがそれぞれの道を歩んでいくことになりました。

そして7年、前のように傍には居なくなったけども、
決して忘れることも無く、心から離れることもない
そんな距離のところから、私は弟ポケを見ておりました。
彼は新旧の仲間達に囲まれ、着実と自分の道を歩んでいます。

精神的な事情から、一人では舞台には行けなくなった私ですが、
家族の舞台だけは一人でもいける時があるんです。
舞台の上にその人が居ると隣に居てくれる気がして不安がなくなるんですね。
なので経済的に許すときにはポケちゃんの公演と米澤さんの公演だけは拝見してました。
ただ、やはりポケちゃんは一人舞台をすることは無くなって、
9年と言う長い月日が経ちました。

そして、先日、一人舞台をするから手助けをして欲しい、
とポケちゃんが忙しい中、訪ねてきてくれました。
とても嬉しかったです。私に声をかけてくれた事が。
本当にありがたいな、と思いました。
身体や生活に余裕が無いからできることしか出来ないけど
お手伝いさせていただくことにしました。

そして先週、金・土・日と9年ぶり5回目の公演がありました。
一回だけ、公演を拝見させて頂きました。
作品は以前の公演の中からベストなものを選んでの内容で、
私達のカフェでも演じられていた懐かしいものです。

ポケちゃんの一人舞台ではタップダンスではなく
ポケちゃんのオリジナルなマイムが大きな要素を占めています。
それは決して「パントマイム」ではなく「ポケマイム」なんです。
本人的にはどうかわかんないけど(笑)私はそう思ってます。
オープニングで一つのマイムが演じられ、そのマイムはエピローグに繋がっています。

そこで、今回の彼は「道」を歩いていました。
降り注ぐ太陽や雨の中、穏やかな道を歩いていると
二つのドアが現れて、一つはせせらぎが聞こえ、
一つは大嵐が吹き荒れています。
最初、彼はせせらぎの道を選び歩み始め、
そして舞台は始まるのです。

ポケちゃんと私の共通点は間違いなく「愛」だと思っています。
ポケちゃんの座右の銘は「人生は愛とユーモア」です。
私の座右の銘は「愛は真実」「人生、それこそがミュージカル」ですからね(笑)
そこに沿って作品を書き、演じるわけです。
まあ、シェイクスピアも言ってますよ。
「世界は舞台だ!男も女もこの舞台の出演者に過ぎない」とね。
言ってることはわたしらと変わんないと思ってます。
何気ない人生はそれくらいドラマティックで愛にあふれてて、
そしてものすごくリアルなんだって事じゃないかと思ってます。

だから、私達の仕事って言うのは嘘を作ってるんじゃなくてね、
虚構を真剣に(リアルに)構築してるんだと思います。
上手く言えないけど、嘘をリアルに演じるんじゃなくて
演じている嘘がリアルだっつーか、なんつーか、難しいです、言葉にすると。
つまり「生きている」って事は非常に大切なんですよ。(私には、ですが)
中には嘘を作ることが俳優の仕事だと思っている人も居ますけどね。
演技なんだから演じて当たり前じゃないかー!って言って。
うん、多分、こういう人は本当に意味で国語の出来ない人です。
こくごってぇのは国の言葉、つまり生きるための言葉ですよね。
ただ漢字読めて、その意味がわかって、文法使えるくらいじゃ
国語が出来るとは言いませんさ。(私的には)
その文字の中以外に意味を読める人でなければ国語にならない。
死んでる言葉には意味が無い、というかー。
まあ、いいや。(笑)

とにかく、そういう人の芝居はばれます。所詮、嘘、まがい物ですから。
それはプロじゃなくっても、誰が見たって分かります。
だって、どんなに上手でも心が震えないもんね。
あー、上手ですなー、すごいなーってそれだけです。

いや、どんなやり方でも、どんな意識の持ち方でも善いと思うんですよ。
決まりごとに固められた舞台であろうと、リアルストレートだろうと、
とにかくしっかり生きていることが出来れば。
それがきっと本物だからー。(くどいけど、私的には)

ポケちゃんは間違いなく、そういう生きた演技の出来る人です。
彼は舞台の上で自然(自由とも言うかな?)です。
どんな風に自然かは上手く言えないけど。

とにかく彼の信条から生まれた作品が演じられてゆくのです。
多分、観た方は一言で「お笑い」と形容する人は居ないでしょう。
日々の中にある色々な愛の形が演じられていきます。

そして最後、演じた演目を走馬灯のようにマイムで演じていきます。
私の心の中に、あの日、あの時々のポケちゃんの姿が巡りました。
もう気持ちは母ですね(笑)

そしてエピローグ、最後に彼はまた道を歩き出す。
そしてまた二つのドアにぶつかります。
せせらぎと嵐の二つのドアに。
そして、彼は嵐のドアを開けて、向かい風の中、闇の中を歩き出します。
けれどその道には進むほうから光が差し込んでいるのでした。

本当に素晴らしい舞台でした。
もっとたくさんの方にごらん頂きたかったです。

終演後、あるお客様が
「20年前に見たマルセル・マルソーの舞台を見ているようだった」
とおっしゃっておられ、ポケちゃんも感動してました。

忘れん坊のポケちゃんですから(笑)すっかり忘れているかもしれませんが、
このお褒めの言葉、実は2度目です。

9年前、私達のカフェに80代のおじいちゃまがお出でになりました。
その日はポケちゃんの出演日で、私がポケちゃんの為に書いた作品の上演日でした。
その作品はリーディングマイムと言うオリジナルのジャンルで、
ポケちゃんは一言もしゃべらず、マイムで演じるだけでしたが、
終演後、おじいちゃまがどうしてもポケさんに会いたいとおっしゃるのです。
そして、ポケちゃんに言ってくださった言葉があります。

「素晴らしい舞台でした。
私は若い日にフランスでマルセル・マルソーの舞台を見ました。
感銘を受け、毎日マルソーの舞台に通いました。
私は今日ここでマルセル・マルソーに再び出会ったような気持です。
どうかこれからもずっと心を演じられる舞台人であり続けてください」

それを聞いて、亡くなったソウルメイトが言いました。
「彼はエンターテイナーではなく、彼がエンターテイメントそのものなんです」と。
ポケちゃんはエンターテイメントそのものだ、と私も思います。

仕事の合間を割いて観に来てくれたカンナちゃんがこう感想を書いてくれました。

「ポケさんの舞台を見て、日々の積み重ねの中にある小さな愛が
どれだけ人生の重みや貴さになるのかと感じました。」

小さい愛は偉大です。つまらない日々は実はとても大きい。
そんなことが分かるカンナちゃんはとても素晴らしいと思う。

つまらない日々が嫌だとか、マンネリが嫌だとか、
人は色々言うけれど、それって本当にもったいないと思います。
ちいさなちいさな「違い」というものを心で察知できる繊細さを養って欲しいと思う。
何気ない日々を愛して欲しいものだと思います。
だって「人生は愛とユーモア」に彩られているのですから。
ねぇ、ポケちゃん?(笑)

本当に素晴らしい舞台でした。
ポケちゃん、本当にお疲れ様でした。
そして本当にありがとうございました

ポケちゃんが素敵なブログ書いてました。ご紹介(転載します)

ポケのブログより
≪千秋楽から一夜明けて≫

アハハ、体が痛い。筋肉痛。

今回の一人舞台は、「愛とユーモア」をテーマに、
過去4回の一人舞台のテーマだった「道」「誕生」「想い」「夢」も
ひっくるめ、

出会い、別れ、夢、希望、挫折、努力、愛、優しさ、駄洒落、

誰もがどこかで共感出来るような想い、

見てくださった方々が、それぞれに何かを感じていただけるステージ、

そんなステージになったかな?


「一生懸命」ということの滑稽さと素晴らしさ。

ものごとの捉え方、見方次第で、滑稽にも素晴らしいことにもなる。

そこがとても面白い。

表と裏があってひとつのモノになるんだもの。

どうせなら、裏があることを分かっていながら、
表を楽しめたら、人生、ハッピーだよねー

BY ポケ


☆ホントだね~!自分の道をしっかり歩んでいるあなたに乾杯です!
ほんと゜☆,。・:*:・゜★o(´▽`*)/♪Thanks♪\(*´▽`)o゜★,。・:*:・☆゜
BY あんじゅ




≪オフィス夢の街「オーファンズ」より~米澤観児氏≫

もう一つの公演は日曜日の午後、米澤さんの「報恩」再演でした。
良かったです。本当にシンプルに良かったと思います。

こちらはミャンマーと日本を心で繋ごうとする人たちの
何気なくて大きな日々の記録。

米澤さんとは一緒に芝居つくりをするようになって6年が経ちますが
つくづく俳優としてものすごく素晴らしい人だと尊敬しています。

ポケちゃんもそうですが、彼には本当にしっかりと自分の道があります。
どんなに過程の中で自分を追い詰めようと命削ろうとも
またはどんなに自堕落に過ごしているように思われようとも
奥底にある信念というか、大事な想いというものが揺るぎません。

人はいろいろなことをいう物です。いろんな批判をしたりします。
けれど、彼はその生き方に誇りを持っている。
だから、あんなにもストイックに進んでいけるのだとも思います。

米澤さんはメソード(リアルストレート)というジャンルをやっています。
でもご自分でも言ってますが、ご自身流のやり方で突き詰めてます。
メソードの先生が「彼こそが真のメソードを演じれる役者だ!」
と絶賛してくださったのですが、本当に彼の演技には飲み込まれます。
それは何故か?彼の芝居が「演技」じゃないからです。
生きているからです。

画家でもあり、クリエイターとしても才能のある芸術家の米さんは
独特なおっとりした雰囲気の性格もあり、芝居追求中の彼のあり方に
競演なさる方からはあれこれと非難されることも多いです。

ところが、彼が世界に入って生き始めたとたん、
多くの共演者は彼に釘付けになります。
魅入られて出番忘れちゃったり、我に返って泣いちゃったり。
そして、何も言わなくなる。(言えなくなるんでしょうね)

彼のやっている演劇法やあり方を非難してた人が
米さんと出会い、一緒に舞台の世界を生きたことで
いつしか、その彼の方法を学ぼうと躍起になったりするんです。
きっと「本当に役として生きたい!」という役者としての根本的な欲求が
舞台で本当に生きられると言う現実に触れて触発されるからだと思います。

彼が笑うとき、本当に笑ってるし、泣いてるとき、本当に泣いてるんです。
そんなこと、役者だったら当たり前のようにできると思うと思いますが
ただ「笑える」「泣ける」というのとは全然違うのです。
嘘かホントか。それは本当に大きい。
そして私が知る限り、それを本当にできる役者は少ない。


ポケちゃん、米さん、
言葉のない、行間に生きることの出来る
素晴らしい本物の俳優です。

この記事の写真は敢えて、せりふの無いシーンを掲載しました。
ぜひ皆様も彼らの世界に触れてみてください。

二人に心からの賞賛とこれからの道にエールを送りたいと思います。
そして、その人々を囲む人たちにも!

あなた達こそ、地球遺産(^^)
ありがとう!