日曜日の原宿、三日目、お手伝いも最終日となりました。
あいにくのお天気でしたが、原宿、夢の街の在ったビルではペンキ塗りも窓の補修も調子よく進みo(^-^)o、薄い茶色に変色しつつあったエントランスから屋上まで階段すべての壁や天井が雪の様に真っ白になりました。
大家さんも仕上がりを大層喜んで下さって嬉しい限りです(^O^)
私はいろいろな事情もあるし、東京から遠いのでなかなか実家には帰れません。
だから地元の隣町出身の大家さんは東京のお父さんのようなもので、離れて暮らす親の分の孝行もどきさせてもらっています。
東京のお父さん、我等が大家さん「こばたさん」はホント善い人で、出合った時から「この子達が俺の夢を代わりにやってくれるんだよ」と言って、夢の街をものすごく応援してくれていました。
公演の時はスタッフとしてずっと手伝ってくれていました。
実は今回の閉店を一番ガッカリしていたのは東京のお父さんだったのです。
「まだ一周年も来ないのに、こんなところで閉めたらオープンした意味が無いじゃないか?
結果が出るのはこれからなのに・・・」と、誰よりも悲しそうでした。
お店が無くなってからも、毎日、解体する店にコーヒーを買っては寄ってくれて、あれやこれやと心配してくれたり、手伝ってくれたり。
「俺に財力があればなあ」といつも言ってくれます。
こばたのお父さんはあと5年経ってビルのローンが終わったら(笑)今度は自分がオーナーになって、今度は無料で夢の街をやらせてくれるんだそうです。
「俺はあなた達を一年見てきた。
ここを作るのがどんな思いだったか、どんなに大変だったか、そしてどんな素晴らしい事ををしようとしていてか俺はわかってる。
あんたたちの毎日話を聞いていたから今年くらいからはこの一年の結果がドンドン出てくるとだろう解っていた。
ライブもギャラリーも沢山話があったんだろう?惜しいよなあ。
上の保育園だって長いことこどもは2,3人しか来てなかったが、黙って2年はやらないとって頑張ってた。
一年半経ってから口コミでドンドン広がって子どもも増えたじゃないか。
商売なんて2、3年はやってみないと取り返すものも取り返せないもんだ。
残念だがオーナーは店にも全く来てなかったから、手元の金が無くなっていくことばっかり見えてしまって、話だけじゃその辺の真意を見ることが出来なかったんだろうな。
確かにこういう事には金はかかるもんだ。けど俺はちゃんと見てたからね。
やった以上に取り返せるものだったと俺は解ってた。だから本当に残念だよ。
彼は二度と手にはいらない大きなものをなくしたなと俺は思うよ。
だから、あと五年たったら、今度は俺と場所代や兼ねの事は気にしないでまたやろうな!
俺はあんた達に惚れたんだよ。あんたたちみたいに嘘が無い人たちはなかなかいない。
一生付き合って行きたい人間達なんだ。毎日会えないのが本当に寂しいんだよ。」
嬉しい言葉ですね~。
その思いだけで十分ありがたくて嬉しさで一杯になります。
大家さんの言うとおり、年末前から営業をかけ始め、こちらからお声をかけさせて頂いたアーティストの方など、まだお店が無くなった事を知らない人も沢山いて、今も場所を貸して欲しいと連絡が続いているんです。
米さんの工房などもたくさんのお仕事依頼があったので、2、3月からは結構な金額が入ってくる算段で、初夏くらいからはあがりも出てくるように営業していたのを大家さんは知っていたのでした。
芸術家の方などは世界的にも活躍している様な方々に米澤さんがお声をかけてくださり、ギャラリーとしても素晴らしい開催が出来たのに、、、と思うと残念です。
またロハススタイルのウエディングパーティの企画があって、ケータリングのマクロビシェフの方にも紹介していただいたり、オープニングのモデルになるカップルの方の結婚式もすでに決まっていたので、本当に申し訳ないことをしてしまいました。
たくさんの企画やチャンスがなくなってしまったことが今も本当に残念でなりません。
けれど、あと5年経ったら、またあの原宿で芸術に溢れた活動を出来るそうなので、楽しみにしていたいと思って居ます(^^)
さて、今日の写真は大家さんの敷地の大きな八重咲き椿の木のお花です。
綺麗ですよねー(^_^)
大家さんのビルの屋上には見事な庭園もあるんですよ~。
私は実はお花が大好きなんですが、人間がまめには出来てないもので、もっぱら鑑賞専門です(笑)
基本はユキヤナギや金木犀や菫や野菊など、野草やひかえめな小さいお花が好きなのです。
薔薇もとても好きなんですが、良くレトロ西洋風やビクトリアンやロココな物が好きな方が薔薇をかなり派手に飾ってたりしますが、私は薔薇にゴージャスなイメージを持っていませんし、そういう風に飾るのは好きじゃないのです。
あ、「ベルばら」(古っ!^^;)はそれで全然素敵でOKなんですけどね。
わたしの中の薔薇は聖母マリアさまのイメージなんです。
一輪が楚々と咲きにおっている感じです。
私には薔薇とはビクトリアンに添えるにも枯れた感じで置きたい、けっしてゴージャスに置いてはならない花だったりします。
(補足:個人のセンスの問題なのですが、わたしの言う「ゴージャス」とはむやみにゴテゴテと飾ってあることを意味します。
エレガントに豪華に品良く飾っている方の薔薇は素敵だと思います^^)
薔薇って繊細なので、そうやって安易に飾るととたんに下品になって、薔薇本来の持っているエレガンスがなくなってしまうと思うからなんですね~。
単純に私が美しいと思わないだけなんですけどね。
さて、薔薇と同じく大好きな花が冬の季節に咲く『椿』なんです。
私には珍しく大きな花ですが、特に雪の中で凜と咲いている赤い寒椿が大好きなのです。
椿を見るたび私は日本特有のエレガンスを感じるのですが、皆様はいかがでしょうか?
和的なエレガンス、、、つまり、謙虚でもの静かだけれど、芯の強さ、揺るがない愛と深い深い優しさ、そして気品、「気高い」といったものでなく、たおやかなものを感じるのですねえ。
水仙やなでしこ、りんどうや桔梗、すずらん…こういった花にもそういうエレガンスを感じます。
どの花にも和的な凛々しさ、潔さ、つつましさなどが存在するからでしょう。
お寺で美しい仏像など目にする時も同じものを感じるのです。
和的エレガンスを備える人、と言う方にはなかなか出会うことがありません。
日本は世界と比べても今やかなり開放的な国ですから、華やかなゴージャスな人には良く出会います。
職業柄でしょうか、たまにセレブな方にもお会いしますが、本当に上質のエレガンスを持つ人にはなかなかお会いしません。
いや、すみません。言い方が違いました。
エレガントな方はいらっしゃるんですよ。沢山おられます。皆さん素敵。
ただ、あくまでも私好みのエレガンスを持つ人がなかなかいないってだけの話なんです(^^;)
そんな、わたしの厳しい審査(笑)を通り抜けて「ジャパニーズエレガンスレディ」の称号を受け取れるひとが二人居ます。
それは美智子皇后さまとうちの母(^^)
美智子皇后様は見た目、声、笑顔ともにわたしの中でパーフェクトなんです。
雅子様でもきこさまでもない美智子さまです。
全てのお母さんにあのようにあって欲しいわ~、って感じ?(笑)
ぜひ機会が御座いましたら美智子皇后様がお話になるのを聞いてくださいませ。
見るたびに美智子さんに似てるなあと思うのが、うちの母。
ハイ、うちの父母は今でこそですが、元は超上流階級の生まれです。
今や母は寝たきりですが、それはそれはエレガンスのある人だったと思います。
生まれと育ちは確かに関係あると思うけど、それ以上にその人が持つ性質にエレガンスは備わっているんだと思わせてくれる人でした。
とにかく幼い頃から日舞の先生として、そして少女時代は歌劇の娘役トップとして激動の青年期を生きてきた母は、子どもの私から見ても「美しい人」でした。
うちの母は私が働くようになって「洋服」をプレゼントするまで、あまり洋服を着ていませんでした。
通常は毎日着物で過ごしていたんです。着物の方が楽なのよ、といっていましたね。
女優であり踊りの師匠でもあった母は、背筋がぴんと伸びていて、着物でしたから何をするにも動きがとても優雅でした。
母は口を開けて笑うことが無く、代わりにいつも美しく微笑んでいる人でした。
でもその微笑みは偽者ではなく、心の奥底から生まれているものです。
そこに「真実のエレガンスがある」と私は思うのですね。
素敵な言葉は才能があれば幾らでも紡げるし、お金があれば物は飾れますから、それらしく見せる事はできる。
けれど、魂の奥底から生まれる美しさは、それを持っていなければ生まれないと思うのです。
それこそ偽者のエレガントさしか無い、と私は思います。
古美術を扱う父が、美しい観音像を見るたび「母に似てるよな」と言うので、ああ、この人は身勝手で母に辛く当たるけど、母の本質の美しさをよく解っている、本当は好きなんだよねえ~、と思っていました(笑)
ドラマなどで良くおかあさんがヒステリックに怒ったりしますが、わたしの母はそういう事が全くない人でした。
怒る事はあっても、キーッ!ってなったことは無いんです。
食事やお掃除をするにもそうで、いらいらしながら物事を行っていることのない人でした。
本当に起用で、和裁、洋裁、編み物に手芸と何でも御座れ。
手仕事の巨匠みたいな人でしたから、いつも微笑んで美しく可愛らしい物を創っていましたね。
本が大好きでしたので、暇があると本を読んでいました。
お料理も上手で、特に盛り付けがものすごく上手でした。
母の盛り付けはまるで絵を見ているように美しいのです。
「お皿の上がきれいになっていくのが嬉しいのよ」
そういって楽しそうに盛り付けていましたね。
とにかく苦虫つぶすような顔で何かをしたりしているのを見たことが無いのです。
そういう人でしたから、ご近所のおじ様たちの憧れのマドンナだったようです。
近所のおじちゃんたちに「ねえ、お母さんってお家でもあんな感じなの?上品できれいだよなあ。」とよく聞かれましたっけ。
そんな母も今は寝たきりの生活です。
母から受け継いだ本などを読むと、くらしの手帳や中原淳一の美しく毎日を過ごす為の内容や、古典など美しい言葉が連なる本ばかりです。
なんでもない下着に刺繍をしたり、暇があると鏡に向かって身を整えたり、お金をかけなくても出来る工夫を常にしていました。
「お金はなくとも美しく生きることは出来る。
美しい工夫のある暮らしは、お金がある暮らしよりも楽しい」
「女性はことばと立ち居振る舞いは美しく。どんな着物を着るよりも美しくなければならない。」
母の言葉です。
残念ながら、母の美しさや器用さのかけらも持たずに育ってしまいましたが、エレガントな母を持てた事は未だに自慢の私です(^^)
せめて言葉は胸に刻んで生きてゆきたいものです。
目指せプチジャパニーズエレガンスレディです(笑)