KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

大根おろしとお芋とティーツリーオイルと夢の街と

2007-11-28 | KOFUKU日記
母が倒れて今日で3週間になります。
母の状況はいまだ良くはなく、回復を祈るばかりの日々。
その間、わたしの周りは刻々と変化していて、
まず、例の大きなプロジェクトがおおきく進み始めました。
拠点となる物件の契約も無事に終わり、内装に入りました。
1月にはわたしたちの生きる場所として生まれ変わる予定です。
場所は原宿。通称「裏原」と呼ばれる辺りです。
竹下通りを抜けて、若者あふれる原宿ストリートを抜けてすぐの場所なのに
不思議と静かな静かな環境がそこにはあるのですよ。
ユナイテッド・アローズのすぐ近くです。
その静かな時の中に「夢の街」が生まれようとしています。
私たちの拠点となる場所の名前は「夢の街」と言います。
そこは「楽光(学校)」で「劇場」で「ちいさなカフェ」で「お店」です。
一応、今風にいうと「劇場とカフェの併設されたカルチャースクール」かな。
たくさんの人のパワーを頂いて、夢の街は生まれます。
今は夢の街創りに駆け回る日々です。眠る間もないくらい。
気持ちはとっても嬉しくて、元気いっぱいです。
けれどさすがに身体は疲れているのでしょうか~。
母の倒れる2日ほど前から、身体に蕁麻疹らしきものが現れ始めました。
ドンドコ増えて、全身に広がって。痒いし~、もう自分でもここまでになるとはびっくりの大変な状態です。
実家に帰ったら、すかさず回りに病院行け!と(^^;)
しかし、本当に時間がなくて、病院に行ってる暇がないのです。
帰って朝方寝て、朝起きる(^^;)と言う生活状況ですから。
取り合えず市販の薬を取って困っていたら、親しいお友達の愛ちゃんが「大根おろしを入れたお茶がいい」と教えてくれました。
そこで大根をおろしに梅干、そしてお友達のやまとこころ農園の健ちゃんたちの無農薬のお茶で蕁麻疹撃退薬をこさえて飲んでいます。
これがとっても美味しくて、ハマリ気味です。
最近はお店の準備、公演の準備と二本立てでおにいちゃんと二人本当に忙しく、外食と店屋物のオンパレードでゆっくり自宅で食事も出来ません。
昨日はたまたまぴーちゃんも連れて出勤してたこともあり、帰りにドコにも寄れませんでした。
おかげでお家にあるものでご飯になって、すかさず心友そらくんから送られてきたサツマイモをふかし、大根おろし入りのお茶を作り食卓に並べ、ぴーちゃんと二人で美味しく頂きました。
お芋はねっとりと甘く、ほっこりした味で天然のお塩とバターで味わいました。
ぴーちゃんはこのバターポテトが大好きで小さく切ったのをおわんに山盛りにしてぱくぱく食べていました。
ぴーちゃんはグルメなので、お芋の味が悪いと食べてくれません。
さすがそらくんちのお芋はお父さんの愛がたっぷりで美味しかったようです。
この場をお借りしてお礼申し上げます。美味しい贈りもの、ほんとうにありがとうございました。
蕁麻疹はあんまり良くならず、あちこち掻き壊しやあざみたいな感じになっています。
夜になるとかゆみがましてくるのですが、昨日はある本に書いてあった「手作り薬」の事を思い出しました。
それはミツロウやワセリンにティーツリーオイルを混ぜて創る軟膏です。
虫刺されや肌荒れ、掻き壊しなどにとてもよいと書いてありました。
そこにティーツリーオイルはそのまま肌に乗せても良いと書いてあったので、以前、お友達のreraさんに頂いて、大事に取ってあった貴重なオイルを取り出し、コットンにつけて、しみるかなあと思いつつ塗ってみました。
そうしたらメントールのように全然しみることもなく、あたたかい感じがしてかゆみが楽になりました。
しばらくは仕事しつつそのコットンであちこちなぜて過ごしました。
駅ビルの中に調剤薬局があるので、行きか帰りにワセリンを買ってこようと思いました。
今日は時間を見つけてティーツリーの軟膏を作ってみようと思います。
昨日は少しの時間でしたが久しぶりに自分のうちで美味しいお芋を食べて、美味しいお茶を飲んで、いい香りで癒されました。
人間ゆとりの時間は大切ですね。
もうすぐ「師走」
皆様もどうぞお忙しいなか、体調にはお気をつけください。


祈りの時 ~観音さまと聖母~

2007-11-14 | KOFUKU日記
帰って来ました。
見舞った母は小さく小さくなって、いつもの母ではありませんでした。
起きていても意識は殆どなく、まさにいつ何がおきてもおかしくない状況です。
ただ、3日間母についていて思った事は、彼女は本当に愛の人なんだなあという事です。
私は何度か人の病や苦しみの時に傍についていたことがありますが、大体病に苦しむ人は自分の辛さを口にします。
苦しいとか痛いとか辛いとか。そしてそれがまわりに伝わらないと見るや怒り出したりします。
けれど、母は意識が戻っても彼女の口からは「苦しい」とか「辛い」とかネガティヴな言葉は一切出てこないのです。
周りの人間を認識すると「だいじょうぶよ」「みんなはだいじょうぶなの?」「お父さんは?」と周りを思いやる言葉だけが出てきます。
幼い甥が自分の持ち物を見せると「可愛いネ」「良かったねぇ」と喜び、看護婦さんには「ありがとうございます」と殆ど聞き取れない声ですが答えようとします。
熱もあり、話すのも大変で、半身は不随で苦しいかと思いますが、それらについては何も言わないのです。
私も自分の決めたことには一切後悔をしない人ですが、なぜなら見ていた母の生き方ががまさにそうだったから。
彼女は起きている現実に愚痴をいった事がありません。
私は根性なしの根性悪なので、へこたれてぶつぶつ言ってばかりですが。
その愛にあふれた性格のせいか、母の顔は観音さまやマリア様に似ています。
決しておっとりしている性格ではないのです。
どちらかと言うと「凛」としていて、すうっとしています。
その芯の強さの美しさに、私は仏様や聖母を連想するのでした。
周りの方は若いときからとてもきれいで言葉遣いや佇まいの美しく上品な母をまるで「美智子皇后様」見たいといいます。
いつも穏やかに微笑んでいて、人の喜びを自分のように喜び、
悲しみに一緒に涙を流す人です。決して批判や評価はしません。
かと思えば、面白おかしく話をして人を自然に笑わせます。
うちに集う人はみんな母に会いたくて来るのでした。
いつかなんて、一緒に暮らしてた外人アパートの全員がアパートに居なくて私の家に居たこともありましたっけ。
「お母さんが居るから」とみんな言うのです。
きっとおばあちゃんの影響もあるのでしょう。
私は祖母を知りませんが、祖母は戦時中の怪我が元で下半身不随となり、50歳で突然死でなくなったそうです。
祖母は周りの人から「生き仏さまのような人」「観音さまのようじゃ」と言われていて、お葬式には両隣二軒の家を借りても人が入りきらないほどだったとか。
下半身不随でもできる事は自分でして、たらいで洗濯をしながらヨーデルを高らかに歌い、いつも笑顔でお茶目な人だったのだそうです。
マフラーや帽子などを買ってあげると、わざと泥水に落としたりして汚し、
「あら、せっかく買ってもらったのにこれじゃあもう使えないわね。でもとても良いものだから誰かに差し上げましょう」
と言ってそれはそれはきれいに洗い上げ直し、通りかかる新聞売りの子どもや苦学をしている人、自分よりも困っている人にあげてしまう人だったんだそうです。
食べ物は自分のところも困っていても、まだあるからと言って必ず困ってる人に分けてあげていたと聞きます。
やはり母も同じで5円、十円とためてはパンなどを買って、留学してきたお金のない外国の方などに持っていってあげていました。
そのおかげで我が家の兄弟達は学校の帰り道も電車やバスに乗らず歩いて帰ってはお金をためて、やっぱり同じように自発的に一人暮らしのおばあちゃんを訪ねたり、自分と同じように困ってる子にパンを買って持っていったりするようになったのでした。
また母は(父も家族も)動物がとても好きで、生きているものはみんなと同じだからと言って家に迷ってくるものを全部面倒見ていました。
昔裕福だった頃は人がみんな家の前に捨てていくので、100匹くらい動物いたんですよ(笑)
貧しくなってからもそれは変りませんでした。
「頼って入ってくるものを追い出す事はないがね」と言って面倒を見る。
甥がうちのぴーちゃんを「ワンワン言わないの」と叱れば、
「そんなに言わなくてもいいがね。
ぴーちゃんはお話したくてもワンしか言えないのよ」
とかばってくれました。
そんな母のおかげでまた子供たちも学校の行き帰りに捨てられた動物を見ようものなら、学校に行かずに家に連れて帰り、川に箱に入れて流されている猫を見れば、迷わず水に飛び込み助け、妹なんかは怪我したこうもりまで面倒見てましたね。
母が愚痴も言わず、いつも明るいので、家は貧しくてもいつも笑いが耐えたことがありませんでした。
私はネガティヴな父に似てますが、他の兄弟は苦しくても笑顔で吹き飛ばす人たちです。
「ただでさえ大変な環境なのに、自分たちで苦しくなってどうすんの?
せめて自分たちぐらい明るく居ないとネ~」
と言うのが彼らの答えです。
そういう笑顔を培ってきた母の力は本当に偉大だなあと思います。

今回、たくさんの方に母のことでありがたい愛のメッセージ頂きました。
お金を浮かして実家に届ける為に電車移動に挑んだので、そういったメールが不安な心のうちをずいぶん助けてくれました。
母はわたしの友達とも本当に仲良かったから。
心から感謝しております。
皆様、本当にありがとう御座います。
みんなの祈りがきっと届いていると思います。

そんな人気者の母があの優しい観音様やマリア様のような笑顔になって戻ってきてくれることを祈っています


2007-11-09 | KOFUKU日記
二日前、九州で暮らす母が脳梗塞で倒れました。
父におむすびをにぎり「おじいちゃん、おむすびたべなさいな」とテーブルの上におむすびを置き、「うん、あとでたべる」と父が返事をして振り返ったときには手におむすびを握ったまま、意識を失っていたのだそうです。
山のてっぺんに住む実家の家族は、町まで行くのに車で30分山を下らなくてはなりません。
父と弟は慌てて車で病院に運び込んだとのことでした。
車の中で一瞬だけ意識が戻ったとき「大丈夫よ」と言ったのだそうです。

「大丈夫」「がんばらないとね」

これは母の口癖です。
わたしの母は愚痴を言ったことがありません。
父に何か言われても感情任せに言い返すこともありません。
そういう母の行動で嫌な気分になったことは共に暮らしていたとき一度もありませんでした。
いつも笑っていて、嫌な顔でいる事がないのです。
どんな苦しみのときも自分の手と知恵で何かを生み出し、どんなに自分が貧しくても、それ以上に周りの貧しさを考え手助けをし、一緒になみだする、そんな人です。
不遇な環境で親の愛を知らずにそだった父は人をどうやって愛して良いのかすべを知らず、子ども目にも母にそりゃあひどい扱いをしてましたが、母はそれでも父をこよなく愛し、どんな理不尽なことをされても、彼を愛し続けてきた人です。
母がかばう事はあっても父の悪口も聞いた事はありません。
弟が駆けつけたとき、母に「お前なんかいらない」と言い続けてきた父が母の手をさすって泣いていたそうです。
慈愛にあふれた、博愛の人
そんな母を私は心底から敬愛しています。

わたしの家はとても複雑な事情があり、私は現在は籍を抜けています。
苗字も違うし、一緒に暮らすこともできませんし、親や兄弟が私に何かしてくれる事もありません。
この現代の日本で、普通に暮らしている人には決して理解できないだろう、あまりにハードな状況下で私がまっすぐに生きてこれたのは、きっとこの母が居たからなのです。

母はいま、眠りの中にあります。
きっとこれからどうするか考えているんでしょう。
2度ほど意識が戻ったそうですが、どっちも「だいじょうぶよ」と言ったそうです。
倒れてもなおみんなの心を方を思いやっている。
すごい人だな、と思います。

母は今現在、半身不随の状態なのだそうです。
私は5年会っていません。その前は9年会っていませんでした。
会ってないんじゃなくて、会いたくても会えなかったんだけど。

忙しくて眠る暇もない感じの状態ですが、昨日一瞬眠りについたとき、夢を見ました。
傘や風船にのって空を飛ぼうとし、母のところに帰ろうとする夢でした。
私は夢では絶対に空を飛びません。地から足が離れるのが恐ろしいので。
ところが昨日は飛ぼうと必死でした。
母という存在は偉大です。

この一週間がやまだそうです。
むりやり2日だけ休みを取りました。
多くの人の協力で明日、母に会いに行けます。
ありがたいことです。

世の中にはわたしのように親や兄弟、大事な人の生死に関わる時、会いに行きたくても会えなかったり、お金が大変で諦めざるを得ない人がたくさん居ます。
そういう方がわたしのように助けられて、一瞬でも家族と会うことができますように。
そして多くの親子が愛を持って暮らしていけますように。