Billy Elliot Sneak Peek Minneapolis 2/4
見ました???みなさん、動画、みました??
バレエ、これ、すごいよー。
私の某ミュー劇団の一期上の先輩にですね、ジュニアバレエ全日本で一位だった人が居るんですよ。
ええ、もちろん、レッスンでは先生の指定により「見本」(^^;)
初めて彼女の踊りを見たときは度肝抜かれました。
だってねぇ、空中で静止すんのよ?とまっちゃうんだよ?
つか、そう見えるのよーーーーー!
どんなポーズをやってもポーズが静止して、動きが全部見えるの。
化けもんかと思いました(^^;)
このマイケル君のダンス。それを思い出させるダンスです。
ほら、もっかい見て!ほらぁ~、とまってみえるっしょ?
これ、普通に出来ません。踊れる人でも稀です。
更にこのマイケル君、歌もかなりお上手!
大体ビリー役って歌は捨てですが、彼は上手い。
聞かせどころが解ってるし、技術も持ってる。
どうしますぅ?こんな11,2歳が世界にはごろんと居るわけですよね。
これ、某ミュー劇団でやるっつってますが、やれるんでしょうか。。。不安です。
このマイケルくんのお父さんはですね、初演のビリーのお父さん役やってて去年トニー賞取りました。
このVで司会してる人です。
はぁぁぁぁぁぁん、カエルの子はかえるなんだぁねぇ。。。。
何よりも素晴らしいのは、そんな親を持っていて、その重圧につぶされることなく
期待以上のものを演じてるってことです。
すばらすうういいいいいいいい!
日本の適当な技術と根性しかない子役とそれを過保護な目で見つめる保護者達に見習っていただきたいです。
やっぱ、芸術やそれなりの技術が理解できる人が育てると違うのだろうか?
いや、違うな、そういう努力をしてるからなんだな。
うん、子役親子、これまでたくさん見てきたけど、そう思うわ。うん。
もちろん、りっぱな子役親子さんはおりますがねー。
先日、ご紹介したミュージカル映画「ヘアスプレー」
主演の女優さんのニッキー・ブロンスキーさんは当時17歳の高校生でした。
で、オーディションで選ばれてデビューで初主演だったわけなんですが、
この方がオーディションに通った理由を、映画監督がこう表現してました。
「ニッキーを始めてみたとき、ああ、まさにトレイシーだと思いました。
根拠のない湧き上がる自信に満ち溢れていて…うんぬんかんぬん」(笑)
この、「根拠もなくわきあがる自信」とやら、
私はこれこそ神様から贈られてくる才能の賜物だと思っています。
さすがにこの年にもなりまして、舞台人としていくらかの経験も積み
教える側、選ぶ側の経験も長くなりますと、
正直に言えば、一目歌い、踊り、しゃべるのを見たら、
ある程度、才能があるかないかはわかってしまうというものです。
が!才能と言うのは、消えもすれば、突然現れもするし、
育ちもするものなので、その感覚が「絶対」とは言えないんですけどねー。
でも、大体は解るもんなんです。(これもまた根拠のない…笑)
そういう子ってこの根拠のない自信に溢れてるのです。
それがすごい力になってるんです。
自信があるから、その世界を楽しめるんでしょうね。
そういう力はチャンスも育てます。
私は大体、お知り合いの芸能活動してる親子さんを楽屋に誘います。
本当に才能ある親子さんってのはミーハーな気持ちではなく
そういうチャンスを大事にします。つまりある意味ご縁ですね。
それは人ともだし、作品や舞台と繋ぐんです。
だって、本当に好きならね、やりたいならね、
あの舞台の上を歩いてみたい!と思うはずなの。
その感覚を味わいたいと思うはずなの。
そっちが先なの。
今はもうはるかな昔のことですが、まだ十代の頃、私も初めて舞台の上を歩きました。
「舞台」と言うのは、劇場や学校のステージと言うのではなくて、
自分が観た舞台の上を歩いた、と言う事です。
私は某ミュー劇団の地方で行われていたセミナーに参加したことがあり、
ファンクラブのお手伝いもしていました。
公演日、親しかった俳優さんが本番2時間前にお出でとお手紙をくれました。
(当時はメールなんてなかったですからね)
他のファンクラブの子は呼ばれて居ませんでした。
ドキドキしつつ劇場に行ったとき、その俳優さんがお迎えにきてくださって、こう言ってくれました。
「今日、僕があなたをご招待したのは、あなたがファンではなく、
ただ純粋に演劇、ミュージカルと言う世界を求めている才能だと思ったからです。
だから、僕達の感じている世界を、感じさせてあげたいと思ったんだよ」
嬉しかったですね。
そして熱のこもったリハーサルを見せて頂き、
そして最後に俳優さんにおいで~と手招きされ
舞台の上を歩かせてもらい、センターに立たせて頂いて、
そしてスポットライトを当ててもらったのです。
私は明かりをまっすぐ見つめました。
舞台に上がり、自分の靴音が劇場に響いた瞬間を今も忘れません。
はっきりと地上の空間とは違う、音の響きでした。
センターに立ったとき、そこから見える景色は違っていました。
そして、はっきりと、私はここに立つ人間だと感じたのです。
根拠のない、湧き上がる感覚でしたが、真実だと感じました。
私は舞台に呼ばれている。そう思ったのです。
そして私もいつか、この世界を求める魂にこういう感覚を与えてあげたいと思いました。
それから8年目、私はその某ミュー劇団に入団します。
そして劇団で先輩となった俳優さん、女優さんにこういって頂きました。
「やぁ~、本当に来たね!」
その時に照明を当てて頂いた方とは偶然、また再会することになるのですが、
その時の再会の言葉も「ああ、やっぱり来たか~」でした(笑)
どうしてそう思うのか?と伺いましたら、
「あなた、僕がスポット当てたとき、瞬きもせずに明かりを見たじゃない。
あんな強い光をまぶしいとも思わず見返せるなんて才能以外の何でもないでしょ。」
これもとても嬉しかったですね。
でも、結局、舞台そのものではなくて人や物にあこがれてる人は
誰々さんにあいたーい、とかそういうのが優先します。
誰々さんが出ててすごーい、とかね、そういうのばっかです。
まあ、それはそれで悪いともいえないのですが、
ファンと言う感覚と、舞台人の感覚ははっきり違うと思います。
そういうあこがれ方をきちんと演劇に対する情熱に対する気持ちに変換出来ないとこの世界では続きません。
そこで大体ね、見えます。
(根拠ないけどさ、そう思うのよ)
感じるものが違うんだな。うん。
根拠のない何か。
そういうものの音や光が聞こえる、見えることなんだと思います。
そういうのが聞こえることが才能だと思う、今日この頃です。