こちら南国は未だ史上最大の台風15号の強風にゆすられています。
沖縄や奄美など島の方々の安全が守られますように。
また、台風はこれから朝鮮半島に向かうそうですが、
韓国や北朝鮮、中国で台風被害が広がらない様にお祈りしております。
『ちわわンずは台風なので、布団を敷いたまま、まったり~(*´д`*)』
さて、25日、夏休みで戻ってきていた妹家族たちが東京に戻ってゆきました。
東京は27日から新学期です。今頃は始業式の真っ最中でしょう。
私は久しぶりに南国に戻ってきた妹たちとお墓参りをしたり、
山やら海やらにお供させてもらって、数日ですっかり真っ黒になりました。
2日目は南薩を巡り、3日目は母方の墓地へお参り、
その後は海に行ってお買い物に行きました。
4日目は鹿児島の玄関口、鹿児島中央駅の駅ビルアミュプラザでお買い物。
再度、家族で母を見舞ってお別れしました。
妹たちが来てくれなかったら、お日様にもこんなに当たらなかったろうし
普段はそれこそ、行けないところばかりだったので、
私にとってもありがたい日々でした。皆にココロから感謝ヽ(´▽`)/
せっかく鹿児島を巡ったので、廻った場所を少しご紹介。
母方の墓地のある吉野山の下が海なんです。
鹿児島で一番有名な磯海水浴場があります。
『桜島の目の前、磯海水浴場』
『磯海水浴場の真隣、島津家御用邸の磯庭園を磯浜から望む』
ここらは鹿児島市では絶景ポイントの一つです。
なので島津家の別邸があちこちにあります。
九州は比較的、古い建造物が残っている方だと思いますが、
鹿児島は古くより密貿易が行われていたこともあり、
また鑑真さんやフランシスコ・ザビエルに代表されるように
海外とのつながりが深く、島津の殿様がそこから得た海外文化に造詣が深く
またその文化を取り入れていたので、洋風建築などが多く残されています。
私は和洋含め、古いもの、古い建築物が好きなので、
ここら辺は昔からのお気にいりの場所のひとつです。
少し、ご紹介しましょう。
まずは、島津家別邸「仙巌園」別名を磯庭園といいます。
吉野山の麓、桜島を目の前にした広大な土地に島津家の別邸が立っています。
ここは有名観光地で、拝観料が必要な公園なんですが、
ここはデスね、ちっさい頃からの遊び場なんですよ。
隣の美術館やら何やらで、いろいろここで行われる事に
我が家は昔から絡んでいましたので、しょっちゅう来てましたのデス。
感覚的には庭みたいな感じー。
昔はロープウェイもあって、この上の吉野山にある広い公園にも行けたんです。
8・6水害の際に危険だということで封鎖になったのだそうです。
『仙巌園の中。お池から見た別邸 夏はこんな感じ~』
『仙巌園の隣にある尚古集成館 薩摩切子の工房などもあります』
『高麗橋(こうらいばし)のガス灯 薩摩切子で出来ています』
『尚古集成館の工房で作られている薩摩切子』
『異人館。元は外国人指導者の宿舎です。大好きな建物です』
『磯くわはら館』
『明治頃の磯地区の様子 真ん中に異人館、となりが紡績工場
その向こうに磯庭園が見えます』
限られた中、皆の希望や体力的な事もあって多くは廻れませんでしたが、
南薩から市内の北側までは、一応さらりと巡れた気はします。
今回、懐かしい場所を車でトロトロと巡りながら、
一人で昔を懐かしんだりしていました。
今の家族を載せるのもアレなので、懐かしい家族写真を載せてみようかな。
『最愛の母、若き日のもの。
私は母にそっくりと言われるが甥っ子の方が似てると思う』
『私が2年生の時の写真 父の妹を送りに行った飛行場で写した一枚。
写ってるのは父と私と今回戻ってきてた、すぐ下の妹と母』
『妹じゃありません。着物着てますが、紛れもなく弟ですヽ(*´з`*)ノ』
姪っ子曰く「Mくんは城田優くんにソックリだよね~♪」マヂで言ってる?Σ(゜д゜lll)
そう言う東京の甥っ子、姪っ子こそ、めっちゃ外人系、美人系なんですよ。
今回、一緒に街を歩きましたが、中2で既に178センチの外人系美少年&
160センチ、スタイル抜群、超美人の姪っ子、目立つ目立つ(^ω^)
海ではイイ年したお兄ちゃん達が「可愛い、めっちゃ可愛い」
と言っては、とっかえひっかえ覗きに来てましたよ。
まあ、親である我が妹は高校生の時「ミス」でしたし、
ファンクラブもありのカワイコちゃんでしたからねぇ。
その頃の妹は今で言えば宮崎あおいちゃんみたいな顔でしたのよ。
やっぱりねぇ、蛙の子は蛙だね。
でも、妹は姪っ子は私にそっくりだ!と言います(^◇^;)
ちなみに、鹿児島の甥っ子も私にそっくりだ!と皆言います( ̄▽ ̄;)
(ちなみに鹿児島の甥っ子は、関ジャニの横山クンに似てると皆、言うそうで…)
あたし風味があるっつーだけで、100倍以上可愛らしい
姪っ子ちゃんにも甥っ子くんもエライ迷惑な発言です(笑)
まあね、人様から見て、どうあろうが、
あたしには全員カワイイんですケドー( ̄ー ̄)
(世界一のおばバカですから)
『最後は日頃お世話になっている地元の妹(三女)でつ。
妹が来ているニットのベストは5年生くらいの時に、
母と一緒に編んであげたもの。懐かしいのォ』
こんな家族の住む家に育ちましたのデスわ(*´∀`*)
庭には公園並みの父の手作り遊具が並び、
ママゴトやお人形遊びの道具は父と母があっという間に作ってくれました。
その庭の奥の角には大きないちじくの木がありました。
大きな実がたわわにみのる樹でした。
私はその木がお気に入りでした。
『いつか庭にいちじくの木を植えたいなぁ』
庭を囲む遊具のそばの家の壁には父の手作りのアパート的な小屋があって
犬や猫やほかの動物が一時期は100匹くらい共存してました(マジです)
お母さん犬のおっぱい吸ってたもんね(笑)
家の縁の下で子犬を産んで、一ヶ月くらい経つと
お母さんが私たちに見せに引き連れて歩くのが楽しみでした。
大きくなって遊具がいらなくなると
私用の小屋を作ってもらって、そこで暮らしてたし(笑)
爺ちゃんも小屋を建てて、そこで暮らしてました。
春には庭で窯を作り、セイロを置いて、もち米を蒸したり、
郷土の伝統のお菓子を作ったり、石臼と杵で餅をついたりしました。
七夕の笹飾りをしたり、お正月を迎えるのに父が門松を作ってました。
道具も、着るものも、食べ物も、薬も、もう何から何まで
基本、なんでも作っちゃう家庭だったかと思います(*^_^*)
そういえば、あちこちに向かう途中で
道々に咲いている芙蓉の花を見て思い出しましたが、
昔は庭の真ん中に咲くこの花を見て、
時間を感じていたのを思い出しました。
『酔芙蓉の花です』
酔芙蓉の花は朝は真っ白の花が開きますが、
昼になると淡いピンクになって、夕方、濃い赤ピンクに染まるのです。
その色で大体の時間が分かるので、時計がいらないのでした。
どれもこれも懐かしい思い出です。
今回、妹家族と一緒に巡れてよかったな~。
そんな思い出に浸っていた中、25日で鹿児島に戻って一年目を迎えました。
早かったな、この一年も。何もしてないけど、あっという間の一年でした。
自分が思っていた以上にココロの痛みは深かったみたいで、
戻って、半年位経って、勝手に少し落ち着いたかなーと思っていたんです。
それでメールなんかでアレコレ人と話したりする様にしてたんですが、
そう言うところで、自分の土台がまだ全然グラグラしているために、
自分で自分に新たに傷を作っちゃう様な感じになってしまって。
なんかねぇ、私には何を言ってもいいと思う人もいるのかな?(^◇^;)
これまでがとっても元気で、今も見えてるところが
ぜんぜん元気そうに見えるからなんでしょうね。
傷が見えないから厄介なんだよね。
でも、いろいろと言ってくる人にかぎって、
私のココロの病も知ってる人ばっかりだから
そう言う意味でも、そう言う人達の接し方に疲れたりしちゃって。
まあ、甘えてるな、弱くなってるなって言う自分の反省点なんですが…。
まあ、それだけ、自分も周りの人も自分に必死って
ことなのかな~と思うけど、時々、そういう事に酷く疲れたりして。
そんなんで、この夏は気落ちから寝込んだりすることも多くて、
いつしか、これだけは頑張って来たブログの更新や
手紙すらも全然書けなくなってしまいました。
気持ちがどうしても、そこまで届かなくて、動かないのです。
今は皆さんに申し訳ないなと思いながらご無沙汰しています。
今回、家族と小さな旅をしていても、
越してきた時以上に色んなことが出来なくて。
家族と一緒ですら、ある程度しか出歩けなくなっている自分に気がつきました。
そんな自分でもちょっとびっくりでした。すっごい疲れちゃうんです。
半分は動く気力が出ず、車で待機だったもんなぁ。
みんな迷惑&心配かけて( TДT)ゴメンヨ。
そんなこともあって、医者からはとにかく
心を休ませなくちゃダメだって言われています。
もうしばらくは療養の日々が必要みたいですね。
まあ、外界と接したいと思えるまで、ゆっくり待つしかないかな、と思います。
そうそう、そんな私の毎日なんですが、
つい最近、家族が増えたんですよ。
そう、にゃんこちゃんヽ(´▽`)/
どうやら捨て猫みたいで妹と甥っ子が拾ってきました。
まだ、子猫ちゃんです。
名前は『にゃん』と呼ばれています。
私は「シャムにゃん」と呼んでいます。
ご飯をもらってなかったみたいで、
痩せっぽちですが人懐っこくて可愛い子です。
顔がちっさくてねぇ。
現在、まろくんと一緒に私のアパートでチビ達とは別居中。
今週はちわわンず全員とご対面の予定。
さてさて、どうなることやら(^ω^)
しかし、晩夏も晩夏…
何とか、秋までには手紙書かなきゃ…
頑張ろ…
( ゜ー゜)ノ)"ガンバレ、アタシ!
沖縄や奄美など島の方々の安全が守られますように。
また、台風はこれから朝鮮半島に向かうそうですが、
韓国や北朝鮮、中国で台風被害が広がらない様にお祈りしております。
『ちわわンずは台風なので、布団を敷いたまま、まったり~(*´д`*)』
さて、25日、夏休みで戻ってきていた妹家族たちが東京に戻ってゆきました。
東京は27日から新学期です。今頃は始業式の真っ最中でしょう。
私は久しぶりに南国に戻ってきた妹たちとお墓参りをしたり、
山やら海やらにお供させてもらって、数日ですっかり真っ黒になりました。
2日目は南薩を巡り、3日目は母方の墓地へお参り、
その後は海に行ってお買い物に行きました。
4日目は鹿児島の玄関口、鹿児島中央駅の駅ビルアミュプラザでお買い物。
再度、家族で母を見舞ってお別れしました。
妹たちが来てくれなかったら、お日様にもこんなに当たらなかったろうし
普段はそれこそ、行けないところばかりだったので、
私にとってもありがたい日々でした。皆にココロから感謝ヽ(´▽`)/
せっかく鹿児島を巡ったので、廻った場所を少しご紹介。
母方の墓地のある吉野山の下が海なんです。
鹿児島で一番有名な磯海水浴場があります。
『桜島の目の前、磯海水浴場』
『磯海水浴場の真隣、島津家御用邸の磯庭園を磯浜から望む』
ここらは鹿児島市では絶景ポイントの一つです。
なので島津家の別邸があちこちにあります。
九州は比較的、古い建造物が残っている方だと思いますが、
鹿児島は古くより密貿易が行われていたこともあり、
また鑑真さんやフランシスコ・ザビエルに代表されるように
海外とのつながりが深く、島津の殿様がそこから得た海外文化に造詣が深く
またその文化を取り入れていたので、洋風建築などが多く残されています。
私は和洋含め、古いもの、古い建築物が好きなので、
ここら辺は昔からのお気にいりの場所のひとつです。
少し、ご紹介しましょう。
まずは、島津家別邸「仙巌園」別名を磯庭園といいます。
吉野山の麓、桜島を目の前にした広大な土地に島津家の別邸が立っています。
ここは有名観光地で、拝観料が必要な公園なんですが、
ここはデスね、ちっさい頃からの遊び場なんですよ。
隣の美術館やら何やらで、いろいろここで行われる事に
我が家は昔から絡んでいましたので、しょっちゅう来てましたのデス。
感覚的には庭みたいな感じー。
昔はロープウェイもあって、この上の吉野山にある広い公園にも行けたんです。
8・6水害の際に危険だということで封鎖になったのだそうです。
『仙巌園の中。お池から見た別邸 夏はこんな感じ~』
『仙巌園の隣にある尚古集成館 薩摩切子の工房などもあります』
『高麗橋(こうらいばし)のガス灯 薩摩切子で出来ています』
『尚古集成館の工房で作られている薩摩切子』
『異人館。元は外国人指導者の宿舎です。大好きな建物です』
『磯くわはら館』
『明治頃の磯地区の様子 真ん中に異人館、となりが紡績工場
その向こうに磯庭園が見えます』
限られた中、皆の希望や体力的な事もあって多くは廻れませんでしたが、
南薩から市内の北側までは、一応さらりと巡れた気はします。
今回、懐かしい場所を車でトロトロと巡りながら、
一人で昔を懐かしんだりしていました。
今の家族を載せるのもアレなので、懐かしい家族写真を載せてみようかな。
『最愛の母、若き日のもの。
私は母にそっくりと言われるが甥っ子の方が似てると思う』
『私が2年生の時の写真 父の妹を送りに行った飛行場で写した一枚。
写ってるのは父と私と今回戻ってきてた、すぐ下の妹と母』
『妹じゃありません。着物着てますが、紛れもなく弟ですヽ(*´з`*)ノ』
姪っ子曰く「Mくんは城田優くんにソックリだよね~♪」マヂで言ってる?Σ(゜д゜lll)
そう言う東京の甥っ子、姪っ子こそ、めっちゃ外人系、美人系なんですよ。
今回、一緒に街を歩きましたが、中2で既に178センチの外人系美少年&
160センチ、スタイル抜群、超美人の姪っ子、目立つ目立つ(^ω^)
海ではイイ年したお兄ちゃん達が「可愛い、めっちゃ可愛い」
と言っては、とっかえひっかえ覗きに来てましたよ。
まあ、親である我が妹は高校生の時「ミス」でしたし、
ファンクラブもありのカワイコちゃんでしたからねぇ。
その頃の妹は今で言えば宮崎あおいちゃんみたいな顔でしたのよ。
やっぱりねぇ、蛙の子は蛙だね。
でも、妹は姪っ子は私にそっくりだ!と言います(^◇^;)
ちなみに、鹿児島の甥っ子も私にそっくりだ!と皆言います( ̄▽ ̄;)
(ちなみに鹿児島の甥っ子は、関ジャニの横山クンに似てると皆、言うそうで…)
あたし風味があるっつーだけで、100倍以上可愛らしい
姪っ子ちゃんにも甥っ子くんもエライ迷惑な発言です(笑)
まあね、人様から見て、どうあろうが、
あたしには全員カワイイんですケドー( ̄ー ̄)
(世界一のおばバカですから)
『最後は日頃お世話になっている地元の妹(三女)でつ。
妹が来ているニットのベストは5年生くらいの時に、
母と一緒に編んであげたもの。懐かしいのォ』
こんな家族の住む家に育ちましたのデスわ(*´∀`*)
庭には公園並みの父の手作り遊具が並び、
ママゴトやお人形遊びの道具は父と母があっという間に作ってくれました。
その庭の奥の角には大きないちじくの木がありました。
大きな実がたわわにみのる樹でした。
私はその木がお気に入りでした。
『いつか庭にいちじくの木を植えたいなぁ』
庭を囲む遊具のそばの家の壁には父の手作りのアパート的な小屋があって
犬や猫やほかの動物が一時期は100匹くらい共存してました(マジです)
お母さん犬のおっぱい吸ってたもんね(笑)
家の縁の下で子犬を産んで、一ヶ月くらい経つと
お母さんが私たちに見せに引き連れて歩くのが楽しみでした。
大きくなって遊具がいらなくなると
私用の小屋を作ってもらって、そこで暮らしてたし(笑)
爺ちゃんも小屋を建てて、そこで暮らしてました。
春には庭で窯を作り、セイロを置いて、もち米を蒸したり、
郷土の伝統のお菓子を作ったり、石臼と杵で餅をついたりしました。
七夕の笹飾りをしたり、お正月を迎えるのに父が門松を作ってました。
道具も、着るものも、食べ物も、薬も、もう何から何まで
基本、なんでも作っちゃう家庭だったかと思います(*^_^*)
そういえば、あちこちに向かう途中で
道々に咲いている芙蓉の花を見て思い出しましたが、
昔は庭の真ん中に咲くこの花を見て、
時間を感じていたのを思い出しました。
『酔芙蓉の花です』
酔芙蓉の花は朝は真っ白の花が開きますが、
昼になると淡いピンクになって、夕方、濃い赤ピンクに染まるのです。
その色で大体の時間が分かるので、時計がいらないのでした。
どれもこれも懐かしい思い出です。
今回、妹家族と一緒に巡れてよかったな~。
そんな思い出に浸っていた中、25日で鹿児島に戻って一年目を迎えました。
早かったな、この一年も。何もしてないけど、あっという間の一年でした。
自分が思っていた以上にココロの痛みは深かったみたいで、
戻って、半年位経って、勝手に少し落ち着いたかなーと思っていたんです。
それでメールなんかでアレコレ人と話したりする様にしてたんですが、
そう言うところで、自分の土台がまだ全然グラグラしているために、
自分で自分に新たに傷を作っちゃう様な感じになってしまって。
なんかねぇ、私には何を言ってもいいと思う人もいるのかな?(^◇^;)
これまでがとっても元気で、今も見えてるところが
ぜんぜん元気そうに見えるからなんでしょうね。
傷が見えないから厄介なんだよね。
でも、いろいろと言ってくる人にかぎって、
私のココロの病も知ってる人ばっかりだから
そう言う意味でも、そう言う人達の接し方に疲れたりしちゃって。
まあ、甘えてるな、弱くなってるなって言う自分の反省点なんですが…。
まあ、それだけ、自分も周りの人も自分に必死って
ことなのかな~と思うけど、時々、そういう事に酷く疲れたりして。
そんなんで、この夏は気落ちから寝込んだりすることも多くて、
いつしか、これだけは頑張って来たブログの更新や
手紙すらも全然書けなくなってしまいました。
気持ちがどうしても、そこまで届かなくて、動かないのです。
今は皆さんに申し訳ないなと思いながらご無沙汰しています。
今回、家族と小さな旅をしていても、
越してきた時以上に色んなことが出来なくて。
家族と一緒ですら、ある程度しか出歩けなくなっている自分に気がつきました。
そんな自分でもちょっとびっくりでした。すっごい疲れちゃうんです。
半分は動く気力が出ず、車で待機だったもんなぁ。
みんな迷惑&心配かけて( TДT)ゴメンヨ。
そんなこともあって、医者からはとにかく
心を休ませなくちゃダメだって言われています。
もうしばらくは療養の日々が必要みたいですね。
まあ、外界と接したいと思えるまで、ゆっくり待つしかないかな、と思います。
そうそう、そんな私の毎日なんですが、
つい最近、家族が増えたんですよ。
そう、にゃんこちゃんヽ(´▽`)/
どうやら捨て猫みたいで妹と甥っ子が拾ってきました。
まだ、子猫ちゃんです。
名前は『にゃん』と呼ばれています。
私は「シャムにゃん」と呼んでいます。
ご飯をもらってなかったみたいで、
痩せっぽちですが人懐っこくて可愛い子です。
顔がちっさくてねぇ。
現在、まろくんと一緒に私のアパートでチビ達とは別居中。
今週はちわわンず全員とご対面の予定。
さてさて、どうなることやら(^ω^)
しかし、晩夏も晩夏…
何とか、秋までには手紙書かなきゃ…
頑張ろ…
( ゜ー゜)ノ)"ガンバレ、アタシ!