今日はハロウィン、万聖節の前夜祭。
私は特定の宗教を持たないけれど、キリスト教にはとてもご縁がある。
なんてったって、なんちゃって「宣教師」なんてのもやった事があるくらいだし(笑)
まあ、たぶん他の人よりは各宗教にちょっと詳しいかもしれない。
だからそれらの話を聞くのが好きで、家を訪ねてくる人とか良く話をします。
大体それらを否定しようにも、内容も知らず物を言うのは失礼だと思うし。
だから出来るだけチャンスがあればいろんな事を聞く事にしています。
さて、わたし自身はどの宗教の中にも真理があり、それらは人のこころを支えていると思っているのです。
いろいろな経験からそれらの不思議と秘密は皆が天に帰るとき一様に明かされて、
人々はそれを難なく心で理解し、そしてさらに学ぶためまたここに帰ってくることも自分なりに実感を持っている。
だから、今何を信じていようと別段心配する事も何もない。
向こうに帰れば、みんな「わかって理解する」のだから。
さて、今日はそのキリスト教のお祭りの前夜祭。
カトリックでは11月は死者の月と呼ばれているそうです。
この一ヶ月の間、亡くなった方たちを思い起こし偲び祈ると聞きました。
明日の11月1日が万聖節(諸聖人の日、すべての聖人の魂を思い起こす日。)
そして11月2日が「死者の日」というそう。
天に帰ったすべての魂を思い起こす日となっています。
皆さんには天に帰られた懐かしい人がいらっしゃいますか?
もしおありならこの二日の日、太陽の光の中に、花の笑顔の中に亡き人の面影を捜し、
月を見上げながら、またちいさなキャンドルを灯しながら、どんな形でもいいのです、
どうぞひととき、天に思いをはせてください。
きっと向こうでたくさんの人々が喜ばれる事と思います。
今日は私の「おばあちゃん」と「おじさん」の話。
わたしのおばあちゃんは「キクさん」と言いました。
私は生きたおばあちゃんに会った事がありません。
私が生まれる前に亡くなってしまったからです。
おばあちゃんの事を聞くとみんな口を揃えたように
「生き仏さまの様な人だった」と言ってくださいます。
わたしのひいおばあちゃんは島津藩の大奥から
最後の島津の人間としてお嫁さんに出た人です。
ひいおばあちゃんはなくなるその時まで「武家の女」だったと聞きます。
その娘のキクちゃんは本当に明るく朗らかで
手仕事と歌の大好きな女性だったのだそうです。
若いときは女学校のお裁縫の先生でした。
そして、とてもとても強い霊能力を持っていたのだそうです。
何を見ても驚かず「何を怖がる事があるね。」と笑っていたそうです。
ある日おじさんが神社におまいりに行ってその跡にいきなり
腹痛に襲われたんだそうです。それはかなりの激痛で。
おばあちゃんはそのおじさんを見ると、
「ああ、神さまが一緒においでになってるよ。
怒ってらっしゃるけど、兄さんは何をしたの?」言いました。
おじさんは神社の山を下りたところでどうしても我慢できず
おしっこをしてしまったんだそうです。
「神さまがおっしゃるにはそこを丁度通るときで
お召し物にかかったんだって、それで怒ってるのよ。
大体、神山でそういうことしたら駄目でしょう?」
そういって手を合わせ、おばあちゃんが神さまに向かって
お詫びをすると、見る見るうちに治ってしまったとか。
面白い人でいつもお洗濯しながらヨーデルを歌い、
映画も大好きで映画館で声を上げて応援をしていたそうです。
人を笑わすことがとっても好きだったって。
決して人の悪口を言わず、常に人の心に魂を傾け、
なにかあれば、身を削ってでも助けようとする人だった。
常に神さま仏様に手をあわせ、さまよう魂にも優しかった。
どんなに苦しくても笑顔を忘れず、いつも何か工夫をしては
子供たちを喜ばせてくれたのだと母が言っていました。
(ここはわたしの母と全く同じです^^)
そんなおばあちゃんは、戦時中に赤ちゃん(おじさん)を産みました。
赤ちゃんが生まれた日は集中豪雨のあった日ですごい雨だったそうです。
次の日、そこに空襲警報がなりました。
産後調子が良くなかったおばあちゃんは、もう死んでもいいから
ここに居たいと訴えたそうですが無理やり防空壕に連れて行かれました。
防空壕は前の日の雨で腰まで水がたまっていたそうです。
おばあちゃんは生まれたばかりの赤ちゃんを守らなくてはと
赤ちゃんを抱いてそこに一晩立ちつづけました。
おばあちゃんは、その水につかっていたために
産後の傷からばい菌が入り、下半身が不自由になりました。
けれどもおばあちゃんは元気を失う事はありませんでした。
年と共に麻痺はひどくなり、動けなくなっていったそうですが
それでも出来る事をせっせとしていたそうです。
お金に少しでも余裕が出来ると、おかずをたくさん作っては
「ああ、たくさん作りすぎちゃった。もったいないから」
と言って、戦後の食べられなかった人々の所に届けたり、
お洋服や帽子やショールなんかを買ってあげても、
苦労している納豆売りや新聞配達の子などに上げてしまうんだそうです。
それもワザワザ水溜りのうえに落として汚したり、転んで少し傷をつけたりして。
「せっかく買ってもらったのにこれじゃあ使えないわね。
品がいいから、だれだれちゃんに使ってもらいましょう」
そういって丁寧に洗って、時にはあげる人の名前なんか縫い取りしたりして、
さしあげるときにはそれはそれは嬉しそうだったと言っていました。
たぶん、私も持ってるものを欲しいといわれるとすぐあげちゃうんですが
(欲しい人のところに行くのが、物も一番喜ぶと思うから)
これはおばあちゃんに似てるんですね~、きっと。
こんなキクおばあちゃんは本当に人に好かれて、
いろんな人が毎日毎日いらしてはおばあちゃんと話をしていたと聞きました。
自分の身体と引き換えに自分の命を守ってもらったおじは
おばあちゃんが大好きで大好きでとても親孝行だったそうです。
高校を卒業し初めてお給料が入ったときには
おばあちゃんを座布団引いた自転車に乗せて、
早朝からおすし屋さんに連れて言ったとか。
早すぎて食べたのは結局いなり寿司とかっぱ巻きだったそうですが(笑)
それでもおばあちゃんは涙を流して喜んで
「こんな美味しいおすしは食べた事がない、
こんな優しい子供を頂いてよかったと」手を合わせたといいます。
おばあちゃんは50歳になったある日、突然死で亡くなりました。
朝ごはんを食べようとみんなで食卓について、
母がお味噌汁を渡そうとしたら、机にパタンと伏せたんだそうです。
いつもみたいに、また冗談をしてるのかな?と
「冗談しても駄目よ」と笑って声をかけたらもう息がなかったとか。
「信じられなくてね、生き返るかもと思って一晩抱いて一緒に寝たのよ、
でも生き返らなかったの」
って母が言っていました。
お葬式はそれはそれはすごい人で、その頃は二階建ての家に住んでいましたが
人が入リきらず、隣のお家を貸してもらって二軒でお葬式をしたそうです。
あるとき、家に一人のおばあちゃんが尋ねて来ました。
そのおばあちゃんはうちのおばあちゃんに助けてもらった事があるそうです。
「お線香を上げさせてください」って遠くからいらっしゃいました。
その時の言葉が忘れられません。
「キクさん、あんたはあんなに親戚にいじめられて
騙されて財産も取られてどれだけ苦労してきたね、
一回でいいからあの人たちに化けて出てやればいいのよ。
でもねえ、キクさんだからね、そんなことは絶対しないわねえ」
私は小さかったけどこれを聞いてとても嬉しく思いました。
生きたおばあちゃんに会ったことがない、と書きました。
そう、私はおばあちゃんに会った事があるのですよ。
4歳のときです。
おばあちゃんには親友で「お亀さん」と言うおばあちゃんが居ました。
その人は南九州で一番古い大きな神社「開聞神社」(ひらききじんじゃ)
の一番の霊能力のある巫女さんであられました。
そこに交通安全のお払いをしにいったとき、
ご神殿のなかでそのおばあちゃんにお会いしたのです。
お亀おばあちゃんは「キクさんが来ているよ。会うね?」
と言っていわゆる「霊媒交信」というものをやってくれました。
おばあちゃんが手を合わせて祈ると、何かが降りてくるのが感じられ
そのおばあちゃんが目を開けたとき、それは違う人のものでした。
口を開くと声も違います。
「おかあさん!」そういって母は涙を流しました。
「まあ、和ちゃん、よく会いに来てくれたねえ。
この子がレイちゃんね?和ちゃんに似て、なんて可愛いかね!
レイちゃん、こんにちわ。おばあちゃんよ。」
「おばあちゃん?おばあちゃん、いつもどこにいるの?」
「あのね、レイちゃん。おばあちゃんはね、神さまのところに居るのよ。」
「神さまのとこ?それはどこね?」
「お空を見るとお日様がキラキラしてるでしょう?
そこの光の中にお国があっとよ。
まぶしいからね、人には見がならんのよ。」
「ふうん、おばあちゃんはそこでなにをしよっと?」
「あのね、レイちゃんのお家はね、ずーっとお侍さんじゃったと。
それからね、いろいろな事がいっぱいあってね、
人と喧嘩をして、怪我させたり、そのつもりはなくてもね、
人に悲しい思いをさせたりしているのよ。
そういう人の中にはね、まだ神さまのお国にこれなくて
困っている人も居るんだよ。
そういう人が助けてくださいって言ってあんた達の所に行く事もあるの。
じゃっけど、見えん人にはなんもしてあげられんでしょう?
だからね、おばあちゃんはいつもこうして(手を合わせて)お祈りをしているのよ。」
「お祈りしたらその人たち助かるの?」
「そうよ、レイちゃんが幸せになりますように、困ってる人が助かりますように、って
本当にお祈りしたら神さまは聞いてくれるんだよ。」
「神さまは一人しか居ないのにみんなが話しても聞こえるの?」
「そうよ、一辺に全部分かるのよ。
だからね、レイちゃんのことも聞いてくれるから困ったらお話しなさい。
そしてね、自分のためだけじゃなくて困ってる人の事も助けてくださいってお祈りしてね。
おばあちゃんもレイちゃんやみんなの為に毎日こうして(手を合わせ)祈ってるからね。」
そう私たちは話をしました。
それ以来祈りというのは私にとって特別なものなのです。
こうして私は天に居る人が生きている事を知りました。
こういう風に見えない世界とつながっている。
それは私を支えている一つの力でもあるのでした。
見えないつながり、天に帰った人とも、そしてここに居る人たちとの。
最近、そんな事を深く考える経験が続いています。
今週はそのことに触れてみたいと思います。
さて続きはまた後で書きましょう。
なくなった魂たちの為に。
<死者のための絶えざる御助けの聖母への祈り~カトリックの祈りから>
「絶えざる御助けの聖母よ、この世を去って主の御許に召された、
わが祖父母、両親、兄弟、親戚、恩人、友人のためにお祈り下さい。
主の御許に召された者の上に、主のあわれみが与えられますように。
私達の臨終の時にも、主においてこの世を去る事ができますように、
私を思いだし、私のためにお祈り下さい。 アーメン。」
<死者のための祈りⅡ>
「あなたのもとに召された私達の家族、友人をあなたの国に迎え、
栄光に与る喜びを御与え下さい。主よ、私達の祈りを聴き容れて下さい。
不慮の死を迎えた人々を顧みて下さい。その罪を赦し、家族の悲しみをやわらげ、
へりくだる者に約束された慰めを御与え下さい。主よ、私達の祈りを聴き容れて下さい。
あなたのもとに召された全ての人が、キリストの贖いに与り、
永遠の喜びに入る事が出来ますように。
主よ、私達の祈りを聴き容れて下さい。」
天国に居る人たちといつも愛を交わす事が出来ますように。
追伸:今日付けで晴れてお仕事を引退(笑)
どこやらの引退選手のごとく、これからいろいろ気をつけて
わが道を歩みますです(^^)
私は特定の宗教を持たないけれど、キリスト教にはとてもご縁がある。
なんてったって、なんちゃって「宣教師」なんてのもやった事があるくらいだし(笑)
まあ、たぶん他の人よりは各宗教にちょっと詳しいかもしれない。
だからそれらの話を聞くのが好きで、家を訪ねてくる人とか良く話をします。
大体それらを否定しようにも、内容も知らず物を言うのは失礼だと思うし。
だから出来るだけチャンスがあればいろんな事を聞く事にしています。
さて、わたし自身はどの宗教の中にも真理があり、それらは人のこころを支えていると思っているのです。
いろいろな経験からそれらの不思議と秘密は皆が天に帰るとき一様に明かされて、
人々はそれを難なく心で理解し、そしてさらに学ぶためまたここに帰ってくることも自分なりに実感を持っている。
だから、今何を信じていようと別段心配する事も何もない。
向こうに帰れば、みんな「わかって理解する」のだから。
さて、今日はそのキリスト教のお祭りの前夜祭。
カトリックでは11月は死者の月と呼ばれているそうです。
この一ヶ月の間、亡くなった方たちを思い起こし偲び祈ると聞きました。
明日の11月1日が万聖節(諸聖人の日、すべての聖人の魂を思い起こす日。)
そして11月2日が「死者の日」というそう。
天に帰ったすべての魂を思い起こす日となっています。
皆さんには天に帰られた懐かしい人がいらっしゃいますか?
もしおありならこの二日の日、太陽の光の中に、花の笑顔の中に亡き人の面影を捜し、
月を見上げながら、またちいさなキャンドルを灯しながら、どんな形でもいいのです、
どうぞひととき、天に思いをはせてください。
きっと向こうでたくさんの人々が喜ばれる事と思います。
今日は私の「おばあちゃん」と「おじさん」の話。
わたしのおばあちゃんは「キクさん」と言いました。
私は生きたおばあちゃんに会った事がありません。
私が生まれる前に亡くなってしまったからです。
おばあちゃんの事を聞くとみんな口を揃えたように
「生き仏さまの様な人だった」と言ってくださいます。
わたしのひいおばあちゃんは島津藩の大奥から
最後の島津の人間としてお嫁さんに出た人です。
ひいおばあちゃんはなくなるその時まで「武家の女」だったと聞きます。
その娘のキクちゃんは本当に明るく朗らかで
手仕事と歌の大好きな女性だったのだそうです。
若いときは女学校のお裁縫の先生でした。
そして、とてもとても強い霊能力を持っていたのだそうです。
何を見ても驚かず「何を怖がる事があるね。」と笑っていたそうです。
ある日おじさんが神社におまいりに行ってその跡にいきなり
腹痛に襲われたんだそうです。それはかなりの激痛で。
おばあちゃんはそのおじさんを見ると、
「ああ、神さまが一緒においでになってるよ。
怒ってらっしゃるけど、兄さんは何をしたの?」言いました。
おじさんは神社の山を下りたところでどうしても我慢できず
おしっこをしてしまったんだそうです。
「神さまがおっしゃるにはそこを丁度通るときで
お召し物にかかったんだって、それで怒ってるのよ。
大体、神山でそういうことしたら駄目でしょう?」
そういって手を合わせ、おばあちゃんが神さまに向かって
お詫びをすると、見る見るうちに治ってしまったとか。
面白い人でいつもお洗濯しながらヨーデルを歌い、
映画も大好きで映画館で声を上げて応援をしていたそうです。
人を笑わすことがとっても好きだったって。
決して人の悪口を言わず、常に人の心に魂を傾け、
なにかあれば、身を削ってでも助けようとする人だった。
常に神さま仏様に手をあわせ、さまよう魂にも優しかった。
どんなに苦しくても笑顔を忘れず、いつも何か工夫をしては
子供たちを喜ばせてくれたのだと母が言っていました。
(ここはわたしの母と全く同じです^^)
そんなおばあちゃんは、戦時中に赤ちゃん(おじさん)を産みました。
赤ちゃんが生まれた日は集中豪雨のあった日ですごい雨だったそうです。
次の日、そこに空襲警報がなりました。
産後調子が良くなかったおばあちゃんは、もう死んでもいいから
ここに居たいと訴えたそうですが無理やり防空壕に連れて行かれました。
防空壕は前の日の雨で腰まで水がたまっていたそうです。
おばあちゃんは生まれたばかりの赤ちゃんを守らなくてはと
赤ちゃんを抱いてそこに一晩立ちつづけました。
おばあちゃんは、その水につかっていたために
産後の傷からばい菌が入り、下半身が不自由になりました。
けれどもおばあちゃんは元気を失う事はありませんでした。
年と共に麻痺はひどくなり、動けなくなっていったそうですが
それでも出来る事をせっせとしていたそうです。
お金に少しでも余裕が出来ると、おかずをたくさん作っては
「ああ、たくさん作りすぎちゃった。もったいないから」
と言って、戦後の食べられなかった人々の所に届けたり、
お洋服や帽子やショールなんかを買ってあげても、
苦労している納豆売りや新聞配達の子などに上げてしまうんだそうです。
それもワザワザ水溜りのうえに落として汚したり、転んで少し傷をつけたりして。
「せっかく買ってもらったのにこれじゃあ使えないわね。
品がいいから、だれだれちゃんに使ってもらいましょう」
そういって丁寧に洗って、時にはあげる人の名前なんか縫い取りしたりして、
さしあげるときにはそれはそれは嬉しそうだったと言っていました。
たぶん、私も持ってるものを欲しいといわれるとすぐあげちゃうんですが
(欲しい人のところに行くのが、物も一番喜ぶと思うから)
これはおばあちゃんに似てるんですね~、きっと。
こんなキクおばあちゃんは本当に人に好かれて、
いろんな人が毎日毎日いらしてはおばあちゃんと話をしていたと聞きました。
自分の身体と引き換えに自分の命を守ってもらったおじは
おばあちゃんが大好きで大好きでとても親孝行だったそうです。
高校を卒業し初めてお給料が入ったときには
おばあちゃんを座布団引いた自転車に乗せて、
早朝からおすし屋さんに連れて言ったとか。
早すぎて食べたのは結局いなり寿司とかっぱ巻きだったそうですが(笑)
それでもおばあちゃんは涙を流して喜んで
「こんな美味しいおすしは食べた事がない、
こんな優しい子供を頂いてよかったと」手を合わせたといいます。
おばあちゃんは50歳になったある日、突然死で亡くなりました。
朝ごはんを食べようとみんなで食卓について、
母がお味噌汁を渡そうとしたら、机にパタンと伏せたんだそうです。
いつもみたいに、また冗談をしてるのかな?と
「冗談しても駄目よ」と笑って声をかけたらもう息がなかったとか。
「信じられなくてね、生き返るかもと思って一晩抱いて一緒に寝たのよ、
でも生き返らなかったの」
って母が言っていました。
お葬式はそれはそれはすごい人で、その頃は二階建ての家に住んでいましたが
人が入リきらず、隣のお家を貸してもらって二軒でお葬式をしたそうです。
あるとき、家に一人のおばあちゃんが尋ねて来ました。
そのおばあちゃんはうちのおばあちゃんに助けてもらった事があるそうです。
「お線香を上げさせてください」って遠くからいらっしゃいました。
その時の言葉が忘れられません。
「キクさん、あんたはあんなに親戚にいじめられて
騙されて財産も取られてどれだけ苦労してきたね、
一回でいいからあの人たちに化けて出てやればいいのよ。
でもねえ、キクさんだからね、そんなことは絶対しないわねえ」
私は小さかったけどこれを聞いてとても嬉しく思いました。
生きたおばあちゃんに会ったことがない、と書きました。
そう、私はおばあちゃんに会った事があるのですよ。
4歳のときです。
おばあちゃんには親友で「お亀さん」と言うおばあちゃんが居ました。
その人は南九州で一番古い大きな神社「開聞神社」(ひらききじんじゃ)
の一番の霊能力のある巫女さんであられました。
そこに交通安全のお払いをしにいったとき、
ご神殿のなかでそのおばあちゃんにお会いしたのです。
お亀おばあちゃんは「キクさんが来ているよ。会うね?」
と言っていわゆる「霊媒交信」というものをやってくれました。
おばあちゃんが手を合わせて祈ると、何かが降りてくるのが感じられ
そのおばあちゃんが目を開けたとき、それは違う人のものでした。
口を開くと声も違います。
「おかあさん!」そういって母は涙を流しました。
「まあ、和ちゃん、よく会いに来てくれたねえ。
この子がレイちゃんね?和ちゃんに似て、なんて可愛いかね!
レイちゃん、こんにちわ。おばあちゃんよ。」
「おばあちゃん?おばあちゃん、いつもどこにいるの?」
「あのね、レイちゃん。おばあちゃんはね、神さまのところに居るのよ。」
「神さまのとこ?それはどこね?」
「お空を見るとお日様がキラキラしてるでしょう?
そこの光の中にお国があっとよ。
まぶしいからね、人には見がならんのよ。」
「ふうん、おばあちゃんはそこでなにをしよっと?」
「あのね、レイちゃんのお家はね、ずーっとお侍さんじゃったと。
それからね、いろいろな事がいっぱいあってね、
人と喧嘩をして、怪我させたり、そのつもりはなくてもね、
人に悲しい思いをさせたりしているのよ。
そういう人の中にはね、まだ神さまのお国にこれなくて
困っている人も居るんだよ。
そういう人が助けてくださいって言ってあんた達の所に行く事もあるの。
じゃっけど、見えん人にはなんもしてあげられんでしょう?
だからね、おばあちゃんはいつもこうして(手を合わせて)お祈りをしているのよ。」
「お祈りしたらその人たち助かるの?」
「そうよ、レイちゃんが幸せになりますように、困ってる人が助かりますように、って
本当にお祈りしたら神さまは聞いてくれるんだよ。」
「神さまは一人しか居ないのにみんなが話しても聞こえるの?」
「そうよ、一辺に全部分かるのよ。
だからね、レイちゃんのことも聞いてくれるから困ったらお話しなさい。
そしてね、自分のためだけじゃなくて困ってる人の事も助けてくださいってお祈りしてね。
おばあちゃんもレイちゃんやみんなの為に毎日こうして(手を合わせ)祈ってるからね。」
そう私たちは話をしました。
それ以来祈りというのは私にとって特別なものなのです。
こうして私は天に居る人が生きている事を知りました。
こういう風に見えない世界とつながっている。
それは私を支えている一つの力でもあるのでした。
見えないつながり、天に帰った人とも、そしてここに居る人たちとの。
最近、そんな事を深く考える経験が続いています。
今週はそのことに触れてみたいと思います。
さて続きはまた後で書きましょう。
なくなった魂たちの為に。
<死者のための絶えざる御助けの聖母への祈り~カトリックの祈りから>
「絶えざる御助けの聖母よ、この世を去って主の御許に召された、
わが祖父母、両親、兄弟、親戚、恩人、友人のためにお祈り下さい。
主の御許に召された者の上に、主のあわれみが与えられますように。
私達の臨終の時にも、主においてこの世を去る事ができますように、
私を思いだし、私のためにお祈り下さい。 アーメン。」
<死者のための祈りⅡ>
「あなたのもとに召された私達の家族、友人をあなたの国に迎え、
栄光に与る喜びを御与え下さい。主よ、私達の祈りを聴き容れて下さい。
不慮の死を迎えた人々を顧みて下さい。その罪を赦し、家族の悲しみをやわらげ、
へりくだる者に約束された慰めを御与え下さい。主よ、私達の祈りを聴き容れて下さい。
あなたのもとに召された全ての人が、キリストの贖いに与り、
永遠の喜びに入る事が出来ますように。
主よ、私達の祈りを聴き容れて下さい。」
天国に居る人たちといつも愛を交わす事が出来ますように。
追伸:今日付けで晴れてお仕事を引退(笑)
どこやらの引退選手のごとく、これからいろいろ気をつけて
わが道を歩みますです(^^)