KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

19日は相方さん(米澤観児)の七回忌です

2016-11-17 | KOFUKU日記

《11月19日は米澤観児6年目のメモリアルディ、そして七回忌になります》


秋も深まり、寒さが増してまいりました。
本当に久しぶりの投稿になりました。

大変ご無沙汰しておりました。
皆様、お変わりございませんか?

早いもので今年も観児さんのメモリアルディがやってまいりました。
こちらでのお知らせが遅くなってしまい申し訳ありません。
実はちびたちの引越の後、身体を壊してしまい、更に秋の初めに台風で被災してしまい、後片付けやなにやらに追われて、今年はなにも動けないまま、パソコンに向かう事やお便りを書くこともとても難しくて、お知らせがこんな時期になりました。


2010年7月1日に白血病である事がわかり、即日入院。
それから138日間の闘病。
139日目に帰天。
あれから今日(11月17日)で2083日が過ぎて行こうとしています。
今度の命日で丸6年。7回忌にあたります。

ご実家の方でも法要をなされますが、ワタクシは今年も各地に居る観児さんの心友さんたち、演劇仲間をはじめ、多くのご友人の皆様と心合わせながら、今年は山の森の家「Teatro de Musa夢の街」にて七回忌の供養をいたします。

観児さんへのコメントや御用のある方はコメント欄にお描きください。
もしくはこちらのツイッターウィジェットからアカウント(@ainonaseruwaza)ご確認のうえ飛んでいただき、そちらからDMをおおくりくださればありがたく存じます。
間違いなく観児さんにお届けいたします。

また墓所のお近くの方は命日の前後にでもお参りくだされば、彼も大層喜ぶ事でしょう。
米澤観児の墓所は東大阪になります。

住所はこちら↓
東大阪市六万寺町1-22-35
往生院六萬寺

開門時間は午前6時から午後4時までとなります。
広いので必ず受付にて米澤観児の墓所の場所をお訪ねくださいませ。
受付所にお花やお線香のご用意もありました。
墓所は細い急な坂道を上ったお山のてっぺん近くにあります。
お訪ねの際はお車やタクシーなどのご利用が無難です。
墓所からは大阪の街が一望できます。絶景です。
ぜひ相方さんと景色を見ながら語らっていただけたら…。
何卒よろしくお願いいたします。


さて、この6年の時間は私にとって短くて長く、長くて短く不思議な時間でした。
多くの人々、特に目上の方々は、もう彼のことを忘れろといわんばかりに「未だにそんな風なの?」と笑ったり嘆いたり否定したりなさいますが、私は一向に相方さんを思い出にすることが出来ないままです。
と言うか、思い出にする気に一向になれません。

みんな、そんなにも簡単に過去の人に出来るんでしょうか?
そうだったらある意味、すごいなぁ。
今も医師等に「自分のやりたかった事くらいあるでしょ?一番やりたかったことは?」と気持ちの移行と言うか、すり替えと言うか、勧められたり、聞かれたりするのですが、ないんですよね。
だって、私たちの一番やりたい事は、お互いが居て初めて成り立つ事だったからです。
そのせいなんでしょうか?いまだ全てが停滞(^^;)

現実は理解はしていても、本当はなくなったことすら魂が認めたがらないので(^^;)未だに彼の遺したモノに触る事も、見ることも難しい有様です。
未だに彼が観ていたお気に入りの映画やドラマは独りでは観る事ができません。
劇場にも独りではドアを開けることが出来ません。
きっと相方さんが居ないという事実を確認せざるを得ないからでしょうね。

以前の家でも相方さんのものは紙くず一つ捨てないで持っていたくせに、多くは見ることならず触れられぬまま箱に入れたままでしたが、荷物を移動した山の家でも、(今年は身体を動かせなかった事も要因の一つですが)、まだ宝箱に囲まれたまま暮らしています。
もう少し、気力と体力が回復しないと完全な片付けは難しそうです。
6年経っても、本当に紙くず一つ捨てる気にならないし(^^;)

彼の遺骨はペンダントの中に納め、彼の形見のアクセサリーと一緒に肌身離さずつけています。

もっとデザインが素敵なものも沢山ありましたが、これはね、完全防水なのです。
先日も「えっ!それはずせないの?」って笑われましたが、彼から婚約指輪の変わりに貰った銀のブレスレットは腕から絶対はずす事ができない形で装着しています。
結婚指輪の代わりの愛犬ぴーちゃんやぴぴちゃんと離れると発作が起きます。
電車にもバスにも乗れないので、何処にもいけません。人にも簡単に逢えない。
もはや人としての正しい生活が不可能になってしまい、いまや障碍者手帳を持つ身となってしまいました。
自分でも、自分自身がこうなるとはびっくりデス。周りはあの元気な人が?ともっとビックリでしょう。
本当に未だに相方さんが居ないのが謎でしかありません。
ちゃんと分かっているのに、分かっていない、不思議です。
そんなにも大事な人だったんですよね、改めて言う事もないですが。

ただ、そんな私も、引っ越して直ぐに祭壇だけはきちんと作り、天に引っ越した方々との交流の場を真っ先にしつらえました。
なんせ、母に相方さんに、ソウルメイトと、心の交流をしなくちゃいけない人がいっぱいデスから。
死を認めたくないくせに、心を出会わす場所がないのは不安って言う困った人です。
毎日、花と御香とお供えを欠かさず、子とあるごとに感謝と平安の祈りを捧げています。

本当に人格も素晴らしく、才能も豊かで、まだまだ若かった人たちが亡くなって、大したお役にも立たない私が人様にご迷惑かけながら生き残ってしまい、それを思えば申し訳なくなる一方です。

そんな私でも、おかげさまで、彼の残してくれた子どもたち(ぴーちゃんとぴぴちゃん、その子どもたちと猫たち)が今や19匹も居ますので、彼らをお世話しなきゃなりません。
乳母婆(うばーば)は間違いなく彼らに生かされております。
ちいさい無垢なる魂たちは、間違いなく彼の命であり宝でありました。
ですから、やっぱり今も相方さんに生かされているんですね。
そんな彼らとの交流の場である山の家は、ある意味、私の聖域です。

なんてったって、山の家には相方さんの好きなものしかないですもん。
自然、犬、猫、芝居の道具に、絵の道具に、てしごとの道具。
いくらでもリフォームできる家。庭も、森もあって、彼にとっては天国。
だから、きっと彼は魂になった今でも、ワンニャンと戯れてるとしか思えませんです(笑)

今頃、相方さんは天国の劇場で忙しいんだろうなぁ。
なんだかんだ言って、なにも柵なく芝居に没頭できている今が一番元気にしているかもしれないなー。
死ぬまで役者で居ることが最大の願いだと言っていたから。
いやいや、優しかったから、地上のみんなの事が心配でならないか。
何にしても、元気で安らかに楽しく過ごしていて欲しいです。
私は変わらず明日からもまた祈りの日々が続く事でしょう。

19日、皆様が一瞬でも彼を思ってくだされば幸いです。



《セルフビルド中の原宿夢の街シアターにて本読み中の一枚》