《マイcamera*相方さんからの贈り物 NikonのD40》
月曜日、久方ぶりに病院の診療に行くことが出来ました。
今回は自分の核となる部分を超否定、いや、
先生は、そういうのは受付ねぇぞ、って意思表示を受け、
まあ、アタシって人様から見たら駄目なのねぇ、
と感じるに至っただけでしたけど(^_^;)
まあ、行けたって事が、大きい事でありました。
なんてったって、ここに越してきてから
特に年を越してから、ぜえったい会わなくてはならなかった人以外に
自分から行って会って話をした、貴重な人なのですもの。
そう、私は何を隠そう(隠してないけど)「ヒッキ―」であります。
好きで引きこもっているわけじゃないけど、嫌いでもない(^_^;)
今は外界を全くと言っていいほど求めない心があるのです。
というか、直接に会いたくないし、話したくない。
決して人が嫌いとか会いたくない訳じゃないけど、
今は安心できるところに一人、犬とじーっといるのがイイのです。
なんていうか、自宅にいる、っていうこの感覚が一番安心する。
自然があって、住むところがあって、犬と家族が居たらなんもいらんわ…
そんな感じ?(^_^;)
《家はいい、のどかだし…》
《軒にはこいのぼりも泳いでるし…》
《実家の庭には作物も実ってるし…》
《野の草も咲きまする》
そんなわたくし目は相方さんの帰天からあと半年で
もう2年にもなろうとしているのに、出来ないことだらけです(-_-;)
いろんな事に適応するのがすごく難しいノダ、、、。
ため息ついても、どうにもならず、、、、。
先日、知り合いの俳優さんが「思い出のあるものを捨てられない」
ってツイートしてらっしゃったのですが、解るなぁ。
私もそうで、越してくるまでに片づけろと言われたものを
整理することが身を切るようにとっても辛かったのを思い出します。
それでも半分以上、それこそ清水から飛び降りる様にして整理して、
残りを持ってきたんですが、全部で8トンだったもんね(・。・;
2人の人を見送って、そしてこういう風に遺品を持つ身になって思うのは
自分に別れの時が来たとき、人に託せないものは、
難しくても整理しておいた方がいいなって事。
だから少しずつ整理もしなくちゃと思うけれども、
やっぱりこれだけたっても見られないもの、触れないものが多くて…。
だってねぇ、相方さんは魂で生きる人だったから
写真じゃなくて。生きてるみたいなんだもん。
帰天した相方さんは写真が大好きでした。
高校に合格した時に買ってもらったNikonのF2と言う
一眼レフを大事にしていましたが、それを始めに、
足しげくカメラ店に通ったり、ネットに張り付いて
F3、D2Hs、それに付随する備品や三脚と、少しずつ集めて行き、
そして、ほんっとにただひたすらに「ぴーちゃん」を写してました(笑)
そんなに好きかい!と突っ込みたくなるくらい(^_^;)
毎日毎日ぴーちゃんを写してましたね~。
出来上がった写真を嬉しそうに見ては丁寧にアルバムに貼る姿を思い出します。
(本当に毎日か!と言うくらい現像だしてました・笑)
そんな彼は不思議なことに亡くなる一年前くらいから、
家の中や、自分の車なんかも一緒に撮るようになりました。
亡くなる数か月前には滅多に贈り物なんてしない彼が
突然、私にもこのD40と言うカメラを買ってくれまして。
毎日何度も病院であっていたのだから、教えればいいことなのに、
今は売っていないD40専用の解説書もネットで必死に探してくれて
カメラと一緒に渡してくれたのです。
D40は他のデジタル一眼レフより、ずっと小さくて
私でも片手でつかめるサイズのカメラです。
今、この小さなカメラを見る度に、
このカメラは彼が私を思って選んでくれたのだなぁ
と思うのです
病身だったにも関わらず、一緒に写真を撮りに行こうと言い
一時退院の度に自分の車を運転し、私とぴーちゃんを乗せて、
あちこちに写真撮りに行きました。
そして最後の日々にはぴーちゃんだけでなく、
私の写真も結構写していったのでした。
いま思えば、彼がフレームに収めた風景はフイルムでなく、
彼の魂に写していったものだとわかります。
今も向こうでその風景を愛おしそうに眺めている気がします。
亡くなってから、彼が整理しきれていなかった写真とか
代わりにきちんとしておいてあげなくちゃと思い、
早々にアルバムとか購入したのでしたが、
当の写真が見られないんですよねー(^_^;)
なんだかねー、寂しーくなっちゃってねー
・・・・・・
で、今も見れないままなのデスわ。
だから、カメラもずっと触れないまま、箱に入れて、
時々、湿気取り替えて、埃払ってが精いっぱいでした。
ご家族は使わないなら売ったりすればいいよ、
とも言ってくれたけど、それは無理。
でも、カメラが語りかけてくるんですよね。
カメラがって言うより、相方さんが、だなー。
「せっかくなのに撮りなよー」って。
で、時々、出して写してみたりもしたんだけど難しかったですね。
それで、すぐしまっちゃうの繰り返しで。
でも、このところ、ちびちびさんたちがお生まれになって
写メを頻繁に撮るようになったのですが、
彼らは動きが早いし、しかも、うちの子、お顔が黒いので、
写メではうまく表情が写らないんです。
一眼レフなら写せるかもと思いましてね、
それがきっかけで、一年半たって、やっとのこと、
カメラを出して自分の傍に置けるようになりましたのデス(^^)
最初の頃はやっぱり切なくなることが多かったのですが、
写メ(ちなみにケータイも形見を使っています)と同じく、
自分の写したものが天国にそのまま届くような気がして、
手紙の代わりのような気持ちでシャッターを押せるようになりました。
今はもっぱらこのD40を活躍させています。
《眠るちびさんたちを写したり~》
《大好きピーちゃんを写したり~》
《ちびさんの成長記録を残したり~》
オートなので押せばきれいに映ってくれるカメラなんですが
最近は、画家でもあった相方さんが良く言っていた
フレームに収める時の写り方が気になるようになって
相方さんの買ってくれた本を取り出したりして、
マニュアルとかやぼかしたりして撮れる様に
少しやり方を読んだりもできるようになってきました。
なんとなく相方さんも喜んでくれている気がしています。
《こんなぼけ写真も撮れる様に~、これは水栽培のバジルのお花》
私は手が小さいので、今は買ってもらったD40だけを使っているのですが、
メンテナンスや湿気とりだけはしっかりとしておいて
ゆくゆくはF3やD2Hsも使えるようになったらいいなぁと思っています。
でも、今は思ってるだけで、いじってもいないんですけどね(^_^;)
長い付き合いの中で彼が私に買ってくれたものは、
自分が幼い頃、一番読んでいたお気に入りの絵本と、
仕事が成功するようにとお守りのぴーちゃんにそっくりのキツネのストラップと
婚約指輪代わりの銀のブレスレットと、このカメラと、
二人が仕事帰りにいつも寄ったラーメン屋さんのどんぶり
(病院から内緒でワザワザ取り寄せてくれた・笑)
そして、最後の最後の贈り物がぴぴちゃん。
彼の買ってくれたものと手元に残された彼の絵だけは
二人の思い出の中に深く深く在るものなので
どこでもなくワタシとぴーちゃんたちの傍に置いてある事が、
相方さんも一番喜んでくれる気がするのでありました。
ところで最後の日々に相方さんの残した写真の中の私は、
殆どがぴーちゃんと一緒に居るところと、
車で彼の隣に隣に乗っている私と、
このD40で何かを写している姿なのでした。
多分、それが相方さんが一番目にして、
一番ココロに残しておきたい姿だったのだろうな、と。
せっかくの贈り物、D40。
相方さんが写していたようなココロで撮れたらいいなぁ。
日々の記憶を切り取るように。
まだまだ、こんな感じで、見たり聞いたり、
したりすることが出来ないことも多いのですが、
時間が経って出来るようになることもあれば、
何か対策がとれるようになることもあると思うし。
焦っても、どうしようもない事をあがいても仕方ないし。
明日はあるのかなんて誰にもわからないし、
何が起こるかなんて、殆ど読めないし。
それならば、D40を抱えて、ちびさんたちと一緒に、
記憶を切り取りながら、今は今の精一杯で歩いてみようと思う、
そんな今日この頃の私なのでした。