KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

笑顔の贈り物

2007-07-30 | KOFUKU日記
皆様、お暑うございますね
こころより暑中お見舞い申し上げます

さて今日は「土用の丑の日」
ものの本によれば「立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間のこと」
夏の土用には食い養生の習慣として「う」のつくものを食べると元気が出るといわれております。
たぶん、今頃、美味しいうなぎやうどん、梅干、なんてのを召し上がっていらっしゃる方もおありでしょうね。
我が家も貧しいくせにエンゲル係数だけは高いので(^^;)頑張って「うなぎ&土用蜆のおすまし」です。
こうして美味しく「習慣」をいただける幸せをかみ締めつつ、皆様方と夏の日々を乗り切れるよう祈っております。

さてさて、昨日はうちのお姫様のキュートな笑顔をご紹介しました(姉バカ)
マックのスマイル0円じゃないけれど、笑顔って善いですよね。
作り物でない、真実の笑顔にはドキュンと撃たれちゃったりしてね(笑)

実は今日、友人にとっても素敵な贈り物をいただいたんです
このところ、友人のお手伝いをさせてもらってたんですが、
そのお手伝いも最後の日を迎えることとなりました。
そうしたら、友人が「ハイ、これ、今までのお礼だよ~」ととっても素敵な時計をくださったんです
白いフェイスとベルトに赤のステッチが効いたそりゃあ可愛い時計でとても素敵なんですよ

実はですね、その仲良しの友人も知ってるので告白しますが、私はプレゼントをするのは大好きだけど、もらうのは「大の苦手」なんです。
その仲良しの友人は本当に気前も心もひろい方で、貧しい私を案じてそりゃ良くしてくださるんですが、贈り物類は結構お断りしてたりしました。
実はそれには、今明かす「秘話」がありまして…
まあ、なんて事はない「トラウマ」ってやつなんですけどね(^^;)

昔、まだ可愛らしくランドセルなんてしょってた頃、学校でクリスマスパーティなるものがありました。
で、恒例の「プレゼント交換」であります。
歌を歌ってプレゼントぐーるぐる回すってあれですよ、あれ。
私の家はその頃とても貧しくて、余分なお金をもらえたりはしませんでした。
「お金はなくとも心は王様」って教育を受けていた私は、プレゼントなるものは心を込めたものであれば、どんなものでも喜ばれる、と固く信じていたのです。
で、何日も前から丹精込めて贈り物を作り、その日に挑んだ!
ところが、歌がとまり、みんなの手に贈り物が渡ったところで声が上がりました。
「何だこれ!買ったものじゃないじゃん!」
そう、その子が手にしていたのは私の贈り物だったのです。
なーんかガッカリしてしまい、、、何にガッカリしたって、そのこを喜ばせてあげられなかったことだったんですが(笑)
それ以来、贈り物って変に気を使うようになってしまって。
特に「お返し」に(笑)
ものをもらうと、見合ったものを返さないと居られない性格になっちゃって。
まあ、きっと子供心に傷ついたんでしょうね。今なら笑えるんですけど。
それで、あげるのはとっても好きなんだけど、もらうのがとっても苦手になってしまいました。

ところが、今日、その仲良しさん(Tくん)からプレゼントを迷わず受け取ったのには理由があったんです。
「高い時計だったからじゃないの~?」うん、そう、、、ってあなた!
何言わせるんですか!(笑)
そりゃあ、素敵なお高い時計だったんですが、理由はもちろんそういう事じゃないです!いや、ホントだから。。。(^。^;)

理由それは、
「友達の笑顔がとっても素敵だったから」(きらりーん

一瞬、「これ~」と出されたときには「も~」って思ったんですが、次の瞬間、それは嬉しそうに渡してくれた彼の笑顔が良くってですね~。
も~、撃たれちゃいまして(そうだったのよ、Tちゃん・笑)
なんか、その笑顔の中に喜んでくれるかな?のどきどき感とか、渡してあげられる喜び(これは私もフェチなんで解ります^^)とか、もう目いっぱい現れてて。
素直~に嬉しかったですねえ~。
だから思わず「きゃ~、ありがと~!」なんて受け取ってしまいましたよ。
そしたら立派な時計だったんで恐縮してしまいましたが。
その時計を見てすぐ思い出したんですが、以前そのお友達がブルガリかなんかのすっごい素敵な時計をしていて、私が「これ可愛いねえ、可愛いねえ」って連発したことがあって。
今度頂いた時計はそれとちょっとデザインが似てて可愛いんですよ。
多分、それを覚えててくださったんでしょうね~。そういう心使いも嬉しかったですね。

予談ですが、彼には超美人のおくちゃまと最愛のベイビー(プリンス)がおられましてね、傍から見たら幸せ道まっしぐらな人なんだけど、どー言うわけか彼自身はチョビット「控えめ」な性格なんですね~。
本人は見た目というのかな~、そういうのをとっても気にしてる様で。
彼はもう全身から善い人オーラが漂っている、穏やかフェイス、ちょっとベビーフェイスさんなんです。
(つまりお歳よりもグーンと若く見えるんだから善いことだと思うんだけど)
でも多分ご本人は。。。なんでしょうか?(まあ誰しもそうですけどね)
良く「俺なんかさあ~」と言ってまして。。
けどT君、私は自信持って言いますよ。
あなたの笑顔はとっても素敵です!
嬉しい顔がほんとうに嬉しそうに出来るってすごいこと!
それはすっごいパワーだと思うよ~!
だって私はそれで今日一日を幸せ~な気分で過ごせたもの(^^)
その笑顔に自信持って欲しいなあ~って思いました。
この場を借りてTくんへ、お礼を。
プレゼント、ありがとうね~。大切に使わせていただきますね!
ラッピング気にしてくれてたけど、何よりもTくんの笑顔が最高のラッピングでしたよ(^^)
これからも、どーぞ仲良くしてやっておくんなさい(笑)

さて、T氏のバースデーは8月だそうだ。。。。。
お返しに悩むところである。。。(笑)

いやー、でも笑顔ってね、最高ですね!



にっこにこ(^O^)

2007-07-29 | KOFUKU日記
ぴーちゃんはよく笑います(^O^)
ご覧の通り、にっこにこニコちゃんです(^^)
(これは「おりこうちゃん」と褒められ、おだてられ、頭をなでられ、
耳をぺったんこにして大喜びの様子を激写いたしました~)
決して暑くて舌だしてへろへろしてるわけじゃありません(笑)
そりゃあ嬉しそうに満面の笑みを浮かべるんですよ。
犬だって笑います。本当です。間違いありません(しつこい)
皆さんの家族(動物たちも含)は笑顔ですか?
笑う門には福きたる、ですよね!
犬でも、猫でも、人間でも、それに虫や花だってね!
みなさんも笑顔の多い毎日でありますように!
Love&Peace(^O^)forever!
Happy&Joy come to you(^O^)/
Love(^O^)hugs You!

なちゅがきたのよ

2007-07-28 | KOFUKU日記
みなちゃま、こんにちわー!
ぴーちゃんでちゅよ!
まいにち、あちゅいあちゅいでちゅねー。
ぴーちゃんもあちゅいあちゅいのよーって言ったら、
おねーたんがちゅめたいちゅめたいの枕をちゅくってくれまちた~!
ちゅごおく、ちゅごおく気持ちいいんでちゅよ!
みなちゃんもちゅぢゅちくちてがんばってくだちゃい(^O^)/

「信じる力」と「世界で一番美しい授業」

2007-07-24 | KOFUKU日記
昨日の関東地方は真夏日となりました。
朝から雲ひとつ無い青空が広がって「夏」そのものって感じ。
お天気が悪い日が続いていましたから目に鮮やかな一日でした。
今日も良いお天気が続いています(^^)

さて、もう夏休みなんですね。あちこちで小さい人たちの姿を目にします。
皆さんはテレビ、見ますか?私は殆どみないんですが、時おり目にするタイトルに心奪われるときがあります。
某局の特別番組に「世界で一番受けてみたい授業」みたいなのがありました。
それも、惹かれた番組名のひとつです。
なぜなら、私ごときがおこがましい気もしますが、あんじゅは時々「先生」として生きるときがあるからです。
「授業」というものをせねばならない立場としては「善い授業」というものにやっぱり惹かれるわけですね。
まあ、基本的に私は「先生」と言う立ち方は苦手です。
どっちかって言うと「等身大」で居ることを心がけています。
つまり、「あるがまま」で「直球勝負」に挑むことが好きなんです(笑)
で、教えるのではなく、自分の持っているタレントをシェアする。
それが私の先生スタイルです。
だから生徒さんも大体先生などとは思ってません。
基本的に私は「あんじゅちゃん」と言う一人の人間で、つまり「仲間」なわけです。
ですから授業も皆で目いっぱい楽しんじゃうぞ~みたいなね(^^)
ほっとんど「遊び」で勉強って言う感じではないです。
ただ、一つだけ自信があることを述べよと言われたら、
私の授業に出てくれる子どもたちは一ヶ月もすると、
「まっすぐに人を見て笑って話が出来るようになる」
という事です。
私の授業は、大人であろうと子どもであろうと、離れたところから、一心に私を見てまっすぐに歩いてきてもらい、そして握手やハグをして挨拶をし、同じようにさようならをするところで終わるのです。
大体、今の子どもは人をまっすぐ見て、リラックスして挨拶になんてこれません。
たぶん、大人はもっと出来ないでしょうね~。
子どもも100パーセントに近い確立で出来ないのですよ。
最初は目を見てまっすぐ歩いてくるだけでよろよろ~って(笑)
で、握手して挨拶するんですが、言葉なんてしどろもどろです。
でも、それが出来るようになる。
しっかり笑顔でまっすぐ向かってきて、ぎゅーっと手を握って
「今日はまた、あのゲームやりたーい」
なんて言ったりできるようになっちゃうのです。
小さい子なんてダーっと走ってきて、がしっ!と飛びついてきて「えへへへえ」と笑ってたりします。
でもそれでいいんです。それが「芝居」する力のすべてになるんです。
それが出来るようになるには「信じる」ちからが大きいのです。
信じることが出来ないとそれはいつまでも出来ません。
信じられないから嘘をつく。目線をはずす、作り笑いをする。
信頼とはそういうものを超えた大きなことなのです。
私が教えている演劇というものはこの「信じる力」が必要なのです。
信じることが出来ないで作る芝居は「作り笑い」と一緒です。
ただ計算して、そんな風に見えるように笑う。嘘をつくことですね。
それを芝居だと思ってしまっては、私の知ってる芝居ではなくなるのです。
(もちろん、技術が全くいらないとは言いませんが、もっと本質的なことの話です)
わたしは以前、ただ一度だけ、この信じる力を教えることの出来る、素晴らしい授業に遭遇しました。

一昨年の冬、私はメンタルな病気の真っ只中にいました。
今は誰も信じてくれませんが、全く人と関われなくなってしまったのです。
そんな時、北海道のシュタイナー学校に演劇の授業に行かなくてはならず。。
そのとき、私は病気だけでなく、演劇に関してもいろいろと悩んでいるというか、考えている時期でした。
今まで培ってきたものと、気づいたことへのギャップの大きさに揺れていました。
どうバランスをとっていいか全くわからなかったのです。
こんな状況では生徒の前になんか立つ事はできない。私はそう思いました。
そこで、悩んだ挙句にそのとき私が一番素晴らしい演技をする人に演劇の授業をしてもらおう!と考えたのです。
私の授業は一貫して「真実を生きること」がテーマ。
まさにそれが出来る人にぜひ、私の仲間を教えて欲しい。
愛する仲間たちに少しでも本物に触れて欲しい。心底そう思いました。
それで依頼したのが兄でした。
私はおにいちゃんの芝居を世界一と思い、心底尊敬しています。
私の知る限り、兄はただ一人「本物の生きた言葉でせりふをしゃべる俳優」です。
兄は「俺は人に教えるなんて出来ないよ」と言いつつも最終的には引き受けてくれました。

はてさて北海道の学校は通常の学校とはシステムもカリキュラムも全く異なります。
授業は「エポック授業」といって、最初の2時間は3週間同じ内容をやるのです。
算数だったら算数、国語だったら国語、と言う風に。
けれどずーっと机に向かってるわけではありません。
算数でも時には歌を歌い、音楽を奏で、手芸をしたり、料理をしたり、ピクニックに行ったり、と色々です^^
この学校には教科書はありません。授業のすべては教師に託されます。
そしてシュタイナー学校の教師に課せられている事は、教師が一人の人間として生徒の前にまっすぐ立ち、その授業が「芸術そのもの」であることです。
もちろん兄はそんな事は知りません。
そして、運命の時はやってきました。
私は仲間たちの前に立ち、なぜ私が授業を出来ないかを語りました。
そしてなぜ「この人」の授業でなければならなかったわけを話しました。
生徒たちはそれを真摯に受け止め、兄を受け入れてくれました。
そして授業が始まったのです。
兄の授業は素晴らしいものでした。
教えることが苦手なんて嘘だろう、と思うほどに。
一緒に体験した教師たちもその素晴らしさに感動していました。
それはそれは美しい授業だったのです。
わたしはいまだかつて、あんな風に感動する授業を体験した事はありませんし、あんな風に教えてくれる指導者に合ったことがありません。
いったい何がそんなに素晴らしかったのでしょうか?
それは、兄が兄の魂をそのまままっすぐに子どもたちに向けて行き、また子どもたちの投げてくる魂をまっすぐに受け取っていたところです。
また「子ども」「生徒」と思わず、「一人の人間」としてみていたことも大きいでしょう。
兄は授業中、一度も上からものをいう事はありませんでした。

実は私は兄を尊敬してるがあまり、兄と演劇をしたことがありません。
教わったこともありません。教えてくれともいえない。。。
お恐れ多くて、近寄れない、あまりに自分の芝居が陳腐で恥ずかしくて見せられない、ってのが本当のところです。
(あたしに芝居教わってる人ごめんなさいって感じですが。。。^^;、いえ、自分の授業は自分のやり方で自信もってやってますのでご心配なく^。^;)
なので、一人で教えてくれと言うには勇気も根性も居るが、このときばかりは仲間たちも居るし心強い。
兄に自分の演技をさらすと言う恥ずかしい思いも何とか押さえられるであろう。
と思いまして、生徒にちんまりと混じり授業を受けたのです。

兄の授業も私と同じで、テーマは「真実を生きる」ことでした。
その授業で彼が教えてくれた事はただひたすらに
「相手をまっすぐに見て、相手の言葉に答える」
「自分の心そのままをはなす」
「どんなときも嘘をつかない」
という事でした。

ずっと以前のことですが、私はあまりにも生きた芝居をする兄に聞きました。
「一体どうやったらそんな風に芝居できるの?」と。

「俺は何にもしてないよ。
 そこに居て目の前に居る人をまっすぐ見ているだけ。
 ただ、ひたすら相手の人を思っているだけ。それがすべてだから。」

兄はそう答えました。
そして一緒に仕事を重ねるうちに、お芝居をしているとき
兄はその人(役)になると同時に、その現実に生きていることが解りました。
どれもこれも「今、起きていること」だから計算やプランは無いのです。
そこで起きていることにただ敏感に反応してる、そう気がつきました。
だから、こんなにも自然で生きてるんだ、と解りました。
だって、多分、照明も音楽も彼には見えても聞こえてもいません。
もちろん、青い空の下にいたり、雨の中にいたりするわけですが、
彼の目には本物の太陽しか見えていないのです。
だから彼は自分が作品を作るとき、音楽や照明は演出に一任しています。
一般のお芝居のように演出にあわせていくのとは作り方が違います。
そこも兄のお芝居の魅力かも知れません。
そういう芝居観を兄は皆に伝えようとしていました。
それはまさに心と心の織り成す作業です。
相手の心をほぐし、リラックスさせ、本当の相手を引き出し、本当の言葉をしゃべらせる、と言うより本当の言葉で会話をする。
それにはお互いを信じる力と信頼が不可欠です。
それを伝えようとする人間に嘘があったら、これっぽっちも実はなりません。
兄はそういう事に嘘が全く無いのです。絶対に嘘をつけない。
本当にそれは人間としてもすごいことだと思います。
嘘がつけないからこうして絵を描いたり、お芝居をしたり、真実を生きる仕事を選んだのだろうなあと思います。
それは生徒たちにすぐに伝わりました。
子供たちはその本質を彼から伝わる心で理解したのです。
そして次々と本物の言葉を語りだしました。
もう鳥肌が立つような瞬間の積み重ねでした。
ここの子どもたち、どこの俳優よりもいい、本当にそう思いました。
だって本当に嘘一つなく生きているんです。

一週間の授業の中で演じた作品を一度だけ授業の後に生徒の一人と兄が演じてくれました。
友達二人の会話劇です。
兄は生徒たちにいつもこういいました。
「その感情になったら始めてね」
決してその役の気持ちを作ってそういう感情になったらではありません。
「その感情になったら」です。
相手役を演じた生徒はそのとき、そうですね、5分、いやもっと黙っていたでしょうか。
その間兄はもうその役になって生きています。
生徒が演じていた役がいのちを持って話し始めました。
兄の演じる役はその言葉に答えて行きます。
15~20分ほどの芝居。そこはもう教室の中ではありませんでした。
子供たちは手を握り締め、身体を抱きしめ、見入っています。
終わった瞬間、だれも声を上げるものも、動くものも居ませんでした。
静寂、そして誰からともなく息をはく音。ただ無言。
目には涙さえ浮かんでいる。
誰かがつぶやくようにいいました。

「すごい、すごいよ、、本物の役者ってこんなにすごいんだ」

本当に本当にそれほどに素晴らしい舞台だったのです。

観終わったあと私は本当にこんなすごい演技が見られたなんて、もうあたし今なら死んでもいい、と本気で思いました(^^;)
(後からにいちゃんに熱く語りました、あんたはすげー!って・笑)
そして、こんな芝居を目の前で観られた子供たちはなんてラッキーだろうかと。たぶん、これは自信を持っていえますが、あれを観た子供たちはあの感動を一生忘れないでしょう。もう絶対にです。
忘れられるわけがないもん、あんなすごいの(笑)
あたしも確実に一生忘れられません。ハイ。
相手役をした子も素晴らしくて、こう言うんです。
「僕は演じていたからすごさがわからなかった。だから演じてるの観たいな」
それは、ちゃんと役として生きていた証拠です。
兄ちゃんも「あいつの目しか覚えてないんだ。あとおぼろげに服を」と言ってましたっけ。
とにかく、次の日から更に生徒たちが生きることに必死だった事は確かです。
そして私も俳優として一番大切なことを教わったのです。

最後、教室をみんなが工夫して舞台にし、発表公演をしました。
兄はある男の子と一緒に出演しました。
その子は病気を抱えていて、人よりもずいぶんとゆうっくり育っている子です。
だからなかなか皆と同じように理解する事は難しいし、せりふなんて覚えるのは皆無って風に思われていました。
ところが、幕が開いたらそのこはちゃんとそこに居て生きていました。
ちゃんとしゃべってる。せりふは台本とは違ってたりします。
けど、ちゃんとしゃべってる。
それが出来たのはその子が兄をまっすぐに信頼して信じて会話していたからです。
途中、兄が涙で話せなくなりました。(もちろん役としてです)
終わってから、彼が言いました。
「かんちゃんが泣いちゃうからさあ、俺びっくりしちゃって、引いちゃったよ~」
兄は「あ~、ごめん、ごめん」と言いながらとても嬉しそうに笑っていました。
なぜってそれはその子がその時間、本当に嘘をつかず真実に生きていたと言う証拠だったからです。
とにかくとても感動的な出来事でした。

演劇をされている方には実に様々な考え方の方がいらっしゃいます。
同じように決してこれだけが正しいと言うものではありません。
ただ、私にとってはそれが一番しっくり来ることです。
もちろん、演劇で本物として生きるという事は、演じている人そのままで生きることでは無いでしょう。
けれど、その演じるために大切な、一番奥の奥の一番大切な部分で嘘をつかない事を兄は教えてくれたんだと思います。
そして私の目指す演劇にはそれがとても大事なことなのです。

私の愛する演劇は信じるチカラが生み出す偽りの無い真実の世界。
そして私にとって演劇を学ぶとは真に生きることを学ぶことなのです。

こころとこころが織り成す、世界一美しい授業。
私はあの北海道の授業の日々を一生忘れないと思います。






月下美人が咲きました^^

2007-07-22 | KOFUKU日記
マンションの住人の方で月下美人と言う珍しいお花を大切に育てていらっしゃる方が居ます。
その方はマンションの周りの花壇も時期にあわせて植え替えをし、わたしたちを喜ばせてくれます。
毎年、この時期になると一夜限りの花を咲かせる月下美人をエントランスに出してくださり、わたしたちに見せてくださるのです。
お花の鉢に「今夜、8~9時の間に開きます。どうぞお楽しみください」とありました。
楽しみに時間に見に行くと、エレベーターが開いた瞬間、それはそれはいい香りが~^^
そして真っ白な大輪の花。
たった一夜のいのちの花。
皆さんにシェアしたくて、写真をとらせてもらいました。
どうぞ、ごらんください^^