KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

春の雨

2012-02-29 | KOFUKU日記
関東の皆様、雪がすごいですね。
どうぞ今日一日、寒さと足元に気を付けてお過ごしください。

さてこちら南国は昨夜から雷を伴う大きな雨が降りました。
今朝は少し晴れて、午後から今週~来週頭にかけて、ずっと雨の様です。
これからは雨が降るごとに暖かくなり、春が深くなっていきます。
今週はもう20度も軽く超えてくるんじゃないかな~。

昨日、父の車でこちらに連れてきてもらう途中、
街中の花壇を観たら、すっかり春の花に変わっていました。
とてもきれいでした。古い街には「花壇」が似合う(笑)

昨日も雨で街中のアパートで過ごしておりましたが
ちびさんたち3匹でアパートベッドを占拠(^_^;)
6畳一間フロなし(-_-;)の狭いワンルームは
ちびたちにすっかり乗っ取られ気味でした。
相変わらず、ちっさい方々はお元気です(^^)


  

《ベットの上はちびさん達のワンダーランド♪
あっという間にお布団がぐちゃぐちゃに…(-_-;)》


 

《取りあえず、あたちを撫でれ、とピピさん
そんじゃ、俺もな!と、まろたん(笑)》


 

《雨の日は寝るに限りますのよ。byちびちびズ》



《ちびたちの大好きなじいたんがお迎えに来ました~。》



さて、昨日は市役所の方が用事で来てくれて、
いろいろとお話をきいてくださいました。
寒い中、ちびたちがとびかかるので、玄関先でしたが
親身になって、こちらの話を聞いて下さり、
病院に行くよりもずっとココロが穏やかになりました。
久しぶりに家族以外の人と話をしたので、ちょっと疲れましたが。
それでもさわやかな気持ちになり感謝です。




《日向ぼっこ中。ピピの視線の先は裏の山の竹たち。
風に乗って音を立てて揺れるのをじーっと見つめています。》



今日で2月も終わり、明日からは3月ですね。
ついこの前、相方さんの命日が訪れたばかりなのに
もう春がやってきて、10年前に帰天したパートナーさん、
Guyくんのメモリアルディがもうすぐやってきます。

あの日は寒い日で、小雨が降っていたなぁ、とか
それからお通夜までの5日間を仲間も一緒に
泊まり込みをしてみんなで過ごしたなぁとか
お通夜の会場で、夜も眠らずに
仲間の皆で手紙の代わりに写経をしたなぁとか
お葬式には有名な芸能人の人たちが300人以上も来てくれて、
今まで、そんな世界で生きる事をとバカにするばかりで、
一度もお芝居を見に来たこともない親戚の人たちが
そうそうたる顔ぶれに本当に驚いてたなぁとか、
出席者全員でミュージカルの歌をうたったなぁとか
昨日の事の様に思い出すのです。

そのあと、Guyくんと仲間と一緒にやっていた
ミュージカルカフェを急に閉めることになり
その店の中で閉店準備をひとりすすめながら、
四十九日の準備を親友と二人でやったのでした。
それから自分も急に家を出なくてはならなくなりました。

決して忘れられないのはGuy君のお母さんの私に対するココロです。
お母さんは10年間の私の日々を本当に心からねぎらい、その上、感謝してくれました。

「あの子が今日までやってこれたのは誰でもない貴女のおかげ。
ずーっと陰で支えていてくれたあなたが居なければ息子は生きていなかったも同じ。

貴女は自分の家族やしたいことを全部犠牲にして、私の知らない世界を、全部一人で面倒見てくれた。
あたしが気楽に過ごして居られたのは、あなたが苦労を全部背負っていたからだ。
あたしは息子の友達も仕事も良く知らない。
それは、あなたが、それだけ傍で良くやってくれていたって証拠じゃないの。

貴女みたいな人はいないのよ。
貴女を大事にしなかったら、息子に恨まれる。
そうじゃなくても私は貴女のしてくれた事、一生感謝し続けるからね。
本当にこれまでありがとう。

だから、福ちゃん、幸せになってね。
貴女には幸せになってほしい。
息子の為にも幸せになろう。
これから誰よりも幸せになろうね、あたしたち。」

たった一人の息子を失って、死ぬほどつらかったであろうお母さん。
同じように大事な人を亡くした気持ちを自分の気持ちと重ねて、
どんなに辛かろうと、何とか励まそうと、
何度も何度も手を握り、そういってくれたお母さん。
話せなくなった息子の代わりに、長い年月を頑張ったと、ほめてくれたお母さん。

私が家を出る日、Guyちゃんの保険金や、いたるところからお金を集めて、
自分も一人になるのに本当に一円も取ることなく、
貴女が10年で作ってくれたお金の、してくれた事への
お礼には全然足りないけけど、今できる精一杯をしてあげたいの
と私の手にそっと400万を握らせてくれたお母さん。


その時私は、Guyちゃんと仕事をし暮らしていくためには
もう死んだと思って10年帰っていなかった実家に一度帰り、
親の借金を払ったり、足りない生活用品を買い揃えたり、
自分に出来る限りのことをしました。
それが亡くなったGuy君が一番喜んでくれることとおもったからです。

彼は先年亡くなった相方さんと一緒で、夢にかける人でしたから、
その為にはよそ見をしない人でした。
それと一緒に走っていたので、私もそうでした。

でも夢をかなえた暁には、私にお金を持たせて実家に帰らせ、
親孝行をさせてあげるね、と言うのが口癖だったのです。
だから、私はまず家に帰って、今までしたくても
出来なかったことをしていこう、と思ったのでした。

そして、家族とは一緒に暮らせない事情があったため、
その残り僅かのお金をもって、ぴーちゃんと二人、
新天地である北海道に渡ったのでした。


今でもGuyくんママとは家族同然です(^^)
相方さんとご縁を繋ぐことになった時も、
一番最初にGuyママと家族に紹介して、
それからずっと私の家族とGuyママが
私たち二人の生活を一番応援してくれました。

相方さんもGuyママとカラオケに行ったり、
毎年Guy君のお参りや法事にも行ってくれて、
ママとも時々電話したりもして、
もちろんお芝居も見に来てくれて、本当に仲良くしていました。

亡くなった息子の代わりにずっと応援するんだ、
と言ってくれて、もうすっかり大人の相方さんに
嬉しそうにお年玉までくれてたママやおばあちゃん。

「貴女の事だからきっとそうしてるとは思うけど、
うちの息子にしてくれた以上に観ちゃんにしてあげるんだよ」
と言っては励ましてくれたGuyちゃんママ。

おかげで私は迷うことなく、Guy君といた時以上に
相方さんに接する事が出来たのでした。
おかげで一心不乱にまっすぐに相方さんとの人生走り切れたのです。
どんな苦労も、どんな大変さも、ぜんぜん怖くなかったし、
本当に全力で愛することが出来ました。

それはそうしてあげなさいと言ってくれるGuyママや私の実の母や、
Guyくんとの日々を傍で見ていた心友や仲間たちの
私に対する信頼がはっきりとあったからです。

そして、Guyからもらった縁やからと
Guyくんの思い出もろとも私を大事にしてくれた相方さんと
「あいつに任せた、あいつをしっかりと愛しきれよ、後悔すんな」、
と天国からエールを送ってくれ続けたGuyちゃんにも感謝しています。


Guyママは相方さんが病気になった時もすぐに電話をくれたりして、
彼がなくなった時もすぐに仲間と病院に駆けつけてくれました。
関東に家族が居ない自分が、それがどれだけ心強かったことか。
こちらに戻る前にも、もちろんママに一番最後に会いに行きました。

人間、やっぱり、自分を良く知ってくれる人がいるっていうのは心強いですね。
自分の歩んできた道を、直接見ていなくても、
貴女ならと認めてくれる人がいるのは本当に嬉しいです。

ママの様な存在の人がいると、相方さんとの日々も
本当にリアルに感じることが出来、強く支えられるのです。


Guy君の時はママに代って、自分が先頭に立って喪主と話をし、
彼にふさわしいお葬式をしてほしいと動き意見しましたが、
相方さんの時は場所も形も私自身が段取りに入る事ができなかったので、
Guy君の時の様な俳優としての満たされたお葬式を
相方さんには用意してあげられませんでした。

最後まで俳優にこだわり続けた相方さんにとっては、
実はそれは寂しかったんじゃないかなと思ったりもして、
どこかずっと相方さんに申し訳ない気持ちでいましたが、
そのことをGuy君ママや親友たちが、

「それ以上に彼の親御さんが望むようにされたんなら、
何よりの親孝行じゃないの。
あなたは彼の代わりに親孝行したんだから何より彼は喜んでるよ。」

と言ってくれて、ほっとしたし、嬉しかったですね。

それでもやっぱり、いつかどこかで、俳優さんやお友達、
ご両親の知らない世界で生きていた相方さんの、
大事な夢を語り合った仲間たちだけで忍んであげたいと思っています。
やっぱり、彼自身が一番大事にしていた世界、
イノチをかけた世界をいつまでも大切にしてあげたいです。


相方さんのご家族も本当にいい方々で、
病気療養中から今日まで本当に助けて頂いています(^^)
療養中の生活を支えて頂き、
亡くなってからも残された私たちを助けて頂き、
お父さんはこちらに引っ越す費用も手続きも助けてくれて、
観ちゃんママはコツコツとためたお金を
私たちのためにと惜しみなく用意して助けてくれました。

それらは全部なにかの時の為にと大切に残していたのですが、
結局帰ってくるためには、そのすべてを使わないといけないことになり、
そして私はここに戻る事が可能になったのでした。

なにしろここへの移動は家3軒分の荷物と倉庫と長距離引越でしたから、
費用も価格も普通の3倍以上でしたので、
本当にあの助けがなければ、ここには戻ってこれませんでしたね。
そのくらい、ギリギリの帰郷でした。

もどっても不安定な生活環境、お金だって、
すっからかんになる状態になるなぁと不安でしたが、
それでも何とかして、ここに帰らないといけないと思ったのは、
Guyくんと同じように、相方さんが
いつか自分が納得する形での成功を得て、自分の手で私をつれ、
私の家族のもとに、自分の家族のもとに連れて帰り、
堂々と親孝行をさせてあげたい、仲良く暮らせるようにしてあげたい。
そして自分と犬たちと共にいつか自然の中で、
自分たちの大事なものを大切にしながら、穏やかな生活をさせてあげたいと、
心から願って、毎日を、俳優と言う日々を
精いっぱいに生きていたことを知っていたからです。

そして、やっぱり、いまのこの選びを
相方さんが一番喜んでくれているような気がするのです。

こんな風に暮らしたいね、と語り合った未来を、
いま私たちが喜んで、楽しんで生きていることが、
天国の相方さんには一番喜んでもらえる気がします。

だから、いまの私は相方さんの未来の夢も
一緒にかなえているのだと思っています(^^)


相方さんのご実家とはGuyママと違い、交流が始まったのが遅かったし、
すむ場所も関西関東と離れていて、また相方さんが亡くなったのが突然でもあり、
家族とはいえ、あまり深い交流がもてずにいて、
Guyママの様に相方さんと居た自分をあまり知っていただけなかったまま、
こちらに戻ってきたのがとても残念です。

さすがにGuy君ママほどに親密になるには年月が必要かとは思いますが、
もう少し近しく居られる時間があったらよかったなぁ、と思うときもありますが、
残念ながら本当に大きな距離が間にあるので、仕方なく…。

だから、いまは遠距離でいても、いつも存在を忘れることなく、
平安を祈りながら、細く長くあたたかなお付き合いが
末永く出来たらいいなと思い暮らしています。

それをまた相方さんが喜んでくれるものと思います(^^)


とにかくGuyママの様に血はつながらずとも、
家族として、自分の人なりや生活を知り、
理解しようと努めてくれ、認めてくれる存在は、
今の私には本当に大きな支えなのです。

それにまさしく人生の証人ですしね。
そういう人が間違ってない、頑張ってるよ、
って言ってくれる人って大事です。
そこに自分の人生に生きていた人たちが生きているからです。

その人たちの為にも、偽らず、まっすぐに生きていたいと思います。



ちょっと息抜き♪

 

《一夜明けてお山のそばのお家で朝です♪
あたしはまだ眠いのよ、と貫禄のピグお姉さま》




《朝ごはんは美呆さんのはったいこクッキーと
カモミールティーに黒糖を添えて頂きます》


 

《まろ兄たん、なにちてるでつか?byピピ》
《ひなたぼっこ、するのでちゅよ》




《オレ、ピピたん、好きなんだぜ
《いつもピピの背中に顎をのっけて安らぐまろたん(笑)》



こんな風に他人事のように自分の人生を振り返ってみても
短い人生のほんの一部だけ抜粋してみてもね、
相当、波瀾万丈、悲喜こもごもな人生で御座います(^_^;)
この年で2人もパートナーを失くす人はなかなかいてへんやろしな~(-_-;)

ゴミ拾って食べないと生きてけないようなハードな環境、
小学生から働きづめで、そんなどん底から、
ばーんと芸能界しかも一握りの世界に飛び込んで、
そんでもって、日本の一等地にショーカフェだ、劇場だ、学校だ、
と自分は無一文でも作れちゃったり、
そうかと思えばあちこちでふらりと自然の中で暮らしてみちゃったり、
その波瀾万丈さに我がことながら良く歩んできたものじゃのう、と感心します。

ただでさえ、半端ない環境と過去だったんで、
相方さんらは人生を一緒に背負うのは重かったろうなぁ…
Guy君も相方さんも本当に大変だっただろうなぁと思うけれど、
彼らはそんなことは一言も問題にしなかったですね。
そんな人生もいいじゃないといつも言ってくれてました。

それよりも、そのことを問題にするであろう周りの人に、
私が傷つけられやしないかと、いつも心配して動いてくれていました。

確かに世の中にはいろんな人がいます。
自分の計り知れない部分は否定して言ってくる人がいます。

私には言わなくても、見えないところで、
相方さんたちにイロイロ言っていた人の多い事(^_^;)

でも相方さんたちは嘘付かない人たちだったから、
いつも内容は全部聞いていました。
もちろん、相方さんたちがどんな対応していたかも知ってました。

そういう人とは親しいだけに悲しいこともあったけど、
究極、相手は相方さんたちを思って言っているので、
私を否定することになっても、相方さんらには
いつもそちらの人の気持ちに合わせて話をしてもらい、
その人との関係を大事にしてもらいました。

私はなにも知らないふりをして、
関わるときは出来ることを一生懸命しました。
それが私たちの選びだった。

大概、そういう人が言ってくることなんて
ホント余計なお世話な話ばっかりなんですけどねー(^_^;)
本音を言えば、そんなことは二人で解決するわ、
ほっとけちゅうねん!って感じ?(笑)
っていうか、自分たちにはもう問題でない事ばかりでしたね。

中には反論しないことで私の立場がないじゃないか!
と心配してくれる人もいましたが、
でも、本当に言える立場になる日が来たら、
相手には面と向かってはっきり言う、
相方さんがそんな人であることを、
私は知っていたから、それでよかったのです。

私はその日が来るのを待つだけだったから。
相方さんたちにはっきりとした信頼がありました。

そんな人たちだったからこそ、
自分も本当に「全部」を預けられたし、
彼らに自分の全部をあげられたんだろうなぁ。


人生って本当に不思議なものですね。

でも本当に人生を振り返って見て、
残念だったなってことは確かにあっても、
損したってことは一つもないなー。

今は本気で冬眠できたらなんて幸せだろう、
とか思うことあるけど、そんな私でも心からそう思うのです。

私の人生は、すごい大変かもしれないけど、
ものすごく幸せなんだなぁーって。
あの人らと居られてよかったーって。
あの人生でよかったーって。

まあ、それだけに、それが失われたことで落ち込んで
こんな日々を送っているわけだけど
それも幸せの裏返しなんだわ、
だから、落ち込むところまで落ち込んでしまえ~、みたいな(^_^;)

少なからずとも、あんなふうに一緒に時を過ごせる人と
2人も出会えたってことがね、すごいよね。
そんな風になかなか突っ走って生きるって難しいって、いまは分かるし。
普通は出来ない人生なんだなーって。
そう思うと、そんな気質をくれた親や土地、環境に感謝だ。

そして、その波乱の人生を取り巻いてくださった人々のなんとありがたい事か。
そうとう風は強かったと思うよ、私の周りは。

そして、いまこうやって生きていられているからね。
犬だけど、子ども達もいる。
しかも、向こうには大事な人たちも待っててくれる。
何よりじゃないか。

うん、うん、私は間違いなく「福ちゃん」なのですよ♪


雨が降って暖かくなるように
雨降って地固まるというように
春の雨降って、草木萌動 
そしてまた雨が降り…夏が来て秋がきて冬が来て
そしてまた春が来る。
そんなもんだ、人生は。


今はいろいろあって浮き沈みもあるけど
(いや、それはいつもだな~)
ゆっくり自分を生きればいいかな。
後ろ行ったり、前に行ったりしつつ。
アンバランスもバランスのうち。
それでいいなって思う毎日です。



今日もいい日でありますように




春便り♪~家庭教育

2012-02-27 | KOFUKU日記
昨日は少し冷え込んだ南の国も、もうすっかり春です。
お日様が出てくると気温が一気にあがってぽかぽかです。
お庭の梅も一気に開花(^^)きれいです。



週末はわんこ達の待ちに待ったドライブとお散歩の日(笑)
大喜びで車に乗っておりました。
市内を走るとどこからでも桜島が見えます。


《桜島は今日も噴煙を上げています。今爆発したところ》

 

 

《ちびさんたちは車に乗るのが大好き♪
どれだけ乗っていても酔ったりなんかしませんよ~》

昨日は市内から南薩の方に行きましたが
沿道は春の花がもういっぱい咲いていて
大きな梅や桃の木が満開できれいでした。
もう桜も咲き始めるのも遠くないですね。
南国では春休み始まったらもう桜の季節です。
いつも入学式まで持てばいいなぁと思うのですよ。


さて、この週末は比較的ゆっくりと過ごしました。
眼が良く見えないので、進まなかった作るものも完成したし(^^)
今日はお手紙を書いて送ろうかと思います。

ところで、私の実家には小学5年生の甥っ子がおります。
ジャニーズやミュージカル、ゲームや料理や手仕事が大好きな
ごくごく普通の小学生かと思います。

この甥っ子、ぽっちゃりかげんと優しさが禍してか
良く元気な子にちょっかいをだされるようです。
週末、その悪戯の度を超した友人にキレた甥っ子、
「もう学校に行きたくないんだけど」
と私たちに相談してきました(^_^;)

聞けば確かに度を越している様子。
そこで、妹のあむママは

「じゃあ、まず自分で先生とお友達にそれをちゃんと表明せよ。
そのうえで何も解決しなければ、行かなくてよし」

と言いました。

「えええ!行かなくていいなんて言っちゃだめでしょう」
と思う人もいらっしゃるかと思いますが
私んちは昔から、こんな風にダイナミックな教育です(笑)
だって、究極、自分の事だもんね~。

そしたら甥っ子は宿題と共に先生へ本気で学校に行きたくない旨のお手紙を作成。
(行きたくないのに宿題はするのが面白いけどね・笑)

今日はそれをもって登校するようです。
さて、彼はどんな行動をするのか?結果やいかに!

面白がってるように思われるかもしれませんが、私はいたって本気です。
私はなんにしても、自分の意思が大事だと思いますから。
親の管理のもとであれば、子どもにも学校なんかは
選択の余地があったっていいと思う。

シュタイナーに関わってた人に言わせたら
14歳までは親の権威の元で完全管理をと言うかもしれないけど(^_^;)
でも、私はこれが妹の管理の仕方だと思うのでOKですね。

うちの甥っ子は塾にも行ってないし、
宿題以外の勉強もしませんが
でも以外にも成績はよかったりします。
それは、本人とあむママの力がすごいのですよ。

まず甥っ子は、嫌だ~と言いながら、宿題だけはきちんとします。
その中で教科書を読み返し復習をちゃんとしているんですね。
それだけは欠かさずちゃんとやるんです。

うちは基本、親がそうだったからかもしれませんが
遊びの中にお勉強がしたくなる種が蒔かれているんです(^-^)
おかげで本を読みたくなったり、歴史を調べたくなったり、
科学の実験をしたくなったりして、
それは結局、学校のお勉強につながるんですね。

わが妹ながら、あむママはすごいなぁと思うのは
子どもや小さな犬たちや動物に関することを
面倒だ~、ああ、めんどくさ~と言いながら(笑)
きっちりと楽しんでやっているところデス(^^)

甥っ子が解らないところを聞けば、
必ず時間を作って一緒に問題を解きます。
理解できない部分は、解りやすく手助けをしています。
その為に「よーし、やってみよう!」といって
一緒に実験をしたり、ものづくりをしたりを惜しみません。

実家は妹が稼ぎ頭ですから、彼女にはやることがいっぱいありますが
甥っ子やちいさいさんたちに時間を割いて、自分の時間はなくなって
夜中まで仕事をすることになってもそうしています。
彼女はDVDとか誰かに子供の世話を押し付けるようなことを決してしないのです。

サッカーや運動なんかも、一緒になってやったりするし、
ダイエットだ~と、面白いソフトを見つけてきては
笑い転げながら甥っ子とやってみたり、
甥っ子が歌や踊りが得意なので、いろんな面白い歌を見つけてきては
一緒に歌って、いつしか甥っ子は歴史や化学の事を覚えています。

お金はないけど、格安や無料で行ける博物館などのイベントなどに
積極的に参加しては、沢山の経験を共にやっています。
甥っ子はおかげで、化石を掘る為に島まで旅をしたり
山の学校に行けば、丸太を切り、かまどを作ったり、
フランス料理を習いに行ったりといろんな体験をしているし
それを実生活に生かしてて、いきなりいろいろ作ったりして面白いです。

最近は中学どうしましょうかね~みたいな話が出ており
試しに気になる学校の入試問題を妹と私と甥っ子と
3人それぞれで解いてみながら話したりして、
中高一貫の公立に行きたいなぁ~と言いだして
宿題の宅習にその問題のチャレンジしています。

いろいろな事情があって一般の母子家庭より生活はハードです。
たぶん、普通の子供がしなくていい苦労をいっぱいしてる甥っ子。
でも本人は全然気にしていないそうです。
実家は突然の事で家を出なくてはならなくなったことがあり
一時期はホームレス状態でウィークリーに止まったり、
車中泊やキャンプ生活を長い事していましたが、それでも、

「福ちゃん、レス(笑)もいいもんだよ。
夜、星はきれいだしさぁ。俺、レス時代に戻りたいな~。」

とのたまう大物なのです。
親子でいっつも笑い転げているのを見るとすごいなぁ、ってね。
彼らはココロも生活もほかの人より豊かな感じがしますね。

今もたぶん、ほかの人にはびっくりするくらいのお金しか得られず
やりくりに次ぐやりくりをして頑張っていると思いますが、
私は妹がお金や生活に対する愚痴をいうのを聞いたことが一回もありません。
いつも笑って「何とかなるが~、何とかするが~」と言うだけです。

それどころか、そんな中でも、一緒に暮らすカンナちゃんが
人並みに以上に楽に生活できるようにしてあげたいと、
今までよりもずっと生活のハードルを上げてくれています。
私は同じ生活してたから、今まで10円で済んだところが
100円になるのはすごく大変だと解るので、
その努力が本当に有難いなぁと思います。
でも妹にそれを言えばきっと、それが責任だからと言うだけでしょう。
彼女の努力家ぶりには本当に感心します。
本当に偉いやつです。

道端に子どもを捨てたり、動物捨てたり、虐待したり、
ちょっとの事であきらめたり、苦労と嘆いたり、
そんな事件を知るたび、いうのを聞くたびに
あむさんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたくなりますわ。



《まっすぐに生きてる方々・日向ぼっこ中ですが(笑)》


シュタイナーやモンテッソーリ教育とか、
いろいろな教育にこだわる人は多いし、
そういうのを実践してる人って、その教育を受けさせたら
子どもがそうなる、と思ってる人が多いと思いますが
まったくもって、そうじゃないと思いますね。

もちろんその教育機関に居れば善い影響は受けると思いますが
どんな教育も、家庭教育なしには成り立たないと思うからです。
家庭でのあり方は、学校教育よりも密接で深いものだから。

逆に家庭や親子関係がおろそかな家はどんな教育も無意味だと思う。
これは、そういう教育の場にいたからこそ、強く思うことデス。
いろんな家庭が在り、いろんな事情があるからこそ
家庭、それぞれの教育を大切にすることは大事じゃないかなって思います。
学校教育は、その上に美しさを足してくれるものの様な気がします。

私の昔の話をすると、シュタイナー系の友人は
「すごいね、シュタイナー教育そのものだ」と言います。
でも、私の親はそんな教育全然しりませんでした。

妹も同じですが、私は妹を見る度、本当の意味で
シュタイナーだねぇ、モンテッソーリだねぇ、と思います。

家庭の中に愛があり、大きな意志がきちんとある。
そんな中だから、大きな愛を持ち、
一生懸命生きる人が生まれてくるのかな、
それをあとから見たとき「教育」と呼ぶのかな、
そんな風に感じています。


最後にマザーテレサの言葉から
いま、お子様のいる方や頑張ってらっしゃる方々へ
善い毎日を暮らせるように贈ります!




人は不合理、非論理、利己的です。

気にすることなく、人を愛しなさい。


あなたが善を行うと、

利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。

気にすることなく、善を行いなさい。


目的を達しようとするとき、

邪魔立てする人に出会うでしょう。

気にすることなく、やり遂げなさい。


善い行いをしても、

おそらく次の日には忘れられるでしょう

気にすることなくし善を行い続けなさい。


あなたの正直さと誠実さとが、

あなたを傷つけるでしょう

気にすることなく正直で誠実であり続けないさい。


助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。

気にすることなく助け続けなさい。


あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。

けり返されるかもしれません。

気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。


気にすることなく、最良のものを与え続けなさい…。

**************************

あなたは、

あなたであればいい。

**************************


(世界平和のために何をしたらいいのかと聞かれて)

帰って家族を大切にしてあげて下さい。

**************************

この世で最大の不幸は、

戦争や貧困などではありません。


人から見放され、

「自分は誰からも必要とされていない」

と感じる事なのです。


***************************

神様は私たちに、

成功してほしいなんて思っていません。

ただ、挑戦することを望んでいるだけよ。



いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、

愛が原因で間違った方が素敵ね。

***************************


どんな人にあっても、まずその人のなかにある、

美しいものを見るようにしています。


この人のなかで、

いちばん素晴らしいものはなんだろう?

そこから始めようとしております。


そうしますと、かならず美しいところが見つかって、

そうすると私はその人を、

愛することができるようになって、

それが愛のはじまりとなります。

****************************


今日も善き一日を!



香福*幸福(^^)

2012-02-25 | KOFUKU日記
 

《待望の梅の花が開きました!!》

朝起きると庭からほのかに漂ういい香り…
はいっ!じいじが植えた梅の花が開きました~(^-^)

今年は春が遅く、いまか、いまかと待っておりましたが
やっとやーっと咲き始めてくれました~。

この南の国の春は一瞬です。
あったかくなったな~と思ったらすぐに梅雨が来て、
一気に長い長い夏になるのです。

だからこの瞬間は貴重~。
この香りをいっぱいに楽しんでおかなくては。
まさに香福(こうふく)ですわ。


さて、おちびさんたちは相変わらず元気です。


《ぴーちゃんはお日様と一緒におねんね》

 

《相変わらずの寝相で御座います(-_-;)》



《ちっさいにいちゃんと一緒におやすみ~》

仲良くてほのぼのします♪


*****************************




《もう長い間、持ち続けている、宝物のしおりです》


さて、最近の私は「どう生きるか」ってことをよく考えます。

実は私自身は行く先は見えなくても、自分が見えなくなることはないので
あまり自分の行く末を思い悩むことはありません。
自分をしっかり持って毎日を歩んでいけば
その先に未来がやってくるという風に思うからです。
ただ、居るはずだった人がいない事や、叶えるはずだったことが
一緒にかなえられなくなったことが、とても残念で心に堪えます。

でも、いろいろ考えるのは、いま道を探す若い人が近くにいるからですね。
いつも、そういう人たちと共にいるので、
自分を振り返る機会が他の人よりもたくさんあるのは、
自分を腐らせないためにも、とてもありがたいことだと思います。

でも、実質、他人事ながら、家族みたいなものなので
そういう近しい人の動向には一喜一憂しちゃいますね(^_^;)

私は他の人から言わせたら、ものすごい毒舌を吐く
かなりゆめゆめしい人間の様です(・。・;
相当、変わってるよね~、普通そんな風には生きられないよ~と言われます。

そんな風ですから、私の経験や感覚はあんまり参考にならないとは思いますが(^_^;)
そういう風に生きられている私からすると、こういう選びも悪くないと思うので
私のアンテナにしたがって、一喜一憂が起こるわけですね。

さっき画像の私の宝物のしおりにはこう書いてあります。

「わたしのこころはめざめています」

これは、私の人生の中でものすごく大切にしている言葉です。

わたしのこころはめざめているか?
これがはっきりしていない自分は生きているとは言えないからです。

自分がどんな人間かなんて、はっきりわからないものだけど
それでも人は、自分を探し、自分で決めることを
恐れずに続けなくてはならないと思っています。


不思議のアリスに

『どっちへ行きたいのか分からないのなら、
どっちの道へ行ったって大した違いはないさ。』

って言葉が出てきます。
中にはこれを
「どんなところにもチャンスはある」
と読む人もいますが、私にとって、この言葉は
「自分の意思がなければ、何をしても意味はない」
と言う意味にとらえられます。

そのくらい、今の自分のココロがどうあるのかって事が大事です。
そのせいか、ココロがふらふらしている人を見ると
「なんでそうなんねん!」
とガッカリしすぎちゃって私の方がへこんでしまいます(-_-;)
人の事なんだけどね~。

でもやっぱり近しい人の言葉って真剣に耳を傾けるから、
昨日、雄々しく夢を語ったその身で、その口で、
次の日、簡単にその夢をあきらめられたりすると

昨日のあれはなんだったの?あなたのココロって?
この人の夢って、やりたいことって何?
この人はいったい、何が一番、大切なの?
そんなにころっと自分の気持ちをかえて何故平気でいられるの?
それって、自分に恥ずかしくはないもの?
それほどにあなたの夢や希望は軽い夢でしたか…
それとも、そんなことすら、気にならない心なの?

な~んて、なんだか切なくなっちゃうんだなぁ、、、、

人間確かに、ころっころのココロだけどさ、
人の事なんだけどさ、
余計なお世話なんだけどさ、
でも、そういう場に居合わせるとへこむんだよなぁ。。。。。

そういう人は、日々の何を心に残しているのだろう?
そういう人ほどハウツー本とか見てると思うし
はやりのココロに良い影響あたえる本とか読んでるようなのに
何を読んでいるのだろうなぁ~、文字だけ追ってんのか?と思ってしまうんだなぁ。

もう、そういう行いすらも、単なるマニュアルになっていて
それをすることで「やった」という安心感を得ているだけなのだろうか?
しかもそれに本人気づいていないとか?
そうだったら、怖いよなぁ(-_-;)

もちろん、人間は完璧でないし、間違いもあるし、
それが悪いとはおもいませんよ。

でもね、でもね、自分が辛くならないのだろうか?
あまりにも自分を裏切り続けることに?
がっかりさせ続けることに?
ホントの意味で自分が可愛くないのかな?
自分が楽して、痛くなければ、それでいいのかな?って見える。
私はそこが不思議でならないんです。


アルケミストという本にこういう文章があります

「傷つくのを恐れることは、実際に傷つくよりもつらいものだと、
おまえの心に言ってやるがよい。

夢を追求している時は、心は決して傷つかない。
それは、追求の一瞬一瞬が神との出会いであり、永遠との出会いだからだ。」


私も本当にそう思うなぁ。
人生で真剣に考えるべきことはみんなそうだと思う。
本気でココロに残してほしい一文です。
そして、自分を大切にしてほしいと思います。


夢のある者は希望がある

希望のある者は目標がある

目標のある者は計画がある

計画のある者は行動がある

行動のある者は実績がある

実績のある者は反省がある

反省のある者は進歩がある

進歩のある者は…夢がある


この言葉たちの様に、
夢は泡のように消えていくようなはかないものではありません。
その証拠に人は夢の上に生きているではありませんか?

衣食住を考えてみてください。
人は単純に野の草を食み、寝転がり、そこに暮らしているのではないですよね?

家も、食べ物も、洋服も、誰かがこういうものがあったらいいなぁと夢見て
考え、沢山の苦難を乗り越えて実行に移し、そして形に仕上げたものです。
世の中にあるものは、誰かの夢が現実になったものですよね?

その、かなえられた夢の上に、沢山の人の苦労の上に、私たちは居るのです。
どれだけの人がそれに気が付いているのかな?と思います。

それに気づいている人は、たぶん、どんな苦労をしても夢をかなえる努力を惜しみません。
それよりも、どんな苦労をしたって、夢をかなえようとするはずです。
何故なら、それは自分を幸せにし、その上、人をも幸せにするからです。

大きな夢じゃなくてもいいんです。
世界を変えるようなことじゃなくてもいいんです。
小さな夢をかなえたら、あなたが、そしてあなたといる誰かは
必ず、必ず、幸せを得るのです。
それにはしっかり夢を抱かなくちゃいけません。
本当の幸福とはそういう気持ちの上に咲くのではないでしょうか?

人は、いえ、家族でさえ、相方さんや私の生き方を見て
笑った人もいれば、そんなことするのは無駄だとか、損だとか、
もっとまっとうな暮らし方をすればいいのにとか
果てには不幸な生き方だと言う人が多くいます。

でも、私は相方さんや自分の人生を振り返った時、
まったくもって、不幸だとも、損をしたとも、
無駄だったとも、間違った歩み方だったとも思っていません。

それどころか、どんな苦労をしてでも、ひとつの夢に向かい
その夢に対し、本当にまっすぐに、ストイックに歩み続けられた毎日は
本当に充実したもので、おかげで後悔の一つもなく、
心から幸福であったと思っています。

普通の人には、そんな安定には程遠い、明日の見えぬ人生の歩み方は、
恐ろしくて飛び込めないのが当たり前であると思いますが、
相方さんはそんな怖れを飛び越える勇気のある人でした。
私もまた、彼と共に恐れを飛び越える勇気を得たことに感謝しています。
夢をかなえようとする人の横に生きられた私は同じように幸せを得たのです。
例え、誰がそれを不幸だと呼ぼうとも、私は幸せです。


夢をあきらめた人は人の夢のあとを歩むしかありません。
ですが夢をかなえる人は、おのずから道を作ります。
そして気が付いた時は、あとから人が付いてくるのでしょうね。
それが、どんなに細い道であっても道は道です。
そんな道を作るのはとても尊いことだと思います。

本物の幸福を手にする人になりたいものですね。


まなざしとハチドリのひとしずく

2012-02-23 | KOFUKU日記
夕べはすごい雨でした。
でもお日様が出てきて、今はすっかり晴れています。
気温も20度と高く、ヒーターもコタツもおやすみ。
ちび達は庭で日光浴中(^^)

 
《おひさま、きもちいー♪》



《はむちゃんもあったかいので気持ちよく砂浴び中♪》



《今日のおやつは先日送ってもらったメロン寒天ゼリー、
甥っ子ちび君のお手製デス!プリンを食べたあと取っておいた
可愛い瓶に入れてくれました。光をあびてキラキラ~!》

今日も皆、善い一日をスタートさせました。



《私はちいさないのちたちの純粋な瞳に動かされます》


「目は口ほどにものを言う」
とはこの日本に住んでると良く聞く言葉ですね。

いま一番気になる俳優さんが昨年ゴールデングローブ(アメリカの)の
助演男優賞を取った時、うん、これからもこの人は伸びるな、と感じたのは、
有名になっても目の輝きが強く、それがとても純粋であることでした。

彼は学生演劇の経験はあったもののキャリアがないままデビューしていますが
その演技っぷりは、エンターテイメントをやるものとしての感性が良くて
さらにとてもリアリティがあり、目を見張るものがありました。

キャリアを持ち、たくさんの力を持つ人の中で
ノンキャリアで活動することは大きな重圧もあったと思います。
でも彼は自分を良く知っていて、それをとても生かしていましたし
自分が夢を現実としていることをよく分かってたんだと思いますし、
何よりもそこに傾けているパッションが違ったんだと思います。
それらが彼を支えてくれたのかなと思うわけです。
いまはさらに飛躍されて、その才能を発揮しておられます。
これからも輝きを失ってほしくない方です。


いま、周りを見渡すと、そんな目を持っている人がとっても少ない気がするのです。
大人にしても、こどもにしても、そういう人が多い気がします。
自分で自分が支えられない人が多いとでもいうのかな~。
まず、そこからだと思うけど、自分と戦わない人が多い気がしています。

以前、知ってる若者で、なんというか生き方がふにゃっとしてる人が居て(^_^;)
その人と話をしてみたら、こういうんですね。
「お金がない生活をしたことがないから、お金が無くなるのが怖い。」

「生きる」って人間の本質にまっすぐといえば真っ直ぐなご意見とも思いましたが
この答えから、なぜこの人に芯がないのかわかる気がしました(-_-;)

ご自身が稼ぐお金に目的がないんでしょうね。
つまり生きる目的がはっきりしてないのでしょう。
裏を返せば、生きられれば適当でもOKなんですね。
だから、仕事なんか、自分が適当に出来る仕事だったらなんでもいい。
そして、その安定が壊れるのが何より嫌なんだと感じました。

でも、そういう人は今の状態を愚痴る人が多いです。
夢がかなわないとか、世の中つまらないとか、
そんなに簡単に夢なんて見つかるはずないとか
そんなのは夢持ってる人の優越感、って話をするんですね(^_^;)

いま夢をかなえてる人、意識を持って暮らしてる人のどれだけが
何の苦労も無しでそれを手に入れたと思ってんでしょうか?
そんな認識どうやってできたのか逆に聞きたくなりますが。

かといって、ご自身はそれを必死で探してるようにも見えない。
目の前に楽な幸運が落ちてないから怒ってる感じ。
その癖に持ってるものをなくすることには焦る。
当然、それらを分かち合うなんてことは損だと心の奥底で考えている気がする。

お金、美(若さ)、地位、権力、そういうものに縛られている人は
みな同じオーラが根本にある気がする…。
それがあるから安定しているわけで…。
今持ってる、それらがなくなったら大変だ~とか
今持ってるそれがあると楽だからもっと欲しい~とか
そういう事がそれを求めてる本当の理由のような気がします。

でもそれらは、たとえば311のような大きな出来事が起きたとき
なにも自分を支えてはくれません。
あの震災で皆、そう感じたはずです。
何もかもを失なったとき、自分やいのちや生き方を支えるのは
自分自身の心の中にしっかりと持っている輝く「何か」です。

その何かを見つけようとも、知ろうともしない人が多い気がしてます。
だから、眼が死ぬのかな、って。
輝きも出てこないのかな?って思います。

生き方は自由だし、それが悪いともいえないけど、
なんか私にはしっくりきませんのデス。
田舎に戻り、若いころの日々の事をおもうと余計です。

いま、お金がこれだけないと生活できない、
と言う若い人が多いですよね?
それは本当だろうかね?って思います。

私自身、もう世間がびっくりするくらいの貧しさの中にいたけれど
その渦中にいる時でも、自分が何をしたいか解っていたら
その為に貧乏であることを選ぶことには何も迷いませんでした。

だって、そのために今よりお金のない生活を選ぶだけの事ですよね?
でも、それを大変だって思う、って事の方が不思議なんです。
だって、自分が願う事をかなえるためにすることが「大変」なんですかね?
その為に頑張るって、充実感あるし、結構燃えるもんですけどね。
夢を現実にしてく楽しさ、今は違うのかなー?

たとえば、夢に近しくなろうとして10万しか得られないなら
10万の生活すればいいと思うんですよ。私はそうでした。
自分が工夫すればいいだけの事ですよね?

私の周りもそうですよ。
自分のしたいことをするために、みんなお金や時間を使ってます。
そして、それを必死にやることが、ほかの人のためにつながるのだと良く知っています。
だから、苦労を厭いません。
自分ができることで、いつか誰かに何かをできるようになるからです。
自分の事を真剣に考えれば考えるほど、他の人は自分から切り離せないと解ります。

だけど何をするにも自分の事しか考えていない人、
そういう人は、苦労することを嫌います。
人に何かすることは自分が損をするように感じるからだと思います。

その様に、今の歩みは、自分が自ら得ていくことではなくて、
歩む道にそれが置いてあるかどうか?になってる気がします。
人生において、まずそれらを手に入れられない事が問題になるんでしょうね。
つまりブランド品を買えないことは貧しかったり
人並みでなく、恥ずかしかったりすることになる。

そういう人の貧しさの基準ってなんだろかね。。。
あたしの言う貧乏は学費にもその日のごはんにも困る
命に直結レベルですけどね(^_^;)

確かに自分の心に妥協して時間を使えば、お金になり、生活は潤う、
でも自分の本来やるべき時間は少なくなり、心は満たされない。
なら、いま得られるもので楽しく暮らす力をつければいい。
10万で8万支払いがあったとしたら
2万で暮らす努力をしたらいいと思うんです。

私なんて初めて2人で生活をした時、家計は月6万しかありませんでした。
それでも家賃払って、光熱費はらって、生活費も食費も払って、
3食食べて、お弁当も作ってましたよ。
工夫に工夫を重ねれば出来るもんです。

実際、それだけしかないんだから、それでやるしかないでしょう?(笑)
そんなの無理でしょ、って思う人には永遠に無理でしょうが
やってやろう、やるしかない、と思う人には出来るんですよ。

だって私の尊敬する友人たちはみんなそうやって成功していますから。
朝早くからバイトに行ったり、本当に大変な生活をしているけど
だからって、やるべきことを辞めたりなんかしていませんでした。
少ない自分の時間を有効に使って、自分のやるべきこと
やりたいことを精一杯にやっています。
その努力がいつか実を結んで、自分のしたいことが出来る今を手に入れてます。

そういう人はものすごく一生懸命生きてますよ。
ものすごい覚悟の元に生きてますよ。
そして今あるものに感謝しています。
それで満たされることに喜んでいます。
だから自然と次の階段を上っていくんでしょうね。

それが困難の中でもできるのは、
やっぱり「目的」がきちんとあるから。
やりたいことを、自分の生き方を理解してるから
困難な道だって歩めるんだと思うんですよ。
自分の心がはっきりわかっているからだと思うんです。



そういう人の目はいつもキラキラしています。
嘘偽りのない、このちいさな者たちの様に。
真っ直ぐに自分の見るべきものを見ているのだとおもいます。
輝く何かをしっかり見ているからだと思います。
尊敬する相方さんやパートナーさんもそういう生き方を貫いた人でした。
そして、いつもとても輝いていました。

もちろん、そういう道を選ばなかった人も周りにいます。
昔は死んでるような瞳だった、そんな人の中には、
今生きている中から目標を見出して輝く瞳を手に入れた人もいます。
反面、今いる逃げた場所から、輝く瞳を持つ人を羨ましげに見ている人も多いです。


だから、思うんですよ。
まずは胸に手を当てて聞いてみてください。
あなたは本当に一生懸命生きてますか?
もし、そうじゃなくて、それで否定的な言葉が生まれているなら
ちょっと勇気をだして、一度必死に努力してみるのはどうなのかなーって。
苦労の向こうには絶対に意義あるものが手に入れられるから。
保証します。

人間、そんな簡単にはいかないから、失敗してもいいんですよ。
だって出来るまでやればいいんだから。
何よりも出来るようになることが大事なんだから。
何回できなかったかって事は大した問題じゃないと私は思います。

もし何回やってもできなかった結果になっても
それだけチャレンジし続けたんだから
きっと、そのことを喜べるようになるはずです。

「死ぬ気でやれよ、しなないから」
って言葉もあるんで、
死ぬ気ってやってみる価値あると思います。
あたしも死ぬ気でしたが今まで死んでませんし(笑)

確かにすべてを捨てる、捧げるってのは怖いですけどね。
でもあたしなんか、そういう意味じゃ、
何度自分のすべてを捨てた事か、捧げた事か(笑)

でも後悔は一切ないですよ。覚悟してやったことには。
しかも、やった以上にいろんなもの手に入れてます(^^)

度重なる逆境打破の経験者として思いますが、
自分のすべてかけるくらいの気持ちや覚悟がないなら
何をしたってうまくいかないと思います。
大事なことで気楽にできることなんてないですから。
自分にそういう思いが持てない人は何しても後悔しますし。
自分の決定には失敗や違う未来を受け止める勇気だって必要なんです。
目的を持って生きる、夢をかなえる、ってそういう事じゃないでしょうか。

事実ね、貧乏でどうにもならないのにカキコとかできる人は
その時間はあるのに、今までどういう努力をどれだけしてたんでしょう?
お金貸してください、って市役所とかに駆け込んでみたでしょうか?
誰かに頭こすり付けても頼んでみたりしたんでしょうかねー?

きっとやってませんよね。そう思うんですよ。
そういう人が言う気がするんですよ、貧乏だから仕方ないって。

だって、本当に貧乏な人は今日生きることに必死ですもん。
だって、躊躇してたら死んじゃいますからね。
わたしんちなんかそうでしたもん。
命に直結してますから、ほんとの貧乏は。
人にそんな事話してる時間なんてないって~。

今まで、いろいろ話すると大概軽く生きてる人がまず言いますよ、
「そんなにしてまで生きたくない」とか「あたしには出来ない」とか。
読んで字のごとく、やってないんですよね、そういう努力は。

とはいっても、人は動けないときもあります。
置かれている立場や環境や年齢で強く望んでも無理なこともあります。
でも、心だけはいつかを望み続けることができるんですよね。
今はだめでも、いつか実行できる日が来たらうごけばいいとおもう。
どんな人でも本当に貧乏でも何とかしたいって思うなら
いつかかならずアクション起こせますから。
本当に逃げたかったら恥も外聞もなく動けるはずです。
人間、そういうパワーはすごいものがあるんです。

あたしんちなんか、これまで家に一円もないなんて時はざらだったけど
これまでだって、こうやって生きてるし、なんとか暮らしてますよ。
それはどうしたって生きてかなきゃ、暮らしていかなきゃって
それはそれはものすごい強い意識があるからです。

だからって、こんな家だから、こんなことするのは無理、
なんて思うのはナンセンスです。
事実、実家はホームレス時代があったくらい極貧ですが
甥っ子は有名私立に通ってました。
そりゃ、家族は必死で学費作ってましたけどね。
でもそれも喜びでしょ。

状況では決定的に難しいこともあるかもしれないけど、
選ぶ道はそれだけじゃないし、望めば無限にあります。

だから、どんな状況でも、自分が何をしたくて、どうしたいのか
あきらめずに考えて考えて、思いを溜めて
そしてすこしでも動いてほしいなぁって思います。

原発非難したいけどできないという方も多いですね。
私も昨年夏の終わりに関東から、地震や原発恐怖で避難してきました。
お金はほとんどなかったし、立場的にも絶対無理って言われてたけど
こうやって最終的に自分の願いどおりに避難できました。

でも簡単にできたわけではありません。
私の場合、一般の人よりも、格段、生きている状況が困難です。
お金も借りられないし、保証人も居ないし、地元に帰るとはいえ、
家族は私の面倒を見られる環境にありません。
帰っても今後の金銭的な保証は何もなかったし、
それどころか、家族の借金を返していかなければならない状況もあり、
だからと言って誰かが助けてくれるわけではありません。
そんな中で帰れるともわからない状況なのに
それをお願いするためには先に家を探さねばならなかったり、
本当に本当に大変だったんですよ。

でも、それでも、一緒に暮らす小さい魂たちや
今までのいろいろな事、未来の事を考えて
私はどうしても帰りたいと思いました。
そうできるなら、苦労は構わない、と思いました。

だから何か月も何か月も、ダメを覚悟で必死に掛け合って
話し合いを繰り返したし、自分のできることをしたし、
恥を忍んで人様に何度も何度もお願いも繰り返しました。

でも私は何とかしたいと真剣でした。
だからこそ、協力してくれる人もいて、
私のために動いてくれる人も生まれて
こうして、今ここに私は居るのです。

今は手に入れた、この生活を大切に自分が生きることが
まずはみんなへの恩返しと思い、感謝しつつ暮らしています。
感謝して生きることが大事な気がします。

だから、今困難にあるかたにもあきらめずに
出来る働きかけをしていってほしいと思いますね。


私は本職は舞台俳優です。
今は自分が生きていること、そのものが
俳優業であるという感覚でいきていますが、
自分がオーディションを受ける側からプロになり、
教える側になり、オーディションで判断する側になって感じた事は
やはり、選ばれる人、出てくる人は「目が違う」って事でした。
明らかに輝きが違うんですよ。放つオーラが違うんです。
やる気や自信や思いの純粋さが目や身体にはっきり出てくるんです。
これは子どもでも大人でも同じです。
その輝きは人の心をひきつけます。


「あなた、絶対受かるわよ。目が違うから。」

これは、まったくのキャリアなしでオーディションを受けた
某ミュージカル劇団(オールシーズン・笑)の玄関受付で
受付担当の事務の方に試験前にかけられた言葉です。

突然、そんな事言われてびっくりしたわけですが、
驚いたことにそれはそのとおり現実となりました。
恐ろしいほどの倍率と技術を持つ人の中にポツンとほぼ素人でしたから
まあ、ミラクルと言ってもいいでしょうが(笑)

でもその前も、それから後のこれまでも、この目の輝きに助けられてきました。
いろんな考えに賛同してもらい、助けてもらいました。
バイトだって、仕事だって、あなたの目が真剣だから、
と言って聞いてもらえて、たくさん助けてもらったし、
人もこんな私についてきてくれた。
だからこそ、こんな若さで、一円の資金も持たないまま、
ショーカフェや劇場やカルチャースクールなんて作れたんです。
個人で公演をやったり、好きなこと・やりたいことを存分にさせて頂きました。
今振り返れば、それだけ真剣に生きてこれたんだな、って素直に思う。


私は対して才覚もなければ、借金はあれ、お金もまったくないけど
自分が自分の大事なことを、本当に大切にして生きていたから
皆がそれをする私の目を見て、その真剣さを感じ、
その輝きをみて皆が手を差し伸べてくれたのです。

その真剣さを証明してくれたのは、キャリアとか地位とかではなく
ただ真っ直ぐに真剣なまなざしだった、と今は確信しています。

そして、皆さんからの手助けを大切にして、
いつかお返ししたい、そう思って、
出来る努力をするようにしています。
同じように自分も相手を助ける人でありたいとおもいます。
今も、出来ることしかできないけど、続ける努力をしています。
その思いだけは心にいつも置いています。
感謝を忘れずに生きることは大切だと思います。

そして、それはまたつながって必ず自分に帰ってきます。
そんな上にわたしと友人との交流や絆があります。
家族とのつながりがあります。
それは私のかけがえのない宝です。

私が俳優になるとき願ったことは
今の自分の気持ちをいつまでも持ち続けること、でした。
事あるごとにそれを思いうかべながら生きてきましたが
いま持っている物質的なものでなく、
心に昔と同じ気持ちを持ってる自分がいることが
本当に自分にとって、祝福されたことだと思うのです。

だから、今恐れている人にも、なにか大切なもの
見つけてほしいな、と思うのです。
だから困難に立ち向かうのを恐れないで、
その眼を輝かせてほしいなぁ、と思うのです。

もしかしたら、すごく大変かもしれないけど、価値のある困難です。
今の世の中は何事も「ハッピーにいこう」という風潮があるけど、
苦難にまみれ、困難に立ち向かう人生もまたいいと私は思う。
気楽に生きるのも善し、重く歩くのも善しですよ。
その人に会った歩みで行けばいいと思います。

人生にはいろんなことがあるけど、
心の中で確かなものはいつまでも変わりません。

でもどんなに堅固な思いを持っていても
私の様に心の病で動きたくても動けなくなる時もあります。
したくてもできなくなる日もあるかもしれない。
人間ですから。
だから、人生お気楽派の方も、人生哲学な感じの方も
今、動ける時に動いておくことは、すごく大事だと思います。

私も昔、あれだけ頑張らなかったら、今を悲観したと思う。
でも頑張ってたおかげで、過ぎた人生には後悔がありません。
だからいま、動けなくても、少し休んだっていいや、って思えます。
それだけは、本当に善かったと思えます。

皆さんも実際に本当に大切なものを見つけたら、
なんにも困難と思わないだろうけど(^^)
そういう日が早く来ることを願っています。






「愛と思いやりがあれば、宗教も思想もいらない」

これは私の大好きな言葉で、ダライ・ラマのものです。


最近、原発関係のデモや座り込みが多いですね。
私も、よくそういう活動してるんですか?と聞かれますがNOです。

もともとそういう行為は好きじゃないのですが、
このところ特に荒ぶる気持ちや行いに抵抗が強くなってきました。
別にそういう人を非難するつもりもないですし、止める気もありません。
それはそれで必要な時もあるとおもうからですが、
出来ればそういう方法で解決は望みたくない方です。
自分はひっ迫しているからこそ、穏やかに行く方法もあるんじゃないか
戦うという方法はそういうあり方もあるんじゃないか?と思っています。

先日、原発コミュで海外の方が汚染された日本に帰りたくない
と言っておられることがつぶやかれてました。

私の友人たちは、日本人、外国人共に汚染された日本に対し
懸念よりも先に何かできることはないか?
と考え行動している人が多いです。
日本に居る人は、そんな日本で自分に何ができるか、
海外から来る人の心配をどう消してあげられるかを考えて、
そして実際に行動している人が多いのです。
そこから大きな愛情である思いやりを感じます。

思ってるけど、何も出来ない、という言葉も良く聞きます。
これには、それは本当だろうか?って思ったりもします。
本当に出来ることはないのでしょうか?
だって、私の友人みたいに、何か道を探す人は探すわけだし。

私も17,8年ほど前に自費で各地を巡って
招待公演するツアーをやっていましたが
行く先は自分で動いて探していました。
そういう事は出来ないのでしょうか?
たとえば、クリック募金だってなんだって
そこで出来ることをすればいい気がします。
大きな力じゃないか、って思いますが。

コミュにもやってる人、やってない人いろいろいるんでしょうね。
日本にも本当に事情がある人はいるし、
こちらから間違っていることに思えても
そこに意義をもって真剣でやってる人もいる。
だから、それぞれの意見を述べたくなるんでしょうね。

でも、私はやっぱり闘争はすきじゃないなぁ。
何とか和解を出来る形で解決していくように願いたいです。
だからだめなんだとか、だからこうなったんだ、とかって
言われている方にしたら辛いですよね。
じゃあこれ以上そうならないように、ダメだと思う人が
その人たちのために道を作れたらいいのになって思いますが
なんか世の中はそうはいかないんですかね~。


私が救われるのはそこの管理人さんが
ご自身で対策を重ねられ、常に啓発をなさり、
被ばく対策方法を国内、国外問わずに
惜しみなくシェアしておられることです。
そこには国や人に対する損得のない大きな思いやりを感じます。

私も常に参考にさせてもらっていまして、
家族や周りにこれと言って何も言わないけれど、
料理の中に取り入れたり生活の中に取り入れて、
活用させていただいています。

事実、個人がまず行動できることをしていくことでしか
今の現状を防ぐことも守ることもできないと思いますから。
すごく大切なことをやってくださっていると思いますね。

その方はお茶なども作ってお分けになっておられますが
余裕がないわたしには、手に入れられません。
でも、その方の話を聞いていれば、代わりになるものを
自分の範疇の中で探していくことや工夫が可能です。

大切なのはそこなんじゃないだろうか~。


友人の一人はいつもハチドリのネックレスをしています。
それは「ハチドリのひとしずく」という話から
オリジナルで作られたものです。

こんなお話です。

森が燃えていました
森の生きものたちは われ先にと 逃げていきました

でもクリキンディという名の
ハチドリだけは いったりきたり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます

動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
といって笑います

クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」


彼女のネックレスは
小さな一人の力でもその意思を貫くこと、
相手を思い、実行することの尊い精神を象徴しています。

彼女はだれかにネックレスの事を聞かれると、
その話を静かにしてくれます。
人はその話とその彼女の言動に動かされます。

行動するという事はすごく難しい。
心が思い、体を動かさねば、それはなしえないことです。

私には、行動している友人が多くいますが
その尊さと勇気と愛と思いやりに感謝しているし
その言動には心から尊敬しています。


マザーテレサがこう言っています。

「私たちの行いは、大海の一滴にすぎません。
 何もしなければ、その一滴も永遠に失われます。」


原発コミュのリーダーさんの尊い実践も
聞いている方が何もしなければそれだけです。
海外の方が、日本を思ってます、
と言うだけで何もしなければそれだけです。

それならば、私は出来ることを出来る範囲でやっていきたいと思う。
自分が動いた分だけ、今日の日本はきれいになる、強くなる。
海外の方の不安もそれだけ減るというものです。

私もハチドリの様に小さな働きを真剣にできるものでありたい。
自分の出来ることを大切にしながら、
心と体を動かし、行動に移せるものでありたいです。

それはきっと思いやりに満ちたものであり
永遠と言う結果を生むものになると信じています。



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2012-02-21 | KOFUKU日記

《これからお庭に出るところ(^^)》

今日は曇り。気温は少し緩んであたたかくなってきました。
今夜から数日は雨で20度くらいまで上がるそうです。

ちび達は3匹でお庭とお部屋を行ったり来たりしています。
昨日はピーちゃんに東京のお友達から素敵なお誕生日カードを頂きました。
どうもありがとうございます(^^)


さて、この数日、奈良に住む相方さんのお父さんにプレゼントを製作中。
でも、眼が…やっぱり見えづらいので体も辛くなりがちでなかなか進みません。
早くメガネ、出来てくるといいな~。
今日は目に良い菊花茶をブレンドしたほうじ茶を飲みながら作業です。

そんなこんなでの午後、ピンポーン♪とベルが。
大切な友人のオードリーさまから素敵な贈り物が到着しました~。
ありがとうございます~。




《お菓子にお茶にちびさんたちのおやつまでいっぱいです♪》
《ちび達は大喜び♪ オードリー、ありがとう~!!》


オードリー様とは北海道時代からのお付き合いデス。
相方さんともずっと家族ぐるみのお付き合いをして頂きました。
それぞれ、いろいろあったけれど、あっという間の10年が経ちました。

 

《北海道時代のピーちゃんと智ちゃんとオードリーさま》

オードリーにはダウン症のお嬢さんがいらっしゃいますが、
この智ちゃんはピーちゃんの素敵なお姉さんなのです。
何かにつけて心配してくださり、心かけてくださいます。
ありがたいです。感謝です。

現在は大阪の方でNPO法人 ハニー・ビーと言う団体で活動をなさっておられます。
ハニー・ビーは知的・発達障害のある子どもたちやご家族をサポートしておられます。
障害のある子どもたちを中心に人としての自立・社会参加(就労)を担っていく支援です。

シュタイナー教育をベースにした、魂に優しい環境作りがなされているようです。
療育に悩んでいるお母様方がいらっしゃれば、ぜひご連絡なさってみてください。
下記に住所等、載せておきますね。親身になってくださると思います。

事業概要ははぐくむ 療育支援事業 
◇学習プログラム◇(個別・グループ)
◇トレジョブ(トレーニングジョブ)=職場体験
◇自己表現活動◇   ◇外出体験◇◇農業体験◇
◇農業体験◇
まなぶ 障がい者の自立・就労の意義のために
ささえあい よりそって相談事業
ひろげる 広報活動

豊中市熊野町4丁目19-33 2F
TEL:06-6152-8991 / FAX:06-6152-8992
e-mail m-yagi@honeybe.jp



今回、送ってくださった贈り物の中に、以前、原宿で
ロハス系カルチャースクールをやっていた時に
お茶に出していた奈良の友人の作る無農薬のお茶や
今は長崎で本当に美味しいヴィーガンのスイーツを作る方の
お茶やお菓子が入っていました。



《本当にお世話になった美呆さんのお菓子と健一自然農縁の和紅茶》


善いものを送ってくださってありがたいなぁと思う以上に、
こうして、今も私が良いと紹介した人たちの商品を
大切に購入してくださっていることに感動しています。

これらを手に入れるには当然費用が掛かります。
今の私は余裕がないので、自分では購入はちょっと厳しい(^_^;)
そうなってしまうと、気持ちはあっても人や物からちょっと距離が出来ます。

そんな中で私は買えないにしても、手に入れられなくても、
周りの方がこうしてそういう方とつながってくださるのは嬉しい。
それらを大事にしてくれているのは嬉しい(^^)

きっとオードリーさまがその方々の心や商品を本当に善い
と思ってくださったからのご購入だろうと思います。

そういう風に善いものをシェアをしあえたことの事実と、
それが今もそこにあることがすごく大切な気がします。
なぜなら、そこに自分の姿や心もある気がするからです。




マザーテレサの言葉で好きなものがあります。
こういう言葉です。

*************************

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから‥

*************************

このところ、人とのつながりやシェアと言うのは、
一過性の感情の上にあっては意味がないというか、
とてもさみしいことだと私は感じるのです。

だからでしょうか?
本当の友人とか、つながりとか気持ちっていうのは
関係が大きく変化したときや離れたときにこそ
はっきりとくっきりと見えて来る気がします。


人と人との関係が希薄になったと言われて久しいですが、
人の関係もすごく変わった気がします。

私は若いときからずっとルームシェアしてきました。
当時は男女入り混じって他人同士が暮らすなんて
それこそ奇異な目で見られたもんでした(笑)

でも、私は一度もトラブルになったことがありません。
嫌な思いをしたこともありません。
楽しい思い出ばっかりです。


最近の人たちの中では海外の文化が入ってきて
ルームシェアが流行だし、広まってきている反面、
海外に比べてものすごくトラブルが多いのだそうです。
シェアメイトを訴えるケースがものすごく増えてると聞きました。
しかも、突然、家を出て行ったりして迷惑かけるような人ほど
自由を求めてシェアをしたくなっちゃうんだそうですよ…(・。・;

シェアを楽しくできる人と、トラブルを生む人、
その差はなんだろうか?と考えた時、人に対する思いが違う気がします。

ルームシェアをするには、寛容さの上の厳格さをお互いが持たないとできません。
「同居は魂の結婚、その意識失くしては同居はできない」
とは友人の名言です。

ところが、今は相手に「寛容さ」を持てる以前の
それぞれの持つ常識的な感覚がなさすぎる気がします。

昔は自分の事を自分でするのは当たり前で、相手がしてくれるとは言っても、
人に自分の事をさせることは申し訳ないし恥ずかしいと思うものでした。
でも、今の人は家族でも他人でも、誰かにしてもらう事や、
誰かにさせることが得という意識が強かったりするので違います。


昔の事ですが、旅公演中、カンパニーにわかーい子が入ってきました。
如何にも、誰かに何かをしてもらった事しかない様な現代っ子でしたが、
数か月の旅の中で、同室になった人たちが怒ること怒ること(^^;)

聞けば、洗面所にある歯磨き粉やブラシやタオル、
洗濯場のネットなど、個人のものを勝手に使う。

何かしてもらうとそれなりにお礼は言うが、
自分から助けることはまずない。

次の人が使用する場所を散らかしてしまう。
自分の部屋に至っては散らかし放題。

あんまりすごいことになったので、私が真相を聞く役に(^_^;)
聞いてみると、案の定、

「○○ないなら使っていいよ」と言った、と言う。
「お礼は言いましたし、向こうが勝手にしてくれることだし」と言う。
「自分のテリトリーは自由で当たり前じゃないですか?」と言う。

そう、その人には「自分のものは自分で用意する」とか
「自分が何かをしてあげる」とかって意識は全くなく、
「お金払ってるんだから、自由でしょ?」という意識だったのです。

ながーくシェアしてきてる私はこの答えにびっくりでした(^_^;)

私は恵まれてたのか、なんなのか、シェアメイトは善い人ばかりでした。
だから、「こういう事はしないで」と思ったことも一度もないんです。
皆、その辺のマナーはしっかりしてました。

夕食を一緒にする時は作る人に必ず有無の連絡が数時間前にあったし、
お洗濯だって洗面道具だって、それぞれが自分の道具は自分で用意して
それぞれが相手の迷惑にならないように管理してたから嫌な思いもなかったです。

洗濯物は自分のネットに入れるし、使用後のバスタオルは自分の部屋に干すし、
置き場所も皆で相談してスペースを割り振ってたし。

食事もいつも作ってもらってる人は、洗い物はもちろん、
作れない人はお給料日に御馳走したり、食材を買ってきて足しておいたり。
作れる人は「今日は私に作らせてね!」と言って作る。
そういうのが、絆を深めることにもつながっていきました。

食事別の時は、自分のものには名前を書いておく配慮や
みんなでどうぞと言うメモをはっておいたり、
時には余分に作ってシェアしたり。

光熱費等は折半だったけど、夜中に長く起きてる人は
余分に払うくらいの配慮もありました。

部屋だって、解約するときに皆に迷惑がかかるから
それぞれが意識してきれいに使う事は当たり前でした。

それぞれの生活スタイルを尊重し合って、
自分の行動をコントロールしていたし。

都合でシェアを解消するときは、新しいシェアメイトを相談のうえで探したり、
出ていく人は最低半年分は家賃を保証して、
同居人が支払いで困らないようにしてました。
解約の際、補修費が多く出たら、それまで住んだ人全員で払いました。

そうだからこそ、お互い、甘えられたし、甘えてもらえました。
助け合えたのです。
これらはホームステイしてる場合でも同じ様な意識でしたね。

こういった事はごくごく当たり前かと思っていたんですが、
いろんな話を聞くと、今の人にはものすごく難しい事みたいですね。
一緒に住むとなんでもありの家族や恋人と勘違いしちゃうんですかね(^_^;)
それとも「居候」っていうようなあり方が存在する日本の特質から来るんでしょうか?

アメリカ人の友人、多かったのですが、その人たちがホームステイ受け入れると
日本人はホテルと勘違いしている、最後、必ずいろいろやってくれなかったって言う、
出来ることを自分でやるのは当たり前なのにどうしてだ?と良く言われました(^_^;)


でも、私も思うんですよ。
家族的になれる人ほど、マナーや距離感がきちんとしてるんです。
自己中な人ほど、いい加減になる気がします。

シェアって分かち合う事ですよね。
同じ距離感で存在する努力をすることです。
相手を心から思いやらなくては、決してそのマナーは守れないし
お互いに何が大事かなんて、思い付きすらしなくなります。

善い距離感や相手を思いやって培ってきた関係はなかなか消えません。
その時の感情での付き合い方では消えていくことが多いです。

きっとそれは、その瞬間に本当は目の前に相手がいないからかもしれません。
相手の事をしてあげているようで、実は自分の感情のみが大事なのです。

ゆとり世代と呼ばれる人たちが目の前に対して希薄であるのは
相手を大事にすることを学ぶ前に、自分を大事にすることではなくて、
自分が得をする方法を学んでしまったからなんじゃないかな?と思います。

「みんな、そうだ」とか「そういう人、たくさんいる」
とかいう自分を肯定するための言葉を聞くたびにそう思うのです。

だからこそ、大事にしないといけないものがあるんですね。
それは自分に課せられた大切なものです。


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから‥


これは、すべての「私=自分」と呼べる人々に与えられた言葉だと感じます。


そして
本当に善い時間や思いを一瞬でも心からシェアできた人とは
たとえ、長く合わなくても、どこかでお互いが生きている気がします。

私には数は少なくても、大事なつながりを持つ人がたくさんいます。
多分、今後、一生会わなくても、心を通わせた人の記憶には
必ずお互いのあたたかなものが存在していると感じています。

それが、本当のつながりなんじゃないかな、
これからもそんなつながりを作っていきたい、
そう思う、今日この頃です。