KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

真実への道~季節はずれの雪

2006-11-29 | 演劇、ミュージカル、エンターテイメント
「雪が降ってる…季節はずれの雪だ。最後の喘ぎだ。
マーサ、素敵なマーサ、傷を癒すのはなんて難しいんだろうね…」

その言葉に震えながら、ふと俳優の見ている窓を覗き込む。
窓の外は夜の闇、そして心身と降り積もる雪。
稽古場のちいさな空間は一瞬で春まだ浅い季節はずれの雪降る夜になる。

皆様、ご無沙汰しております。
先週からこの十日あまり、12月に上演される季節はずれの雪の
集中稽古に参加していました。
昼間働いて夜遅くまでお稽古、週末から昨日まではただひたすらに
朝昼とお稽古をしていました。
その合間には衣装や小道具を買いに走ったり、
もうそれはそれはばたばたしていたのです。
昨日で一応11月の集中稽古は終わり、ひと段落しましたが、
お稽古で動けなかった分の仕事がたまっていて、
今日と明日はそれをこなすのにばたばたしています。

この10日間のお稽古は私にとって本当に善い時間でした。
私は見ているだけで演技するわけではありませんが、
一緒に俳優たちのなかに溶け込むような感じでした。
私たちオフィス夢の街で一番大切にしている事は、
お客様に喜んでいただくというのはもちろんの事、
常に「真実(本物)」であるという事でしょう。
今回のお稽古では読み合わせの段階から、
常に相手を見て、相手の起こした感情や言語行動を事細かに受け取り、
そこで自分の中に生まれたものを返していく作業が続けられていました。
つまり、常に本当に感じている事でお芝居が紡がれていくということです。
こうやって私たちが生きているときと同じですね。
それは本当に繊細な繊細な作業なのです。
それから場所が劇場と同じように準備され、
その空間で生きる瞬間がやってきました。
今まで椅子の上だけで動いていた人物達が目の前を生きて動いている。
それはもう圧倒されるような感覚です。
ないはずの窓が見え、雪が降りはじめ、その寒さに体が冷えてゆくのです。
今回の作品はベトナム戦争で親友を失った二人の青年が
その罪の意識や自分への自信のなさを乗り越えようとしたり
自分を探ったりしていく物語です。
そこに恋愛や家族間の苦しみが絡まってドラマになっています。
前半はコメディかと思わせるような内容でありながら、
実は深い深い魂の浄化の物語なのです。
後半、その核心の部分を表すシーンでは
きっと心の涙を流さずに居られないかも知れません。
なぜならそのような感情は多かれ少なかれ誰にも潜んでいるものだからです。
お稽古ではそのような深い感情を幾度か体験するわけですから
時に俳優は立てなくなってしまったり、熱を出してしまったりしてしまうくらいです。
少しづつ、少しづつ俳優たちがより本物に近づいていく道程。
その行き着く先には皆様が居る。その瞬間をともに生きてくださる。

公演まであと一月です。
彼らはここからまた険しい道をのぼっていくのでしょう。
皆様どうぞ「季節はずれの雪」おいでください。
心深く、まるで春の雪のように透明で消え入るような冷たさ、
そして柔らかく、まだ見ぬ春の暖かさを感じさせてくれるような心震える作品です。
今回はあえて演劇には向かないカフェバーという場所を選び、
お客様と一つになれるような空間を目指しています。
特別な空間で、少人数だけのお席だけを用意して上演いたします。
ぜひ一緒にその時間を溶け合いましょう。
劇場で心からお待ちしています。

追伸:
私のブログやつぶや木、RIKIの人生行路、Rainbow Spirit、ばななおやじと一織…
などなどリンクされている場所から公演のチケットをお申し込みのお客様に、
クリスマスは過ぎてしまいますが、このご縁への感謝と永遠の愛を込めて
「羊毛天使さん」を受付にてプレゼントさせて頂きたいと思います。
チケットをお申し込みの際にご覧頂いたブログ名をお書き添えください。
チケットは下記のHPからもお申し込み頂けます。
たくさんの方と虹の輪がつながりますように。

「季節はずれの雪」ご案内は下記までどうぞ
「季節はずれの雪 公演案内」

シアターガイドのHPでも「季節はずれの雪」が紹介されています!!
「シアターガイド」


“te shi go to”

2006-11-22 | 手しごと*スローライフ
日曜日、“つぶや木”の愛ちゃん主催で“杜のねっこぼっこ~ぺこ市”が開かれます。
そのペコ市に私のつたないてしごとたちも並ばせていただく事になりました。
クラフトバザールと同様、随分早いうちにオーダー頂いたのだけれど、
昨日やっとてしごとたちは私のお家を旅立ったのでした(^。^;)
やっとやっと期日ギリギリで送ることができました。
どういう訳かこういうときに限って妙に忙しかったり、
いきなり仕事を変わることになったり、体調が優れずだったり…。
でも、てしごとがひと段落したらそっちのほうも落ち着いてきたりして不思議なものです。

さて、これはもう『いいわけ』にしかならないのは分かってるのですが(^^;)
今日は私のてしごとが遅い理由を述べてみたいと思います(笑)
えーとクラフトを制作するクリエイターとして自分を見たとき
一言で言うならば『仕事として請け負っておきながら
決して仕事として製作しない超我がままクリエイター』と呼べると思います(^。^;)
お待たせしているお客様には本当にすみませんって感じなんですが…。
それにはこういう理由があるのです。
私はてしごとをするとき決してしないことが幾つかあります。
それはまず第一に『心が乱れているときは決しててしごとに触れない』
第二に『時間と戦わない』
第三に『お金を考えながら作品をつくらない』
この三つです。
逆に必ずやることは
第一に『心落ち着き満たされるとき、少しの時間でもいいからてしごとに必ず触れる』
第二に『作品と向き合う』
第三に『誰かの事を想い祈りつつ制作する』
この三つなのです(^^)
というわけで私のてしごとは“遅い”のです。
なんせ常日頃“こころ乱れっぱなし”の私なのでなかなか製作が進まないのです。
てしごと作品には作り手がつくったときの心持ちがそのままに現れる、そう私は思ってます。
乱れた心のまま、作品よりも時間を気にしたりしてつくった作品は
決して善いものにはなりません。
上手には作れても『善いもの』にならないのです。
不思議なもので、例えば糸を紡ぐとしましょう。
心が乱れているとき、糸は真っ直ぐに紡げません。
ぶちぶち切れてしまったり、ぼこぼこと固まりになってしまったりします。
てしごとは片手でやるには難しい作業です。
左と右とのバランス、頭と心のバランスがとれてはじめて形になります。
中には手がない人でもそれを上手くやる人が居ますが
そういう方は他の部分がそのバランスを補っているのでしょう。
この『バランス』が取れていないとてしごとはスムーズに行かないのです。
そういう時の人はなかは、私の中身はとても『複雑』です。
いろいろ思いを駆けめぐらし、あれやこれやと思いつめ、
心と体がバラバラにパンパンになってしまってたりします。
でも逆にてしごとが上手く行くときの私の中身は「超シンプル」なのです。
「だれだれがよろこんでくれるかな~」とか「あーたのしー!」とか
すっごく単純な感情の中にあります。
手仕事をしていていつも思うことは、私のベースは「単純でありたい」ということです。
今の世の中は複雑です。いろいろなものが多様化されて、
日々それらは形を変え複雑さを増してゆきます。
たぶん「統合」させるより「分ける」ことのほうが容易だからでしょう。
けれど分けた分だけ考え方やあり方が増え、それらは難しさも増やしていきます。
そんな風に人間の日々は形を変えながら、難しさを増やしていったのでしょう。
世の中には難しいことがいっぱいです。
政治、経済、国や戦争の問題、いろいろあります。
本当はそれらを一つ一つ考えて行くことも本当に大切なのだろうけれど
私はそういう世の中にあって、極単純な部分に居たいと思うのです。
もともと私たちは本当にシンプルに生きて居たんだと想うのですよ。
その頃はきっと我々は一つだったのです。
一つで居られた理由、それはきっと『バランス』が取れていたから。
いまは逆のバランスを取るためにいろいろなものが多様化しているのでしょう。
クラフトや演劇に携わっているとそういった事が身近に感じられるのです。
もともとてしごとはそういったシンプルな感情や生活から生まれたもの。
あの人をあたためてあげたいとか笑顔が見たいとか、
そういった気持ちが布を織らせ、美味しい食事のレシピを生み出した。
私はそう想っているのです。
そういうシンプルな喜びから生まれたものは人を問わず幸せにする気がします。
なぜならそれらの持つパワーというものはどんな人にも理解できるからです。
生まれたばかりの赤ちゃんでも、その肌着の感触に頬をほころばせ、
この世を去ってゆこうという人にも、例えばその身を包むお布団が
その人をくるみあたためることができます。
私はそういう内奥にあるシンプルさのなかに生きて居たい。
理屈や計算ではなく、ただただシンプルに動くたましいのなかに居たい。
だからこそ自分のつくるものはシンプルに単純に
どんな人にも喜ばれるような易しいものを作りたいのです。
てしごとも書き物も、私のすべても。
「単純さ」それはきっともっともシンプルな「愛」の形。
わたしは0歳からこの世を去るまでの人が喜んでくれるものを作って行きたいと思います。
出来るだけわかりやすく優しいものを作りたい。
だから、遅くなってしまっても許してくださいね。
その代わり心がシンプルに喜びに満たされるとき、私はそれらとじっくりと向き合って、
その方の笑顔を思い浮かべながら手と心を動かします。
心から祈りながら。
これが私のてしごとが遅い理由(笑)
さてさて、今日は誰のために何を作ろうかなあ。

パレアナやローラのように

2006-11-14 | KOFUKU日記
このところ環境の変化で忙しくパソコンに座れない日が続いています。
先日、心友(しんゆう・ココトモ)のsora君が本の事を書いていました。
不思議なことにこの人生行路のsora君、そしてRainbow Spiritのなおこちゃん、
つぶや木の愛ちゃんに、自由を求めての千晴ちゃん、
そしてひとおりさんとばななおやじさん、などなど、
仲良しすぎてか何なのか(笑)、みんな書く内容がかぶってるのです。
なんかつながっているんだなあ~と妙に納得したりして(^^)
なんだかこういう偶然は嬉しいものです、はい。

さてsora君よろしく、私も本が大好きです。
今はあまり本を読みません。なぜならあまり心惹かれる内容がないから。
昔はわたしもsora君の表現を借りれば「あくなき探究心(笑)」が旺盛だったのか、
単に活字が好きだったのか、それとも全く他の理由か、とにかく本を読み漁っていました。
高校生のときは月平均80冊読んでましたね~。
何をそんなに読み急いでいたんだろう??と思うくらいでした。
とにかく本が好きだったのです。実家の8畳間の押入れが
4つとも全部、私の本でてんぱんまでいっぱいでした。
本が読めるようになったのは3歳のときで、
それからは読んで読んで読んで読み倒しました
小学校に上がるときには「小学一年生」から「中学校3年生」まで読んで
家庭画報やら主婦の友やら婦人公論とか男性雑誌とか漫画まで網羅(笑)
特に主婦雑誌好きでした(笑)すべての漫画と雑誌の発売日いえた位です。
だから絵本を読んだのはすごく遅くて小学校2,3年生になってからですね。
学校では画集とかから読み倒してましたね。
中学のときは授業に出ずに本読んでました
先生に授業中に何やってるんだ!と言われたときも真面目に
「授業より学ぶ事が大きいので時間を無駄にしないためにも本読んでます」と。
お前、友だちは居ないのか?と言う先生にも
「本があれば友だちは要らないです」と言い放っちゃったりして。
本気でそう思ってたとは言え、相当いやなガキでしたね(^^;)
大体新しい本は読みつくしているので、もっぱら図書室の倉庫に入り込み、
廃本や旧字体で印刷されてる本とか引っ張り出して読んでいたんですが
私が6時、7時とか真っ暗になってもひたすらに読んでいるので、
その頃の司書の先生がとうとう倉庫の中に電灯をつけてくださった程でした。
そのころにとても心動かされ、今でも好きなジャンルは
「伝記」「エッセイ」「旅行記」「児童文学」「少女小説」です。
中でも「児童文学」や「少女小説」は特別でした。
世界のものも、日本の物もどちらも大好きでした。
今日はその少女小説について書きたいと思います。

少女小説というのは、その名のとおり少女や少年が主人公の物語です。
モンゴメリの「赤毛のアン」、ウェブスターの「あしながおじさん」、
日本で有名なのは吉屋信子の「花物語」、川端康成の「歌劇学校」
事実に基づいたお話も少女小説に入るらしい。
例えば「アンネの日記」やローラ・インガルス・ワイルダーの
「ちいさな家」シリーズなどがそう。
こういった物語の本が「少女小説」と言われています。
どの作品もミュージカルになったり、映画になったりしていますが、
それはこれらの物語が心に染みて、さらに人の心動かすものだからだと思います。
どの作品もそれぞれに思い出や思い入れがあって大好きなのだけれども
特に私のバイブルのようになっていて、絶対に本棚からなくならない物語があります。
私は大体、気に入った本はどんどん差し上げてしまうので手元にない事が多いのですが、これだけは必ず買い足してきていつも手元にあるのです。
その作品は、エレナ・ポーターの「少女パレアナ(ポリアンナ)」
とインガルス・ワイルダーのちいさな家シリーズ、
中でももっとも読まれていないだろう「長い冬」という上下巻です。
ウェブスターの百科事典にはこの「ポリアンナ」という名前が普通名詞として載っていて
、そこには「エレナ・ポーターの小説の主人公から作られた言葉で“喜び”を意味する」と書かれているそうです。
その少女パレアナはいつも明るくて「喜びのゲーム」が得意な女の子のお話です。
牧師さんだったお父さんを亡くした孤児のパレアナはおばさんの家に引き取られます。
そこでパレアナはいろいろひどい扱いを受けますが、
彼女は落ち込むどころかますます明るく元気になるのです。
周りの人はそれを不思議がって彼女に何故そうなのか聞くと
“喜びのゲーム”をしているからよ、と答えるのです。
“喜びのゲーム”はその名のとおり“なんでも喜ぶ”ゲームのこと。
小さい頃お人形が欲しかった彼女に慰問箱が届き、
なぜか彼女の欲しかった人形でなく松葉杖が入っていた。
彼女は落ち込むけれど、お父さんが“喜びのゲーム”を教えてくれるのです。
その松葉杖がもらえた事を喜ぶ、その喜びを見つけるのだと。
ポリアンナは考えます。そして松葉杖を使わないですむ事を喜ぶのです。
それから彼女はこのゲームを始めました。
どんな事からも喜びを見つけるのです。最愛の父の死からでさえ。
そうやってすべてを喜びに変えてゆく彼女は知らず知らずのうちに
周りの心堅くなってしまった人々のその塊をほぐしてゆくのです。
その喜びのゲームで。
このパレアナのゲームの効き目はたいしたものです。
途中、パレアナにも大きな事件が起きるのですが、
それを克服していく様子は心を打ちます。
当時、アメリカではこの一冊の少女小説が大ブームを巻き起こし
いろいろなものに「パレアナ」と名前が付けられたほどだそうです。
私は落ち込みやすい質ですが、この本を知ってからできるだけ
このゲームをするようにしています。
すると、なぜか心が晴れてくるのです。
それは本のなかでパレアナがこう言っているとおりです。
「喜ぶ事のほうをかんがえると、嫌なことのほうは忘れてしまうのよ」
ぜひ、機会があったら読んでいただきたい一冊です。

もう一冊の「長い冬」は大きな森から、大草原へ旅を続けてきた
インガルス一家が腰を落ち着けたダコタの町でのお話です。
猛吹雪と寒波で汽車もとまり、閉ざされてしまった町のなかで
人々はその知恵と愛の力によって、その長い冬を乗り越えます。
私は昔(今もあんまり変わらないけど、いや、比べ物にはならないか^^;)
かなり長い間、現代日本では考えられないような過酷な貧しさを体験しましたが
その頃、私と母のバイブルとしてあったのがこのインガルス一家の物語でした。
NHKのテレビドラマとしても有名ですが、原作はもっと厳しい生活なのです。
でも愛にあふれたお父さんとお母さんの生活の知恵と工夫によって
彼らはこころ満たされた生活を送ります。
この「長い冬」では薪も石炭もなくなった家で、
お父さんのチャールズは納屋のわらを固く固くねじり、棒状にして薪を作り、
お母さんのキャロラインは種麦をコーヒーミルで引いて粉にし、パンを焼くのです。
長い冬、何もない中でも、家族はそれぞれを思いながら
いろいろな材料を工夫してクリスマスプレゼントを作りクリスマスを祝います。
私の母もこのお話が大好きで、良くこの中に出てくる料理や出来事を
実際に真似しては少女のように喜んでいました。
長い長い冬が過ぎ、遅い春が来て町には汽車がやってきて、
そして贈り物のクリスマスの樽が届くところでお話が終わります。
このシリーズはワイルダーの自分の人生をもとに描かれていて
開拓時代の人々の様子を事細かに知る事ができます。
昔の人の知恵と喜びにあふれた生活ぶりはきっと今も役立ちます。
ぜひぜひ読んでいただきたい名作です。

このどちらのお話にも共通するのが「愛」です。
少女小説のテーマは世界でも、日本でも「愛」です。
今の少女小説のように「恋愛的」なものではなく
「慈愛」とも呼ぶべき、心に深く染みる愛を描いています。
穏やかで美しい言葉で綴られた小説は美しいものです。
この秋の夜長の美しい時間に、機会があったらぜひぜひ男女を問わず
たくさんの方によんでいただきたいなと思います。
そして、喜びのゲームやローラ達の知恵をお手本に、
たくさんの「パレアナ」や「ローラ」が生まれればいいと思うのです(^^)

不思議の日々~多宝仏塔と夜の水族館

2006-11-11 | KOFUKU日記
仲良しの愛ちゃんのブログで昔、いるかとお話をしていた事を書きました。
soraくんのところでも動物たちの不思議な力について触れました。
今日はそんな思い出を書いてみたいと思います。
そう、昔はいろいろ不思議なことがあったのです。

むかし、私は死んで生まれてきました。
7ヶ月の早産で生まれた私は、生まれたとき息をしていませんでした。
ところが、私はその一部始終を覚えているんです。
息してないし、目もあいてないのに(^。^;)
生まれた瞬間、医師と看護婦さんはあわてました。
「息してないぞ!」
そしてばんばん殴られて、甦生のための手当てをされ、
何とか無事に生き返った(笑)
生まれたときの私の身体は真っ白だった。(今でも人より白いけど)
それを息吹き返す前の私は見ていた。

そのせいかどうかは知らないが、私は「死」を言うものを知っていて、
それが異常に恐ろしかった。
一歳近くになって歩けるようになると、夜中起きては
寝ている家族を巡回し、口元に手をかざす。
寝息が手にあたると「良かった、生きてた」と思う。
そうやってある程度の年齢になるまで毎日毎日確認していた。
「死ぬ」という事は「ここ」で一緒に居られなくなることだ、
「ここ」で触れなくなる事だと思って怖かった。
そのせいで4~5歳になる頃には夜に眠れなくなった。
夜の闇は「死」に似ていたから。
眠ったらもう朝がこないかもしれないって思ってた。
死を予感するほど体が極端に弱かったせいもあるかもしれない。
そんな死に対する恐怖感を親に話したところで
訳わかんない顔をされるばっかりだろうなと思って言わなかった。
それに、まだそれを完璧に説明できるほどのボキャブラリィもなかったし。
そんなどこか不思議ちゃんで、夜、全く寝ない子供に親はどうしたか?
父は乗用車をボックスカーに買い替え、車にベッドマットを載せ、
布団を敷き、夜、眠るまで車で走ったのだ。
(おかげで車にのるの大好き、何十時間乗っても、どんな揺れでも道でも
ヘッチャラなのである。運転できないけど・笑)
車は海岸線を走り、月に照らされる海を見ながら車に揺られ、
必ず広い芝生のあるところに行った。
夜中、月の下で芝生でごろごろして遊んだ。
その近くに水族館があった。
水族館は夜中でも入れる場所があり、毎晩そこに立ち寄った。
そこは海の上に立っていて。海の仲間たちがそこに居た。
正直、私はお魚はちょっと怖い。特に正面から見ると怖い。
なぜかわかんないけど。怖いだけで嫌いじゃあないんだけど。
けれど「いるか」だけは別だった。
そこの水族館にはいるかが居て、水槽のガラスの遠くを泳いでいた。
あまり人の居るガラスのほうには来なかった。
わたしはひねた子供だったので、普通の子供のように
「いるかちゃん、可愛い(きゃぴ)」とか
「おいで、おいで(手招き)」とか絶対に出来なかった。
(今はかなりするかもしんないが・笑)
ただ、“ぴと!”っとガラスに張り付いてじーっといるかを見ていた。
こころのなかでイルカこないかなあと思いながら。
家族はいつまでも張り付いている私を置いて先に行くよーと歩いていってしまった。
どっちにしても行く方向は一つしかないので安心だったのだろう。
それでもひとりいるかを見ていると、青いあかりのなかで
銀色にひかる灰色のいるかがすうっと、それは本当にすうっと
真っ直ぐ私に向かって泳いできたのだ。
いるかはすうっと泳いでくると私の眼の高さの
ガラスの向こうでぴたりととまった。
ゆらゆらと水の中でひかりが揺れた。
わたしは知らないうちにガラスに手をぴたりとあてていた。
いるかは私を見たまま、その手をつんつんと口でつついた。
そして横向きになり、手(ひれ)を当てた。
一瞬で私たちは友達になった。
その時にいるかが喋ったのだ。
うそだろ~と思うかもしれないが、本当に声で聞こえたのだ。
いるかはなんていったか?
「さみしいの?みんなといるのにひとりぼっちなの?」
そう言ったのだ。
私はそうだ、家族といるのにどうしてだろう?と思いながら
「うん」と言った。
「ぼくも。」といるかは行った。
広い水族館のガラスの中にいるかは一匹しかいなかった。
「怖いの?」いるかがいった。
「うん」わたしは答えた。
「ぼくも」いるかも答えた。
そしているかは口でガラスをつついた。
私も口でガラスをつついた。
彼はひれを出してきた。
私はそこに手を当てた。
じーっと黙ってそうしていた。

それから夜は必ずそこに行って、何も話さなかったけど
そのいるかと手を合わせた。
もうそれだけでお互い一人ぼっちじゃなかった。
それからしばらくして、セキュリティの問題から
水族館には夜は入れなくなってしまった。
私たちはそのまま会えなくなった。
幼い私のたましいの孤独と恐れを理解してくれた、
たった一人の友達だった。
あの一人ぼっちのいるかはあれから海に戻れて、
一人ぼっちじゃなくなっただろうか?
それだけがいつまでも心に残っている。

水族館や博物館ではそんな不思議が起こる。
田舎の南のほうに開聞岳という山がある。
開聞岳の隣にちいさな小山があって、そのあるとき不思議な塔がたった。
真っ赤の不思議な不思議な塔。それが気になって仕方なかった。
ある日、親がその塔に私を連れて行ってくれるという。
私は嬉しくて仕方なかった。
山道を車でぐるぐるのぼり、てっぺんにつくと大きな赤い門がそびえていた。
“多宝仏塔”(たほうぶっとう)と書いてある。
不思議な音楽が流されていて、門の前に行くと門が自然に開いた。
私たちの様な人がたくさんいてにぎわっていた。
門の中は道、長い長い道。
途中いろんな門をくぐって、いろいろな場所を歩いた。
本当に変わった所でなんだか空気が違う。知らないにおいがする。
そして道をすべて回り、行き着いたところにその塔があった。
その塔の下は広い博物館になっていた。
所有者の人の趣味だという、古代からの歴史を伝える
世界中の発掘物の数々、不思議な石たち、化石たち。
ぐるぐると螺旋階段になっている道、その壁がケースになって
その化石たちが並んでいる。
古代の土偶たちのコーナーに出た。
とたん、体がぐらんと揺れた。目の前の空気に線が入って
ゆうらゆうらとゆれる。
そして耳鳴りのような音が続いた。
気が付いたら、目の前の土偶がおいでおいでをしている。
他を見ると他の土偶も私を誘った。
「こっちだよ。おいで」と言う。
4歳くらいだったが、私は真剣に「ヤバい」と思った。
この人たちの世界に行ったらもう帰って来れない。
あぶない、あぶない、そう思った。
早く、早くここから出なくっちゃ!
「気持ち悪い」
そういって一緒に居たおばちゃんの手にしがみついた。
外に行きたいと言う、私の手を引いておばは螺旋階段を上がった。
うしろから何かが追ってくる。おいでって呼ぶ。
早く、早く出ないと。
それから私は意識がなくなった。
でも身体は歩いて外に出たらしい。
気が付いたら外に居て、目の前に塔がそびえていた。
空気が変わっていた。もう大丈夫、そう思った。
結局、私は塔には登らなかった。

その後、大人になって二度そこに行った。
そこはすっかりさびれてしまって、前のにぎやかさはなかった。
私を呼んだ遺跡たちももうなかった。
私を呼んだあれはなんだったのだろうか?
感覚としていうと「宇宙」というか「異次元」だった。
霊界とはまた違う感覚だったことをはっきり覚えている。

こんな風に小さい頃、私には不思議がいっぱい起こった。
そんな不思議たちは何につながっているのだろうか?
今月はそんな不思議を探ってみたいと思っている。


月とサッカーボールと少年

2006-11-09 | KOFUKU日記
今朝も月がきれいだった。

風邪や体調が悪いような少しだけだるいときには、
いろんな角が丸くなるせいか、向こうの世界とつながりやすくなる。
今朝もそういう感じの感覚の朝だった。
ぼんやり起きて空をみると銀の月。朝の月。
こんな早い朝に月をみると思い出すことがある。

私には不思議な思い出や体験がなぜか多い。
これは4歳くらいの時のはなし。

私は顔だけは可愛いが(いや、本当に可愛かったんですよ・笑)
その実、本当にひねた子供だった。
何だか分からないものはないような気がしていて
周りのお子様は「お子様」にしか見えなかった。
だからいつもアウトローでひとりで遊ぶことが多かった。
とにかく彼らとはお話があわなかったんだもの。仕方ない。
まあ、身体も弱かったので、外で遊ぶより
家で本を読んだり、お人形といるほうが楽しかった。
「変わり者」の子供だったので、普通ではない行動パターンがあった。
要は自分勝手、自由気まま、奔放な日々である(笑)
たとえていうなら、小学校のとき、家で作った工作が気に入ったので
それを見せたいがために、それしか持たず学校に行ったり、
あまりに授業がつまらないのでかばんを置き去りに家に帰ってしまい、
行方不明になったと学校中で大騒動になったり、そんな子供だった。

そんな奔放なちびさんはある朝、とても早くに眼が覚めた。
まだ夏が残っている頃だった。
家中が眠っているので、つまらないから外に出ると白い空には月が出ていた。
ぽけーっと空を眺めながら、近くの原っぱまで来ると
朝早くの誰もいないはずのそこに誰かがいる。
一生懸命何かを追っている。
じーっと立ち、それを見ていると何かがこっちに転がってきた。
ボールだ。それも見たことないへんてこな模様のボール。
黒と白の模様がついている。
目の前に来たので拾った。拾ってじいいと眺めていると
知らない間に目の前に誰かが立っていた。
へんてこボールを持ったまま顔を上げると笑顔があった。
たぶん、中学生か高校生くらいのお兄ちゃん。
「ボール、ありがと」おにいちゃんはそう言った。
私はぽいとボールを投げて無表情のまま「変なボール」と言った。
笑顔の少年に対して、どこまでもぶしつけなひねた奴である。
おにいちゃんは笑って、
「そうでしょう?これサッカーボールって言うんだ」と言った。
そういってまたポーン、ポーンとボールを蹴った。
何度かボールは目の前に飛んできた。
その度に拾っては、おにいちゃんに向かってポイ!と投げた。
「お、ありがとう!」
そういってお兄ちゃんは笑って受け取ってボールを蹴り続けた。
そして日が昇る頃、お兄ちゃんは「またね」と行って帰っていった。

次の日、私はまた早く起きると日が昇る前に原っぱへ行った。
居る。あのへんてこボールのお兄ちゃんがボールを蹴っている。
昨日と同じところへ立つと今度はいつの間にかボールが来るのを待っていた。
ボールは飛んできた。急いで拾った。
「お早う!ボール、ありがとう」
お兄ちゃんが駆け寄ってきて笑った。
「どうしてお手て使わないの?」私は言った。
「これはサッカーって言って足だけでやるんだよ」
お兄ちゃんはそういって目の前でポンポンとボールを続けて蹴り上げた。
ボールは落ちない。私はそれが嬉しかった。
お兄ちゃんが最後にぽんと高く蹴ってスポンとその手に受けたとき
たぶん私は笑っていたんだと思う。
「何ちゃんて言うの?」
「レイ」
「そうか、レイちゃんか。これ、一緒にやる?」
お兄ちゃんはそういって私の目の前にボールを置いた。
「いい、こうやって蹴るんだよ」
お兄ちゃんはそういって蹴り方を教えてくれた。
私は少し助走してえい!と蹴った。
ボールは変なとこに飛んでいった。
けれどお兄ちゃんは走って拾ってくれると
「上手い、うまい!」と言ってほめてくれた。
そしてまた私の前にボールを置いた。
その日、私はボールを真っ直ぐ蹴られるようになった。
「そろそろ行かなきゃ」
日が昇る頃おにいちゃんはそうつぶやいてボールを持った。
「また明日も来る?」私は聞いた。
「レイちゃんも来る?」お兄ちゃんが答えた。
「うん」私はそういってバイバイをした。

次の日も、次の日も、次の日も私は早起きをして
日の昇らない原っぱでお兄ちゃんとサッカーをした。楽しかった。
一週間くらいたったある日、お兄ちゃんが淋しげに言った。
まだ日の昇る前だった。
「俺、もう行かなきゃいけないんだ」
「また明日来る?」私はいつものように聞いた。
するとお兄ちゃんは目の前にしゃがんでこういった。
「レイちゃん、ごめんね。
おにいちゃんさ、遠くに行かなきゃいけないんだ。
だから明日の朝からはもうここにこれないんだよ。」
私はのどの奥が急に苦しくなって、もう少しで泣きそうになったが
とても意地っ張りな、いやなガキんちょだったので
両手をぐーっと握り締めて、お兄ちゃんをぎゅっと見つめ答えた。
「ふうん。もうこないのか。」
お兄ちゃんは私のグーの両手に自分の手を添えると
「サッカー、面白かった?」と聞いた。
私はなぜか素直に「うん」と言っていた。
お兄ちゃんは「そうか、良かった」というと、
グーの手を手を引っ張って前に出させると
「ハイ」とサッカーボールを乗せてくれた。
「あげる」
「ボール、くれるの?」
「うん。レイちゃんにあげるよ。お兄ちゃん、持っていけないから」
「どうして?遠いところだから?」
「そう、遠いところだから」
「どのくらい遠いところ?」
私は聞いた。
「あのくらい遠いところかなぁ」
そういっておにいちゃんは指を指した。
指差した向こうには朝の月が輝いていた。
一瞬、すごく遠いなと思ったけど、私は考えた。考えてこういった。
「でも見えるよ」
お兄ちゃんは一瞬びっくりして、そしていつもの笑顔で笑った。
「そうだね。遠いけど見えるね」
それから、おにいちゃんはもう行かなくっちゃといって、
私の頭をなでてくれ、バイバイと言って消えた。
そう、いつものように帰ったのでなく「消えた」のだ。
でも私はその時、それを不思議ともなんとも思わなかった。

黙っていたら涙が出そうだったので、もらったボールを蹴る事にした。
えい、えい!と力任せに蹴っているといつの間にか日が昇って
周りは明るくなっていた。
私の蹴ったへなちょこボールは転がって知らないおばちゃんの足に当たった。
私は走っていって、ボールを拾った。
するとおばちゃんが声をかけてきた。
一瞬おこられるのかとびくっとしたが違った。
おばちゃんはどこか聞いたことのある優しい声で言った。
「おじょうちゃん、おばちゃんにそのボール見せてくれないかしら?」
変なおばちゃんだと思ったが、優しい声だったので、
ボールをそおっと持ち上げて見せてあげた。
おばちゃんはそのボールを私の手の上から握ってあちこち眺め
「ああ、やっぱり」と言い、そして涙をつーっと流した。
私はびっくりしてボールを持った手を引っ込めた。
おばちゃんは涙をためた眼で私をみると言った。
「おじょうちゃん、このボールね、おばちゃん、ずっと探してたの。
うちのね、お兄ちゃんのボールなの。返してくれるかな?」
私はボールを抱えて首を振った。
おばちゃんはしゃがみこんで私を見るともう一度言った。
「あのね、このボールね、おばちゃんのところのお兄ちゃんの宝物なの。
そのおにいちゃんね、この前、天国に行っちゃったの。
それでね、天国に行くとき、そのボールがなくなっちゃったって
ずうっといっていたから、もって行ってあげたいの。
だからおばちゃんに返してもらえないかな?」
そう優しい声で言った。
私は「死」と言うものにものすごく魅入られていた子供だった。
だから私は聞いた。
「おにいちゃん、死んじゃったの?」
死んじゃったら、もうここで会えない。そう思った。
「そう、死んじゃったの」おばちゃんはそういってまた涙を流した。
私はボールをぎゅっと抱えたまま言った。
「でも、これおにいちゃんがくれたんだもん」
おばちゃんは不思議な顔をして、いつ?どこで?と聞いた。
私は一緒にサッカーをした日々の事を話した。
おばちゃんは何度も何度もうなずきながら、
涙を流しながら私の話を聞いていた。
「どこに?どこに行くって言っていたの?」おばちゃんが聞いた。
「お月様のところ」私は答えた。
「遠いねえ」おばちゃんは言った。
私はまた考えて、言った。
「でも見えるところだよ」
おばちゃんはそういうと少しだけ笑って
「そうねえ、ホントね」と言った。
「ハイ」わたしはおばちゃんにボールを押し付けた。
「いいの?」おばちゃんは言った。
「うん、おばちゃんの」私は返事した。
おばちゃんはボールを大事そうに抱えると
「ありがとうね」そういって帰って行った。

今でもサッカーボールを見ると思い出す、不思議な思い出。
名前も知らない優しい瞳のサッカーボールのおにいちゃん。
月に帰ってしまったおにいちゃん。
いまはどこで何をしているだろう?
もしかしたら生まれ変わって今もサッカーボールを追いかけているのかな?
またいつか会えるだろうか?
会えるといいな。

月とサッカーと少年。
不思議な不思議な本当のお話です。