KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

ちいさな家族(ペット)との別れの祈り

2018-03-22 | 神様、天使、平和の祈り、愛の言葉


お彼岸でしたね。
多くの方が、亡き人々と善き祈りの時を過ごされたと思います。

今朝、大家さんのお家の番犬ちゃんが天に召され、虹の橋を渡りました。
急に下肢の麻痺になり、10日目でした。
一時回復傾向にあったのですが、
再度の悪化から、そのまま…。
まだあたたかなわんちゃんとお別れをさせていただきました。
大きな番犬ちゃんでしたが、半分くらいになったように思いました。
忠犬さんで、元気も良くて、働き者のわんちゃんでした。
最期までよく良く頑張ったと思います。
これからは天の野原を好きなだけ走り回って欲しいです。


愛する小さな子達とお別れの方にお捧げします。



「ちいさな家族(ペット)との別れの祈り」

いっさいをあまねく神々さま
いま死をこえて御許にむかいし
か弱き無垢なるたましいを
神さま方の深き愛と慈しみで
優しく包み お護りください

彼らは私たちと共にあり
兄弟姉妹であり家族でした
いつも いつの時も
私たちを慰め 励まし
その愛くるしい姿で
その尊き一生と愛を
惜しむことなく捧げてくれました

いま御許に向かいし無垢なるたましいたちに
私たちの愛が届きますように

私たちの愛が彼らを慰め 励まし
いつの時にもちからとなりますように

あまねく神々さまたちの愛が
無垢なるたましいたちの
この世での痛みや苦しみのすべてを
取り除いてくださいますように

神々さまの御手のなかで
永遠の愛と安らぎをお与えください

私たちが彼らを忘れることなく
いつも感謝と深い愛の光を
届けられますように
神々さまの深い絆で
結びつけてください

ちいさき無垢なるたましいが
これからはいつも
溢れるこうふくの中にありますよう
お祈りいたします

朝のおいのり

2018-03-20 | 神様、天使、平和の祈り、愛の言葉



「朝のいのり」

‪いっさいを遍く神々の深き愛に護られ
新しい朝をむかえられましたことを感謝致します‬

朝のひかりが身を清め 魂にちからをみたし
今日の一日を歩んで行くことが出来ますように

朝にいただく愛の光のちからを
兄弟姉妹なる生きとし生けるものすべてに
惜しむことなく喜んで分かち合えますように

悲しみや苦しみのさなかにも
愛を見つけることができますように

すべての生きとし生けるものの上に
溢れるこうふくがありますよう

新しい朝にお祈りいたします

Letters~長崎・祈りの日に寄せて

2013-08-10 | 神様、天使、平和の祈り、愛の言葉



あなたが何気なく過ごした 今日という一日は
昨日亡くなった方が あれほど欲しかった明日
関ジャニ∞ 安田章大




68年目の長崎・祈りの日を迎えました。

今は亡き母方の大おばさんは原爆の語り部でした。
あの日、二人のお母さんである大叔母さんは朝早くから、
電車に乗って、食べ物を求めに行く予定でした。
いつもは笑顔で送り出してくれる下の女の子が、その日ばかりは狂ったように泣いて
おかあさんといっしょに行きたいと言ったそうです。
大おばさんは「それならマリア様のところで待っていなさい。お昼前の汽車でかえるから。
あそこからなら汽車が帰ってくるのが見えるでしょう」と言って出かけました。
そして、小さなふたりは教会の階段に座って帰りを待ちました。
お昼前、長崎湾を望む山のトンネルから汽笛が聞こえたその時、
キラリと光る飛行機が現れ、長崎の街に原爆が投下されました。
大おばさんの乗った汽車はトンネルの中で止まり、目を覚ました時には真っ暗な中で、
出口を目指して歩んだ先に現れたのは真っ赤に燃える街だったそうです。
燃える街を命からがら教会に行くと、残されていたのは階段に焼き付いた小さな影が二つ…。




【あの日も、こんな平和な幸せがあったはず】



あの日、あの時、人の暮らしが、確かにそこにありました。
夏の日に輝く青空も、緑の風をまとった木々たちも
野辺に咲く小さな花も、そこに集まる小さな虫たちも
おじいちゃんもおばあちゃんもお父さんもお母さんも
お兄さんも弟もお姉さんも妹もおじさんもおばさんも
結婚式を迎えた人も、生まれたばかりの赤ちゃんも
広場で駆け回る子供たちも、働く大人たちも
膝で丸くなる猫たちも、足元でじゃれる子犬たちも
みんな、みんな、あたりまえにそこにあって生きていたのです。


日本はすっかり豊かになって、人のココロから「戦争」の文字は消えました。
原爆の日を知らない子供たちもたくさんいる世の中になりました。
国が平和で豊かになった分、便利になった分、
人は必死にならなくても生きていけるようになり、
それをあたりまえに受け取って生きている私たちの中には
今日という日に感謝することを忘れてしまった人もいます。

戦争や原爆という恐ろしい事実にも加えて
突然にもたらされた悲惨な「死」の現実に
残された多くの方がどれだけ苦しんだことか。

それは、原爆でも、戦争でも、災害でも、事故でも
日々に訪れる「死」でも、きっと悲しくて、辛い。
相手を憎んでもいない限り、簡単に忘れられるものではないし
何かに差し替えられる気持ちなどでは決してない。
突然に去ってしまったなら、奪われてしまったなら、なおさら。

私も10年前と3年前に、一生隣を歩むはずだった人たちとお別れをしました。
しかも、どちらも突然に。本当に夢のように逝ってしまいました。

周りからすれば、今でもそんなこと言っているのかと思われるかもしれないけれど
まだまだ私の中では昨日の日のことのようです。
考えない日はないし、忘れるなんてことは絶対ないでしょう。

相方さんが向こうに行ってから、ずっと手紙を書いています。
今日で993通目になりました。993日分の手紙たち。

書きながら思います。
亡くなった人がどれだけ大切だったか。
何気ない日々がどれだけ幸せだったか。

でもそれは、その人たちもきっと同じ。
突然の死は彼らにとっても突然なのだから。

たくさんの未来を見ていたはず
たくさんの夢を持っていたはず
死にたいなんてきっと思っていなかったはず
私の生きている今日は
彼らが夢を抱いた明日だったはずに違いない。

そして
あの人たちの尊い人生があったから
私は今ここで生かされてるんだ。命を継いだんだ。
深くて消えない悲しみの中で、そうハッキリ感じるのです。

だから、今がどんなにダメダメな私でも
その私の出来る、精一杯のチカラで生きなくちゃいけない
そう思っています

私の今日は、あの日の誰かが夢見た
大切な、大切な今日なのだから

わたしの心から愛したあのひとの
命もやした夢を叶えるための明日なのだから

この日々は昨日を生きた人の夢の上に存在してる
生を奪われた人のイノチのうえに生きている

だから
ひとかけらの時間も愛さずに生きてはならない。
私はそう思っているのです。


だから、人に馬鹿にされても、呆れられても
私は手紙を書き続けるでしょう

何千通でも
何万通でも
生きられる限りずっと

昨日までの彼らに捧げられた愛と幸せを抱きしめるために
今日、生きていられることの感謝を抱きしめるために
あの人の、誰かの、大切な明日を抱きしめるために

今日という日を、あの人の、誰かの、魂と共に、精一杯「生きる」のです。






【悲しみが繰り返されず、愛と平和がありますように】




さよならのかわりに

僕の手に触れてみて きみの手とひとつになる
静かにかよいあうもの これが生きている温かさ

どんなに離れても きみをずっと覚えている
どこにいても 信じていて 僕はいつもきみと生きている

会えない朝も昼も 疲れて眠る夜も

生きていく街の中 たたずむ人混みの中
見上げればそこには空がある きみと同じ空を見る

何を見ても聞いても きみのことを思うだろう
いろんなことがあるたび きっときみに語りかけるだろう

かわいた風の中で やまない雨の中で

どんなに離れても きみをそばに感じるだろう
淋しいかい 僕も同じだよ だけどもう歩き出そう

心で抱きしめるよ さよならのかわりに

僕の手に触れてみて きみの手とひとつになる
静かにかよいあうもの これが生きている温かさ

どんなに離れても きみをずっと支えている
くじけないで 信じていて 僕はいつもきみと生きている

くじけないで 信じていて 僕はいつもきみと生きている








広島の平和の祈りの日

2013-08-06 | 神様、天使、平和の祈り、愛の言葉






「へいわってすてきだね」
沖縄県与那国町立久部良小1年、安里有生

へいわってなにかな。
ぼくは、かんがえたよ。
おともだちとなかよし。
かぞくが、げんき。
えがおであそぶ。
ねこがわらう。
おなかがいっぱい。
やぎがのんびりあるいてる。
けんかしてもすぐなかなおり。
ちょうめいそうがたくさんはえ、
よなぐにうまが、ヒヒーンとなく。
みなとには、フェリーがとまっていて、
うみには、かめやかじきがおよいでる。
やさしいこころがにじになる。
へいわっていいね。へいわってうれしいね。
みんなのこころから、
へいわがうまれるんだね。

せんそうは、おそろしい
「ドドーン、ドカーン。」
ばくだんがおちてくるこわいおと。
おなかがすいて、くるしむこども。
かぞくがしんでしまってなくひとたち。

ああ、ぼくは、へいわなときにうまれてよかったよ。
このへいわが、ずっとつづいてほしい。
みんなのえがおがずっと、つづいてほしい。

へいわなかぞく、
へいわながっこう、
へいわなよなぐにじま、
へいわなおきなわ、
へいわなせかい、
へいわってすてきだね。

これからも、ずっとへいわがつづくように
ぼくも、ぼくのできることからがんばるよ。






8月6日になりました。
8時15分、また今年も、平和の鐘とともに祈り捧げさせていただけました。
今が平和であるという事に感謝しています。

今日は一日、祈りの気持ちで過ごしたいと思います。
この国が、民が、二度と悲しみと争いを繰り返しませんように。 
すべての世界に平和が訪れますように。




*アシジの聖フランシスの平和の祈り*

わたしを平和のためにお使いください。

憎しみのあるところに愛を

争いのあるところに和解を

分裂のあるところに一致を

疑いのあるところに真実を

絶望のあるところに希望を 

悲しみのあるところによろこびを

暗闇のあるところに光をもたらすことができますように。  

慰められることよりも慰めることを

理解されることよりも理解することを

愛されることよりも愛することを望みますように。

わたしたちは、 与えることによって与えられ

ゆるすことによって許され

自分自身を捨てることによって、永遠の命に生きるからです。



空へ~永遠の愛を

2011-03-09 | 神様、天使、平和の祈り、愛の言葉



「あなたのもとに召された私達の家族、友人を
あなたの国に迎え、栄光に与る喜びを御与え下さい。
不慮の死を迎えた人々を顧みて下さい。
その罪を赦し、家族の悲しみをやわらげ、
へりくだる者に約束された慰めを御与え下さい。
あなたのもとに召された全ての人が、
永遠の喜びに入る事が出来ますように。
私達の祈りを聴き容れて下さい。」

*亡くなられた方々の為の祈りより*




何年も前の昨日、大事な人を天国へ見送りました。
それから春はなんだか切ない季節になりました。

そして、やっとその出来事から立ち直れるかと思えるようになった去年の秋、
再び、しかも永遠を誓った心から愛する人を天国にお見送りしました。
そして秋もせつない季節になりました。




先日、2月の終わりの日に、相方さんと同じ舞台に立たれていた
とても素敵な俳優さんが亡くなったとお知らせがありました。

私は直接の面識がありませんでしたので、
心からご冥福をお祈り申し上げるだけにしました。

昨日、今日とセレモニーだったと伺いました。
くしくもソウルメイトの命日でもあって、
さらに切ない気持になりました。


大事な人をお見送りすると言う事は、それがどうしようもなく、
仕方のないことだとしても、本当に切なく寂しいものです。

時間が解決するよと言うけれど、見送った人と
本当に近しいものにとってはそれは嘘です。

経験からいえば、時間は何も解決してはくれません。

なぜなら、時が経ち、悲しみは確かに薄くなってきても、
愛した事実はいつまでたっても変わらないからだと私は思います。

だから、どんなに時間が経っても、その人への愛があればある程、
その愛を思い返すたびに喪った悲しみに引き戻されます。

でも人は、その悲しみを感じるからこそ、愛し愛された喜びの感謝、
つまり悲しみに負けない強い「愛」に変えていけるのではないかと思います。
ただ、その道のりは長いです。


もう十年近くも前になるけれど、ソウルメイトを失った時、
大好きで尊敬していた先輩がこう言ってくれました。

「傷は消えない。でもかさぶたにはなる。」

そう言う事なんだと思います。



本当に大切な人を失うと、まるで自分を失った様な気持ちになり、
居なくなった人が、日々、世界から消えていくと言う寂しさに
心の底から不安に、悲しくなるものだと思います。

それは自分の生きて来た人生そのものを失う事でもあって、
また人間の記憶の不確かさに不安を覚え、
大事なあの人を忘れてしまうのじゃないかと不安になり、
そしてそんな自分に嫌になったりもします。

かといって写真を見たり映像を見たり、思い出の場所に行ったりするのは
喪った悲しみ寂しさもありありとよみがえってしまうので
そう言う簡単な事をすることがとても難しくなってしまいます。


そういう時、その人を知る人と関われるのはとても幸せなことです。
共通の思い出の中で笑顔で生きるその人を
喜びの内に想い出すことが出来て、
人と居ることで悲しみに陥らずに済むからです。


そして何より、その人がしっかりとこの世で生きていたこと、
自分のもっとも尊い「愛」という過去が確かにあったこと、
そして、いまもその人と愛情においてつながれることが
その人が目の前からいなくなった今でも確かに理解できるからです。

それがどんなに慰めになることか。

だから、もし、あなたの傍に
大事な人や大切なものを失ってしまった人がいたら、
こんな時、どんなことを言っていいかわからないなんて言わないで、
どうか、声をかけて欲しいなと思います。

「大丈夫」かを聞くのではなくて、
その人が、そしてあなたご自身が愛した人や友の話を
どうかあたたかく語り合ってほしい。

直接、語りかけられなければ、メールでも御手紙でも何でもいいのです。
実際、近しい関係だった人は辛くてなかなか人に会えるようにもなりません。
そう言う時こそ、メールや手紙が嬉しいものです。
「今頃、どうしているだろうねぇ」って、それだけでいいんです。

たったそれだけで一瞬だけでも「いなくなる」寂しさと悲しみが去っていきます。
そこに大事な人を見いだせるからです。
仲間が覚えていてくれるんだと言う事に安心を覚えます。


でも大体、人が去ってしまうと、家族と親しい関係でもない限り
仕事も変わりますし、自分の親しい友人以外には会う事もなくなって行き、
逝ってしまった人と同じように、その人の友も去ってしまうものです。

生前親しかった人、葬儀でいろいろ逝ってくださる方ほど、
疎遠になると寂しいものですが、それきりになる方も多いです。

お友達の中でも本当の意味で思い出になっていき、
常には想い出せなくなるからかもしれません。
とにかく過去のものになっていくからでしょうか…
仕方ない事ですが。でも本当の理由は解りません。


でも去ってはいかない方も居ます。
悲しみに添おうとしてくださる方も居ます。

たとえ、それが自分の直接の友ではなくとも、
亡くしたひとを本当に大事に思う人たちは、
その周りに居た人の深い悲しみが解るからでしょう。
同じように悲しみを持つ人を思いやれるんだと思います。

なぜならその人にとっても去って行った人は大きな存在で
決して忘れられない人だからかもしれませんね。
そう言う人は同じように悲しみを抱えた人の事を決して忘れません。
そして何より、相手の悲しみに目を向けて助けようとしてくれます。


私はそういう愛ある人たちに助けられてきました。
声をかけてくださる人は自分が直接知らなかった方も多いです。

人がなくなって、時がたって、人々の悲しみが薄れてくる頃、
初めて誰が本当の愛を持った友人だったか解るものかもしれませんね。

実際、そう言う人は少ないですが…。
でも人数は少なくても、そう言う人の愛は大きいです。


人は誰かを亡くして、自分も亡くした人の為に働き、
忙しくしているときは友もそれを見て覚えているので声をかけますが、
もうあまり思いださなくなってくると火が消えたように静かになります。
それは本当に寂しくて悲しい静けさです。

3か月くらいたった頃からがそんな時期です。
喪った人の家族にとっては、その頃くらいからが
本当の深い悲しみと寂しさの始まりだと言えるでしょう。

私の場合、以前の時そうでした。
そして今もそうです。

そんな寂しい静けさが訪れたとき、
真の友の愛が訪れてくれるのは安らぎです。

私ももう相方さんを失ってから3カ月が過ぎ、
間もなく4カ月目を迎えますが、
折に触れ、思いを向けてくださる方の存在に救われています。


おかげで外に出られずとも、誰と話をしなくても
一人ぼっちにならずにすんで、
愛した人を誰かと共に感じることができます。
本当にありがたいことと思い、愛に感謝しています。


こうして深い悲しみに直面してみて、そう言う愛に触れてみて初めて
こういったことが人間にはとても大事なんだと解りました。

そして本当に友情を行使する時はこういう時なんだなぁって解りました。
その場にいなくなってこそ、愛を向けられるかが大事なんだって。

いなくなった人をこの世に生かし続けるのは、
生きている人の大きな役目なんだなぁって。

誰かの死を語る事は生きることを語ることなんだって今は解ります。
そしてそれがとっても大事なんだなぁって思います。


だから私も、そういう人が傍に居る時、
あたたかい静かな愛を向けられる人になりたい。

この世を旅立った人の生きた事実を自分の中に生かし、忘れず、
その記憶を、その人を失って、もっとも悲しみを持つ人と共有できる、
そんな愛情を持てる人間でありたいと願います。


天に戻られた俳優さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

そして、悲しみの内に在るご家族さまに、
これからもずっとずーっと、
たくさんの愛ある方の助けが傍にあり続けますように。