KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

もうひとつの千の風

2011-01-30 | 神様、天使、平和の祈り、愛の言葉


愛しい人を向こうに送られた方々と
この世に生きる全ての方へお贈りします



「おわり」
ラビンドラナート・タゴール


ぼくの ゆくときが きました。
おかあさま ぼく ゆきます。
さびしい あけがたの しらんでゆく 闇のなかで
あなたが 両手を さしのべて
ねどこの なかの ぼうやを
さがそうと するとき ぼくはいうでしょう
「ぼうやは そこには いませんよ」
おかあさま ぼくは いきます。


ぼくは ひと息のほのかな 風になって
あなたを やさしく なでてあげましょう

お母様がみずあびを するときには
みずの おもての さざなみになって
ぼくは いくどもいくども 口づけしましょう
かぜのはげしい夜 あめが 木の葉を
たたくとき あなたは ねどこのなかで
ぼくの ささやきごえを きくでしょう
ぼくの わらいごえが いなずまと一しょに
あいたまどから ひらめいて
あなたの へやに 入るでしょう。


もしあなたが ねむれないで おそくまで
ぼうやのことを かんがえていたら
ぼくは おほしさまから うたってあげます
「おやすみ おかあさま おやすみ」って。


ぼくは さまよう つきのひかりにのって
おかあさまの ねどこに しのびこみ
ねむっている あなたの むねに
やすみましょう。


ぼくは ゆめになりましょう そして
あなたの まぶたの 小さいすきまから
あなたの ねむりの 深みに
すべりこみましょう。
あなたが びっくりして みまわすとき
きらめく ほたるのように ぼくは
やみのなかへ すいと 逃げてしまいましょう。


プージャの お祭りに 近所のこどもたちが
うちの まわりにきて あそぶとき
ぼくは 笛の音に とけこんで
一にちじゅう あなたの むねのなかで
おどっていましょう。


プージャのお祭りの おくりものを
もってきた おばさまは たずねるでしょう
「ぼうやは どこ? お姉さま」って。
おかあさまは しずかに いうでしょう
「ぼうやは わたしの ひとみのなかに
わたしの からだのなかに わたしの
たましいのなかに いますの」って。




*********************
この世にあるものはすべて愛でできている

かなしみ くるしみ 恐れ 
多分、狂うほどのにくしみさえも

愛する人も 物も この世にあるものは
すべて愛でできている

そしてその愛はわたしのたましいのなかに
わたしはその愛のなかに在る



「つらいことやかなしいこと、いっぱいあるよね。
でも、ぼくはわかったんだ。
それはみーんな幸せにつながってるってことが。」
チャーリー・ブラウン




永遠を繋ぐアドベントガーデン~絵描き人

2011-01-26 | 相方さん(米澤観児氏について)


気がつけば大寒も過ぎ、もうすぐ2月、目の前は春です。

燃えるような紅葉の中、天に帰った相方さんも
この日々の間に2回目の月命日を迎えました。

49日が過ぎてから、相方さんにご連絡くださった方、
あたたかい御志をお寄せくださった方、
日頃より親しくしてくださった方、
できる限りの所在の分かっている方々全員に
相方さんと一緒に贈り物を用意してお届けする作業をしていました。

作業は心をこめて集中してやりたかったので、
その間にはブログや雑用はお休みしていました。

その作業も昨日で97パーセントくらいまで進みました。
まだ残ってはいるものの、なんとかかんとか一段落です。

発送作業は時に相方さんに話しかけつつ、共に作業をしながら、
ただただ相方さんの事を考える時間でした。

シュタイナー系のイベントに「アドベントガーデン」と言うのがあります。
冬の始め、クリスマスの訪れを待つ中の行事です。

静かにライアーの流れる暗闇の中、
床には大きな樅の木の枝で螺旋の道。
ところどころに金の星が置かれています。
その渦の中心には大きなキャンドル。
しずかな竪琴の響く中、参加する人々は無言で螺旋の周りに集まります。

そこに現れるのは2人の天使。
一人の天使は螺旋の道を歩み、キャンドルに火をつけます。
そして螺旋の道を戻り、もう一人の天使にろうそくを立てたリンゴを手渡し、
樅の道へといざないます。

リンゴろうそくを手にした天使は静かに暗闇の中、道を進み、
そして火をつけ、道を戻り、灯をつけたリンゴろうそくを
次に来る人の足元を照らすために星の上に置いてきます。

そして天使はアドベントを迎える人々を一人ずついざない
リンゴろうそくを手渡し、樅の道へと送り出すのです。

天使に導かれた人々は天使が見せてくれたように
闇の中の道を進み、明かりをともし、そして道を戻り、
そして自分のともした明かりを人の為に置いていきます。

暗闇は私たちを取り巻く「恐れ」や「困難」などをあらわします。
渦は生命の象徴です。
外から内に向かうらせんは誕生をあらわし、
内から外に向かうらせんはその後の人生をあらわします。
真ん中にある灯は「愛」「勇気」「希望」そういうものの象徴。

始めてこのアドベントガーデンに参加した時、
その聖なる空気が私の中にしみわたりました。
一人ひとりが闇の中、道を歩めた時の感動は言い表せない美しさがあり、
それは知らず知らずのうちに嬉しさで涙を流してしまうほどです。

最初、このアドベントの事を聞いたときは秋のミカエル祭つながりで
(ミカエルは地球を守る大天使です)
闇に立ち向かい自分の心に自ら希望の灯りをともし、
他者の為に尽くせるようにという意味があると聞きました。

でも初めて参加した時、「これは私たちの魂の旅なのだ」と感じました。
そして愛する親しい人々、そして相方さんの旅立ちと人生を体験し
それが真実なのだということが心でわかった気がします。

私は相方さんの最後を一緒に迎えたその日を思い返すたびに
「ああ、なんて素晴らしいアドベントだったのだろう。
なんてうつくしい歩みだったのだろう。
そして彼はしっかりと私たちの為に灯りをともしていってくれた」
と深く感動せずにはいられないのです。

彼はしっかりとその生を受けとめ、そして自分の足でしっかりと歩み、
自らの意思で愛と言う灯りをともし、その灯りを守り、
最後に自らの意思で私たちの為に自分のともした灯りを残して行きました。

今頃は人生のアドベントを観ていてくれた大いなる光たちが
きっと感動しつつ、涙しつつ、彼を迎えてくれていると思います。

私も相方さんのように自分の灯りを守り、
しっかりと自分の歩んで、自分の意思をしっかり持って
次に歩む人に愛と感謝を持って灯りを残していきたいです。




《絵かき人*米澤観児》

相方さんの歩んだ螺旋の道はとても美しいものでしたが、
その道を彩っていたのは「芸術」でした。

彼は俳優でもありましたが、素晴らしい画家でもありました。
若き頃の彼は世界の美しさを切り取り、
それをいかに美しく表現するかを考えた
写実的な絵を描いていました。


これは高校生の時の習作だそうです。

相方さんは偽りのない魂を愛していたので動物をたくさん描いています。

これは二十歳くらいの時のスペインに住んでいる時に書いた作品。


これはスペインから戻ってきて大学の終わりのころに描いた作品。
畳1枚分くらいの大きな作品です。


そうして彼は絵出会うことで演劇に出会い、
自然主義をベースにした心のリアリズムを模索し始めます。
その中で計算された美ではなく、偽りのない魂の表現に行きつくのです。

そこに行きついてからの相方さんは見たものをいかにきれいに描くかではなく
心の奥に生まれるもの、自分の中の真実を絵描き始めます。
相方さんいわく、本当に描きたかった「自分の絵」です。

彼が描くのは夜空の銀河鉄道が走る線路の下にある
「夢の街」に住んでいる者たち。


「お月さまにようこそ」のポスターになった絵


夢の街のこびとたちが住んでいる街





絵本「夢の島ノア」の中に出てくる動物たち


小坂明子さんのCDジャケットになった絵


彼が最後に描いたのは、実家で長く飼われていた仲良しのマリちゃん。
ご両親の好きな写実タイプで生きているように描かれています。



芝居を始めてからの彼は殆ど絵を描きませんでした。
「絵は人より少しかけるかもしれないけど、絵が描けるわけじゃないよ。
それに俺は絵描きじゃなくて俳優だから」
と言って。

ただ頼まれて受けた絵は食事もせず、音楽をかけながら
ひたすら没頭して丁寧に丁寧に描いていました。


そんな相方さんが、なんのしがらみものなく、
幸せというテーマで心のままに描いた最後の作品は
自分の「家族」でした。

そう、私たちです。



大好きな銀河鉄道の走る夢の街の月夜で楽しそうに遊ぶ私たちの姿が描かれています。
ブランコに乗る私に抱かれているのは彼の愛する娘、ぴーちゃんです。

生まれてすぐに売りに出され、両親を知らないぴーちゃんを
可哀想だ、かわいそうだと言っていた相方さんは
絵の中にぴーちゃんの家族を描きました。

笑顔のお父さんと後ろ姿の優しいお母さん。

お父さんは何が起こってもぴーちゃんを守れるように
ぴーちゃんを見ながらも、しっかりと前を向いています。

お母さんは愛する娘の一瞬も見逃さないように
ひたすらに娘に愛情を向けて見つめているそうです。

お父さんの上には小さなぴーちゃんの妹が浮かんでいます。
一人ぼっちのぴーちゃんがさみしくないようにと
これから生まれてくる妹が一緒にいるんだそうです。

足先の塔のてっぺんには、ラッパを吹きならすぴーちゃんのお友達。
嬉しくて楽しくて音楽を奏でているんだそうです。


相方さんの全ての絵の中には、彼の求め、愛してやまない物の姿、
彼の求める家族の姿、その在り方が描かれているのです。


描きあがった後、すぐに依頼主に持っていかれてしまう絵を
彼は自分で写真を撮って、そして私たちに残してくれました。

彼は原画は手放さない主義です。
なのに、この絵は最初から、依頼主ありきで描き始めました。

「初めて家族を描いたのにどうして手放しちゃうの?」
と聞いたら、

「だって、そんなの、本人たちの目の前にあったら恥ずかしいじゃないか。
手元に残らないから、描けたんだよ。」だって(笑)



誰もしらない彼の絵の秘密があります。
ある日、私だけにこっそりと彼が教えてくれました。

これから相方さんの絵を目にするみなさんに彼の愛を知ってほしいから
秘密を教えましょう。


彼は言いました。


「俺がこういう絵を描き始めた時、
皆は俺の絵を観てこびとやピエロを描いてる
と言ったけど実は違うんだ。

俺の絵の中に出てきているのは、
こびとやピエロや動物に見えるけど、
本当はぜんぶ天使なんだ」



米澤観児は天使と、そして愛を描く絵かき人なのです。


旅立ちの日です~四十九日~ 1/6追記あり

2011-01-05 | 相方さん(米澤観児氏について)



さて早い物で相方さんの突然の帰天から一ヶ月半が経ちました。
相方さんは本日、四十九日を迎えました。

今日はこの現世から光の世界へ、本格的な旅立ちの日だそうです。



多分、この四十九日間、彼は皆様の所にこっそりと訪れては
本当にありがとう」
の気持ちを一人ひとりにお渡しに行って、
本人なりに少しずつお引越しの準備をしてきた事と思います。

我が家にもずっといてくれたと思います。


ぴーちゃんのそばにもきっとぴったり寄り添ってくれていたでしょう



さみしさ、悲しさはつのります。それは深いです。

けれどこの世に居る人々が「何で死んじゃったのお~」といい続けると、
「俺、やっぱり行けない」
と言う気持ちになり、浄化できずに向こうにいけなくなってしまうとか。

上手に向こうにいけると、いつでも会いにこられるようになるそうです。

まあ、これだけ、皆様に思われているのだから、
天国もしくは極楽浄土行きは確実だとおもうぞ、
と昨日リアル妹がメールしてくれました(^^)

皆さんからの大きな愛を腕いっぱいに抱きしめて、
必ずや善き場所を目指すであろうと私も思います。

それにこうして勇気を持って向こうに渡ってしまったのだから、
早く大きなあたたかい光と一緒に一層きらきらの相方さんになって、
これからも皆をあたためながら、その光で照らし続けてほしいと願っています。

ただぴーちゃんが「シニア犬」と言われるだけで涙ぐむほどに(^^;)
寂しがりやさんの相方さんだったので「サヨナラ」ではなく
「またねー、行ってらっしゃい」「向こうでまた会おうね」
と皆さんの笑顔で送り出してやってくださいますでしょうか。

相方さんが心から愛した皆様に、お客様に、この世界に
四十九日の新しい、懐かしい場所への旅立ちの記念すべき時に、
お心合わせて気持ちを向けていただければ幸いです。

そして少しだけ耳を澄まして、心を澄まして頂いて、
相方からの皆様への静かな愛を受け取って頂ければ、
相方さんもとてもとても喜ぶことと思います。



帰天の際、「四十九日などのお知らせをお待ちしています」
とお声をかけてくださった方がたくさんおられました。

それで今朝がた、相方さんの親しい方にのみでしたが、
このようなメールを送らせていただきました。
早々に沢山の方が、相方さんへのエールとあたたかいお返事を下さいました。

帰天以来、このブログをご覧に下さったお客様や
私をお気づかい下さったまだ見しらぬ皆さまが
私のブログの中からコンタクトをとれる方法を読んでご連絡くださって
本当に沢山のあたたかい励ましのお言葉を頂きました。
ありがとうございました。

この旅立ちの日にお心寄せてくださる皆様にも
ぜひぜひお心合わせていただきたく。。。
ご一緒に相方さんのお引越し祝いをしていただければ嬉しく存じます。


たぶん、間違いなく、いつもそこに来てくれるとは思いますが、
住所が変わるって大きいですからね(^^)

そしてこれからも相方さんをどうぞ宜しくお願い致します。



《追記》

先ほど、偶然お知らせいただいたのですが、
病院で相方さんや私が親しくさせていただいていた
桑原さんというリンパ性の白血病の方が12月3日に亡くなられたそうです。

とても良い方で、入院中はもうすぐ結婚するという婚約者の方がお見舞いに来てらっしゃいました。
偶然にも同じような環境で、関西出身で、お歳も相方さんよりほんの少し上の方でした。

移植手術を少しでも早くということで、虎の門病院に転院されてからは
ツイッターやブログでご様子を見守っていました。
12月12日に移植が決まったと喜んでいらしたので、
志気を弱めてはいけないと思い相方さんの帰天は知らせずにいました。
せっかくきまられた手術を待たずに、やはり体力が弱った時に亡くなられてしまったそうです。

クリーンルームからいきなり放り出されて、身体のしんどい中、
あまりの病院の配慮のなさにいらいらと片づける相方さんに
「おれも一緒!わかるわー!こだわりあるんだよなぁ」
と笑顔で声をかけてくださって、相方さんを一瞬で笑顔にしてくださり、
私にも毎日偉いねぇ、ありがとう、旦那も禿げちゃうけど何でもないぞお!
超楽だし、以外にキュートでしょ?と笑顔で声をかけてくださいました。
それからもしょっちゅう声をかける中になったのですが…。

今頃はきっと観児さんと、俺ら頑張ったねぇと話してる気がしますが
笑顔でずっとおそばにおられた彼女さんの事を思い、
残されたご家族様の悲しみを思うと、
他人事とは思えず、本当に身がつまされます。

何もできないけれども、桑原さんの平安と
残された彼女さんとご家族の心の早い安らぎを願い
せめても心を寄せてお祈りしたいと思っています。

そして白血病や自身では避けられない原因での病気で
生死という壁の前で心奮い立たせて頑張っておられる皆様に
心から心から祈りとエールを送りたいと思います。

桑原さんが今日も笑顔で幸せであられますように
相方さんと一緒に笑ってますように




Merry go round

2011-01-04 | KOFUKU日記



元旦にお友達がメールをくれました。
そこにこんな言葉を書いてくれてました。


「メール書いていて、メリーゴーランドって言葉が浮かびました。
Merry go round
観ちゃんは今、あちこちを祝福して廻っているのかも知れませんね。」


いつもの特徴ある足取りでちょっと恥ずかしそうな笑顔で
大好きな仲間のところを巡っている相方さんの姿が浮かびました。
お葬式の日、ウィキッドの楽屋に律儀にノックして現れたそうですから
きっと他の仲間達の所にも「こんにちわぁ~」「おじゃましまあす」と
律儀に挨拶して巡っている事でしょう。
思わず想像して微笑まずにいられませんでした。


あと2日で四十九日が来ます。
唐突ですが、っていうか、このブログを見てる人は知ってると思いますが、
私は大きな意味での神様や聖なる存在や死後の世界を信じてます(笑)

まあ、科学的に実証する事はまず無理な世界ですし、
そんなに頑張って宣言する事も無いんですが(^^;)
うちは母方のおばあちゃんもおじさんも善なる霊能力者でしたし
小さい頃からどういう訳かそういう不思議体験が多かったので
自分には事実ですからこれっぽっちも疑う余地がございませんのですよ。

ただーし、信じるのは自分が体験することに限り、です。

そうなの、だってぇ、あたし、不安症で超現実主義者だからー。
自分が観たもの、感じた物しかわからない。
だから人様の否定もしません。解らないから出来ないもんねぇ。

え、それなのに、信じてるの?という人も多いです。
うん、事実だからねー。

そういう人になんでそんな事が起こるの?と言う人も多いです。
…うん、それは多分、疑り深いから神様が奇跡を繰り返し見せるんだと思います。

私は昔からそう解釈してます。
聖書に出てくるイエス様の手の穴に指突っ込んだトマスと同じですな。
いやそれ以上の疑りぶかさだなー。
だってそれでも見たものしかしんじられないんだもん。
あたしの頭はそうとう堅物です。
ですが信じた物には柔軟です、事実だから。
なので不思議な事も結構受け入れられちゃったりします。


以前、ソウルメイトが亡くなったとき、
ちょうど四十九日が過ぎた頃だったでしょうか。
ソウルメイトのGくんはなかなか夢には現れてくれずにおりました。

ある日、夢ではない夢に遭遇。
(私の中では、ただの夢とそうではない夢がはっきりあるのです)
ああ、また来ちゃったのね、ここはきっと向こうと繋がってるとこだなぁ、
と平穏な気持ちで暖かな白い光のもやの中に居ますと
天使が現れまして、こっちこっちーと私を手招きして呼ぶのです。
(翼は無かったけど間違いなく天界の方でした)

それでついていくと、天使の向こうに緋色のドレープカーテンがあって
天使がそれを持ち上げてくれて、向こうを覗かせてくれました。
そっと覗いてみますと、真っ白で光り輝く輝く舞台の上で、
子ども達と一緒に舞台で歌い踊るソウルメイトがおりました。

それで、私は
「ああ、天国にもやっぱり劇場あるんだ。
そこで同じ仕事が続けられるんだ。」
と、思いまして、安心してこっちに帰ってきたんですよね。
以来、向こうでも芸事は続けられるとなぜか知ってます。


今回、相方さんが向こう側に行ってから、
恵まれて許される立場だったから、逝ってすぐのときは泣き暮らし
18日の納骨くらいまでは本当に寝ても覚めても
相方さんのことばかりを考えているような生活でした。

そのせいでしょうか、相方さんとかなり繋がってたんでしょうね、
お葬式の後くらいに、なんと一緒に三途の川らしきところを渡りました。

それは夢ではない感覚の夢で、あ、向こう側だと想ったらそこは夜でした。
良く見たら下に大きな川が流れていて、左側には山並みが連なっています。
川はそこに添って流れています。

気がついたらたくさんの方が流れに逆らうように泳いでいました。
そこに相方さんも居て、一生懸命泳いでました。

なぜか、私は皆が泳ぐ川の上に浮かんでいて、
左側の山並みの向こうにある、青くて金色の光を指差し、

「ほら!あそこ!あの光ってるところまでいけば大丈夫。
 だから頑張って!」

と、ひたすら声をかけていました。
みんなが光に向かって行ったので、
それを見ながらきっと迷わない、大丈夫、と想ったのでした。
だからなぜか、相方さんは道を迷わないという自信があります。


確かな筋の話ではこの世で生を終えると、
ちょうどこの期間くらいの間は
あちらとこちらが重なってるところにいて、
その間に思い入れのある人々のところや場所に行って
この世でのお礼やお別れを告げて執着を落として
そして、もっと身軽な新しい身体になって旅立つのだそうです。

もちろん、向こうに行ってもずっと愛や縁は切れないし、
もっと気軽に会いに来てくれることが出来るらしいですが。

ただこちら側に居る人間が向こうに行った人に執着を持ちすぎると
向こうで新しい幸せな生活が始められなくて、
こちらと向こうの間ににとどってしまうそうです。


なので、もちろん時には死ぬほど悲しくて寂しいのですが、
相方さんが幸せに向こうでの生活を始めてくれることが願いです。
それが本当にたったひとつの願いです。
向こう側で幸せで平和で居て欲しい。

向こうに行ったとて、新しい生活や学びの傍ら
彼らはきっと様子を見に来てくれるでしょう。

だから、できるだけ、何時相方さんが覗きに来ても
彼の安心するような状況を作りたいと思っています。
相方さんの残した物の整理も、これからの生活もいろいろと。
祈りの気持ちを込めて歩んで生きたい。

まだまだ時間はかかりそうですが、少しずつ。
相方さんの心配の種にはなりたくないなぁと思ってます。

執着して「行かないで!」「何で?どうして?」と想う代わりに

「今度そっちで会える時には3人でまず何をしようか?」
と話しながら過ごして生きたいと想う今日この頃です。

新年の願い

2011-01-01 | 相方さん(米澤観児氏について)


2011年になりました
2011年の幕開けはぴーちゃんと相方さんと写真を抱きしめ3人で迎えました
今年も3人で仲良く暮らしていこうと思っています


皆様、昨年は本当にお世話になりました

喪中の私を気遣って、年末にたくさんの愛を送ってくださった皆様ありがとうございます

また、それを知っていつつも
あえて「これまでと変わらないよ」の気持ちを込めて
年賀状や年賀メールで励ましてくださった皆様もありがとうございます

お蔭様で元旦から寂しい思いをせずにすみました
感謝です
どうもありがとうございます



昨年、相方さんが帰天以降は心配したお友達が泊まりにきてくださった数日を除いて
それ以外の日々はすべて、この家でぴーちゃんを傍らに一人で過ごしました
家の中でぽつんと一人、彼を思い、涙を流し、ご飯を食べ、眠って暮らしました
考えたより、孤独な時間でした


中にはお誘いくださった優しい方もおられたのですが
なぜだか時間が合わなかったり、出かける気持ちにならなかったのです
ぴーちゃんもいるので、彼女を一人にはどうしても出来なかったのかもしれません
一人でいることも私に大事だったのでしょう


あと4日で四十九日です
その日が来るのがちょっと寂しい気もします

でもそれを超えたら、今度は相方さんとぴーちゃんと一緒に
相方さんが好きだった場所に、人に会いにいけるようになったらいいなぁと思っています

正直、思い出のある場所に行くのは、ちょっと勇気がいるけど

それよりも、相方さんが皆に会いたいんじゃないかと想うから、そうしたいなと思っています


彼はなくなったとき、すぐにこの家に帰ってこられませんでした
親孝行な彼は最後に親孝行をしたいと思いました
だからそのまま郷里に帰って、お骨になっても帰らず、そのままお墓に眠りました

ただ彼が自分だけの家族と暮らした場所で、愛した場所で、生活があった場所で
なくなる直前まであんなにも帰りたがっていたのにかえってこれなかったのは寂しかったでしょう



そして東京で、たった一人で戦い、向き合い、必死に彼が培ってきた、
彼の一番やりたい事だった「演劇」彼の愛した世界、ここにしかないもの
それを全部置いていかねばならなかったのは心残りだったでしょう


突然のお別れで魂の仕事を分かち合った仲間たちともゆっくりお別れが出来ませんでした
仲間思いの彼はそれを本当にごめんなさいと想った事でしょう


相方さんの郷里にはもちろん大きな思い出と家族の愛はあるけれど
残念ながらこの世を生きた彼にとって一番大事なものがなかったのです
相方さんを形成していた魂の部分がなにもなかったのです
そしてその彼が愛した世界を故郷の誰もがちゃんとしりませんでした


彼は演技の魂そのものでしたから

それが無いところは彼の本当の居場所ではないのだと
彼の半身である私は大きな寂しさを感じました

それでわがまま言って彼を連れ帰ったのです
たましいの欠片が残っているこの場所に


それをお父さんお母さんは快く許してくださいました
さすがは彼のご両親です

ここに彼の生きた場所があるのだから
彼の大事な友達がたくさんいるのだからと


だから相方さんはこれから皆さまにまた会えるのを楽しみにしています

相方さんに会いたい皆様のご連絡も心よりお待ちしてます


今年はそんな相方さんとぴーちゃんとあちこちいけたらいいなぁと思います

元気な頃、相方さんはぴーちゃんをいろんなところに連れて行くのが生きがいでした
何よりも喜んでました

時にはこんな風にバッグに入れて
時には赤ちゃんのように、子どものように抱きしめて
ぴーちゃんもそれが嬉しくて、彼の腕の中でよく笑いました

そんなぴーちゃんを彼はひたすらカメラにおさめました
子どもを溺愛する世のお父さんと変わりませんでした



病院に入ってる時も、「親は来ないか」「リッキーは来ないか」と(笑)
みんな車を持っている人ばかり

「なんで?」と聞くと、もちろん、

「ぴーちゃんが車に乗らなければならないから」
(しかも真顔で本気発言・笑)

そんなぴーちゃんとのお出かけが命の彼でした。

お正月は必ずトップの写真の着物を着せて
長い時間をかけて車を走らせ
山の奥にある神社を探しては連れて行ってくれました


ぴーちゃんが「わぁ、可愛い!」
といわれると自分の事のように喜んでいました。


だから今年もぴーちゃんと相方さんは一緒にたくさんお出かけをするのです


願わくば神様が私たち家族にそんな時間をたくさんくださいますように
私たち家族が今年も愛に満ちて暮らせますように
天と地を繋いで愛と幸せを紡いでいけますように

新年の一日目に心から願います


そしてどうか皆様、本年も私たち家族を宜しくお願い致します