一ヶ月ぶりにネットを開いて、自分のブログをのぞいたとき、いろんな方からのコメントがあったことが今とても自分を支えるちからになっています。
たくさんの方の愛に深く感謝しています。
今回、急に引っ越したり、仕事を辞めたりした事でたくさんの方にご心配をかけました。
心配してくださった方々、本当にごめんなさい。
でも、この一ヶ月は本当に誰にも連絡する元気もなかったくらい大変だったし、ぐったり疲れきっていました。まるで私じゃなくなったみたいに。
今回の出来事は本当にまったく予測していなかったことで、今でも時々ここにいることが夢のように思えてなりません。
振り返って見ると今回の出来事で感じたことは「悲しい」って気持ちだった気がします。
ネットを再会するまで殆んどの友人と音信を絶っていたので、いろんな人が何があったのか?と尋ねてくださいます。
それに答えるのはとても精神力がいるし、思い出しては心のいたい思いもしてしまいます。
それに私一人に起きたことではないし、もちろん相手あってのことですからすべてをお答えすることはできません。
一人一人に話すことは無理だし、でもみんなも心配してくれるし、思い切ってここで私の今の心に感じたことだけを説明しようと思います。
ただ、本当に悲しい思いはしたけれど、誰かに恨みを抱いたり、ここに移ったことを悔やんだりはしていません。
起きるようにしてこの事は起きたのだろうし、私が悲しいと思ったように、向こう側に居る人たちだって何らかの感情を抱かれたことだろうと思うからです。
だからここでの発言を非難だとは取らないでくださいね。決して避難したりはしていないのです。ただ、あるがままに私の心が感じた事を書き込んでいきます。
今回、一番辛くて悲しかったのは、大切な人たちの間に立ってしまった事でした。
私は事情があって、家を借りたりすることが出来ません。身体も持病があり、無理をして働く事ができないのです。もちろんその状況ではお金もたくさんは作れません。
情けないけれど人に助けてもらわなければやっていくことが出来ないことだけは確かです。
でもそれなりに自立を願い、できる範囲で今まで頑張ってきたと自負しています。
たった一人の家族と呼べる人を亡くし、思い出ある土地に居られず、逃げるように北海道で暮らしました。
でも何をしても喜びは戻らない。そうか、魂の半分である「芝居の世界」がそうさせるんだ。私はそれをするために生まれたんだもの。そう思いました。
東京に戻りたくて、そのすべを探しているときに前の大家さんに出会ったのです。
ほとんどわたしの事を知らない大家さんは、家が空いているから家に来て暮らしたらいいと快く私ともう一人、北海道の友人を迎え入れてくださいました。
それから一年半、経営している幼稚園でお仕事もくださり、何につけ相談に乗ってくださり、私は本当に感謝していたし、実の姉のような気持ちで思わせて頂いていました。
いつも、「家が空いているのだから、お友達をよんで住んだらいい」とおっしゃってくださっていたので、ある時本当に生活状況が大変な友人をシェアメイトとして迎え入れることにしたのです。
なぜ、そうしたのかと言う理由の大きな一つは、私がここに迎え入れられたように、本当に困っている人に、自分に起こった幸せを分かち合いたいと思ったからでした。
そういった行動や気持ちは伝えていくべきと思っていたのです。
もちろん、友人を呼ぶときは相談しましたよ。二つ返事でどうぞどうぞと言ってくださいました。
そうして友人はやってきて穏やかに楽しく暮らしていたのです。
ところがある日、ある事件が起こってしまって…。
そのことが発端かそれともそれ以外のことが原因か今となっては分かりませんが、この引越し劇に繋がっていきました…坂を転がり落ちるような速さで。
そのことを話した会話の中で、いままで私が考え付くことさえなかった言葉がいくつか出てきて、私を戸惑わせました。
それは、私自身の相手に対する気持ちをうち砕いてしまうような言葉でした。
相手の善意をまったく信頼していたからこそ、そういった気持ちをもたれていたことがショックでなりませんでした。
それ以上にそういった言葉を大家さんに言わせてしまったこと、その言葉でシェアメイトたちが心に深い傷を負ってしまったことが私にとってはものすごく辛かったのです。
そうして信頼する友人らに相談し、これからのことを考えに考えて、決心して家を出ることに決めたのでした。と、言うよりはもうそれしか私には選択肢が残っていなかったのです。
それからが辛かった。ほんとうに苦しい寂しい毎日でした。
子ども達に毎日会うたび、別れる事が辛かった。子ども達は何か感じていたのでしょう。「先生?遠くへいっちゃったりしないよね?」などと聞かれたりもしました。
私が介助していた自閉症の男の子が私がほんとうに辛かったとき、突然に私の頭をなでて「だいじょうぶよ」と言ってくれました。仕事中なのに涙が出て止まりませんでした。
彼には眼に見えない私の悲しみや寂しさがちゃんと見えていたのですね。
そんな中、最後の日がやってきて、私はみんなと心の中でさよならをしました。
寂しかったのは子ども達だけでなく、職員の方にもお別れを言う場を与えてもらえなかったことです。
きっと皆さんは本当に理由も知らないし、突然やめて言った困った奴だと思われているんだろうなーと思ったらとっても悲しかったです。
そのせいでしょう、一番最後に運動会をお手伝いに言ったときもほとんどの人がさよならも言ってくれなくて、運動会の途中で一人ぽつりと家に戻ってきながら涙がこぼれたことを思い出します。
私の中で幼稚園も大家さんもとても大切な人たちで場所でした。本当に信頼していました。だから今回のことは本当に悲しかったのです。
だからお金になることは出来なかったかも知れないけれど、自分の知っている人々に一生懸命良さを伝えたりしてました。家族の皆さんとも仲良くさせていただいていたし。これからきっとその間も変ってきてしまうかもしれないんだなあって思うと、最後はほんとうに寂しかった。
シェアメイトたちもきっと同じ気持ちでしょう。
でも、それもこれも向こうの思いがあってのことです。きっと私たちに対してたくさん思われていたことがあったのでしょう。歯がゆい思いもしておられたのでしょう。
そう思わせてしまった何かが私たちにもあったのです。だからもういいのです。
多分、立ち直るには時間がかかると思うけれど…。
ある友人が「もう感謝とかご縁とかって事じゃないよ。終わらせて忘れればいい」と言ってくれましたが、私は出会ったことへの感謝とご縁は忘れないと思います。
大家さんは間違いなく、困っていたときに助けてくれて、私が始めて一人で生きていく為の力を与えてくださった方でした。そのことに心から感謝しています。
友の言うように、この引越しで以前よりもっと暮らしは大変になりました。
笑って過ごせるような余裕も本当はないはずなのかも知れないくらいです。
でも、新しい道を頂いたと思っています。
一緒に場所を移り、家を借りられない私とすみれ(愛犬)の為に場所を探して、現在間借りさせてくれている、私にとっては家族のような仲間が引越しの日、笑顔でこう言いました。
「大家さんが初めて眼を見て話をしてくれたよ。これですべて良しだ。」
彼は今回のことで私以上に深く深く傷ついていたはずなのに、すごいなあって思いました。この言葉が私に笑顔でさよならを言う力をくれました。
もう一人の家族であるシェアメイトも今はヘルニアで治療中だけど、メールでなんども励ましてくれ助けてくれました。
あのお家に住まわせてもらったおかげで、誰も、何もない世界にすんでいた私には、心許せる家族が二人も出来たのです。本当に宝をもらいました。
正直、傷は深かった。失ったものも大きかったし。でも、ある有名ミュージカル俳優の大好きな先輩が大好きな人を亡くした夜、こういってくれたことを思い出します。
「傷は残る。でもいつかかさぶたになってはがれるんだよ。それまでは引っかいたり、血が出たり、痒かったりするさ。でもそうやって治っていくんだよ。」って。
だから、きっと元気になると思います。私も友達もみんな。
新しい場所は良いところです。今日もお日様が笑っています。
バイトや道で小さい子と会うとついつい「先生ねえ」と言ってしまうけど(笑)
良い経験をさせてもらいました。本当に出会った一人ひとりに感謝しています。
こころからたくさんの愛と感謝とありがとうを捧げたいと思います。
だからこのお話はこれでおしまい(^^)
さて、今週末からは北海道、伊達のシュタイナースクールいずみの学校に演劇の授業で言ってきます。
もう冬の訪れが近い北海道はきっと何かを与えてくれることでしょう。
さあ、今日もすべての人々が善い一日を過ごせますように
たくさんの方の愛に深く感謝しています。
今回、急に引っ越したり、仕事を辞めたりした事でたくさんの方にご心配をかけました。
心配してくださった方々、本当にごめんなさい。
でも、この一ヶ月は本当に誰にも連絡する元気もなかったくらい大変だったし、ぐったり疲れきっていました。まるで私じゃなくなったみたいに。
今回の出来事は本当にまったく予測していなかったことで、今でも時々ここにいることが夢のように思えてなりません。
振り返って見ると今回の出来事で感じたことは「悲しい」って気持ちだった気がします。
ネットを再会するまで殆んどの友人と音信を絶っていたので、いろんな人が何があったのか?と尋ねてくださいます。
それに答えるのはとても精神力がいるし、思い出しては心のいたい思いもしてしまいます。
それに私一人に起きたことではないし、もちろん相手あってのことですからすべてをお答えすることはできません。
一人一人に話すことは無理だし、でもみんなも心配してくれるし、思い切ってここで私の今の心に感じたことだけを説明しようと思います。
ただ、本当に悲しい思いはしたけれど、誰かに恨みを抱いたり、ここに移ったことを悔やんだりはしていません。
起きるようにしてこの事は起きたのだろうし、私が悲しいと思ったように、向こう側に居る人たちだって何らかの感情を抱かれたことだろうと思うからです。
だからここでの発言を非難だとは取らないでくださいね。決して避難したりはしていないのです。ただ、あるがままに私の心が感じた事を書き込んでいきます。
今回、一番辛くて悲しかったのは、大切な人たちの間に立ってしまった事でした。
私は事情があって、家を借りたりすることが出来ません。身体も持病があり、無理をして働く事ができないのです。もちろんその状況ではお金もたくさんは作れません。
情けないけれど人に助けてもらわなければやっていくことが出来ないことだけは確かです。
でもそれなりに自立を願い、できる範囲で今まで頑張ってきたと自負しています。
たった一人の家族と呼べる人を亡くし、思い出ある土地に居られず、逃げるように北海道で暮らしました。
でも何をしても喜びは戻らない。そうか、魂の半分である「芝居の世界」がそうさせるんだ。私はそれをするために生まれたんだもの。そう思いました。
東京に戻りたくて、そのすべを探しているときに前の大家さんに出会ったのです。
ほとんどわたしの事を知らない大家さんは、家が空いているから家に来て暮らしたらいいと快く私ともう一人、北海道の友人を迎え入れてくださいました。
それから一年半、経営している幼稚園でお仕事もくださり、何につけ相談に乗ってくださり、私は本当に感謝していたし、実の姉のような気持ちで思わせて頂いていました。
いつも、「家が空いているのだから、お友達をよんで住んだらいい」とおっしゃってくださっていたので、ある時本当に生活状況が大変な友人をシェアメイトとして迎え入れることにしたのです。
なぜ、そうしたのかと言う理由の大きな一つは、私がここに迎え入れられたように、本当に困っている人に、自分に起こった幸せを分かち合いたいと思ったからでした。
そういった行動や気持ちは伝えていくべきと思っていたのです。
もちろん、友人を呼ぶときは相談しましたよ。二つ返事でどうぞどうぞと言ってくださいました。
そうして友人はやってきて穏やかに楽しく暮らしていたのです。
ところがある日、ある事件が起こってしまって…。
そのことが発端かそれともそれ以外のことが原因か今となっては分かりませんが、この引越し劇に繋がっていきました…坂を転がり落ちるような速さで。
そのことを話した会話の中で、いままで私が考え付くことさえなかった言葉がいくつか出てきて、私を戸惑わせました。
それは、私自身の相手に対する気持ちをうち砕いてしまうような言葉でした。
相手の善意をまったく信頼していたからこそ、そういった気持ちをもたれていたことがショックでなりませんでした。
それ以上にそういった言葉を大家さんに言わせてしまったこと、その言葉でシェアメイトたちが心に深い傷を負ってしまったことが私にとってはものすごく辛かったのです。
そうして信頼する友人らに相談し、これからのことを考えに考えて、決心して家を出ることに決めたのでした。と、言うよりはもうそれしか私には選択肢が残っていなかったのです。
それからが辛かった。ほんとうに苦しい寂しい毎日でした。
子ども達に毎日会うたび、別れる事が辛かった。子ども達は何か感じていたのでしょう。「先生?遠くへいっちゃったりしないよね?」などと聞かれたりもしました。
私が介助していた自閉症の男の子が私がほんとうに辛かったとき、突然に私の頭をなでて「だいじょうぶよ」と言ってくれました。仕事中なのに涙が出て止まりませんでした。
彼には眼に見えない私の悲しみや寂しさがちゃんと見えていたのですね。
そんな中、最後の日がやってきて、私はみんなと心の中でさよならをしました。
寂しかったのは子ども達だけでなく、職員の方にもお別れを言う場を与えてもらえなかったことです。
きっと皆さんは本当に理由も知らないし、突然やめて言った困った奴だと思われているんだろうなーと思ったらとっても悲しかったです。
そのせいでしょう、一番最後に運動会をお手伝いに言ったときもほとんどの人がさよならも言ってくれなくて、運動会の途中で一人ぽつりと家に戻ってきながら涙がこぼれたことを思い出します。
私の中で幼稚園も大家さんもとても大切な人たちで場所でした。本当に信頼していました。だから今回のことは本当に悲しかったのです。
だからお金になることは出来なかったかも知れないけれど、自分の知っている人々に一生懸命良さを伝えたりしてました。家族の皆さんとも仲良くさせていただいていたし。これからきっとその間も変ってきてしまうかもしれないんだなあって思うと、最後はほんとうに寂しかった。
シェアメイトたちもきっと同じ気持ちでしょう。
でも、それもこれも向こうの思いがあってのことです。きっと私たちに対してたくさん思われていたことがあったのでしょう。歯がゆい思いもしておられたのでしょう。
そう思わせてしまった何かが私たちにもあったのです。だからもういいのです。
多分、立ち直るには時間がかかると思うけれど…。
ある友人が「もう感謝とかご縁とかって事じゃないよ。終わらせて忘れればいい」と言ってくれましたが、私は出会ったことへの感謝とご縁は忘れないと思います。
大家さんは間違いなく、困っていたときに助けてくれて、私が始めて一人で生きていく為の力を与えてくださった方でした。そのことに心から感謝しています。
友の言うように、この引越しで以前よりもっと暮らしは大変になりました。
笑って過ごせるような余裕も本当はないはずなのかも知れないくらいです。
でも、新しい道を頂いたと思っています。
一緒に場所を移り、家を借りられない私とすみれ(愛犬)の為に場所を探して、現在間借りさせてくれている、私にとっては家族のような仲間が引越しの日、笑顔でこう言いました。
「大家さんが初めて眼を見て話をしてくれたよ。これですべて良しだ。」
彼は今回のことで私以上に深く深く傷ついていたはずなのに、すごいなあって思いました。この言葉が私に笑顔でさよならを言う力をくれました。
もう一人の家族であるシェアメイトも今はヘルニアで治療中だけど、メールでなんども励ましてくれ助けてくれました。
あのお家に住まわせてもらったおかげで、誰も、何もない世界にすんでいた私には、心許せる家族が二人も出来たのです。本当に宝をもらいました。
正直、傷は深かった。失ったものも大きかったし。でも、ある有名ミュージカル俳優の大好きな先輩が大好きな人を亡くした夜、こういってくれたことを思い出します。
「傷は残る。でもいつかかさぶたになってはがれるんだよ。それまでは引っかいたり、血が出たり、痒かったりするさ。でもそうやって治っていくんだよ。」って。
だから、きっと元気になると思います。私も友達もみんな。
新しい場所は良いところです。今日もお日様が笑っています。
バイトや道で小さい子と会うとついつい「先生ねえ」と言ってしまうけど(笑)
良い経験をさせてもらいました。本当に出会った一人ひとりに感謝しています。
こころからたくさんの愛と感謝とありがとうを捧げたいと思います。
だからこのお話はこれでおしまい(^^)
さて、今週末からは北海道、伊達のシュタイナースクールいずみの学校に演劇の授業で言ってきます。
もう冬の訪れが近い北海道はきっと何かを与えてくれることでしょう。
さあ、今日もすべての人々が善い一日を過ごせますように