KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

五月の第二日曜日はお母様の日

2014-05-11 | KOFUKU日記


♪母ぎみに勝る 友や世にある 
生命の春にも 老いの秋にも 
やさしく労わり いとしみたもう 
母ぎみにまさる 友や世にある

母ぎみに勝る 友や世にある 
笑いも涙も 共に分かちて 
ゆうべの祈り 心を合わす 
母ぎみにまさる 友や世にある♪ 



私の母は元気な頃、いつも着物を美しく着て、
笑顔のうちに家仕事をこなす人でした。
一度も愚痴や悪口や不平不満を聞いたことがありません。
どんなに夫が理不尽でも、深い愛を持って彼を支え、
イノチをかけて子供を守る、そんな母でした。
誰よりも早く起きて、誰よりも遅く眠り、
夜中目を覚ませば、自分も起きて優しく声をかけてくれ
美味しいものは全て夫や子供に与え、
自分はどんな贅沢もしない人でした。
そして全ての人に同じように優しく愛を捧げられる人。
そしてそんな日々を心から喜べる人でした。
河野進さんの詩を読むたびに美しい私の母を想います。
今は病床にいる母ですが、きっと今でもそんな愛の中にいるのでしょう。







「いつも」

お母さん
笑ったら
ほんまにやさしい顔や
ぼく 大好き
いつも 笑ってて


************


「超人」

貧しくても子の前につぶやかず
苦しんでも子の前にうめかず
疲れても子の前によろめかず
悲しんでも子の前に微笑を忘れず
病んでも子の前にくずおれず
裏切られても子の前に失望せず
愛しても子の前に恩をきせず
超人のような母がいっぱいいる







「かまわない」

貧乏でも
無学でも
病弱でも
かまわない
お母さんは
正直で
とてもやさしいんだ
ぼくは胸を張った


************


「多忙」

お母ちゃん
なあに
なんでもないの
顔みに帰っただけ
また遊びにかけ出して行く
楽しく忙しかった
子供の日よ






「母と言う文字」

母という字は
上から下から
左から右から
表から裏から見ても
同じかつこうをしている
母は太陽のように
かげひなたがないもんな


************


「すきなもの」

お母ちゃん
また残したの
たべてあげよ
ぼくの好きなもの
みなきらいやな
ちっと食べたらええのに








「だまって」

お母さんは
おにぎりのようやな
どうして
だまっているけど
顔見てたら
うれしくなるもん


****************


「空気」

お母さんは
きれいな空気のように
やさしい愛を
一日じゅう注いでいる
こどもは
あたたかい空気のように
うれしい愛を 一日中すっている
どちらも気がつかずに







「かなわんな」

お母さんは 
ぼくのしたこと
みんなわかるんや
よいことしたら 
うれしそうな顔をする
わるいことしたら 
悲しそうな目をするかなわんな


***************


「いっしょにねる」

お母さん
ぼく 目がさめたら
じっと見てる
ぼく ねむったら ねるんな
いつも 起きてるのとちがうか








「五十年」

母の詩を作って五十年になる
毎日と言うわけではないが
全然忘れはしない
うれしくても かなしくても 母の詩を作る
母は病床でも口三味線をひいていた
母を思うと幸せになる
みんなよい母になってほしい
わるい母っているはずがない


(全ての詩:河野進)







この世のすべてのお母様は天地にただおひとりの方です。

「おかあさま、ありがとう」





導き~腐る生き方*枯れる生き方

2014-05-07 | KOFUKU日記


〈宇宙、そして地球はみんなの教室 生命ある自然はみんなの先生〉


(FBにupした記事より転載です)

私は常日頃、自然は人間が美しく生を全うするための道標だと思っている。
入り浸っている実家の庭は竹山と森に面しているのだけど、
ここに来て3年近く、竹がどんな風に生きているかを初めてじっくりと見つめる機会を得た。
春、芽吹いた筍は、日に何十センチも伸びてゆく。
じっと見ていたら、伸びているところが見えるんじゃないかなっていう位のスピードで。
ある程度にまで伸びると、自らを覆っていた皮を一枚、また一枚と落としてゆく。
同じ頃、成長した竹達は「竹の秋」を迎え、イノチを終えた葉を一斉に落とす。
その足元で成長する筍。皮を落とし、日に当たる竹はどんどん濃い緑になる。
それからも身長を伸ばし、その内、先端がいくつもの枝に分かれる。
その枝に、針のように細く突き出した葉がゆっくり、ゆっくりと開いていく。
そして、他の竹達も新しい葉を開き「竹の春」を迎える。
一番、感慨深いのは終わりの時。
竹は自分のイノチを全うすると、根元からゆっくりと折れて倒れていく。
不思議なことに、まるで一本一本に意思でもある様に。
いや、多分、きっとあるに違いない、って私は思ってる。
どんな風に倒れていくのかって言うと、仲間の竹達を自分が支えるように倒れるのだ。
斜めに、縦に、横に、それは見事に、みんなで相談したかのように、いま立っている竹達を支えるように倒れていく。
それを見ていると、真実思う。
「ああ、そうか、人も本来、こういう風に倒れていくべきものなんだ。」
竹だけじゃない。
草花を見ていても、鳥たちを見ていても、虫たちを見ていても。
自然は人間がどう生きればいいのかを、その生き様で教えてくれている。
私にはそう思えてならない。

こちらの記事は、その私の感覚と、同じようなものを感じて書かれたのではないかなと思います。
ぜひ、ご覧下さい。






「種を残すために」

野菜が腐敗するのは当たり前のように思ってきました。

冷蔵庫に入れた野菜を使い忘れると、いつの日か水が出て、黴が生え、異臭を放ちます。
そして生ごみ化していきます。別に珍しいことではありません。
切り刻んだ野菜であればもっと早く腐敗していきます。
それは既に生命力を失っているからなのでしょう。

しかし、僕が自然栽培を始め、使い忘れた野菜をキッチンに置きっぱなしにしたときに、
今までと違う様相を見ることができました。それが、枯れるという現象です。

考えてみれば、野菜と言うのは植物であり、本来は腐敗するものではありません。
野山を見てみると分かる様に、多くは水分が抜けて枯れていき、土に戻っていきます。
なのに、何故か野菜だけがキッチンで腐敗していきます。そちらの方が不思議な現象な訳です。

写真は、チャドウィックチェリーというミニトマトです。僕の畑に無数に転がっています。
僕は作物が枯れることに重要な意味を見出しているので、枯れるまで畑をそのままにします。
そのため、こういう物が沢山落ちています。

トマトの水分が抜けていき、パリパリになり、ちょっとした刺激でパリンと割れます。
中には種だけが残っています。
その種も外側の発芽抑制成分がパリパリになって剥がれ落ちた状態です。
植物はこうなるから子孫を残せるわけです。
もちろん動物に食べられて、種が吐き出されることで子孫を残すこともあります。

どちらにしろ、腐敗するということはありません。
何故なら、腐敗すれば種ごと腐敗してしまい、子孫を残すことが出来ないからです。

当たり前のように思っていた腐敗ということが、実は極めて不自然な現象なわけです。
自然界の植物は、本来は腐敗することなど無いのです。

現代の野菜は、多くの肥料を与えられて育ち、農薬をかけられ、そして保存のためにと冷蔵庫に保管されます。
そのどれ一つとっても自然界では起きえないことであり、
それが腐敗と言う現象を生み出しているのではないかと思うわけです。

もちろん、今では、腐敗する野菜と枯れる野菜の差の原因も徐々に判明してきています。

もしかしたら、人間も同じかもしれませんね。腐敗する人間と枯れていく人間。
腐敗する人は生活が乱れ、自分勝手に生きていき、歳をとっても腐敗臭で周りに迷惑をかける。
枯れる人間は、その存在感を徐々に薄れさせつつ、やがてひっそりと消えていく。

なんとなく、身につまさせられる例えです(笑)。
枯れる人間になろうっと…。

by岡本 よりたか氏
(FBよりシェアさせていただきました)



すずらんの日~5月は聖母月

2014-05-01 | KOFUKU日記


“La fete du muguet”

本日、5月1日はすずらんの日。
すずらんの花言葉は「幸福の再来」
フランスの祝日でもあるこの日は、相手の幸福を願ってすずらんを贈ります。
すずらんを贈られた人には幸福が訪れると言われています。
と言うことで、皆様にすずらんの花を贈ります♪
皆様に幸せがありますように♪





すずらんの和名は「君影草」




英語では Lily of the valley 谷間の姫百合
いずれも可憐で美しいです。






さて「薔薇の中の薔薇」と言えば聖母マリア様のこと。
毎年言っていますが(笑)5月はマリア様に捧げられた月です。
私はカトリック信者でも、キリスト教徒でもないのですが
小さい時から教会に出入りしていたせいかマリア様が大好きです(*´∀`*)
マリア様の生き方に、霊性に惹かれます。

そんな5月の初まりに皆様にマリア様のお見守りありますように。
マイ画像フォルダから大好きなマリア様のみ姿をご紹介いたします。

お気に入りのマリア様の賛美歌と共にご覧下さい(*´∀`*)




♪天の后 天の門 海の星と輝きます  アヴェ マリア
 百合の花と 気高くも 咲き出でにし 聖(きよ)きマリア  アヴェ マリア
 奇(くす)しきバラ 芳しく 恵み給う 愛のみ母  アヴェ マリア
 病める人に 慰めを 恵み給え 愛のみ母  アヴェ マリア
 往(ゆ)く手しめす 暁(あけ)の星 導きませ み母マリア  アヴェ マリア
 神のみ母 我が望み 今も いつも 守り給え  アヴェ マリア♪




くすしき薔薇のマリアさま



母なるマリアさま


マリアさま マリアさま
せかいがなかよくなるように マリアさま
おまもりください マリアさま




天の后 マリアさま





薔薇の聖母

うるわしくも 咲きいでにし
奇しき薔薇の はなよ
たぐいもなき そのかおりに
われらが こころ和む
みいつくしみ 満ちあふるる
もろびとの はは マリア
ときわに たたえまつる





永久なる乙女




日本にマリア様のご加護ありますように




祝福された方




女王の中の女王




「はい、み心のままになりますよう」
マリアはそう言われた





めでたし、聖寵充満てるマリア、
主 御身と共にまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。
天主の御母聖マリア、
罪人なるわれらのために、
今も臨終の時も祈り給え。




愛の聖母マリアさま




マリア様は




私たち一人ひとりの




ココロの中に…




5月は薔薇の月
マリア様の月

五月の風のようにさわやかに
五月の風薫るように麗しく
ひと月を穏やかに
世界に優しく
人に優しく
自分に優しく
祈り込めて
過ごしましょう

皆様にとって5月が愛満ちる月になりますように…