まずはご案内!
脚本と作詞を担当させていただいております
青木結矢くんプロデュースの朗読ミュージカル。
本日、公演です!
今回は演者さんも増えて、クリスマスのお話しもあって盛りだくさん!
本日ではございますが、まだ間に合いますよ~!
素晴らしい演技と歌、そしてピアノで綴る至福のお時間でございます!
アナタのココロにすこし早いクリスマスプレゼントはいかがでしょう?
お時間ありましたら、ぜひごらんくださいませ!
★朗読ミュージカル「ジェイコブのラヂオ(再演)+新作「幸福の王子」
+そしてちょっとクリスマスなお話
日時:12月5日(土)14時開演/19時開演(開場は開演の1時間前)
場所:Beer Bar Gaudium
料金:チャージ3000円+ワンドリンク500円~
脚本:みずはら沙璃
出演:小西のりゆき、青木結矢、塚越恭平、高橋航大
ご予約: Kossy.ticket@gmail.com
さて、先日、この2作品のお稽古風景を動画で見せていただきました。
(なんせ、ワタクシ、南の果ての山際在住でございますゆえ、
世間とは切り離された暮らしをしておりまんのやわ・笑)
つくづく、この作品を書かせていただく機会を得たことに感謝しました。
本当に本当に青木くん、そして小西さん、こーだい君に塚越さまに感謝でございます。
ありがとうございます。
一緒に観てくれた実家のシェアメイト、カンナちゃんも超感激してくれて。
二人でその後3時間ぐらい、作品をはじめ人生について語り合いました。
カンナちゃんは興奮冷めやらず、殆ど眠れなかったそうです(笑)
私は童話や民話、児童文学、少年少女小説などが大好きです。
子ども向きと言うことで軽んじられる風潮もありますが
私はこういうシンプルな話の中に叡智が潜んでいると感じます。
「叡智」とは辞書に寄れば
「すぐれた知恵。深く物事の道理に通じる才知。
哲学で、物事の真実在の理性的、悟性的認識。また、それを獲得しうる力。」
と言ったもの。
つまり「人間が存在することの真理」に繋がるもの。
私は小さい頃、3歳ぐらいで目に見えない存在の方々に字を習い
(母と霊能者であるおじ以外はいくら話しても信じてくれませんでしたが)
4歳ぐらいで大概のものは読めるようになり、
辞典や医学書から大人向けの小説みたいなものを読んでいました。
ですから小学校に行って、2年生で図書館入室を許されるまで
絵本や童話の本があるということを知らなかったんです。
いろんなお話は母の素話によって聞いて知っていましたが、
すでに何千冊と本を読んでいたにも拘らず絵本を見た事がなかったんです。
そんな子どもでしたから、大学に連れて行かれ、毎日、知能テストを繰り返す。
物言うことも普通の子どもとは違ってへんちくりんな子どもでした。
他の子どもと話しても、大人と話しても、話が通じない。
どうやら、いろいろな事を理解したり感じるポイントも他と違ったみたいで。
上手くいえないけど、家族以外とは全く会話が出来なかったんです。
後に大人になってから、当時の自分は高機能障害自閉症でした、
と判断されて、あーなるほどね、と思いましたが。
そんな私がやっと絵本と出会ったわけです。
そりゃあ、衝撃でしたよ。
きれいで、可愛くて、そしてなんと深いものであることか。
3歳くらいから、人は肉体の機能以外に動くものがある、
と知りえる情報から分析して感じていたんです。
けれど肉体が止まると、人はもう動かなくなって死んでしまう。
そうしたら現実の世界ではもう会えない。
生きるってなんだ?死ぬってなんだ?
神様って?この世界以外の世界はどうなってるの?
とにかく不思議で仕方なかった。
その答えを知りたかった。
そして、理解できないものはただただ恐怖でした。
毎晩毎晩、家族が寝ると不安で仕方が無い。
7ヶ月で歩けるようになってからの日課は、
夜中、寝ている家族の口に手を当てて、息をしているか確かめること。
これをかれこれ8歳くらいまで毎晩やってましたね。
だって、死んじゃった後のことが全くわからない。
調べたって、どんな本を読んだって、確実な答えがないんです。
人間はすべてを知れるわけじゃない。
それどころか、知ってるのかすら解らないのだとしりました。
お化けに文字ならったくらいなんで、幽霊さんをリアルな人だと思って生きてた時代があったんですが、なぜか、その人たちと死と重ならなかったんですよ、その頃。
そこらへんがメッチャ子どもだったんですけど。
そして、絵本や童話を読むことで、自分なりに気づいたんです。
これらはすべて「生と死を超えた人間の永遠の旅を描いている」と。
魂の宿る作品は文章であれ、絵であれ、歌であれ、芝居であれ、
食べ物だって、生活用品だってなんだって、そうなんだといまは思いますけど。
書いている人、創っている人がそれを具体的に感じているかはわからないけれど、
タマシイ本体はそういう答えを確実に持っていて、
こうして生きているイノチに働きかけて生まれてくるんだろう、と。
人間が生きることは決して楽じゃないですよね。
例えどんな人であろうとも。
いろんなことがあります。ありすぎます。
だから迷います。人と言うものは。
今は自分のことをダメ人間とかクズとか呼ぶ人が多いけど、
私はタマシイは誰しもまっさらなまんまだと思っています。
だから、人は迷うんです。
それが何かしっくり来ない、これでいいわけがない、と
タマシイが知っているから、迷う。
迷うのは「私」と言う意思の部分なんではないかなって。
意思は人が決めてくれるものではありません。
どうしたって自分で決めなくてはならない。
啓発本をいくら読んだところで、
スピリチュアルカウンセラーにいくら話したところで
それに気づいて「決める」のは自分。
人の言葉や意思に助けられたり、共感はすることがあっても、
それらを自分の物にしない限り、人の意思では人は人生を歩けない。
自分の人生は自分の意思でしか動かない。
その意思を持った「わたしと言うイノチ」が世界と関わることに意味がある。
私はそう思ってるんです。
メーテルリンクの青い鳥、ありますよね?
みんな幸せは足元に在ったって話だっていいますね。そこに感動したって。
私もそう思うけど、私は一番大事なのはそこじゃないと思ってるんです。
出た!チョー自分勝手解釈人間!って感じですが(笑)
私が一番好きなのは、旅から帰ってきたチルチルが
隣の家の孫娘に自分の青い鳥をあげるけど逃げちゃうところ。
青い鳥が逃げちゃったと泣く娘にチルチルは言います。
「泣かないで。ぼくがまたきっと見つけてきてあげるから」
私はもうめちゃくちゃ感動しました。
青い鳥の話は、タマシイの旅路を語っていると感じてますが、
人として生きていくうえで、一番大事なことをこれは言ってるなぁって。
人は確かじゃないんですよね。
この生きている世界では。
時が流れるように。
季節が巡るように。
人が成長するように。
変容していく、この世界のすべて。
そこで人はなにが真実なんだと迷い探す。
答えを見つけた!と思っても、それが消えていくこともある。
でも、それこそがイノチの営みの本質かなって。
「きっとまた見つける」
本当の自分を、また見つけること。
見つけ続けること。
それが人間なんだな、って。
そして、ちゃんと答えはあるんです。
変わり行くものの中に、変わらないものがちゃんとある。
タマシイはそれを知ってる。
そして、その営みのすべてを「愛」と呼ぶのだ、と。
それを本当に強く感じた台詞でした。
あ、もちろん、私個人の考えなんですけどね。
究極、私の描く作品は全部それに繋がってるんです。
ジェイコブのラヂオも幸福の王子も。
幸福の王子は人のイノチ。
ツバメは自分の意思。
タマシイの願いと自分の意思が一つになったとき、
人は本当のイノチを生き始める気がしています。
さて、今日、初演の「幸福の王子」
どんな旅路に向かうのでしょう。
どんな人々が出逢ってくれるのでしょう。
思うだけで胸がいっぱいです。
主催の青木結矢くん、
小西のりゆきさん、
ピアニストの塚越さん
航大くん、
そして、一緒に旅してくださるお客様。
皆様に心から感謝もうしあげます。
どうぞ、良い旅になりますように!
みずはら沙璃