KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

音楽劇「君よ 生きて」上演のご案内(3/19追記)

2014-03-19 | 演劇、ミュージカル、エンターテイメント

 

春も本格的になってまいりました。
心地よい風に乗り、お芝居の世界へ旅をするというのはいかがでしょうか?

あすより開幕いたします、
RYUHEI MOCHIZUKI THEATRE COMPANYの最新作
=音楽劇「君よ生きて」= ご案内を申し上げます。


  




只今、上演に向けて志高く熱い心を持つ仲間たちが
その力のすべてを捧げてリハーサルを繰り返しています。
心打つ音楽とストーリー、そして魂揺るがす演技に
こころ奪われること間違いありません。

私自身も自分たちで作品を演ってきたのでわかりますが、
この出来上がっていく瞬間のワクワク感というものは
本当に、本当に言い尽くせない胸の震えがあります。
人に、小屋に、そこにいるすべてのものにイノチが宿り
その祈りが集まって確かな何かが、そこに生まれる。

そして、それに最後のイノチを吹きこむのが「お客様」です。

舞台は、およそ芸術と呼ばれるものはきっと、
向き合ってくださる人々が居て
そこに初めて完成して動き出すモノ。
少なからず、私はそう思っています。

さあ、どんなお客様がこの作品に命を吹き込み
その世界の一部となってくださるのでしょう。
とても楽しみです。

あと一日。

「君よ 生きて」
まもなく開演です。

ぜひご覧下さい。






シベリア抑留帰還の地として、約66万人の引揚者と
1万6,269柱の遺骨を迎えいれた「京都・舞鶴港」を舞台に
舞鶴市の全面協力を受け、龍平カンパニーが日本の戦史の一端を描く。





。。夜の舞鶴港、小樽から着いたフェリー...

人生に不安を抱え、あてのない旅をするトモキは、
亡くなったはずの曾祖父・善吉と出会い、
シベリアへの時空を越えた旅へと誘われる。

時は第二次大戦後、シベリアの収容所で
トモキは善吉として、生きることになり・・・。。



楽曲提供には多くのファンを魅了し続ける
シンガーソングライター『ユウサミイ』

脚本にはミュージカルの「KACHI BUSS」等の
脚本・作詞・作曲『まき りか』

ピアノ、ヴァイオリン、ギターの生演奏に
実力派豪華俳優陣を迎え、

望月龍平が魂を込めた演出で創り上げる
音楽劇『君よ 生きて』ご期待ください。




3月19日朝、望月龍平くんのFBより転載させていただいております
意気込みをぜひ感じてください。

以下、望月龍平くんより


史実に基づいたフィクション。
歴史もの。戦争もの。
そんな言葉ではくくれない力が、宿りました。

いいお話です。
いいお話を書きました。

じぶんが人格者になるの待ってたら
100年あってもいい話なんぞ書けません私(笑)

だけど、この作品は
何か、サムシンググレート的なものに(^_^)
託されました(≧∇≦)
この史実を、この心の物語を、世に出せと。

そして同じく指令を受けた(^_^)天からの使いたちが
音楽劇という形で表現します。

観てくださるかたには
これは戦争もの、ではないんだという
私が当初から声を大にしてる、、、
その意味がわかってもらえると思います(^_^)。

2014年3月。

いま、あなたに伝えたい

メッセージがたくさんです。

沢山のご来場ありがとうございます。(≧∇≦)
毎日大勢のかたに連絡いただけて
おかげさまでチケット発売レース、第4コーナー回って
まきりかかなり追い上げております
(注※そんなレースはございません)

かなり埋まってきてるけどまだ満席ではないようです(^_^)
でも望月龍平カンパニーは毎回、初日からの爆発力がすごいとの事なので(^_^)
今からでもご都合つくかたは、いつでも私までご連絡くださいね!(≧∇≦)
当日受付精算でサクサクご手配いたします!

とにかく
こんなに舞台に出るのは初めてで
目が回ってますが(^_^)
ひとつひとつ素晴らしい経験になっております♪

生かされてるすべてに感謝(≧∇≦)

今夜、幕開けです!

望月龍平




◆キャスト◆
青木 結矢
伊東 えり/岡田静(Wキャスト)
北村 毅
小西 のりゆき
武田 優子
平川 めぐみ/水野貴以(Wキャスト)
まき りか
溝渕 俊介
武藤 寛
ユウサミイ
※平川 めぐみはヴァイオリンで全日出演

◆スケジュール◆
3月19日(水)19時開演 岡田・水野
3月20日(木)13時開演 伊東・水野
       19時開演 伊東・水野
3月21日(金)13時開演 岡田・平川
       19時開演 岡田・平川
3月22日(土)12時開演 伊東・平川
       18時開演 伊東・水野
3月23日(日)12時開演 伊東・水野
       18時開演 伊東・水野
3月24日(月)12時開演 伊東・水野
全10回公演

◆会場◆
サンモールスタジオ
新宿御苑前駅2番出口から徒歩2分

◆チケット◆(全席自由席・整理番号付)
前売り 5,500円
当日券 6,000円
※整理番号はチケットご購入順に振らせていただきます
※ステージシート(ステージ上での観劇席)各公演8席のみ(料金同額)

下記URLよりご予約受付中
http://oo-bj.com/reservation/

◆スタッフ
演出 望月龍平
脚本 まき りか
楽曲提供 ユウサミイ
舞台監督・美術 照井旅詩
音響 小川陽平
演出助手 柴田桃子/米倉香菜
協力
舞鶴市(京都府)/東京フィルムセンター映画・俳優専門学校
/東京アニメ・声優専門学校/共同PR株式会社/nanoline./
インフィニティコミュニケーション株式会社/株式会社 ワンズアカデミー
/株式会社モンスターフィルムパートナーズ/
ELINBA株式会社/有限会社マッシュ/カオス・パフォーマーズオフィス
/株式会社 クオーレ/style-K/株式会社アンビシャス

Special Thanks 石橋佑果
映像撮影・編集/鴨志田毅
チラシデザイン 山田達
題字 半田華堂
制作 横山清崇/三浦奏子
企画 わをん企画
主催 望月龍平シアターカンパニー
NPO法人 OFF OFF BROADWAY JAPAN

各HPにはこちらをクリック!
音楽劇「君よ 生きて」Facebookページ

望月龍平シアターカンパニーブログ

望月龍平シアターカンパニー Facebook


サンモールシアターへの行き方はこちらをクリックしてください(*^_^*)

画像は望月龍平氏のFBよりお借りいたしました。

3.11

2014-03-11 | KOFUKU日記





私の魂の愛が、あなたへと向かいますように。
私の愛の想いが、あなたへと流れていきますように。
私の魂の愛と、私の愛の想いが、希望の高み、
愛の領域で、あなたを支え、あなたを助けますように。
愛に担われ、光を受けて、高みへと向かわれますように。

R・シュタイナー 死者のための祈り







14:46
先ほどサイレントともに黙祷を捧げました。

3年前のあの日、この世での生を終えざるを得なかった皆様のたましいと、
ご家族や平安の日々を奪われ、今も悲しみの中にいらっしゃる方々、
原発被害でふるさとを奪われて今も苦しんでいる方々、
私達のかわりに原発でお仕事に従事して命を落とされた方々、
その他全ての関係する方々にお祈りいたします。

それぞれのお心に、環境に、人生に、
一日も早く平安と安らぎが訪れますように。


The prayer 「祈り」 入絵加奈子 小西のりゆき 




《Prayer~祈り》

瞳閉じて 思い出して
愛したこと 愛されたこと
いつの日か巡り会える
その日まで その時まで 祈り捧げよう

人は誰もひとりじゃない
手を伸ばせば 誰かがほら
いつの日か夜明けは来る
その日まで その時まで 祈り捧げよう

苦しみに打ちのめされて
悲しみに嘆こうとも
その涙 その勇気に変える
力信じ歩きだろう

人は誰もひとりじゃない
手を伸ばせば誰かがほら
いつの日か夜明けは来る
その日まで その時まで 祈り捧げよう

生きてゆこう 生きてゆこう 祈り続けよう

(詞 小西のりゆき)








【ビートたけし著 ヒンシュクの達人より抜粋】

なによりまず、今回の震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
こんな大惨事になるとは思ってもみなかった。

ちょうど地震の時は調布のスタジオで『アウトレイジ』続編の打ち合わせをしててさ。
オイラ、普段は大きな地震でも平気な顔して座ってるタイプなんだよ。

だけど今回は、スタジオの窓から見えるゴミ焼却炉のデカい煙突がグラグラしててさ。
今にもこっちに倒れてきそうなんで、たまらず逃げたね。こんなこと初めてだよ。
そんなの、震源地に近い東北の方々の被害に比べりゃ何でもない話だけどさ。

どのチャンネルつけても、報道番組一色で、オイラはすっかりテレビから遠ざかっちまった。
こうなってくると、ホントにお笑い芸人とかバラエティ番組にできることは少ないよ。

地震発生から間もない14日の月曜日に、
『世界まる見え! テレビ特捜部』(日本テレビ系)の収録があって、
スタジオに客まで入れてたんだけど、直前に取り止めたんだ。

所(ジョージ)と相談してさ。こんな時に着ぐるみ着てバカやれないよって。
とてもじゃないけど笑えないよってさ。

よく「被災地にも笑いを」なんて言うヤツがいるけれど、
今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯れ言でしかない。
しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。
悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。

オイラたち芸人にできることがあるとすれば、震災が落ち着いてからだね。
悲しみを乗り越えてこれから立ち上がろうって時に、「笑い」が役に立つかもしれない。
早く、そんな日がくればいいね。

常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。
今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。
テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。
だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。

じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、
そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。

人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。
そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。

本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。
被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。

一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、
自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。

残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、
10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。

そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。
2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、
その悲しみに今も耐えてるんだから。

だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。
その地震の揺れの大きさと被害も相まって、
日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。
その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。

逆に言えば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかという証拠だよ。
海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、
国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。
「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心からその重さがわかるんだよ。

それにしても、今回の地震はショックだったね。
こんな不安感の中で、普段通り生きるってのは大変なことだよ。
原発もどうなるかわからないし、政府も何考えてるんだかって体たらくだしさ。
政治家や官僚に言いたいことは山ほどあるけど、それは次回に置いとくよ。
まァとにかく、こんな状況の中で、平常心でいるのは難しい。
これを読んでる人たちの中にも、なかなか日頃の仕事が手につかないって人は多いと思うぜ。

それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。
もう、それしかない。

人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。
どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。
「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、
それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。

オイラはバイク事故(1994年)で死を覚悟してから、
その前とその後の人生が丸っきり変わっちまった。

今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、
それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。
ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないか
って思ってゾッとすることがよくあるんだ。

そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやってゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。
それはこんな時でも変わらないよ。
やりたいことは何だって? バカヤロー、決まってるだろ。
最後にもう一本、最高の映画を作ってやろうかってね。


3/7鎧くんへのお祈りありがとうございました<(_ _)> 

2014-03-08 | KOFUKU日記



【最後のお正月、ムーサで独眼竜政宗のコスでお客様をお迎えする鎧くん】
【ちなみに衣装は全て、私の母の手作り、生地は全て昔のモノを使っています】
【彼は最後の日、このお気に入りの陣羽織を羽織って天国にいきました】



昨日の祐木鎧くんのご命日。
皆様からの愛に溢れたお祈りをお届けいただきました。
鎧くん、またお母様にかわりまして、深く御礼申し上げます。

皆様のお便りやお言葉を拝見しながら
鎧くんの最後の一週間のコトを思い返しました。

亡くなってから、お葬式までの一週間。
彼の安置されているご実家に仲間たちは寝泊まりしてその日を迎えましたね。

毎日、自主的に交代しながら、それぞれが信じる言葉で彼に祈り、
夜中も絶えずロウソクを灯し続けました。

ひっきりなしに訪れる訪問客を、仲間たちが悲しみに沈むご家族にかわって対応しました。

お通夜、葬儀には何百人という舞台人、芸能人が駆けつけて下さり、
演出家からスターさん、スタッフさん、それこそギャラにしたらいくら?
というくらいのメンバーで、何回も彼の出演した作品の歌を歌って送り出しました。

とうとう明日お別れという時は、先輩が和紙に綺麗な罫線を印刷して持ってきて下さり
葬儀場に泊まっていたたくさんの仲間たちで手紙の代わりに祈り込めて写経をしました。

葬儀場のご好意で、すみれ(ぴー)ちゃんも喪服を来て同席し
大切な人の最後をお見送りすることができました。

火葬場に向かう霊柩車を、礼砲と敬礼で見送ってくださった
皆様のお姿を一瞬たりとも忘れません。

彼が生きた世界を何も知らないから、鎧ちゃんが一番いいように送り出して欲しい、
と全てあたしに託してくれた、お父さんお母さんに今も感謝しています。
きっとお金のこととか、色んな心配なこともあったのだろうけれど、
最後だからこそ、できるだけのことをしてあげたい、
と言う私や仲間たちの心を察して、何も言わず、私を信頼し、
好きなようにさせてくださった鎧ちゃんのご家族に今も心から感謝しています。
私のしたいことを、手助けしてくださった仲間たちにも心から感謝しています。

おかげさまで、今でも、ガイママとは家族でいられるし、
鎧ちゃんを囲んだ仲間たちは固い絆で結ばれています。
あの日を一緒に過ごしたからこそ、と思うときもあります。

3年前に亡くなった相方さんも、あの鎧くんの葬儀に来てくれた仲間の一人でした。
二人で生きると決めた時、相方さんは私のなかの鎧くんごと引き受けてくれました。

「ガイのことを話さない、愛してない君なんて君じゃないでしょ?
そんな福ちゃんなら、俺は嫌だし、鎧がかわいそうだよ。
俺はそんな福ちゃんだから、この人なら自分のことも最後まで愛してくれると思ったんだよ」

相方さんはハッキリとそう言ってくれました。
それが、当時の私にはどれだけの支えになったことか。
そしてガイちゃんの死を相方さんが一緒に越えようと努力してくれたのです。
だから、こうして生きてこれました。相方さん無しに今の私はいない。
今は天国で鎧ちゃんと一緒にいる相方さんにも感謝しています。


そして、この11年の間、この日に共に祈り、お参りくださる
仲間達やお客様に今日まで本当に支えられてまいりました。
鎧くんだけならず、相方さんまで失ってしまった私に
多くの方が、優しいお気持ちを向けてくださいました。
私にかける言葉を失ってしまった仲間たちの深い愛もちゃんと届いています。

鎧ちゃんと相方さんは四季の同期です。
一番先にお互いの演劇論を交わして仲良くなったのだそうです。
当然、歩んできた道も、生きていた世界も同じなので、
友人は殆ど、二人のことも、二人のそばにいた私のこともご存知です。
そうだったからこそ、みんなが一生懸命サポートしてくれたし見守ってくれました。
ただそれだけに、特に近しかった皆の心配は計り知れなかったろうなぁと。
本当にお心遣いありがとうございます。

昨日も書きましたが、私はこれからも二人の大切な日を記念していきますよ。
それがあたしのこの世での仕事だと思っているから。

「最後まで好きでいてくれるの?」

と言い続けた二人でしたからね。
最後まで愛しますよ。約束ですから。
人ってね、亡くなったからって、すぐに悟ったりできないんですよ。
だから、やっぱりこちらにいた時のように思うんです。
(臨死体験したとき、実感しました)
だから、彼らとの約束は裏切らない。
別に自分も彼らも縛ってるわけじゃなくてね
そういるのが当たり前なだけ。
だって、本気で愛した人、そんな簡単に忘れられる?
アタシには出来ない。ずっと好きですよ。

だから
これからの日々も彼らを愛していきますよ。
共に生きた日々を生かしていくために。
これからも共に生きるために。

また二人の命日前には皆様にお便りやご連絡差し上げると思います。
年に一度、彼らを囲んで、これまでのようにつながれたらと思っています。


昨日は多くの皆様から、あたたかなお言葉をたくさん頂戴しました。
昨日の東京は小雪の舞う寒い一日だったそうです。

そんな中、薔薇の花を抱えて、お稽古の合間にお墓参りをしてくださった
岡幸二郎先輩、今年も本当にありがとうございました。
とても岡さんをしたっていた鎧くんは死ぬほど喜んでると思います。
(ブログにも毎年書いてくださっていて嬉しいです。
下のブックマークからご覧下さいませ)

そして、私たちの魂の家族である三宅克典さん、
克兄もご体調の悪いところを今年もお参りしてくださいました。
本当に本当にありがとうございました。
FBにも懐かしい思い出話を書いてくださって本当にありがとう!


今週、お客様もまだお参りしてくださる方がいると思います。
本当に本当にありがとうございます。
鎧ちゃんは幸せ者だ!
皆様の愛に鎧くんも本当に本当に喜んでいると思います。


今年はガイちゃんの演じてきた作品上演を皮切りに、
相方さんの描いた作品、二人のやり残したもの、
それらを舞台化していきます。

ここからが私の本当の供養になるのかな。
遠く南の果からの作業ではありますが
お仲間の皆様と気持ちつなげて頑張ってまいります。

機会があれば、鎧ちゃん、相方さん、
二人を知る方々にご覧いただきたいなぁ、なんて思っております。

ではでは、皆様、今年も本当にありがとうございました。



3月7日*鎧くんのメモリアルディ

2014-03-06 | KOFUKU日記



《生前の祐木鎧くん 仲間たちとやっていたエンターテイメントカフェ“MUSA”での一枚》



早いもので、あれからもう11年が過ぎたのですねぇ。
あの日は東京でこの冬一番と言われるくらい寒い、小雨の降る一日でした。

あした、3月7日は祐木鎧くんのメモリアルディです。
今頃は空の上、穏やかな場所で、相方さんと二人、
時には下を眺めながら話をしていることだろうなぁと思います。

不思議なもので、この現世で同じ場所で、同じ生き方を選び、
そして、とても仲の良かった二人と私は深いご縁をもちました。

それは一体何故だったのだろうか?と考えると、
一つは、二人が他とは比べることのできない素晴らしい才能を持っていたこと。

私は人としてではなく、まず表現者、役者、芸術家として彼らに出会ったのです。
彼らの才能に出会った時、まさにこの世界の遺産とも言うべきもの、と私の魂はただ反応した。
それを何とかして、この世に大きく広げ、守らなくてはならない、と直感した。

正直、色恋とか一番最初はまったく関係なかったんですよ。
何よりも同じ世界を生きる愛する仲間でしたね。
ただひとつ、彼らが他の仲間たちと違ったのは、同じ世界を生きてる人の中でも
特に「同じ星から来た、同じを血を持っている、魂を持ってる人」という確信があったこと。
それって私にとってものすごく大切なことなのです。
そう彼らは私がもっとも「尊敬」する二人。

あたしは才能って「魂そのもの」だと思ってるんですよ。
自分の持つ、最大のチカラで、そして自分が選びこの世に持ってきたもの。
神様に許されて、ここに持ってきたもの。
それを持って、生きるようにと、自分の中に存在するもの。
人の本質そのもの。

当然、傍にいれば、その才能と共にその魂のあり方や人間としての姿がみえてきます。
彼らは素晴らしい人でした。
同じ世界を生きる人間としても、ただのヒューマンとしても。
それを愛さずになんていられなかったですねぇ。

ただ二人との関係は、同じようでいて、全然違いました。
人間が違うから、当たり前なんですけどね(笑)

ガイちゃんの場合は自分の後輩として入ってきた、というのもあったし、
最初にとても気安くしゃべれるところから始まったので、
一貫して、そういうスタンスでいられました。
ひょうきんで何よりも私には兄貴というか、父というか、男気あふれる人だったので
正面から甘えて行ける人だったし、それでいて母性のあふれる人でもあり本物の家族でしたね。
共に作品を作り上げる関係の中で、お互いの足りないところを担ってたわけですが、
そういう意味ではフィフティなところがあったのもよかったのかもしれません。
気楽といえば、気楽な関係でした。


ところが相方さんはデスねー。打って変わって、もうスタンスが全然違って。
もうねー、彼はあたしにとっては「神様」みたいな人だったんです。
いや、ぶっちゃけ、「あたしの神様」だったんですよね。
彼の持っている才能は、私の中にないもので、
どれだけ望んでも手に入ってこないあこがれと尊さがあって。
近しい人は笑うけど、尊敬しすぎてて、普通に家にいても話せないくらいでした(笑)
逆にその状態で、よくここまで夫婦的関係を培えたね!と(笑)
でもだからこそ、そうなれたと言うこともありますね。
その私の持つ緊張感や高揚感や尊敬の念といったものをですね、
彼は一番理解して、そして自分のリラックスのための大事なものとしてくれたんですね。
つまり、そういうものを「喜び」としてくれていたんですよね。
お互いの持つ才能を、魂を愛していたって事なんでしょうね。


私は彼らを愛して
敬愛して、そして惚れました。
自分の命よりも大切でした。
そんなものはいつでも投げ出せるほどに。
ただそれだけの日々でした。

相方さんが生前、私に言いました。

「本当の愛というものはいつか溶けてひとつになってゆく
気づかないほどに緩やかに。
愛する人が頑張って生きていれば、自分もまた生きられる。
一人だけれども、二人。二人で作るものだからこそ、ヒトツになっていくんだよ。
多分、どちらかが死んでも、愛していればそれは続く。
愛って、多分、そういうもの」

二人共、全然違うけれど、そんな確かな愛を持てる人たちで。
本質を愛するということは、すべてを受け入れ、愛するということです。
だって、そのすべてが彼らの創り上げるものを生み出しているのですから。
人から見て危ういものまでもが愛おしかった。嫌いなところなんて何もなかったですね。
彼らは私の理想そのものだったのです。

そういう愛し方は、あゆみとしては、確かに恋愛の燃え上がる様なものとは違います。
人から見るとまた不思議なものかもしれませんが…。
ただお互いに深い愛情を確かなものとして構築していくことができます。
相手の大切なものを、その人と同じ様に愛しリスペクトしていく。
たとえ、自分がそれをできずとも、認め、それを為すその人を愛することはできる。
そうでなければ、一つの世界は構築できないから。
それには表面だけではない、深い、深い、魂の繋がりが必要なのです。
そして、共に積み上げたそれは、決して消えない。死なない。

彼らを知る人の中には、私の人生を知らない方も多いし、
また私を知っていても、その真実を知らない人は多いでしょう。
そんな方にとっては、こうして二人を想い続ける私を
面白くないと思っている方もいるかもしれないですね。
本気ならば、どちらかに想いを定めるべきという様に。

でも私はそんな風には一向に思いません。
二人は明らかに違う魂であって、どちらも私の人生の上にいる大事な人なのです。
どちらがいなくても、今の私はいない。
そして彼らは心許しあう友でした。
どちらが居なくなれば、彼らもまた存在しません。
私たちは同じ世界に居たのです。
それは私たち3人の誇りなのです。
私は本当に素晴らしい人たちと人生を過ごし、
そして今も共にいると思っています。

そんなひとり。
明日は祐木鎧くんの命日です。


《在りし日のガイ君 JAC出身の彼が得意としたアクションショーの合間の一枚》


彼は歌をこよなく愛していました。
薔薇の花が好きでした。
仲間たちがすきでした。
人の笑顔がすきでした。

どうか、あした、ホンの少しの時間があったなら
みんなを本当に愛していたガイちゃんを思い起こしてもらえたら、と思います。


彼のお墓はJR南武線・武蔵新城駅下車、徒歩5分の安養寺の中にございます。
(このブログのブックマークにもございますのでお確かめください)
安養寺はガイちゃんのご実家です。敷地内境内横のおウチを尋ねれば
ガイちゃんのお母さん、みなさんもよくご存知のガイママが居られます。
もしお時間のある方はぜひお尋ねくださいませ。
敷地内の墓地にご案内くださるかと思います。
愛されたがりの寂しがりのガイちゃんだから喜びます。
ママもとても喜ぶことでしょう(*´∀`*)

私も、明日は一日、天国にいる人たちのことを考えて過ごします。
いや、いつもそうなんだけど。

明日は想いの中で、彼を愛した、彼に愛されたみんなで繋がれたらいいなぁ。