*詩編詩編36章6節*
主よ、あなたの慈しみは天に
あなたのまことは大空に満ちている
めぐみのみわざは神の山々のよう
あなたの裁きは、大いなる深淵(しんえん)
主よ あなたは人をも獣をもすくわれる
神よ いつくしみはいかにとうといか
あなたのつばさのかげに、人の子らは身を寄せ
あなたの家にしたたるめぐみにうるおい
あなたのかんびな流れにかわきをいやす
命の泉はあなたにあり、あなたの光に私たちは光を見る。
今朝9時頃、大切なお友達の愛犬ちゃんが帰天されました。
昨年も自分のお誕生日に大好きなお友達の愛犬ちゃんが虹の橋を渡ったばかり。
やっぱりさみしいなぁ。悲しいなぁ(´;ω;`)
大往生と言っても憚りない見事な犬生だったのだけど、
やっぱりやっぱり寂しくて、ちょっと気持ちが沈んでいます…(´;Д;`)
お友達の紛れも無きお子様でもあった愛犬(柴犬)ちゃんは、
このところずっと痴呆症状が出ていていました。
朝も夜も鳴いて鳴いて、一時期ご飯も食べられなくなり体重も3キロまで減って…。
それでも飼い主さんはお仕事やおうちのことでお忙しい中を、
毎日毎日病院に連れて行かれて、丁寧に丁寧に工夫しながらご飯を作って、
鳴き続けるお嬢ちゃまを夜中も起きて抱っこして添い寝してすごされて。
それはそれは尽くされていました。
最近、ご飯がまた一人で食べられるようになって、
みんなでよかったねって喜んでいた矢先でした。
今朝は亡くなる直前に、朝ごはんをペロリと食べて、
お母さんに向かって元気よく吠えていたそうですが、
鳴かなくなったと思って振り返ったら旅立っていたのだそうです。
私おもうのですよ。
痴呆症でわかっていないようで、きっと解っていたんだなぁ~って。
「お母さん、御飯美味しいよ。ありがとう。美味しいよ。」
そう心から言ってから逝ったのだろうなぁ、と思いました。
苦しむことなく、この世とあの世をすうっとまたぐようにして
旅立ってくれたことを、本当によかったなぁって思います。
愛犬ちゃんはきっときっと幸せな犬生であったことでしょう。
あんなに、あんなに、愛されて。幸せでないはずがありません。
本当に心と行いがぴったりとあった偽りのない愛の行為は、
相手がワンコだってちゃんとわかるはずです。
今頃はお母さんとご家族の愛に満たされて虹の橋の原っぱにいることでしょう。
でも、きっとそれは、マイちゃんが嘘偽りのない、まっさらな心で、
一生懸命に家族を愛して生きたからなんだろうな、って。
だからこそ、愛し、愛されて…。
そこは犬も人も同じですよね。
だって偽りのあるところに真実の愛は決して宿らないから。
きっと、お母さんもご家族様も、嘘偽りのない無垢な愛情を
愛犬ちゃんから与えてもらえて本当に幸せだったろうと思います。
食いしん坊さんだったって言うから、最後、ご飯食べてくれて良かったなぁ。
きっと今頃は虹の橋のたもとにある綺麗な広い原っぱで、
安心して美味しいもの食べて、お友達と元気よく駆け回りながら、
お母さんが来るのを待っているんだろうなぁ、って思います。
うちの相方さんやソウルメイトたち、本当に動物に優しい人たちが
心からのお世話してくれると思うから、向こうでの暮らしはあんまり心配していないけど。
我が子を失ったお母さんの寂しさを思うと、やっぱり涙が出ちゃいます。
私も13歳の高齢犬を家族として暮らしています。
犬ではなくて、やっぱり家族で子どもだから分かります。
犬であれ人であれ、愛する我が子が先に逝ってしまうのはわかっていても辛い。
そんなこんなで、今日はちょっとしんみりしていました。
〈愛〉
でも教えられます。無垢な魂や自然たちのイノチというものには。
愛とか幸せの本質というようなものを。
このところ、いろんなことが重なって、真剣に考えていたんです。
以前からそういうことにはある種の覚悟がありますが、
そこをもう一つ深くというか。
いま私の中の幸せってどういうものか?とか
愛ってどんなものと考えているのか?とか。
それを今から、今のこの私が、それらをどう持って、
どう使って、生きていくのが一番いいのか、とか。
さらに真剣に考えていたんですよね。
13年前、ソウルメイトが向こうの世界に旅立ってから、
「死」というものを考えるようになりました。
そして4年前、相方さんが逝ってしまってから
もっともっと身近に死を感じるようになりました。
それはきっと、身近に人でも、小さな魂でも、
先に送り出すべき魂たちがいること。
そして、大きな理由に年齢もあります。
言えば、みんな「そんな早いよ!」と笑うけれども、
正直、もう私には、今まで生きてきた時間よりは
絶対的に時間が残されていないと思うのですよ。
その上、私は基本的に一人だし、昨日も書きましたが、
どんどん体が不自由になっていくような持病もあるし、
心の病気もどうかな、今のままではあまり変わらないかもしれない。
私が死んだら、一緒に道連れになる小さな魂も預かっている。
そんな中で、私は当たり前ですが、どんどん年老いていくわけです。
できなくなっていくことがどんどん増えていくわけです。
日常的にも、相方さんのように手助けしてくれる人は今はもういません。
実際、そばにいる人たちは、いつそばから消えていくかなんて分らない。
そう考えた時、どうやって生きていくべきか考えなくては、って
今まで以上に真剣に思ったんですよね。
何よりも大事なことは、そんなモロモロを抱えている私が
「これから世界(すべてのヒトコトモノ)に対して何ができるか?」
と言うことだったりします。
これは全くの持論ですから、他の方の考えとは違うかもしれないんですけど、
私はこうありたいなって、最近とっても強く思ったんです。
やっぱり、私は今日まで一人で生きてこれたわけじゃないんですよね。
出逢ったすべてのヒトコトモノ、そういった方々から
愛を傾けてもらったからこそ今日があるんだって思うんですね。
人生後半に入って、それを少しでもいいから、どうお返ししていくか?
ってことは私にとってとっても重要なことなんです。
たとえコレまで、どんなにしんどい思いをして生きてきたとしても、
たとえコレまで、自分ではなく、人のために働いて、生きてきたとしても、です。
ぶっちゃけ、私の人生を一般的な解釈で客観的に見るなら上記の2行に尽きるでしょう。
じゃあ、私がそう思っているか?と言ったら違うんです。
苦労だらけで、報われもせず、不幸せか?と言ったらそれも違う。
だってね、自分がする分、してもらったなって思うんです。
決して一人だけが損してるなんてことはないって思うんですよね。
それにやっぱり、それらは全部自分発信だったはずって思うわけなんですよ。
日々そのことで迷ったにしても、自分がそれを選んでそうしたわけだから。
それは自分が望んでそうしたんだって思うんですよね。
そうじゃないというなら、それをした意味なんかないと思うんです。
私、思いと行動がリンクしないなら、してもらっても嬉しくない、って思う性質なんですよね。
だって、イヤイヤしてもらって、何か嬉しいですか?
そんなならしなくていいです、って思いません?
それを、なんていうんでしょう?
「人に選ばせられたんだ」とか、「あの時それを選んだからこうなった」
って言うような、人のせいにするってことだけはしたくないな、って。
人間だから、そりゃ、いろいろ迷うことはありますよね。
誰かが絡んでくることは、相手のことも考えて決めるわけだし。
確かに、自分ひとりの考えで決まってるわけじゃないです。
これ本当にいいのか?間違ってないのか?とか、思うこともあります。
でも思うんです。だからこそ、覚悟って大事だなって。
答えに迷う人間だからこそ、そこに自分が覚悟持つこと。
それが相手に対する誠実だって思うんですよ、わたし的には。
だって、何にしたって、相手はその私が決めたことを信じる努力をしてくださるわけですから。
それを変えたらやっぱり「嘘」つくことと同じだと思うんです。
それに、そのせいで自分が大変だとか、そのせいで幸せじゃなくなったとか
心の内で思ったりしながらやっているのなら、相手を恨んでるとの同じじゃないですか。
しかも善意を装いながら、相手を憎み、恨む行為をするわけです。
(やってる人は自分が被害者だと思ってるかもしれないけど)
逆恨みです。ハッキリ言って。私はそう思う。
だったら最初からしてくれなくていいよ…、って本当に思うんですよね。
そんなだったら、恨まれたって最初から自分を生きる覚悟して
好きなように生きてくれればいいのに、って思うんですよ。
だって、そんな偽ってる気持ちくらいわかるんですよね。
日々の行いとか、表情とかから、ものすごく伝わってくる。
そういうのを感じるとき、信じる側はめっちゃ悲しいっていうか。
ホントに残念な気持ちになるっていうか…。
腹立つとかより、悲しいしさみしい気持ちになります。
だって、そういう事がお互いの関係の中で起きるって、それだけ深い間柄って事でしょ?
と言うコトはですよ、何かを返さなきゃいけない状況になっているのなら、
それ以前に、それだけ相手が思いを、愛を傾けてくれていたってことです。
そして、それに対して、その時に相手に返すべきことに
自分がきちんと報いなかったからこそ、今そうなってるんじゃないの?って。
ちゃんと感謝して、やるべきをやっていれば起きなかったことじゃないのって。
それで自分の何かが削られたとしても、苦しかったとしても、
だからって、それって相手を恨む理由にならない、って思う。
そんな自分を卑下して生きる理由にはならないと思う。
それは自分が生みだした不幸です。
私は相手に対する誠実として、自分に起きるもろもろを不幸だなんて思いたくない。
自分が決めたことを「不幸」だなんて思いたくないし、相手にそう思わせたくない。
だから、それを「幸せ」や「喜び」に変える努力をしたいって思うんですよね。
そうやって自分のやってる事を、自分自身の人間としての価値みたいなモノを
自分で高めてあげないと、自分にも相手にも本当に申し訳ないじゃないか、って。
だから私は絶対に自分で自分の価値がないなんて思っちゃいけない、って思ってる。
評価は自分が付けるものじゃないし、最後まで分らないモノだし。
大体、そんなダメダメ言ってたら相手に失礼でしょ?
日々大変なことはある。だけど、それを決して人のせいにするまい。
自分の思いと行いを喜びに変えるような努力をしよう、って。
苦労を苦労で終わらせまい。って本当に思うんですよ。
残されている時間は多くない。
その中で一つでも、自分の生き様を喜びで埋めたいな、って。
一つでも真実を増やしていこうって。
多分、それが私流の一番の恩返しかな、って思ってるんです。
いろんな事ができないのなら、その自分ができることを考えよう、って。
何かをやるなら心からやりたい。自分の思いや行為を嘘にはしたくない。
その方法として、今の私に何ができるか、何をするのかを見つけるって重要。
そして、それを愛を持って喜びのうちに実行するって本当に大事。
私の人生を振り返ったとき、感謝すべき人は沢山いる。
ご迷惑をかけただけの方が沢山いる。
お返ししなければならない人は本当にたくさんいる。
あれだけの愛情や時間をかけてもらいながら、
未だに恩返しできている人は本当に少ない。
でも、それらはここでしか返せないって思う。
だって同じ時間はこの世界でしか流れていないから。
この世界でしてもらったのと同じように、私も返してゆきたい。
だって、今を逃せば、それが出来る時間はどんどん消えていゆく。
年を重ねれば、出来る体力も気力もどんどん消えてゆくから。
だから相手に対して、心の底からの感謝を持って生きたい。
愛をもらったのだから、愛をできるだけお返ししたい。
私がすることを、心の底から喜んで受け取って欲しい。
だからこそ、残る人生を心の底から喜びのうちに生きたい。
コレは決意。本当に決意。
私は人を信じられる人でありたいから、最後まで信じるって覚悟を持ちたいんです。
自分がされて嫌だったことは、決して人にはしたくない。
自分がされて嬉しかったことは、何倍にもして返したいし、シェアしたい。
私の羅針盤に従って、そう決めたんです。
今日、虹の橋の原っぱに行ってしまったワンコちゃん。
うちの小さい無垢なる魂たち。
空、大地、海、森、宇宙や自然を見ていると本当に教えられる。
彼らはちゃんと教えてくれてる。
人としてどう生きるべきか。どうあるべきか。
愛とは何か?幸せとは何か?
愛に生きるとはどういうことか?
彼らに魅せられることは多いけれど、それだけではダメなんだな。
それを自分が生きることに生かせなくては意味がないんだな。
私を通して体現すること。大事だって感じてる。
本や芸術や日常にあるあれこれも同じ。
それを汲み取れずにいては意味がないから。
今日まで出会った、あの人たちとの時間も同じ。
そこにすべての意味がある。それは全て大事なことだって思う。
だから今の自分でいい。足りない今の自分でいいから、
一つでも多く、大事な何かを感じれるように努力したい。
目を耳を心をこらしたい。
死を恐るより、その日を喜びで迎えられる努力を、
この世界の終わりの日を見つめて生きる事を選びたい。
カッコイイこと言ってますが、私は大したことはできません。
本当に出来ることしかできません。ダメな部類です、間違いなく。
でも、だからこそ頑張りたいって思うんです。
せめて、この思いを貫くことだけでも努力したいなーって。
せめてダメならダメなやつなりの頑張りってあると思うから。
最後まで、あがきたいんです。
今ね、本当に胸の中に感謝がいっぱいなんですよね。
いろいろ書いてますけど、誰かを怒ったり、馬鹿にしたりとかじゃないんですよ。
ホント、そういう人がいるからこそ、諦めたくないって思えるんですよね。
ある意味、力もらってるって思うくらいなんですよ。
だって、アタシ、本当に何か一つでも返したいもん。
そうじゃないと、生まれてきた意味ないもん。
産んでくれた親に申し訳ないし、すべての出会いに申し訳ないもん。
その為にならにくまれたっていいんです。
私には出逢ってきた人に対して責任があるのだから。
関わった中で、やるべきをやらねばならないと思う。
それをしないで生きることほど申し訳ないことないから。
そのために嫌われたり、憎まれたりするなら本望です。
それに、今ここに来て、持っている目標もあるから。
それを達成するには、本当に頑張りたいって思うんです。
本当に些細で個人的なことだけど。
だから今の私に出来ることは少ないけれど、できることを精一杯。
私を生かしてくれたモノたちのために。
やっぱり、どれだけ考えても、それが私の幸せだと感じるから。
私は愛から決して逃げない。
愛するモノのために。
自分のために。
たとえ、裏切られても。
たとえ、誤解されても。
たとえ、悪く思われても。
それでもいいのです。
でも私自身はやめない。
愛と共に生きてゆきたい。
今、こころからそう思うのです。
改めまして
虹の橋を渡ったマイちゃんに捧げます。
*死者のための祈り*
私の心のあたたかな命が
あなたの魂のもとへと流れます
霊なる世界の中で
あなたの寒さをあたためる為に
あなたの暑さをやわらげる為に
私の想いがあなたの想いの中に
そして、あなたの想いが 私の想いの中に生きますように
(シュタイナー)
心よりご冥福をお祈りいたします。