KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

Happy Easter to You!

2013-03-31 | フォトチャンネル



For I remember it is Easter morn,
And life and love and peace are all new born. 
Happy Easter!
 


(うさぎさんのカードはいち子ばーばのお針箱Ⅱのいち子ばーばさんの作品デス。
あまりに可愛らしく、寝たきりの母の描く絵に良く似ていたのでお借りしました(n‘∀‘)η)




今日はイースターですね!
永遠の廻りと生まれ変わりの神秘を教えてくれる春の喜びと
これからの新しい明日に乾杯ヾ(*´∀`*)ノ

皆様も善き春をお過ごしください。
Happy Easter!


balance

2013-03-28 | KOFUKU日記


【 peace 】

よのなかのひとがみいんな ひとつの家にすまえたらいいのに 
あたえるというきもちもなく うくるというきもちもなく 
ただ かんしゃし ただ いつくしみ 
そして あらゆるものは そうごんなしずけさにもえるのだ
八木重吉






さて
「世の中はバランスだな」
と、思っている私がいます。

バランス、それは「調和」とも言いかえらるし、
「思いやり」とも言えるし「引き算」や「割り算」などなど、
時と立場によって、いろいろな形に変化するものと思います。
それが大いなる調和を保っている時に美しいものだと思います。
そして、それこそが全てのものに必要なもの。

鉱物、植物、動物、これらは必要な時に必要な進化を遂げ
その進化の過程さえも「完全」な姿であると言われます。
相反して人間は常に不完全で進化を遂げている最中なのだそうで。

てなことで、人間は不完全である事は間違いない。
なかなか完璧なバランスは取れないけれど、それでも完璧を目指す生き物であり…。
それが人間の人間である所以だと思っているんですよね、私は。
そこで、常にたしたり引いたりしながら、善きバランスを取ろうとし続ける事
それこそが生きる上で非常に大切なんじゃないかいな?と感じてるわけでありマス。





そんな私は時と場合により、テンション高く、
おバカで、ポジティブに生きられる(フリのできる)人の方デス。
基本、博愛主義なので人一倍、愛に関するモチベーションが高い(これはリアル)
その上、仕事柄か、現実的でない感覚に満ち溢れているらしく
自分でもファンタジーランドから来たのね、と思っています。

ところが根っこは、疑り深く、真直ぐに見ず、タテヨコナナメからモノを見て
現在の結果からそこまでの道のりを分析し予測をする癖があるんですよ。
何事も自分の頭とココロを通して考えて見ないと納得できない。
要はものすごい現実主義者なんですねーーー。
これは、生まれた時からだったりします。
(私は生まれた瞬間からの記憶があるのです)

最近は落ち着いてきたんですが、世間で言うところの
スピリチュアルな出来事を数々経験しておりまして
いわゆる不思議な体験談と言うのには事欠かないんですが…。

で、ある時思ったんです。
なぜ、こんな超現実的な私に、そんなスピ現象が起こるんだろう?
イヤ、ここで「そんな体質だからだろ」ってことはいわないでくださひね…(ーー;)
話が終わる(笑)

もとい、自身の行き着いた答えは「私が根っから現実的だからこそだろう」ということでした。
私はこんななので、比較的人様が見て驚く奇跡的なものを見ても、
「わ、びっくりしたぁ!へぇー、ほほぉ、そうなんだァ」と、
何の疑問も持たず、すとんと受け入れられるけど
あっという間に意識は現実世界に戻ってしまうのですよねー。

うん、そうなのよ…。
私にはそれがこの世に当たり前にある訳だから
なんか、そういうことが、あまり極端に奇跡的でもなかったりもして…。
だから、その時はうわー!すごいすごーい!と思っても、
その経験から世界が変わり人間が変わるって感じにあんまりならない( ̄▽ ̄;)
学ばないっていうか、学べないっていうか…(ーー;)

しかし奇跡的な事っていうのは、やっぱり「ミラクル」なわけで
決して意味なしには起こらないと思うわけなんですよね、私は。
イエ、もちろん、この世で起きてることはすべてがミラクルなんですけどね。
とにもかくにも、全くその答えに対する根拠はないけれど(^_^;)
なんででしょう?そういう確信があるんですよねー(^-^*)(・・*)(^-^*)(・・*)

だから、何かこの世を司っておられる大いなる力が、
この不安定なワタクシメが正しい世界?に常に戻れるように
何度もそういうことを体験させてくれるんだろうと勝手に思っているのでありますー。

そんな体質の自分のため、今もそういうモノとか世界とか
それなりに近い感じでに繋がっていられるワケなんですが
だからといって、それで満たされているわけでも、
悟ってるわけでもなかったりするんですね。





そんな私は芸能界とか教育界って世界に生きているワケです!
ここってね、現実と夢が交錯する場所でね、
そこには見えぬ修羅地獄があるのデスよ( ̄▽ ̄;)
表では夢みたいなふわふわした現場で愛や友情を語るけれど
それを維持させるためには「お金」や「必要悪」が欠かせないのよね。
そこには外からわからないような恐ろしい現実があるのデス。
中心に迫れば迫るほどその闇は深いワケですねぇ(ーー;)
ぶっちゃけ政界でも宗教界でも表が綺麗なものを提供してるところはみんなそうですよ。

デモ、デモ、デモ、
その闇がないと光は存在できない。
ハードなハードな夢の現実世界。

デモ、デモ、デモ、
夢の世界にリアルに生きていなきゃ
本物にはなれない夢の世界。

だから、そこに住む人には、いくつかの種類があります。

かたや、夢を演じつつ、現実の荒波重視で生きる現実人。
(技術により夢を見せる達人だが、残念ながら嘘つき、
でも現実世界では失敗すること少なく勝ち組…富と名誉第一の人種)

かたや、現実を演じつつ、夢の国で霞を食って生きてる夢の国の住人。
(夢を真実に変えてリアルに生きられるが、
現実での生活力が非常に弱く、現実世界では負け組…芸術家とも言われる)

いいか悪いか解りませんが、アタシ(&仲間たち)は間違いなく後者です( ̄◇ ̄;)





冗談はさて置いて、そんな生き方してきたせいか、
おかげでいろんな現実を垣間見て体験もし、いろいろ学んで、
いわゆる一般の方とは大きく違う感覚を持つに至りました。

でも、今思えば、それが凄く良かったんです。
ある種の、ある一部分のかもしれませんが
それは色濃く「表と裏」といいますか、光と影といいますか
その両方のバランス感というものを身近に心が学べたから。

その感覚を「すれてる」と言った感じに取られることもありますが(笑)
目の前に見えている一方方向からだけを捉える事はなくなりました。
その裏に、反対側に、タテヨコ斜めに、世界があると感じられる様になったことは確かなのです。
それが私のココロにきちんと捉えられているかどうかは、また別なんですけどね(^_^;)





そんな経験をしたからか、どうだか、よくわかりませんが、
アタクシに関わっている方々って生き方とか、性格とか
いい意味でも悪い意味でもちょいとハードな人が多くてデスね(^^;
まあ、そんな人に、なぜかいつもどっぷり浸かることになるんですけどね。
自分でも突っ込んで行きがちなんで、自分のせいですけどね(笑)


そんなある日のコトです。
忘れもしないですねぇ。上野の近くでした。
一軒のこじゃれたカフェがありまして、そこのテラス席で一人お昼を食べていたんですよ。
そしたら、突然目の前に、そりゃあイケメンのおじちゃん(笑)が立ってるんです。
眺めのヘアスタイルの女性みたいに綺麗な男の人。

で「お隣いいですか」って言うんですよ。
で、「ええ、どうぞ」って。
で、イケメンのおじさんは目の前に座られました。
コーヒーを頼んで、それが来て、おじさんは爽やかな笑顔でね、
「お仕事ですか?」と「はい、バイトでしたー」って話したりして。

そしたらですね、突然おじちゃんが
「とつぜん不思議なことを言うと思うけど…」と…。

ココロの中で(おいおい、きたよ)と思う私(笑)
うん、知らない人にそんなコトをイキナリ言われることが多々あるんです(^_^;)



「はい?」

おじさん
「あのね、君が嫌でも、神様が君を離さないみたいよ」


「はいー?」

おじさん
「だから、伝えることがあるの。ね、君の一緒に暮らしている人は芸術家でしょう?」


「はい」

おじさん
「あのね、君はね、彼にバランスを取らせるためにそこにいるの」


「そうなんですか」

おじさん(目の前にあった紙ナプキンをおいて)
「書くものある?」
(私、ペンを貸す)
「あのね、普通の人のバランスはこうなの」
(おじさんは底辺がしっかりしてる普通の正三角系を書いた)
「でも、芸術家のバランスは大概こうなってんの」
(おじさんはひとつの頂点がしたになっているやじろべえ見たいな三角を書いた)
「このバランスを取るのはものすごく難しい。だから、どうしても手助けがいる」
「でも君がバランスを取ってはいけないよ。彼がバランスを取ることが出来るように手伝うの。」


「なるほど」

おじさん
「芸術家はバランスが傾きがち。昔はそれでも良かった。
それこそが芸術家の仕事だったの。この世のバランスを崩すのが仕事でね。
僕もね~、むかーしは画廊で働いていてね、画家も育てたりしたんだよ。(と昔話続く・笑)

でもね、今は違うの。昔とは全然違うんだ。昔の生き方ではいけないの。
この時代で与えられた仕事をするためにはバランスを取らなくちゃいけないんだよ。
自分のバランスをとることで周りのバランスも作れる。
いい、バランス。バランスが大事。この世にもっとも大切なものだよ。
この世に足りないものはそれだよ。
バランスを作るために芸術家はここに降りてくるんだよ。
君はバランスをとるために置かれてる。
そして君の人生も同じ。大事なのはバランスだよ。忘れないでね。」


おじさんは私に紙とペンを渡してそれはそれは綺麗な顔でにっこり笑った。
私が貰った紙を見て、顔をあげたらもうそこにはいませんでしたΣ(´∀`;)






これ、本当の話。

とりあえず、あの人は天使みたいな人だったんだろうなーと思っています。
もちろん家に帰って相方さんにその話をしたんですがマジメに聞いてくれました。


他人が聞けば??な話ですが(笑)
以来、私の中で「バランス」という言葉はものすごく大切な言葉なのです。

生きる上でのバランス。
いろんな世界の上でのバランス。

そんなわけで、芸術家のバランスなるものを教えてもらったわけなんですが、
でも、この十年振り返って思うに「一般人」と言われる人の方が
生き方がえらいエグくバランスが崩れている気がします…( ̄▽ ̄;)

さっきも書きましたけど、世間の人は芸能人をすべて同じように仰る方が多いですが、
芸能界含め芸術に関わる業界は対外2つに分かれるのでありますよ。
商業的に世間悪を受け止め、その上にたってやろうと生きていく人と、
そんな富谷名声には目もくれず芸術の道をストイックに歩んでいくタイプとね。

ところが、私の見た一般世界は、出来るだけ適当にやって人任せな楽な生き方、
そんな人生を選択することが、頭が良くて、いい人生を歩むことみたい、に思えました。
醜聞と言うのはもしかして一般社会の出来事のことを言うんじゃないか?
と私は切実に思ったこともなんどもありました。
まあ、いわゆる「現実」を生きてるわけだから仕方がないのだと思うけど。


業界にはたしかに深い闇が存在するし、動いてるお金も半端じゃない。
政治に使われることもあるし、世の中を動かすために使われることもあります。
確かに規模が違うことは否めないですよね。
だけど、人間性はどうなんでしょう?

例えば芸能界には闇と同時に命をかけた生き方がある。
それができなくては、本当にできない世界。
(もちろん中にはラッキーな人もいますけどね、でもそれは本当にわずか)
到底、一般の人がしているような生き方をしていては生き残れない。
やることも一足飛びにできるもんではない。
まあ、素人アイドル全盛期ですが、彼らだって業界に入ったら変わる。必死になるんです。
それをやるために、すべてをかけ、捧げて生きている訳だから、並ならない覚悟と勇気がある。
まあ、芸事は誰かに助けてなんてもらえない、誰だって一人で仕事をせねばならない、
決して人に頼ることなんかできないから、そこが大きく違うんだろうと感じています。

けど、その感覚で世間というものを見ると、すっごくもろい。いろんな面で驚く程に。
我慢が効かないし、努力ができないし、何より好きを自分の力にしようとしない。
簡単に諦めちゃうし、なんでも時代や人のせいだし、
そんな自分を恥ずかしくないって言うんだから驚いてしまうのです( ̄◇ ̄;)
しかも大人たちも、それが頭のいい生き方みたいに言うしなぁ。
でも、少し前まで、ここまでじゃなかった気がするんですよ。
いつからそうなっちゃったんでしょうか?





というわけで、話は戻るけど、「バランス」なんです。
やっぱり私にはこの世のいろんなバランスが崩れてきてる気がしてならないのです。

今は自分の、そしてこの世界のバランスをとるために
どう生きていくべきか、考えねばならないなぁと思っています。

私のバランスを考える。
たしたり、引いたり、掛けたり、割ったり。
それを考える。
考えてやってみる。

きっと、それが大切。
何はなくとも、それだけはわかってるんだけど。

バランス。

balance.

我が家の春

2013-03-23 | KOFUKU日記

【「ピィ姉たん、あったかくなったねぇ」「うん、おひしゃま、まぶちいねぇ…」byピピ&ピグ】


Pipa's Song

The year's at the spring,
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill-side's dew-pearl'd;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in His heaven?
All's right with the world!



【春のひかりの通り道がみえますか?】


ピパの歌(春の朝)
ロバート・ブラウニング

ある春の朝 午前7時
ここから見える丘の斜面は露でいっぱい
空にはヒバリが飛んでいて
カタツムリは木の枝の上を這っている
雲の上には神様が隠れているのかな?
やっぱり私はこの世界が大好きなんだ!




《実家の庭にも春が来た》


【アスパラは驚く程にぐんぐんと伸びてゆきます】



【南国に相応しいビビッドピンクでございます(笑)】



【小さな野草にも光が宿っています】



【やはりかわゆらしいピンク色というのは春の王道でございますね】





オイラぁ…華やかぁな大都会の、華やかぁな世界で長らく生きておりやした…
今じゃァ理由あって、ちいさい犬6匹と、煙を吹き上げる火山を目の前に
のどかな田舎の町外れ(実家に入り浸り)でひっそりと暮らしておりやす…。

(この際、本当の自宅は街中の寂れた飲み屋横丁のど真ん中という夢のない現実は忘れちゃうぜぇ…^^;)

こんなしょぼい世捨て人的ユメオイビトのシングルライフでござんすが
お天道さんは捨てたもんじゃぁございやせん…
こんなちっぽけなオイラのところにもちゃあんと春が来やしたぜぇ…



【ぽかぽかするねぇ そおだねぇ なんかネムイネェ(=-ω-)zzZZ乙乙】


つーわけで、引きこもりのアタクシんちにも春が来てくれました。
有難いものです。向こうからやってきてくれるのですからね。
ネクラぃオイラを横目に(^^;)春爛漫、春真っ盛りで(^▽^)ゴザイマース!!



【へびいちごも実り始めました 幻想的な色合いが胸に響きます】


春になって暖かくなって一番喜んでいるのはモチロン我が家のちびっ子たち。
冬の寒い時期は身を寄せ合って、結構眠っていることが多かったのですが
暖かくなったとたん動きも活発になって、暴れることこの上無し( ̄◇ ̄;)


【ねぇ!遊んでっ!遊んでよ~!もう!遊べってば!byまろ】


【あっちゃかいから、カラダが動くじぇ!負けないじぇ!byろま&ふう】


おうちの人には甘えん坊ちゃんのみなさん。
うちの人を見つけると撫でてもらおうと突進( ̄▽ ̄;)


【あっ!カンナちゃんだっ!わーいわーい!それぇ~~!!(一斉に飛びかかる)】

ね、そろそろ、手は二本しかないっておぼましょうね。
いっぺんには抱っこもナデナデも o(゜Д゜)っ ムーリ!


とにかく、お子ちゃま達のお元気っぷりには
オバチャン激しすぎてこれっぽっちもついていけてません。
ついて行けてるのは日向ぼっこだけです(笑)


【ずらり(笑)】


なんせ彼ら、朝日と共に起床!でございますから
お日様が射してきたと同時に庭に出て、
ずーっとおひさまと追いかけっこしてます(笑)


【あーーーけーーーてーーー】





【お庭に出るじぇ! by南国ちわわんず】


 

【おひしゃま、きもちいー】


 

【ユニゾンでお昼寝(*゜▽゜*)】



3月もねー、あっという間でしたねー。
後半に入ってお彼岸がありました。


【牡丹餅を作って相方さんたちにお備えしました】

本当はチビ達にはもうひとり兄弟がいたのですが生まれてすぐ天使ちゃんに。
まろちゃんにそっくりのブラックタンで心児(ここ)ちゃんと言います。
ここちゃんの眠るところには、この時期ちいさな紫の可愛いお花が咲きます。


【心児ちゃんのお花】

ここの花だけは一番最初に咲いて、長い間花を付けます。
他の場所は冬は枯れてしまいますが、ここだけはそのまま残るのです。
不思議です。
先日、じいちゃんがお散歩に連れて行ってくれて
いつも行く海辺で真っ白の大きな軽石を拾って来てくれました。
それを心児ちゃんのところにおいてあげました。
これで海に行った気分になってくれるかなー(*^_^*)


 
【じいたんのブッブであそびにいくじょ~!】



【海についたァ~!】



【海辺の可愛いお花】


雨の日はこんなかんじ。


【ピィ姉ちゃんはテレビの前のリュックの上がお気に入り( ̄▽ ̄;)】



【雨の日は眠いの…】



【遊び疲れてそれぞれ好きなところで昼寝をしております】



【窓辺でまったり みんななかよし。それが一番デス(^-^)】


イースターまであと少し。
桜も真っ盛り。
そんなこんなで我が家の春は過ぎております。






フォトチャンネルのご案内

2013-03-18 | フォトチャンネル
夢の街の活動ご紹介のアイテムとして、長らくデジブックを利用してまいりましたが
アップ期間が過ぎてしまいましたので、既存のデジブックはご覧いただけなくなりました。
デジブックにかわりまして新たに定番のご紹介ツールとしてフォトチャンネルを設定致しました。
宜しければ、このサイトのスクロールいたしますと一覧が出てまいります。
そちらのフォトチャンネルのタブをクリックしてご覧下さい。
まずは、夢の街手仕事工房*洗足アトリエの活動のご紹介からです(*^_^*)


夢の街手しごと工房*洗足アトリエのまろやかな日々



デジブックなどは一ヶ月限定公開で随時制作してアップしてまいります。
今後とも夢の街をよろしくお願い申し上げます

*夢の街代表 
米澤観児

*南国夢の街支部長 
夢街 福



3月も半ばになりました*報恩謝徳

2013-03-14 | KOFUKU日記



なんだかすっかり月いちアップになりつつあるブログです…(;・∀・)
実は明日から2月という頃にこの記事書き始めたんでしたが…
あっという間に2月が終わって3月になって、しかも半ばになってしまいましたヽ(´Д`;)ノ
すっかりのっそりカメさんな私です。
でも行動まではいかなくても、記そうと言う気持ちが萎えていないのが救いかな。

さて、気を取り直して2月を振り返ってみようと思います。
まずはレディ2匹たちのヒートが終わって、メンズ2匹がお預かりから帰宅。



【やっぱり男の子がいると賑やかです(´∀`)】

しばらくは女の子メインで、ちょっと穏やかな日々でしたけれども
緊急手術をしたろまくんの経過もよく、すっかり走り回れるようになり、
男の子も戻って、ちわわンず6匹の賑やかな毎日が戻ってきております。



【やっぱり、みんな一緒が楽しいね(o^^o)】



そして~~~~(^-^)/



【我が家の長女ピグ姫ちゃんが12歳のお誕生日を迎えましたヾ(@⌒ー⌒@)ノ】

2月17日はピーちゃんの12回目のお誕生日でした。
人間にしてみたら64歳位になります。
相方さんが病院で回復に向かうごとにフサフサになっていたピーちゃんも
相方さんをなくしてから、やっぱりガクンと年をとりました。
私もそうですが、急激に白いものが増えて、毛の量も減り、パサパサな感じに…。
初めて涙やけも出来て、一時期は命も心配するほどだったのですが、
ピピちゃんが来てくれて、距離はありながらも少しずつ元気になり、
今は沢山の弟妹に囲まれて、いろいろ大変そうですが(^◇^;)
時にはじゃれたり、追い掛け回したりして、少し元気になりました。
ただ、やはり歳はとっていて白内障も始まり、さみしそうにしていることもあります。
そこは私と同じ気がします。相方さんを思い出すのでしょうね。
きっと私よりもさみしいんだと思います。
ただ思い切って南国に来て、輝く光の中、実家のお庭や広い野原や浜辺を散歩したり、
ゆっくりと暮らせるようになり、そこは本当によかったな~と思っています。


  
〈photo by Kanji Yonezawa〉

12年前、たった350gの小ささでやってきた彼女。
12年のあいだに一番愛する飼い主を2度亡くすという悲しみを越えて
今では6匹のちわわんズたちの一番しっかりおねえちゃんになりました。
悲しくさみしい思いをした分だけ、これからもたくさんたくさん
幸せにシアワセに元気にゲンキに穏やかに過ごしてくれたら嬉しいです(*^_^*)
私たちのところに来てくれて、本当に本当に心から感謝しています。
ピーちゃんを大切にしてくれる全ての人にこの場を借りて心より御礼申し上げます。
ぴーちゃんを愛してくれてありがとうございます。
皆様の愛に包まれて、こんなに大きくなりました。
みなさまの愛情にこころより感謝もうしあげます。

ピーちゃん、お誕生日おめでとう(*^_^*)
生まれてくれてありがとう。
出会ってくれてありがとう。
生きててくれてありがとう。
これからも仲良くしようね。
ずっとずっと大好きだよ~(*´ω`*)






【チワワンず兄弟・長男のまろたんも春の始まりの陽だまりの中、
笑顔で元気よく遊んでおります!なごむわ~~~(*^_^*)】



さて、2013年もはや3ヶ月目でございますね。
昨年は夏前あたりから体の不調や悲しみが今まで以上に大きく募り
また年末に向かうに連れて、家族との関係や生命の問題が迫った年でした。
松が明けたら、ちびの急な臍ヘルニア手術等が有り、
お嬢さん方にヒートが来てやっと一息ついたというところです。

今年に入っても、家族などの心配は変わらず、カラダの調子も去年とあまりかわりません。
歳もとるわけで、ますます出来ないことも増えていっている訳です( ̄▽ ̄;)
ブログもますますのスローペース更新!のろのろ亀さんに、どんどん進化していってます。

でも昨年程には焦らないというか、2年近くかかって、
やっとこのペースがつかめてきた気がしています。
多分、今はこのペースが出来る範囲なのでしょう。
まあ、焦らないか?と言ったらぜんぜん嘘なんですけどね(^_^;)
でも、しょうがないな~って思えるようにもなってきました。

相方さんがなくなって、調子が狂ってしまってから2年以上、家の中に引きこもってるわけです。
でも、気がついたら、そのおかげで今まで向き合えなかったことや、
新しく出会った事に目を向けられていると分かったりもしました。

そんな経験の中で、今年一年、いいえ、一生をかけて向き合いたいことはなんだろう?
と考えたとき、ふっと浮かんだ言葉が
「これは与えられたもので、通らねばならないものだった」
と言った相方さんの言葉と「報恩謝徳」という言葉でした。


「これは与えられたもので、通らねばならないものだった」
これは亡き相方さんが、最後に演じた役について私に語った言葉なのです。

いま私と世界をつなぐ窓口は、相方さんの形見のガラパゴスケータイとPCです。
ネットの世界で知りましたが、今の世の中、人を分けることが常らしく、
ネトウヨやら左翼とか、人にもいろいろな形容があるみたいですね。
私はそのどこにも当てはまらない、と自分では思っています(笑)

うーん、強いてゆうなら博愛とか平和とかが自分にとってとても大切なものです。
たまたま霊的な体験を多くしてきたため、スピリチュアルな人とも言われますが
その能力を効果的に使った霊能力的行動や、人を助ける行為などは一切できません( ̄▽ ̄;)
単純に自分もビビり、人もビビらせで終わることが多いですが


そんな私は愛と真実と調和をモットーとして生きている為、
そういうのを嫌う人には、気持ち悪かったり煙たかったりするようです。
本当に親しい人の中には、それを嫌う人は一切いなくて
ほとんどが同じような博愛の精神を大切にする人ばかりだったため、
今まではほとんど、そう言った圧力を感じたことがありませんでした。

でも不特定多数の方々と関わるようになってからは、
そう言う部分で否定的な言葉を投げかけられることもあります。
ここ最近もそう言うことがありました。

そんな中で、しみじみと感じた事は
「それでもやっぱり」
私は博愛平和主義で生きていきたい、と言うことです。

投げかけられた、愛とか絵空事みたいなことを言うとか、
愛や思いやりで人を放射能などから人をどうやって助けられるのか?
などの言葉がありましたが、そう言う言葉を受け止めて思うに、
やっぱり、そう言う言葉の類は、ちっとも美しくないし、
そんな愛情を感じない言葉に、まったくもって興味が湧きませんでした。

私はやっぱり、おかしいとか、キモいとか、
愛とか平和なんてくだらないとか言われても
そのくだらないと言われてる愛や美しさを感じる視点から
世の中を見て、考えて、行動していきたいと思いました。



【報恩謝徳】 
ほうおんしゃとく、という言葉があります。

恩に報い徳に謝す。 恩に感謝し報いること。
その徳に感謝して受けた恩に対して自分のできる限りのことをしようという気持ち。
報恩は受けた恩に報いることで報徳ともいう。
謝徳は受けた恩に対して感謝の気持ちを表すことで謝恩ともいう。
厳密には恩に報いるのではなく、受けた恩徳に対して
如何ともしがたい感謝の気持ちが芽生えてどうしても報いたくなることを示す。


この「報恩」という言う言葉を冠した二人芝居があります。
相方さんがこの世で出演した最後の作品になりました。

相方さんが演じた「報恩」
こんな話です。

********************************

ミャンマーと日本のつながりを作ろうと奔走する
青年オヤマとミャンマー人のススの日々葛藤のお話。
たった二人だけでセットも殆ど無い場所で演じられます。

ひょんな事からミャンマーと縁を持った青年オヤマと
それを案内したミャンマーの女性スス。
青年オヤマが初めて訪れたミャンマーの地で目にしたのは
自分の得を考えず、人のために奉仕をし「徳」を積むミャンマー人の姿でした。
ただ日本人には違和感の残るものではありましたが。。。(笑)
仏教が深く浸透し、自分の財産を使い果たしても
困った人を助ける国、ミャンマー。
貧しくても飢えたホームレスやストリートチルドレンはいない。
助け合いの心から彼らはまわりに助けられるからだという。
そんな文化を持つ国、ミャンマー。

オヤマが初めて訪れたミャンマーでススに案内された場所は
日本国土に向けてちいさな墓標が立つ
「日本人兵士達19万人の眠るお墓」だったのです。
第二次世界大戦中「インパール作戦」によって亡くなられた
19万人の戦没者達の慰霊地でした。

そこでオヤマが見たのは誰に頼まれるでもなくお墓を掃除する
ミャンマーの女性達の姿でした。

「誰にも頼まれてもいないのにやってるの?あのお母さん達?」
「そう、功徳つんでる。」

青年オヤマはその二つの現実に衝撃を受けます。
そして彼の中に想いが生まれるのです。

「私は衝撃を受けた。
何かわからないものに背中を押されるように、
この国の小さな善意の人たちに、何か、たくさんのものを返さなくては、
と強く感じた。なにか、たくさんのもの…
この血で十九万人もの日本人が命を落とした。
そのたくさんの命たちが受けた恩。
そして十九万もの日本人が、ここで命を落とした意味…これでいいのか。
ただここでこんな小さな墓石を建てただけでいいのか。
それで、ここで散っていった十九万人もの…
誰かの父・誰かの兄・誰かの弟・誰かの息子。
…そういう彼らを失った日本中の母親の涙が報われるのか。
…そんなわけ無い。そんなわけないじゃないか!」

そして日本とミャンマーの架け橋になろうと
ミャンマー交流協会を設立、彼は奔走を始めます。
もちろん採算は二の次。

「今つながりがなくなれば、あそこで死んだ人はどうなる?
50年も60年も誰も来ないまま、日本から忘れ去られたら
誰も浮かばれない」
その想いが彼をひたすらに動かします。

けれど次第にわかってくるミャンマーの現実。
ススの言葉にいろいろと企画を立てますが、
日本とミャンマーの政治や経済や文化のギャップから
なかなか上手く事は運びません。

けれどもある日、大きな助っ人達と出会います。
日本大学の石井進教授と日本きっての眼科医・藤田善史医師。
そして紫外線の多いミャンマーで多くの人が白内障で失明する事実。
貧困で病院にいけない国の現実。
助っ人となった彼らの協力を得て全くのボランティア、
善意での眼科医療支援が始まったのです。
無料の治療・手術。そして人材育成。
少しずつ形になってゆく活動。
そんな日々の中でオヤマは思います。

「後継を生み出すという事は、未来に日本とミャンマーのつながりをつむぐことだ。
19万人の戦没者達に、この為に自分達はここに来たのだと思ってもらいたい。
みんなのキラキラ輝く笑顔。
これこそが間違っていない証拠だ。
どこにも負けない、金では買えないもので、ミャンマーと日本が繋がっている。
私とススの行動は表に出ることは無い。
橋で言えば梁の部分だ。それでいい。
この橋の上をこれからたくさんの日本人とミャンマー人が行き交えばいい。
19万人の戦没者も…きっとそう思ってくれるはずだ。」

ミャンマーと日本を繋ぐ架け橋になろうとする二人。
日本ではあまり知られていないミャンマー(ビルマ)と日本の物語。

********************************

これは実話です。

相方さんはこれを演じることになったとき、
彼は戦没者墓苑に日々出向き、ミャンマーの日本人墓地の写真を用意し
それを前にしてひたすら考えていました。
善意とは何か、報恩とは何か。
考えるというより、祈りに近かったと思います。


報恩パンフレットより相方さんのコメントをご紹介させて頂きます。

「千鳥が淵の戦没者墓苑に行き、花を添えて両手をあわせて見たのですが、
どうにも心の中に言葉が出てこないのです。
ただ静かに手を合わせる以外、もうどうしようもありませんでした。
戦後に生まれた人間として、これが正直なところだと思います。
でも素通りできることではないとわかっているのも正直なところです。
たとえ戦没者たちの心にまっすぐ向き合う勇気は無くても、
「なにか」はできるように思います。
今まで私自身は、ボランティア、支援などという事に関して
どこか社交辞令的なもの、あるいは心の中の見返り的なものが
どこかにあるような気もしていたのですが、
断じてそういうものではなかったのですね。
どこか、芸術にまっすぐ向き合う心に似たものを感じます。
小山さんをはじめとして、奔走され、今も活動を続けられている方々の
ご紹介の一かけらを担えればと、強く感じます。」


相方さんは心豊かなオヤマさんを演じていました。
くすっと笑って、ほろっと来る、人情味あふれる
お金ではない、熱い心意気を持つ純粋な人でした。

もともと善意の塊のような人でしたが、
善意を持つことの裏に嘘偽りはないのかを自問する人でした。
この作品を通し、生身の彼自身が実生活で善に対する素直な意識を持ち、
行動する愛への確信を持ったのがとても印象的でした。


この世の中にはたくさんの人がいて、いろんな考え方があります。
神様でもない私は、どれが正しくて、どれが正解だとか私は言えません。

大体、この世には善を装った悪なんて腐る程あって
悪と見えて善だったりすることも腐るほどあります。
しかも、善も悪もそれをはかる人間の立ち位置で変わるものです。
イスラムの「聖戦」しかり、太平洋戦争時の日本の天皇軍国主義しかりです。

では、何を基準にその善なる意識を決めるのか?
これはもう自分の魂にほかなりません。
そして、それを決めるためには学び、知ることが必要。
その上で考えなくてはなりません。自分の頭で。

その世界のギャップを知り尽くした頭と心で行う報恩謝徳。
言うは簡単、行うは難し、です。

けれども、私はオヤマさんやススの様に、考え行いたいと思うのです。
自分が自分の力で精一杯出来ることは何か?
それを考えて生きたい。

功徳を積む。

私は宗教は固定のものを持っていませんが、
仏教で言う功徳、キリスト教で言う天に宝を積んでいくという行為を
真に心で行える人間になりたいと、この2013年に思ったのです。