はじめにかみさまはいいました
「ひかり あれ」
かみさまのことばは そのこころのごとくきらめき
ひかりはすべてにふりそそぎました
ひかりはこうしてうまれたのです
うちに そとに
せかいに
そして
わたしのなかに
わたしは聖書の話でいちばんここが好き
聖書には「ひかりあれ」としかないけど(笑)
かってにこんな風に受け取っています。
いま、ちょこっとだけ仕事する為にお家に戻ってきました。
だから年末と新しい年のご挨拶を。
みなさま、ことしもいろいろありがとう
そして来年もいろいろよろしくお願いします。
来年の希望、目標と言うものでもないけど
来年はろうそくのごとくありたいと思っています。
(出来れば燃えることで空気を浄化する
ミツロウろうそくの様であればなおよろしい・笑)
他人様に明かりを灯して頂き、それを静かに享受して精一杯照らす。
そんなようでありたいと願います。
私は闘争的な人間とよく取られがちだけれど穏やかさを愛しています。
ここのところ、いろんな出来事を目にして思ったこと、
それは「決める」「信念を持つ」という事のむずかしさ。
事を成すとき、何かしら覚悟というものは必要だと思うけれど、
美しい覚悟の持ち様でありたい。
時として、「善き信念」は「争い」や「差別」を生み出す。
闘争しかり、戦争しかり。
あれは「善い」と「それをやらねば」と思った人が起こしている。
つまりもとは「愛」でもある。
しかし、信念を持つがゆえに、それを「正当なこと」として貫こうとし、悲しみは起こる。
近年、親しい人や目にする人々が新しいことを始めたり、
なにか決意をしたりすることに遭遇した。
けれど、美しい信念を持っていても、「美しいあり方」という場所にいる人にいまだお目にかかれない。
殆どの人はその信念を掲げた為に美しさを失っている様に思う。
なんと言うか、天使のような輝く何かを持った人が、何かしらの信念を持ったとたん、人間に逆戻りして翼を失ったように思うことが多い。
そういう人は大体、何かをなせるかもしれないけど、内的な美しさ、神的な美しさを失ってしまう。
人に戻ってしまうからだ、と感じる。
多分「~~でなくてはならない」と決めてしまうせいかもしれない。
神様に、天の世界に「~ならない」はないのだそうだ。
全てがあるようにある、らしい。
「ない」という事さえも。
ろうそくは火をこばまない。そして精一杯輝く。
そしてあるものすべてに明かりを投げかける。
ひとつひとつ、わけ隔てなく。
わたしはその様に居たい。で、ゆっくり燃え尽き、空気にとけるのだ。
「そのろうそくも人が造るのよ。火を付ける人が居るのよ」
といわれたら、ああ、そうですねと笑うけど(^^;)
私は待つほうが性に合っている、と自分では思っている。
元来、思い立ったが吉日な性格だが、善きことに瞬時に心震わす反面、
それをすぐに形にせず、じっくりと本当に出来る事を考えたい。
幼子はそれを教えてくれる。
小さな子は瞬間に生きている。心のハープはどんなものにでも揺れて音を出す。
だからすぐに反応するけれど、カラダがそれをすぐに許さない。
時が必要なのだ。そんな風に私たちは創られている。
学び、繰り返し練習して、身に着けて初めて出きる様になる。
言葉も行動もすべて。私はそれを幼い人たちから教わった。
そしてただ心のハープをかき鳴らして言っただけの物は風に乗って消える。
本当に心震わせ、カラダに残るものは本当の音楽になり、曲となって自分も人も動かすのだろう。
そんな風に居たい。もう一度、幼子のように。
過ぎ行く時と未来を創る時に
ひかり、あれ
「ひかり あれ」
かみさまのことばは そのこころのごとくきらめき
ひかりはすべてにふりそそぎました
ひかりはこうしてうまれたのです
うちに そとに
せかいに
そして
わたしのなかに
わたしは聖書の話でいちばんここが好き
聖書には「ひかりあれ」としかないけど(笑)
かってにこんな風に受け取っています。
いま、ちょこっとだけ仕事する為にお家に戻ってきました。
だから年末と新しい年のご挨拶を。
みなさま、ことしもいろいろありがとう
そして来年もいろいろよろしくお願いします。
来年の希望、目標と言うものでもないけど
来年はろうそくのごとくありたいと思っています。
(出来れば燃えることで空気を浄化する
ミツロウろうそくの様であればなおよろしい・笑)
他人様に明かりを灯して頂き、それを静かに享受して精一杯照らす。
そんなようでありたいと願います。
私は闘争的な人間とよく取られがちだけれど穏やかさを愛しています。
ここのところ、いろんな出来事を目にして思ったこと、
それは「決める」「信念を持つ」という事のむずかしさ。
事を成すとき、何かしら覚悟というものは必要だと思うけれど、
美しい覚悟の持ち様でありたい。
時として、「善き信念」は「争い」や「差別」を生み出す。
闘争しかり、戦争しかり。
あれは「善い」と「それをやらねば」と思った人が起こしている。
つまりもとは「愛」でもある。
しかし、信念を持つがゆえに、それを「正当なこと」として貫こうとし、悲しみは起こる。
近年、親しい人や目にする人々が新しいことを始めたり、
なにか決意をしたりすることに遭遇した。
けれど、美しい信念を持っていても、「美しいあり方」という場所にいる人にいまだお目にかかれない。
殆どの人はその信念を掲げた為に美しさを失っている様に思う。
なんと言うか、天使のような輝く何かを持った人が、何かしらの信念を持ったとたん、人間に逆戻りして翼を失ったように思うことが多い。
そういう人は大体、何かをなせるかもしれないけど、内的な美しさ、神的な美しさを失ってしまう。
人に戻ってしまうからだ、と感じる。
多分「~~でなくてはならない」と決めてしまうせいかもしれない。
神様に、天の世界に「~ならない」はないのだそうだ。
全てがあるようにある、らしい。
「ない」という事さえも。
ろうそくは火をこばまない。そして精一杯輝く。
そしてあるものすべてに明かりを投げかける。
ひとつひとつ、わけ隔てなく。
わたしはその様に居たい。で、ゆっくり燃え尽き、空気にとけるのだ。
「そのろうそくも人が造るのよ。火を付ける人が居るのよ」
といわれたら、ああ、そうですねと笑うけど(^^;)
私は待つほうが性に合っている、と自分では思っている。
元来、思い立ったが吉日な性格だが、善きことに瞬時に心震わす反面、
それをすぐに形にせず、じっくりと本当に出来る事を考えたい。
幼子はそれを教えてくれる。
小さな子は瞬間に生きている。心のハープはどんなものにでも揺れて音を出す。
だからすぐに反応するけれど、カラダがそれをすぐに許さない。
時が必要なのだ。そんな風に私たちは創られている。
学び、繰り返し練習して、身に着けて初めて出きる様になる。
言葉も行動もすべて。私はそれを幼い人たちから教わった。
そしてただ心のハープをかき鳴らして言っただけの物は風に乗って消える。
本当に心震わせ、カラダに残るものは本当の音楽になり、曲となって自分も人も動かすのだろう。
そんな風に居たい。もう一度、幼子のように。
過ぎ行く時と未来を創る時に
ひかり、あれ