KOFUKUの家から

演劇的体質の自由人
大きな愛にいだかれて
チワワたち猫たち
南のちいさな森の家にて
芸術的田舎暮らし真っ最中

「足りる」しあわせ

2007-06-28 | KOFUKU日記
みなさん、こんばんわ(ちょっとNHK風・笑)
今日も暑い一日でしたね。おかげで電車の中はこれでもかと言うくらいさぶかった。。。
(本当に寒いです、半蔵門線の中、みんなガタガタふるえてました。寒すぎて赤ちゃん泣いてたもん)
けれど、心の中は幸せ気分で一杯です。

先日、三浦綾子さんの「泉への招待」というご本をご紹介しました。
今、電車の中でこれを読んでいます。
あと少しで読み終わりますが、今まで読んだ中で一番心に残った話をひとつ。

ある知的なトラブルを共に生きている子供さんたちの学校での話です。
その日は算数の授業で「足りるか?足りないか?」を学んでいたそうです。
先生が一枚の絵を見せました。
その絵にはブランコが三つ、そして子どもが三人書いてありました。
先生が尋ねます。「足りるか?足りないか?」
子供たちは元気良く「足りる!足りる!」と答えました。
「じゃあね、ブランコと子どもを線でつないでごらん」
先生が言うと、一人の子が一番最初に子どもの足元にかいてあった
「子犬」とブランコをつなげたのです。
先生が「犬はブランコに乗れないし、ブランコも足りなくなるでしょう?」
と諭しますと、子どもは元気良く、
「足りる!足りる!変わりばんこに乗れば足りるよ。
可哀想だから子犬もブランコに乗せてやって!」
と答えたのだそうです。

三浦さんはこの話にたいそう感動し、算数は理解できずとも、隣人を思いやる、この子どもらのような優しさがあったらと書いておられました。
私もこの話にたいそう心打たれたわけです。

私が三浦綾子さんを好きな大きな理由は、彼女が病を押して小説を書いたからでも、信仰に厚かったからでもありません。
もちろんそれらの出来事は素晴らしいと思うし、素敵なことだと思うし、彼女の文章が大好きです。
が、一番、三浦さんを敬愛してやまないのは、彼女の心根とう言うものの素直さに他なりません。
エッセイを読んでいると、なんと感動の多い人であることか!
大きなことにも小さなことにも驚きと感動を持って接しておられ、その感動をそのままに書いているところに好感が持てるのです。
私は病で丸々二年以上の間、何事にも「感動」することが出来ませんでした。
「あ、こころが動いた。今、私感動してる!」と感じたときの驚きと喜びは口では言い表せません。
だからこそ、感動するのかも知れませんけどね。
でも感動って「生きる」ことです。
あるものを「在る」とわかることは、神様の、大いなる力の源からわきいずる喜びです。
私は私自身の中で絶対的にそう思っているのです。
感動するとき、ああ、地球に生まれてよかった~と思います。
そんな時、ある尊敬する先生のこんな言葉を思い出します。
「この世にあるものに、それが感情であれ、物質であれなんであれ、善いも悪いも意味の無いものはひとつも無い。
大いなる力は私たちをそれこそを体験するために作られた。
今日の悲しみも、明日の喜びも、いつか訪れる「光」の中で住まうその時の為にあるんですよ。
そのときはそれらのものは何も無くなって、私たちはただ光のようにあるでしょう。
それまで、この肉体を、感情を味わいつくしましょう!」
そういって肩を叩いてくれた先生を思い出します。

足りるしあわせ、あなたの周りにもきっとありますよ!

きれい

2007-06-27 | KOFUKU日記
「きれいなお姉さんは好きですか?」と言うCMがある。
こう聞かれて「ハイ」と返事をしてしまうのは私だけではあるまい。
わたしはちなみにきれいなおばさんも、おじさんも、おにいさんも、
さらには美々しいお子様たちも愛している(笑)
わたしは何が好きかって、その性特有の「らしさ」が好きなんである。
(こう書くとなんかやらしいけど。^^;)
たとえば赤ちゃんとか見ると、あのでかい頭とかぷくぷくの指とか
ひざの上の脂肪がたまってるところとか、あごのしわしわなんかにくらくらする(危ない)
同じように「女の人」って感じのラインがもうたまりません(さらに危なくなってきた)
国内、国外の昔の女優さんのポートレートやアンティークの写真などを見るたび、
ああああ、なんてきれいなのおおお!!!と絶叫しそうになるほどです。(もう壊れてます)
って、なんでこんなこと書いてるのか?っていいますと、
今、家から徒歩2分のデパートで夏のバーゲンやってまして。。。
やっぱり女ですから、買わずとも覗いちゃうんですね、お店を。
バーゲンのときはわーっと人が居るんで逆に声もかけられずゆっくり見られるのです。
で、いつも見たかったあの服をじっくりと見るわけですね。
ちなみに私にとっての服は衣料品であると同時に「芸術品」という感覚であります。
このデパートにあるブランドが入ってて、私はそこのブランドが気に入ってます。
とってもシンプルなんだけど、服のカットと仕上がりのラインが私的にものすごくいいのです。
そう、女性の「らしさ」を追求したと言うか、なんと言うか。
たとえばストンとしたIラインのワンピースがあります。
けれどただの一直線じゃない。前身ごろのすそが短く、後ろが長いデザインです。
けれどそこにも一工夫がある。すそが少し絞り気味になっていて、
そして腰からお尻にかけてがぷっくりと丸みを帯びるようになっているのです。
ノースリーブの肩はそでぐりのラインが腕がすっきり見える長め、
襟ぐりは鎖骨が見え、胸の白さが強調されるように深め、
そしてわずかなギャザーが胸をふっくらと見せる。
う~ん、これできれいなお姉ちゃんが着てくれれば完璧(笑)
けど、悲しいかな既製品。世の中はS、M、Lで分けられる時代です。
ちびの私が着ると長い。。。。(--;)残念っ!
それを短くして着ると本来のシルエットが崩れてしまいます。
デザインがデザインでなくなってしまうのは本当に惜しい。
それを思うと「オーダー」ってのは素敵だと思う。
どんなデザインも自分の身体にぴったりに作るのだから。
考えてみれば、昔はみーんなオーダーメイドでハンドメイドだったはず。
なんて素敵なことが失われてしまったんだろう。
既製品が増えて時間は出来たけど、本当のおしゃれ精神と芸術(技術とも言う)が失われてしまったのかも知れない、って思う。

私の大好きな作家にアメリカの開拓時代を描いたローラ・インガルス・ワイルダーがいる。
彼女の教えてくれる小さな家のシリーズには素敵なことがいっぱいだ。
今日の写真はその本の中から、おしゃれ途中の女性たちを載せて見た。
ホームパーティのダンスの仕度をする様子が描かれている。
抜粋してみましょう。

「ドーシアおばさんの服は、小枝もようで、紺地に赤い花と緑の葉のついた小枝が一面についています。
短い上着の前にはずらっと黒いボタンがついていて、それがまるでみずみずしい大きなクロイチゴのように見え、ローラはちょっと食べてみたいほどでした。
ドーシアおばさんは白い美しいえりを、おおきな丸いカメオのブローチでとめました。
けれどルビーおばさんが、えりをとめたのは、封ろうで作った赤いバラでした。
おばさんはつくろい物用の針のめどが壊れて使い物にならなくなったのを利用して、そのブローチを自分で作ったのです。」

身体にぴったり合ったドレスも下着も、アクセサリーもみんなハンドメイドだったのだ。きれいでないはずが無い。
こういう文章を読むとき、本当に服って芸術品だよ~と思う。
そしてそれを着る人間の身体の美しいこと。
それは毛皮や羽をまとう動物や虫たちも同じ。

たまには自分に似合うものを自分の為に自分で作る。
そんな古の週間がよみがえってもいいきがしてならない。


伝心

2007-06-26 | KOFUKU日記
わたしはよくしゃべる(笑)
とにかくいつも元気に勢いよくしゃべる。
なので周りの人からよくこういう風に言われる。

「よくもそんなに話すことあるね」
「どっからそのパワーは出てくるの」
「悩みなんかひとつもないでしょう」

そんな私は人に上手く自分の話を伝えることが出来ない程
常に恐怖感を持ち続けるというメンタル疾患の持ち主である。
そう、しゃべるけど話すことは得意ではない。
実はものすごく苦手である。
ではなぜ苦手なのか?
多分それは人と話す時に、相手の感情と言うものがあるからだ。

「この人は今どう感じているだろう?」
「もしかして怒ってしまったろうか?」
「嫌な思いはしていないだろうか?」

そういった思いに駆られ、それは恐怖心に変わる。
だから私は相手に返事をされないように、
多分一方的にどんどんしゃべるのだろう。

「以心伝心」という言葉がある。
思っている事が話をせずとも思っているように伝わる。
なんて素晴らしい、素敵なことだろうか、と思う。
私は「話す恐怖感」に囚われて、十分の一も思うことを伝えられない。
そうやって話しあぐねているうちに引き返せないところまで来てしまう。
いつもそのパターンだ。きっと私を知る人は意外だろう(^^;)

昨日もそういう事態に直面した。
言わなくてはいけない事を相手を考え、
自分の立場を考えしているうちに
結局これはやばいでしょうって状況になり、
結局最後に話すこととなり重い話になってしまった。
家に帰ったら緊張のために熱を出すくらいに。

こういうとき、以心伝心できたらなあと思ってしまう。
けれど、昨日はこう思った。結局「信頼」なんだなあ、と。
信頼、それは相手に対して持ちたいものであるが
私の場合、まず自分に対して信頼がなかったのだ。
もし、自分を信頼していたら、きっと最初から相手に話せたことだった。
だって相手には相当の信頼感を持っていたから。
けれど結局、最後のところで恐怖心が勝ったのだ。
自分の言動で相手が変わってしまうことが恐ろしかったのである。
昨日はそれをとても感じた。
本当に以心伝心出来ていなければならなかったのは
私の心と身体だったんだと思う。

恐怖感に打ち勝つ、と言うのは難しい。
けれど、頑張って乗り越えていくときだ、と感じている。

この場を借りて、心弱い私の告白に付き合ってくれ
親身に聞いてくれた友人に深く感謝します。
ありがとう



yurushi

2007-06-23 | KOFUKU日記
お気に入りの古本屋さんがあります。
三鷹にある「上々堂」(しゃんしゃんどう)さん。
とてもレトロな感じの古本屋さんで、とってもおしゃれです。
2週間に一回訪れるお仕事場の帰り、必ず立ち寄り、
お金があるときはどさっと本を買うのです。
わたしは本が大好きです。昔は月に60冊は読んでいました。
学校の図書館で読む本がなくなり、廃本になっているものを
書庫の中に入り込んで読み漁りました。
あまりに熱心なので図書の先生が電気を引いてくれたほど本の虫でした。
上々堂さんはその古い本が詰まった懐かしい匂いと色があります。

さて、今日はその本屋さんで一冊の本を購入しました。
わたしの人生の中には、その人生の道を変えちゃうんじゃないか?
と思うくらいの本との出会いが結構あります(^。^;)
そのひとつの本の作家さんが「氷点」で知られている「三浦綾子」先生です。
わたしは特に先生のエッセイが好きで良く読ませていただきます。
三浦綾子さんは熱心なキリスト教徒としても知られています。
今日はそんな三浦先生の「泉への招待」と言う本を買いました。
帰りの電車の中で早速扉を開き、ぱららんとめくってみると
飛び込んできたのは次のような言葉です。

「あやまちを許すのは人の誉れである」(箴言第19章11節)

この本には聖書の言葉が記してあり、その後にエピソードが続く。
この言葉のあとのお話はこういうものでした。
宮本百合子と言う一人のプロレタリア作家に対する
尾崎ふさという方の講演会の記録を読んだという話。
尾崎さんという方は東北に生まれ、大変貧しい生い立ちであった。
しかしどうしても絵を学びたくて親に洋裁学校に行くと嘘をつき
美術学校に入学する。そこで宮本百合子と出会い、
宮本家で週末少しの時間だけアルバイトをすることになる。
それは百合子の誕生パーティの日の出来事。
友人として食卓に招かれたふさは無意識のうちに
半熟卵の黄身がべっとりとついた皿を持ち上げ舐めてしまう。
貧しい育ちで親から皿は隅々まで舐めろと言われて育ったからだ。
皿を舐めるふさを見て、客は驚き、
果てにはその行為の恥ずかしさにうつむくものさえいたという。
ふさが視線にはっとなった時には遅かった。
「ああ上流階級の百合子の家でなんと無作法な振る舞いをしてしまったんだろう。
ましてやこの家に使われている身の上なのに、どんなに叱られることだろう」
そう思って身を硬くしていた。客はもう誰もしゃべらない。
すると百合子が皿を持ち上げぺろぺろと舐めだした。
「いまどき卵なんて貴重品だもの、もったいないよね」
そう言い言いお皿を舐めたという。

三浦さんは書いている。

「なんと言うあたたかさだろう。なんという大きな心であろう。
わたしはこの記録を読んで胸が詰まった。
許す、ということはこういうことなのだと、初めて知った。
このとき百合子は尾崎さんの無作法をとがめるよりも
何とかして救おうとした。百合子はとっさに自分も皿を舐めた。
皿を舐める生活というものを百合子は思いやることが出来たのだ。
これが本当の許しであろう。」

最近、許しについての本などがいっぱい出ている。
許しってなんだろうなあ?人の話を聞けば聞くほど変な感じと思っていたところだった。
どの許しの話も理屈は解るし、おおー、って思うのだが気持ち善いものがなかった。
わたしは魂が喜ばないもの、善と感じないものは善きものに思えない俗人である。
だけれども、この三浦さんの書き方はとても快かった。
(注:この記事上の文章は原文とは違います。
かなりはしょって書いてありますので、ぜひとも本をお探しになって
ごらんになって頂きたいと思います)
許しという言葉に愛と神さまのちからを感じた。
おかげで幸せな気分になれた。
上手くいえないがとても感謝の気持ちがわいた。
「許し」
わたしは三浦さんが書いているような許しのちからを愛したい。

平和のあかり

2007-06-22 | KOFUKU日記
キャンドルナイトがはじまりました。
アロマの優しい香がただよいます。
ぴーちゃんとふたり、静かにじいっとあかりを見つめています。
キャンドルナイトを迎えられない人に、平和の明かりが届くことを願って…

Love&Peace〓forever〓
Happy&Joy come to you〓
Love〓hugs You!