みなさん、こんばんわ(ちょっとNHK風・笑)
今日も暑い一日でしたね。おかげで電車の中はこれでもかと言うくらいさぶかった。。。
(本当に寒いです、半蔵門線の中、みんなガタガタふるえてました。寒すぎて赤ちゃん泣いてたもん)
けれど、心の中は幸せ気分で一杯です。
先日、三浦綾子さんの「泉への招待」というご本をご紹介しました。
今、電車の中でこれを読んでいます。
あと少しで読み終わりますが、今まで読んだ中で一番心に残った話をひとつ。
ある知的なトラブルを共に生きている子供さんたちの学校での話です。
その日は算数の授業で「足りるか?足りないか?」を学んでいたそうです。
先生が一枚の絵を見せました。
その絵にはブランコが三つ、そして子どもが三人書いてありました。
先生が尋ねます。「足りるか?足りないか?」
子供たちは元気良く「足りる!足りる!」と答えました。
「じゃあね、ブランコと子どもを線でつないでごらん」
先生が言うと、一人の子が一番最初に子どもの足元にかいてあった
「子犬」とブランコをつなげたのです。
先生が「犬はブランコに乗れないし、ブランコも足りなくなるでしょう?」
と諭しますと、子どもは元気良く、
「足りる!足りる!変わりばんこに乗れば足りるよ。
可哀想だから子犬もブランコに乗せてやって!」
と答えたのだそうです。
三浦さんはこの話にたいそう感動し、算数は理解できずとも、隣人を思いやる、この子どもらのような優しさがあったらと書いておられました。
私もこの話にたいそう心打たれたわけです。
私が三浦綾子さんを好きな大きな理由は、彼女が病を押して小説を書いたからでも、信仰に厚かったからでもありません。
もちろんそれらの出来事は素晴らしいと思うし、素敵なことだと思うし、彼女の文章が大好きです。
が、一番、三浦さんを敬愛してやまないのは、彼女の心根とう言うものの素直さに他なりません。
エッセイを読んでいると、なんと感動の多い人であることか!
大きなことにも小さなことにも驚きと感動を持って接しておられ、その感動をそのままに書いているところに好感が持てるのです。
私は病で丸々二年以上の間、何事にも「感動」することが出来ませんでした。
「あ、こころが動いた。今、私感動してる!」と感じたときの驚きと喜びは口では言い表せません。
だからこそ、感動するのかも知れませんけどね。
でも感動って「生きる」ことです。
あるものを「在る」とわかることは、神様の、大いなる力の源からわきいずる喜びです。
私は私自身の中で絶対的にそう思っているのです。
感動するとき、ああ、地球に生まれてよかった~と思います。
そんな時、ある尊敬する先生のこんな言葉を思い出します。
「この世にあるものに、それが感情であれ、物質であれなんであれ、善いも悪いも意味の無いものはひとつも無い。
大いなる力は私たちをそれこそを体験するために作られた。
今日の悲しみも、明日の喜びも、いつか訪れる「光」の中で住まうその時の為にあるんですよ。
そのときはそれらのものは何も無くなって、私たちはただ光のようにあるでしょう。
それまで、この肉体を、感情を味わいつくしましょう!」
そういって肩を叩いてくれた先生を思い出します。
足りるしあわせ、あなたの周りにもきっとありますよ!
今日も暑い一日でしたね。おかげで電車の中はこれでもかと言うくらいさぶかった。。。
(本当に寒いです、半蔵門線の中、みんなガタガタふるえてました。寒すぎて赤ちゃん泣いてたもん)
けれど、心の中は幸せ気分で一杯です。
先日、三浦綾子さんの「泉への招待」というご本をご紹介しました。
今、電車の中でこれを読んでいます。
あと少しで読み終わりますが、今まで読んだ中で一番心に残った話をひとつ。
ある知的なトラブルを共に生きている子供さんたちの学校での話です。
その日は算数の授業で「足りるか?足りないか?」を学んでいたそうです。
先生が一枚の絵を見せました。
その絵にはブランコが三つ、そして子どもが三人書いてありました。
先生が尋ねます。「足りるか?足りないか?」
子供たちは元気良く「足りる!足りる!」と答えました。
「じゃあね、ブランコと子どもを線でつないでごらん」
先生が言うと、一人の子が一番最初に子どもの足元にかいてあった
「子犬」とブランコをつなげたのです。
先生が「犬はブランコに乗れないし、ブランコも足りなくなるでしょう?」
と諭しますと、子どもは元気良く、
「足りる!足りる!変わりばんこに乗れば足りるよ。
可哀想だから子犬もブランコに乗せてやって!」
と答えたのだそうです。
三浦さんはこの話にたいそう感動し、算数は理解できずとも、隣人を思いやる、この子どもらのような優しさがあったらと書いておられました。
私もこの話にたいそう心打たれたわけです。
私が三浦綾子さんを好きな大きな理由は、彼女が病を押して小説を書いたからでも、信仰に厚かったからでもありません。
もちろんそれらの出来事は素晴らしいと思うし、素敵なことだと思うし、彼女の文章が大好きです。
が、一番、三浦さんを敬愛してやまないのは、彼女の心根とう言うものの素直さに他なりません。
エッセイを読んでいると、なんと感動の多い人であることか!
大きなことにも小さなことにも驚きと感動を持って接しておられ、その感動をそのままに書いているところに好感が持てるのです。
私は病で丸々二年以上の間、何事にも「感動」することが出来ませんでした。
「あ、こころが動いた。今、私感動してる!」と感じたときの驚きと喜びは口では言い表せません。
だからこそ、感動するのかも知れませんけどね。
でも感動って「生きる」ことです。
あるものを「在る」とわかることは、神様の、大いなる力の源からわきいずる喜びです。
私は私自身の中で絶対的にそう思っているのです。
感動するとき、ああ、地球に生まれてよかった~と思います。
そんな時、ある尊敬する先生のこんな言葉を思い出します。
「この世にあるものに、それが感情であれ、物質であれなんであれ、善いも悪いも意味の無いものはひとつも無い。
大いなる力は私たちをそれこそを体験するために作られた。
今日の悲しみも、明日の喜びも、いつか訪れる「光」の中で住まうその時の為にあるんですよ。
そのときはそれらのものは何も無くなって、私たちはただ光のようにあるでしょう。
それまで、この肉体を、感情を味わいつくしましょう!」
そういって肩を叩いてくれた先生を思い出します。
足りるしあわせ、あなたの周りにもきっとありますよ!
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